サゴシの回想 その3「決意」
化けで動物の傷を治せることを知ったサゴシは、父親に相談しようとする・・・。
その日の夜、俺はセイさんと親父の三人で寮で晩飯を食べた。
「ねぇ、おとうさん。
おれ、ばけができるようになりたい」
「え?」
親父とセイさんは目を丸くし、箸と口の動きを止めた。
「ばけで、けがをなおせるようにしたい」
向かいに座っていたセイさんが身を乗り出した。
「まぁ、坊ちゃん、お利口さんね!
傷ついた動物や家畜を治してあげたいのね。
優しいわね」
そして、セイさんはジッと親父の方を見る。
「もちろん、先生は教えてくれるわよね」
親父はたじろいだ。
しかし、セイさんに強く言われると親父は反論できなくなる。
俺は分かっていた。
だから、セイさんと三人一緒の場で親父に話したのだ。
セイさんに「お利口さん」と言わせれば、大体何でも叶う。
「分かりましたよ。
まぁ、こいつにも素質はあると思うし・・・」
「良かったわね!」セイさんは満足そうに言った。
◇◆◇
化けの訓練については、二人共も知っているだろうから細かく話さないよ。
部屋に戻った俺達は、畳に向かい合って座った。
セイさんに俺の世話を任せきりだった親父は、ぎこちなく化けの基礎訓練を教えてくれた。
髪の毛の細胞に働きかけて、伸ばしたり、ボロボロにしたりするやつだ。
親父が俺の手を握りながら、一本抜いた髪の毛をスルスルと伸ばしたり、チリチリ縮めたりした。
親父の手がこんなに温かったんだとその時初めて知った。
流石にその日は何もできなかった。
でも親父は俺が触った髪の毛を見て、こう言った。
「初めて練習したのに、もう細胞が反応しかけている。
やっぱり、彼女の血を引いているんだな・・・」
後になって分かった。
俺の母親は、親父と同じ化け医者だった。
それも、手の平一つで素早く治療する緊急救命医だった。
母親は俺を産んだ後、世界各地を回り、大災害や戦争に巻き込まれた動物や家畜を救い続けていた。
こうして俺の日々は、
朝と昼は学校、夕方はナナと遊ぶ、夜は化け訓練、の繰り返しになった。
ナナは自分の足で歩けるようになり、簡単な言葉で会話できるようになった。
彼女は、俺のやっていることに興味を示しだした。
俺は博士に「ナナと家畜を使って遊びたい」と嘘をつき、研究用のハツカネズミを何匹かもらった。
ある日俺が「ナナも化けの練習する?」と尋ねると、彼女は喜んで頷いた。
これも後で分かったことだが、ナナの、特に知能における成長は通常のヒトよりも速かった。
言葉や動作は年相応だが、俺の下手くそな説明で訓練方法を理解し、髪の毛をボロボロにした。
今思えば、ナナは細胞の成長を促すより、細胞分裂と消失の方が上手かったな。
◇◆◇
俺が七歳の時には、ナナと一緒に研究棟を出て、庭で遊ぶようになっていた。
ナナはその頃から、今のお前みたいに、外に出る時は全身白い服で覆っていたな。
俺達は庭にいる虫を捕まえては、化けで大きくしたり、羽根を消したり再生させたりした。
化けのことはばれていたと思うけど、博士は何も言ってこなかった。
「ぼったん! つぎはこれをおおきくして!」
ナナはニコニコしながら俺に一輪の花を渡した。
俺が花の茎をゆっくりさすっている間、ナナはじっとそれを見つめていた。
「なぁ、ナナ。
お前も博士達も俺のこと『お坊ちゃん』て言っているけど、違うんだぜ。
俺の名前は・・・」
ナナはびっくりしたようだった。
でも、すぐに何度も俺の名前を連呼した。
メル牧場で俺の正しい名前を呼ぶ動物は、親父以外いなかったから、少し嬉しかった。
え、俺の本当の名前は何かって?
言う訳ねーだろ、馬鹿。
ナナとの別れはあまりにも突然だった。
俺が八歳の頃、学校終わりにナナの部屋に行ったんだが、誰もいなかった。
俺は部屋で待っていた。
ところが、ナナは戻ってこない。
やがて物音が扉の向こうでしたので、俺は慌てて廊下に出た。
出口に向かおうとする博士と研究員二人とナナがいた。
「坊ちゃん! 来てたのかい?!」
博士は困っている様子だった。
「ナナとどこかに出かけるの?
俺も一緒に行きたい!」
そう言って俺は研究員の間に立っているナナの方を見て、手を振った。
ナナは振り返って俺を見た。
だけど、その姿は明らかに今までと違っていた。
そこにいたのは、ニコニコと俺の名前を呼んでいたナナではなかった。
まるで顔をセメントで固めてしまったように、瞬き以外に顔を動かさないんだ。
無表情を飛び越えて、感情が無くなってしまったんじゃないかと思った。
「ナナ、どうしたの?」
俺は駆け寄ろうとしたが、博士に止められた。
「お前達だけで7号を運んでくれ。
ここは私が何とかする」
「承知しました」
研究員二人はナナを連れて出口へ行ってしまった。
俺は訳が分からなかった。
ただ一つ、『7号』という言葉が気になった。
「ナナは引っ越すの?
何で、俺に言ってくれなかったんだよ!?」
萩さんは難しい表情を浮かべていた。
「坊ちゃん、聴いてくれ。
ナナはヒト家畜なんだ。
家畜番号の最後の一桁が7で、私達が『7号』と呼んでいたから、君に『ナナ』と教えたんだ」
「ナナが家畜・・・」
俺には信じられなかった。
「おかしいよ! 耳にタグがついてなかったよ!
それに、家畜なのに何で笑ったり会話したりできたんだよ!?」
「坊ちゃんの言う通りだ。
7号はこれまでの家畜と全く違う育て方をしてきた。
タグもわざとつけていなかった。
メル牧場はあるところから依頼を受けて、脳医療チームで研究を行ったんだ。
そして7号が成長したので、違う場所で更に研究することになったんだ」
「それじゃあ、もうナナには会えないの?」
気付いたら俺の目から涙が溢れ出ていた。
「ああ、7号はとても重要な家畜で、今まで起きたことは全部秘密にしないといけない。
坊ちゃんも、ナナと一緒にいたことは絶対言っちゃいけない。
もし、誰かに話すと言うなら、これから君の記憶を取り出す」
博士は声を一段と低くして言った。
決して冗談ではないとすぐに分かった。
「分かった・・・。誰にも言わない・・・」
俺は震えながら言った。
ヒトにとって、自分の記憶をいじられることは、大いなる恐怖だからな。
「そうか、ありがとう。約束だよ。
辛いだろうけど、良い思い出だと思って大事にしなさい。
それに、7号からは君の記憶を取り除いている。
万が一、再会できたとしても、向こうは君のことが分からない」
「分からないって?」
「動物の様に笑ったり話したりした記憶が残っていたら、次の研究に支障が出る。
だから読み書きや運動能力はそのままにして、その他の記憶は消しているんだ。
7号を守る為にも、ここでの出来事は秘密にするんだよ。
もしばれたら、7号は処分されてしまうかもしれないからね」
博士は俺の両肩をギュッと握りしめて言った。
俺は泣きながら、頷くしかなかった。
◇◆◇
ナナが居なくなってから、毎日が退屈だった。
学校には相変わらず友達は居なかったし、嵐の息子のショウは卒業していた。
放課後はメル牧場をフラフラ歩きながら、本を読んだり、たまに嵐の手伝いをした。
博士はナナと一緒に牧場を離れたらしく、セイさんすら博士がどこに行ったか知らないようだった。
「おや、そこに居るのは、先生の御子息かな」
放牧している乳牛達を柵越しに眺めていると、大柄な雄ホルスタインが話しかけてきた。
白黒の斑模様の毛並みを艶々に整え、紫色のスーツ着て、真っ赤なシャツの襟を立てていた。
俺はそのオッサンが誰か分からなかった。
だが、すぐに親父が現れたので、正体が分かった。
「会長! 息子が何か?」
その日の親父は、いつもと違って髭を剃り、白衣のボタンをピッタリ留めていた。
「いやいや、数年前に顔を見たっきりだったが、あんまり大きくなってないね。
二次性徴も始まってない。
相変わらず、ヒトの成長はのんびりしている」
親父は苦笑いを浮かべていた。
俺は何だか嫌な気分になって、目をそらした。
「こら、ちゃんと挨拶しなさい。
マスカルポーネさんは、この牧場のオーナー、会長だぞ」
俺はブスッとしたまま、頭を下げた。
「すみません。
最近どうも、態度が悪くて・・・」
「子どもっていうのはそういうもんだよ。
ただ、ヒトの場合はその期間が長すぎるから厄介だねぇ。
それより、乳牛担当者の記憶の引き継ぎは無事に終わったのかい?」
記憶?
俺は黙ったまま二人の会話を聴いた。
「はい、会長。
後任の症状は一時的なショック反応でした。
身体面での異常はありませんでした。
今は脳医療班に任せています」
「そうか。
悪かったな。君を呼び出して。
前任はクセの強い奴だった。
新人の後任には、種が合わんかったか」
「こういったことは決して珍しくないですよ。
今回は少し症状が大きかっただけです。
種は脳医療チームが不備なく保存していましたし」
記憶、種、保存・・・。
二人の会話を聴きながら、俺はあることを仮定した。
ナナの取り除かれた記憶は、どこかに保管しているんじゃないかってね。
俺はその後、学校図書館から脳医療に関する本を読むようになった。
少し経ってから、博士が牧場に戻ってきた。
その夜に博士の帰宅を祝う為、セイさんに嵐一家、俺と親父で寮で食事をした。
俺はその場で博士に相談した。
「博士、俺、脳医者になりたい。
どうすれば、なれるかな?」
皆、目を見開いた。
沈黙を破ったのは、目論見通りセイさんだった。
「まぁ、坊ちゃん!
化け医者の中でも一番難しいって言われている脳医者になりたいの!
なんて、素晴らしいんでしょう。
坊ちゃんは最近学校からよく脳医療についての本を借りてきているのよ。
先生は気付いていなかったみたいだけど」
「へぇ~、凄いな。
良かったじゃん、親父。良い跡継ぎが出来て。
いや駄目か。その頃には親父とっくに死んでるわ」
嵐はゲラゲラ笑ったが、セイさんが睨むので、すぐに止めた。
「で、先輩お二人さん、アドバイスは?」
嵐の一声に、親父も博士も眉間に皺を寄せた。
「とても嬉しいが、脳医者になるのは、ヒトの坊ちゃんには難しいかもしれない」
先に発言したのは博士だった。
「どうしてよ、あなた?」セイさんが尋ねる。
「ヒトが医療技術と知識を得るには、時間がかかるんだ。
他の動物と違って、記憶の種を使いにくいし。
目指したところで、受け入れてくれる学校や病院も少ないだろう」
博士の意見は正論だった。
他の皆も同意せざるを得ない空気になった。
そんな中、親父が口を開いた。
「いや、一つ可能性がある。
『記憶』か『催眠』の化け能力者になるんだ。
脳に関わる化け能力者は、脳医者同等の扱いを受けられる場合がある」
「マジか!? 坊が能力者に」
「でも、化け能力者なんて、それこそ普通の動物がなれるものじゃないわよ」
嵐とセイさんが、それぞれ言った。
「灯のと軍の養成所に入れば、何とかなる。
あそこは素質ある動物を訓練させて、化け能力者にさせるんだ。
能力者になれなくても、軍専属の脳医者になればいい。
一般の公立学校や専門学校に通わせるより、確実だ」
「何てこと! 坊ちゃんを軍に入れるなんて反対よ!
養成所に入ったら、滅多に会えなくなるのよ。
もし戦地へ派遣されたら、命の保証だって・・・」
セイさんは大声で言った。
だけど、もう遅かった。
俺の気持ちはすぐに固まった。
「俺、軍に入って、記憶を操る化け能力者になる」
「何言ってるの、坊ちゃん?」セイさんは声を震わせた。
「お袋、諦めろよ。
化け医療を学ぶ為に、坊の化け訓練を勧めたのはお袋だろ」
嵐が言った。
「ヒトの場合、養成所は10歳にならないと入れない。
その前に、入学試験を合格しないといけない」
親父は優しい口調で言った。
「分かった」
俺はそう言って、残りの晩飯を黙々と食べた。
他の皆も同じように、食事を再開した。
◇◆◇
それからはあっという間だった。
9歳になり、俺は養成所の入学試験を受けた。
結果は合格だった。
面接会場で、ヒトの子どもが、一瞬で自分の髪の毛を数メートルも伸ばした。
睫毛も、眉も、首から上の毛を伸ばしまくり、そして元に戻した。
養成所に入った俺は、催眠と記憶操作の訓練を受けた。
それから成人するまで、一度もメル牧場には帰らなかった。
それで良かったんだ。
だって、親父は俺が離れてくれることを望んでいたからな。
親父は隠していたつもりだったけど、俺は気付いていた。
親父は俺の母親とずっと手紙のやりとりをしていた。
メールでもアプリでもないんだぜ。笑うだろ。
だから、ガキの頃にそれを見つけて知ったんだ。
親父は、母親と母親の新しいパートナーとの間に出来た子どもに会いたがっていた。
だけど、俺が居る限り牧場から出られなかった。
たまに牧場に連絡してみたら、親父が長期休暇をとっているって言われたよ。
結局親父も真っ当なヒトだった。
何年も同じ場所に留まることに耐えられなくなったんだ。
◇◆◇
話が逸れたな。
俺が軍に入り、今ここにいる理由。
それはナナ、いや、餡の当時の記憶を保管した種を探す為だ。
家畜の記憶なんて貴重なものを、簡単に破棄するとは思わないからな。
軍に目星を付けたのも正解だった。
特任の頃に、ヒト兵士の間でこっそり流通した画像があった。
陸軍実地部門に、物凄く美人の雌ヒトがいると、若い雄共の間で噂になったからな。
隠し撮りの画像を見た時は驚いたよ。
その無表情の美女は、俺が最後に見たナナとそっくりだったからな。
その雌が兵機庁からの派遣だと突き止め、キャンディ少佐に自分を売り込んだって訳さ。
以上、話は終わりだ。
これでサゴシ回想編は終わりです。残り、第4章へと繋がるエピソードが続きます。第4章はバトル編を予定しています。亀更新で申し訳ございませんが、引き続き頑張ります。