サゴシの回想 その2「秘密の友達」
ナナという雌ヒトの赤ん坊と出会った少年サゴシ。ナナは後の餡だが、当時の彼はもちろんそんなことを知ることなく、日々を過ごす・・・
次の日、俺は嵐と一緒にヒツジ舎に向かった。
朝の掃除や餌やりを終えた頃、嵐が俺に話しかけた。
「親父からしばらくお前を借りたいって言われたんだ。
昼飯の後、着替えてから行きな。
絶対誰にも言うなよ。
俺もお前が親父と何するのか知らないしな」
俺は黙ったまま頷いた。
「侵入に成功したんだな。
やるじゃねぇか」
嵐は俺の頭をポンと叩いた。
◇◆◇
昼飯を済ませた俺は「絵本を忘れた」と嘘をついて牧場に戻った。
他の動物に見つからない様に注意して、研究棟に向かった。
今回はフェンスの前に博士が立っていた。
博士は俺に抜け道を教えてくれた。
棟に入る前に、天井から噴き出す消毒液を浴びる。
俺はナナがいる部屋に向かった。
床の上に、マットが敷かれ、そこにナナが居た。
ナナは仰向けのまま、手足をバタつかせて泣いていた。
室内に響き渡る鳴き声は、どの家畜よりもうるさく聞こえた。
「朝からずっとこの調子だよ」
博士は毛並みを掻いた。
白衣はパリッとしているが、中のシャツはシワシワだった。
俺は靴を脱ぎ、マットに上った。
そっとナナに近付くと、俺に気付いたのか、泣き止んだ。
「やっぱり坊ちゃんのことが分かるんだな」
博士が後ろで呟いていた。
「どうしたらいい?」俺は博士に尋ねた。
「絵本があるから、ナナに読み聴かせしてほしいんだ」
博士はマットの傍にある本棚を指差した。
赤ちゃん用のカラフルな絵本が沢山並んでいた。
「それから、ナナに笑顔を見せてあげてほしい」
「えがお?」
「そう、絵本が面白かったら、ナナの代わりに笑ってくれ。
ナナが可愛いと思ったら、にっこり微笑んであげてくれ。
きっと、同じヒトの坊ちゃんが一番上手だと思うんだ」
俺は少し困った。
ヒツジの世話では「笑え」とは教わっていない。
「セイおばさんも、君と一緒に居る時ニコニコしていただろ?」
そう言われて、俺は何となく理解した。
セイおばさんみたいに、小さい動物を可愛がれば良いんだ。
俺は本棚に行き、絵本を一冊手に取った。
ナナの隣に寝転がり、絵本を広げた。
絵本の文字は、俺が普段読んでいるものより、大きくて数も少なかったから、簡単だった。
ナナは目をくるくる動かすだけだったから、代わりに俺が「この絵、おかしいね」と笑った。
◇◆◇
それから毎日、俺はナナのところに遊びに行った。
五歳から学校に行くことが決まっていたから、時々勉強道具を持って行った。
絵本を読み聞かせ以外にも、積木やぬいぐるみで遊んだ。
ナナは日に日に大きくなり、自分からどんどん身体を動かすようになった。
俺が笑うと、彼女も一緒に笑うようになった。
「学校が始まっても、ナナに会いに来てくれるかな?」
博士が尋ねた。
「うん!」と俺は即答した。
俺は地元の学校に通い出した。
メル牧場と学校間を往復するバスがあって、毎日他の従業員の子ども達と一緒に通学した。
気が付くと、嵐の子どももバスに乗っていた。
入学当初、クラスのリーダー格のエゾシカの男の子に、運悪く目をつけられた。
「もう、五年も生きているのに、新聞も読めないのかよ!
俺のパパはお前と同じ年だぜ!」
次に取り巻きに奴はこう質問する。
「お前は今何歳?」
「一歳!」
「二歳!」
「半年!」
「で、コイツは・・・五歳!」
そして、お決まりの大爆笑が始まる。
成長速度の差が如実に出る教育期だ。
長寿動物の多くが通らなくてはならない関門だった。
しかし幸いなことに、一カ月後にエゾシカの少年は卒業した。
俺が住んでいた地域の冬は雪が多い。
その為かヒトの数が少なく、同種が学校にいなかった。
皆が裸足で雪を上を走り回るのに、俺だけブーツを履くのが恥ずかしくて、一緒に遊べなかった。
だから余計に、ナナと過ごす時間が楽しくなっていた。
◇◆◇
ある日、俺は学校で作った竹とんぼを持ってナナのところへ向かった。
一歳を過ぎたナナは、つかまり立ちのまま、よろよろと歩こうとしていた。
「今日は新しいおもちゃを持ってきたよ。
上手く作れたから、先生にも褒められたよ」
当時、俺はバスから降り、研究棟に直行していた。
親父もセイおばさんも、何となく嵐と一緒にいると思っているようだった。
俺は竹とんぼを回し、飛ばした。
学校で練習した甲斐あり、竹とんぼは高く昇って行った。
天井に当たり、回転が止まった竹とんぼは下へ落ちる。
「危ない!」手を伸ばしたが遅かった。
竹とんぼの柄の先が、見上げていたナナの顔に当たった。
ナナはバランスを崩し、尻もちをついて寝転がった。
「ギャー!!」
ナナは泣き叫んだ。
すぐに博士や他の白衣の動物達が部屋に入ってきた。
「頬から少量ですが出血しています!」
「すぐに運べ!」
「他に打ったり擦ったりしたところが無いか、入念に調べろ!」
バタバタとナナは白衣の動物達に連れて行かれた。
部屋には、俺と博士が残った。
ギロリと一瞬だけ、博士は俺を睨みつけた。
だがすぐに表情を緩め、話しかけた。
「ごめんね、驚いただろう?」
「あの、その、ごめんなさい・・・」
物凄く怒られるんじゃないか、もうナナと遊べないんじゃないかと不安だった。
「ナナは特別なんだよ。
君やショウ(嵐の息子)と違って、誰よりも怪我や病気に注意しないといけないんだ。
君達は、飼育場で鍛えられているし、ちょっとの擦り傷位、何てことないかもしれないけどね。
だから、今後はもっと気を付けてあげてくれ。
特に君もナナも成長して、動くことが増えている。
それだけ、怪我の危険も増えるんだ。
もし、これ以上ナナが危ない目に遭うなら、おじさん達は君をナナのお友達にはできないな」
その言葉は、グサッと刺さった。
俺は「ごめんなさい」としか言えなかった。
「今日はもう帰りなさい。
明日また遊びにおいで」
博士は俺をフェンスの外まで連れて行ってくれた。
俺は寮へ戻った。
◇◆◇
寮に戻る途中、ヒツジ舎の近くを通った。
すると、中で親父がヒツジの診察をしているのが見えた。
「坊、どうした?」
嵐が声をかけてきた。
「顔か暗いぞ。親父に怒られたか?」
小声で尋ねた嵐に、俺は無言のまま首を横に振った。
「まぁ、いいや。
こっちを手伝ってくれ。
雄ヒツジ同士が喧嘩して、大変なんだ」
俺は嵐について行った。
雄ヒツジの一頭が足を負傷したらしく血まみれだった。
それを親父が真剣な眼差しで見ていた。
「骨折もしているな。
折れ方があまり良くない・・・」
「治りますかね?
できれば、処分はしたくないです」
嵐は不安そうに質問していた。
「大丈夫だ。
きちんと休ませたら、元の生活に戻れるはすだ。
ちょっと気性の荒い性格なだけで、ただの個性だ。
遺伝的問題なんて無いよ」
親父は優しい口調で答える。
その後、親父は両手の平を擦り始めた。
手の平からパチパチと音が鳴り、親父はヒツジの足に触れた。
「ムェ~!」
雄ヒツジが痛そうに鳴いた。
身体を固定されているので、暴れることはない。
バチバチとしばらく音がした後、親父は手を離した。
「治療完了。
三日間は、単独で休ませてあげて。
後で、感染症を防ぐ薬を持ってくるよ」
「先生、ありがとうございます!」
嵐は俺にも見せたこともない、涙を浮かべた。
「嵐君が大切に育てているヒツジ達だ。
処分するような子は一頭もいないよ。
今回はたまたまだよ」
そう言って、親父はヒツジ舎を去った。
俺は何が起きたのか良く分かっていなかった。
親父が触れただけで、血が止まり、傷が消えていた。
「やっぱり、化け医者って凄いよな」
嵐が言った。
「化け医者?」
「何だよ、お前自分の親父の仕事も知らなかったのか?
先生は、化け能力で家畜を治療する化け医者なんだぜ」
「化けって、嵐達が歩く為に使うやつ?」
ヒトの俺は、化けがなくても生きていける。
認識が遅れるのも仕方なかった。
「そうだよ。
だけど、化けはそれだけじゃない。
先生みたいに怪我を治したり、もっと訓練すれば姿を全く別の動物にすることもできる。
あと、俺の親父。
親父は化け能力者じゃないけど、化け医療を使って、脳みその研究をしている。
俺が知っているのは、それだけだけど」
頭の中で言葉がグルグル回った。
だけど、その中で残っている言葉があった。
化け能力で家畜を治療する。
触るだけで怪我を治せる。
もしナナが怪我しても、俺が治してあげれば良いんだ。
「あ、嵐!」
俺は嵐のツナギを引っ掴む。
「どうすれば、化けで怪我を治せるの?!」
「知らねぇよ。先生に聞けよ」
嵐はうっとおしそうに答えた。
次話でサゴシ回想編ラストです。