サゴシの回想 その1「メル牧場」
特畜隊の入ったのは餡の記憶の種を探す為だと言ったサゴシ。彼は自分の過去を語り始める・・・。※大変お待たせして申し訳ございません。サゴシの回想編スタートです。
餡の記憶を探している理由を説明するには、俺が赤ん坊の頃まで遡らないといけない。
俺の親父は、俺が産まれて間もなく、メル牧場にやって来た。
メル牧場はお前達も知っているか?
灯のと、いや世界トップクラスの畜産企業だよ。
世界中どこでも、メルマークのチーズとハムは手に入る。
その本社兼大牧場が、北島にあるんだ。
親父は、そこの専属家畜担当医として雇われた。
俺は母親と会ったことがない。
俺が産まれる前に、親父はメル牧場に就職が決まった。
母親は親父について行くことを拒否した。
ずっとその地に縛り付けられることが嫌だったんだ。
別におかしいことじゃない。
長寿動物にとって、同じ場で周囲の動物達が変化するのを見ることは苦痛なんだ。
だから、ヒトやゾウは転々と住む場所を変えたがる。
長寿動物が「ロマンチスト」と揶揄される理由の一つだな。
一方、親父はできるだけ長くメル牧場に貢献したいと考えた。
母親は親権を放棄し、俺を産んだ後、親父と別れた。
◇◆◇
俺の最も古い記憶は、ゴワゴワと硬い茶色い毛と、温かくて弾力のある腕の感触だ。
親父の代わりに赤ん坊の俺の面倒を見てくれたのは、ヒグマのセイさんだった。
メル牧場住込みの従業員で、社員寮の部屋が隣だった。
セイさんには、俺と同じ年に産まれた息子がいた。
だから、一緒に面倒を見てくれた。
セイさんは元保育士で、小さい子どもが大好きだった。
夫の萩さんが、メル専属の研究職に就いたので、彼女は仕事を辞めてついて来た。
二人の間には一人息子の嵐しか恵まれなかった。
だから余計に、セイさんは俺を可愛がった。
だって、いつまで経っても、俺は赤ん坊だったからな。
「嵐! 何やっているの!?」
「ちょっと取っ組み合うだけだよ」
「駄目じゃない!
坊ちゃんはまだ三歳にもなっていないのよ!
あなたとじゃれあったら、大怪我しちゃうわ!」
そして、セイさんは俺を抱きかかえる。
嵐が不満そうに俺の方を見ていた。
「坊ちゃんは、静かでお利口さんね。
先生もお仕事に集中できるから良かったわね」
セイさんは俺のことを「お坊ちゃん」と呼んだ。
坊が俺の名前だと、牧場の皆は勘違いしていた。
親父も面倒くさがって訂正しなかった。
◇◆◇
四歳になる頃、親父に連れられて牧場内を歩くようになった。
親父は家畜の健康チェックで、同じ種を何十頭も診ていく。
傍で絵本を見ながら座る俺は、退屈だった。
保育施設でプレ教育を受けることも出来るが、牧場が施設から遠すぎる。
毎日送り迎えするよりも、牧場内で面倒見る方が楽だった。
「よう、坊ちゃん。
ようやくお外を歩けるようになったんだな」
声をかけられて、俺は泣いてしまった。
その大きな毛むくじゃらが、赤ん坊の時に一緒に居た嵐だなんて思えなかったからだ。
同い年の嵐は立派な青年になり、飼育員として働いていた。
「先生、座っているだけじゃあ、何も身に付きませんよ。
俺が坊に色々教えてやっても良いですか?」
「ああ、よろしく頼むよ」
「よしっ、それじゃあついて来い!」
嵐は俺をひょいと担いで、畜舎に連れて行った。
嵐はヒツジを担当していた。
箸やスプーン位しか持ったことのなかった俺に、スコップやバケツを持たせた。
全然役に立たなかっただろうに、それでも嵐は俺に掃除や餌やりの仕方を教えてくれた。
時間はかかるが、時間はたっぷりある。
それが長寿動物の良いところだ。
何ヶ月か経てば、それなりに仕事ができるようになっていた。
自分担当のヒツジの特徴も覚えていて、数が足りなかったらすぐに知らせることができた。
ある日、俺と嵐はヒツジの毛刈りに時間がかかり、牧場内で適当に晩飯を済ませることになった。
いつもは寮でセイさんのご飯を食べていたから、売店のパンやおにぎりを夜に食べるのが新鮮だった。
食事の後、嵐は「特別だぞ」と夜の牧場内を案内してくれた。
家畜達は畜舎にいて、静かだった。
今まで気付かなかったが、牧場内には大きな建物もいくつかあるんだと知った。
見た目は、ここの家畜棟みたいな感じだな。
闇の中で、そこの窓の明かりが妙に不気味だった。
「こわいよ、あらしぃ」
俺は嵐の作業ズボンを引っ張った。
「大丈夫だよ。
あの建物では、俺の親父がずっと研究をしているんだ。
メル牧場にとって大切なことを沢山しているんだってさ」
嵐は言った。
「はかせはあそこで、なにをしているの?」
「分からない。教えてくれないんだ。
俺もガキの頃、入ろうとしたけど、見つかって滅茶苦茶怒られた。
だから、真似するなよ」
そう言う嵐の目は、楽しそうにしていた。
まるで「お前もやってみろ」って言っているようだった。
◇◆◇
翌日、牧場内は定期検査前で、大人達は慌ただしくしていた。
親父も嵐も、俺を見ている暇はなかったようだ。
絵本やお絵かきに飽きた俺は、勝手に牧場内を歩き回った。
俺が一人で歩いていても、他の皆は「嵐の手伝いだ」と思って声をかけることはない。
俺は昨日嵐が言っていた研究棟にやってきた。
研究棟の周りは芝生で、フェンスが立てられていた。
四角い建物が遠かった。
俺は嵐の言葉を思い出していた。
嵐はフェンスを越えようとして、見つかったらしい。
だから、俺はフェンスのどこかに隙間がないかを探した。
なぜなら嵐は「真似するなよ」と言っていたからだ。
フェンスづたいに歩いていると、遂に見つけた。
何かにぶつかってへしゃげたらしく、四歳の俺なら入れそうな隙間だった。
俺はそこから中に入り、棟の方へ向かった。
何となく、棟に何があるのか知りたかった。
他の飼育場と違い、声も家畜の鳴き声や臭いもしてこない。
とても静かだった。
俺は少し怖くなり、引き返そうと思った。
だけど、その時だった。
「オギャア・・・オギャア・・・」
俺はその時、家畜がいると思ったんだ。
少し安心してその声の方に向かった。
だけど、そこにいたのは、ヒツジでもヤギでもなかった。
そこは花壇に囲まれたテラスになっていた。
白く塗られた階段を上ると、木で組まれたゆりかごがあった。
白いレースに覆われたゆりかごを覗くと、小さな動物がいた。
顔の部分にほとんど毛は生えていない。
真っ赤な頬を、涙と鼻水が濡らしていた。
この動物が声の主で、自分と同じ種だと分かった。
メル牧場には、俺と親父以外のヒトがいなかった。
牧場から出たことのない俺は、初めて他のヒトに出会った。
その生き物は、今までのどんな家畜よりも不思議に見えた。
指を伸ばして、その子の頬を触ろうとした時、怖い声がした。
「何をしている!?
あ・・・!」
俺はビクッとして、ゆりかごから離れた。
テラスの向こうから、白衣を着たヒグマの萩博士が現れた。
嵐よりも一回り小さいおじさんだった。
「坊ちゃんじゃないか。
どうしてこんなところに。
ここに来ちゃいけないって、お父さんやセイおばさんに言われなかったかい?」
博士は目線を俺に合わせて、優しく話しかけた。
「ごめんなさい・・・」
「オギャア! オギャア!」
俺の言葉を遮るかのように、ゆりかごから再び声がした。
「どうした?」
博士はゆりかごを覗き、その小さなヒトを抱きかかえた。
薄ピンク色の布に包まれているその子を、俺はジッと見た。
「泣き止まないな・・・」
博士はテラスの階段の方に行き、腰を下ろした。
小さなヒトを抱いたまま、上半身をゆっくり動かしている。
俺が博士の方に近付くと、ヒトは泣き止んだ。
ヒトは真ん丸の瞳を俺に向けていた。
「同種を見て、落ち着いたのか・・・?」
博士は驚いたように、俺とヒトの顔を交互に見た。
「はかせ。この子だれ?」
「あ、そうだね。
この子は・・・ナナだ。雌だよ」
「ナナ?」
「まだ産まれて一年も経っていないヒトの赤ちゃんだ。
この子はお父さんとお母さんと一緒に暮らせなくて、ここに住んでいるんだ」
「ふぅーん」
博士の話を聞きながら、俺はずっとナナを見ていた。
ナナも同じ位俺の方を見ていたからだ。
「坊ちゃん。
ナナとお友達になってくれないかな?
ここに来ていることと、ナナと会っていることは内緒で」
「え?」
「ナナはとても寂しいんだ。
おじさんが一緒にいても、ナナは泣き止んでくれない。
きっと、同じヒトの友達がほしいんだ。
だけど、ナナは秘密の研究に関わっているから、他の皆と仲良くできないんだ。
だから君だけ特別に」
ナナはウトウトと眠そうにしていた。
博士はそっとナナをゆりかごに戻した。
「協力してくれるかな?」
博士の問いに、俺はコクンと頷いた。
もう分かっただろ?
そのナナという赤ん坊が、餡だ。
北島とは現実世界でいう北海道を差します。引き続き、サゴシの過去が続きます。