ヴァラン ☆
西灯留置所に到着した餡とサゴシ。ヴァランがいる地下室の鍵を入手する為、肉食動物棟の管理室を目指す・・・ ※前話より。この世界では、「留置所」と「拘置所」の区別がなく、「取り調べ中の容疑者」と「刑確定前の被告人」は、同じ施設に収容されます。建物内では双方接触がないようにされていると思いますが。
兵機庁西灯支部
家畜遠隔管理用モニタールーム
マコと共に、オランウータンの典巻が現れた。
キャンディは前回と同じ席に彼を案内した。
「ようこそ。
彼らの働きを、その目で存分にお確かめください」
キャンディは胸元のフリルに手を添えて言った。
複数のモニターに、監視カメラからハッキングした映像が映し出されている。
その中に、肉食動物棟二階に向かう餡とサゴシの姿があった。
「随分と暗いようだな」
「セロリが遠隔操作で、部分的に停電を起こしています。
また、草食動物棟の食堂設備にも不具合を起こさせました」
マキは、大型モニターに食堂の様子を映した。
未決囚達が暴動を起こしており、所員達が止めに入っていた。
貴重な食事時間にトラブルが発生し、彼らの忍耐が刺激されたのだ。
「本日は央灯で大規模研修があります。
その為、配置員数が通常よりも少々減っています。
肉食動物棟担当員も、応援にいかざるを得ません」
キャンディは笑みをこぼしていた。
典巻は、その険しい眼差しを緩めることはなかった。
※央灯とは、灯のと列島の首都の名前です。
読者様の世界で言う、東京あたりに位置します。
◇◆◇
餡とサゴシは、予め覚えたルートの通りに進んだ。
セロリや陸稲の事前準備のおかげで、無事に到着した。
管理室は施錠されていなかった。
中に入ると、制服姿と思われる動物の影が見えた。
サゴシは銃を構えた。
「いやん、そんな怖いモノ、向けないでよ」
管理室の照明が点灯した。
そこにはニホンジカのムギが立っていた。
彼は、留置所所員と同じ紺色の制服を着ていた。
「交代が来るまで、およそ四十分。
それまでに鍵を戻さないと、出しちゃったことがバレるわ」
「大丈夫だ。三十分で戻って来る」
サゴシはムギから鍵を受け取った。
「頑張ってね。
アタシもここで肉食動物棟の見張りをしなきゃいけないの。
責任重大よ」
「しっかり仕事しろよ」
そう言ってサゴシは、餡と管理室を離れた。
その後ムギは、秋田犬に姿を変えた。
◇◆◇
ヴァランは、所内で最も厳重管理されている地下階にいた。
そのセキュリティもセロリの力でほとんど無効化されていた。
扉を突破し、二人はヴァランがいるフロアに辿りついた。
ドアを開ければ、その先にヴァランと監視所員がいる。
サゴシは静かにドアを開いた。
音と臭いに反応し、雄ヒョウの所員は椅子から立ち上がった。
「誰だ?」
サゴシがパチンと指を鳴らした。
すると、ヒョウはフラフラとドアに近付いた。
「お疲れ、交代だ」
「分かった。後はよろしく・・・」
催眠状態のヒョウは、その場を離れた。
湿った暗い地下フロア。
ヒトの彼らにも、排水の臭いが分かる。
檻の傍に排管が通っているのだろう。
雄トラのヴァランも、侵入者に気付いていた。
彼は猿轡を噛まされ、顔をマスクで覆われていた。
簡易ベッドの上で、二足歩行姿で両腕足を縛られている。
膝をついて背筋を伸ばし、毛並みを逆立て威嚇した。
サゴシと餡は檻に入った。
「・・・・・!」
ヴァランは巨体をくねらせ、ベッドから落ちた。
発声出来ないらしく、言語も鳴き声も聞こえない。
「これ以上、動くな。
自分がしんどくなるぞ」
サゴシは重いヴァランの上体を起こし、壁にもたれさせた。
そして、ショルダーホルスターのミニポーチからケーブルを取り出した。
ケーブルの先端を、自分の右耳のピアス穴に刺す。
もう片方を、ヴァランの耳穴に差し込んだ。
「・・・・・!」
声にならない呻きが漏れた。
唯一自由に動く眼球が、サゴシを睨み続ける。
「なぁ、餡」
ヴァランの横に座るサゴシが話しかけた。
餡は、聞き漏らさない様に近付いた。
「俺はお前に指一本触れてはいけないが、お前もそうなのか?」
「いや。
性的な接触を除き、任務として必要なら問題ない」
「なら、頼みがある。
俺がケーブルのボタンを押して、こいつの記憶の中に入ると、俺の身体は睡眠状態になる。
その間、俺が倒れない様に、支えてくれないか。
そうした方が、意識が戻った時に早く動ける」
「承知した」
餡はサゴシの隣に移動する。
「頼んだぜ」
サゴシはケーブル先端部分にあるボタンを押した。
◇◆◇
サゴシはヴァランの記憶の中に侵入した。
サゴシはケーブルという命綱をしっかりと左手で握っている。
これを離してしまうと、彼は自分の意識へ戻れなくなる。
ケーブルは、自分の行きたい方へどんどん伸びてくれる。
現れた映像は、ヴァランが先程見たものだった。
緑と黒のダウンジャケットを着たヒト二人の姿。
映像からは、感情も伝わってくる。
恐怖と不快感だ。
サゴシはケーブルを伸ばし、奥へと入って行く。
重力も空気抵抗もない空間を、スイスイと泳ぐように進む。
取り調べ中の公安の怒号や、留置所員の声が通り過ぎる。
求める記憶以外は、極力見ない様に心がける。
裸の四足歩行姿の雌トラの背中が見えたが、すぐに飛ばす。
自分は下品な覗き屋ではないと、自負する為だ。
『我々の要請に対して、何も返答がないのか!?』
映像は、どこかの会議室に変わった。
部屋の隅に、マスクをつけたスーツ姿の動物達が怯えている。
例のうずしおビル襲撃の様子だと、サゴシは理解した。
ヴァランは、こんな太く良い声をしていたのか。
記憶の中だからこそ、彼の心情が伝わってくる。
《ああ、マスター、本当に大丈夫でしょうか?》
探るターゲットは見つかった。
サゴシは「マスター」についての情報を求め、先に進む。
◇◆◇
ジジジジジ
サゴシは機械音が聞こえてくるのを感じた。
音の方へ、ケーブルを伸ばしてみる。
(これは・・・)
サゴシが見たのは、黒い球体だった。
自分と同じように、ヴァランの記憶の中にある、異質な存在。
彼は、これがセロリの言っていた神経破壊装置だと分かった。
(思っていたよりも、えげつないぞ。
装置が起動すれば、球体は破裂し、中の黒いドロドロが記憶を覆い尽くすのか)
球体はその瞬間を待つかのように、ジッと浮かんでいる。
サゴシは医者ではない。
装置の存在を確認できても、除去などの治療はできない。
(こんな強い代物だと、記憶どころか、感情も五感も全て機能しなくなる。
ヴァランは動物じゃいられなくなる)
その事実にサゴシは怒りを抱いた。
だが、すぐに冷静を取り戻し、探索を再開した。
◇◆◇
事前情報と、記憶と感情。
テロリストになる前の彼は、研究熱心な学生だった。
黄国の歴史の雄大さに魅了され、央灯大学に進学。
教授から高い評価を受けた彼は、黄に留学することになった。
ヴァランが変わり始めたのは、そこからだった。
交友関係を一切断ち、うずしお事件発生まで、彼の素性は不明になっていた。
何が彼を変えたのか。
ダイダイと接触しなければ、純粋に歴史を追究する良い学者になっていたはずだ。
『世界は今、限界に達しようとしている』
サゴシは立ち止まった。
見知らぬ声。
その声を聴くヴァランの感情が高ぶっている。
映し出される映像は、声の主を映していない。
落ち着いた照明のバーカウンター。
飲みかけのウィスキーに、ヴァランは視線を落としていた。
『トランスフォーメーションと科学で、世界は発展してきた。
しかし、どちらもこれ以上の飛躍は求められない。
君なら、分かるだろう?』
『歴史を学び、理解しました。
現代は、衰退の道を歩んでいると言えます』
うずしおの頃より青い、ヴァランの声だ。
覚えたてのウィスキーは、まだ舌に馴染んでいない。
『だが唯一、未来のある分野がある。
それは、キメラ技術だ』
(キメラ・・・?)
複数の異なる遺伝子組み合わせから生まれる新型家畜。
通常よりも巨大に成長し、高性能な為、食産業を中心に重宝されている。
『マスター・・・』
『君の信念は、きっと我々の力になるはずだ』
ザザザザザザ!
突然、映像は砂嵐の様に見えなくなった。
サゴシは他の記憶がないか探る。
だが、ヴァランの記憶から『マスター』についての情報は得られなかった。
彼が闇医者に通った記憶や、テロ準備の記憶。
既にセロリが調べていることだった。
(ダイダイには情報の化け能力者がいる。
記憶操作能力者がいてもおかしくないな)
サゴシは探索を諦め、自分の方へ意識を戻して行った。
◇◆◇
ゆっくりと、サゴシは瞼を開く。
餡が右腕で、自分の身体を支えていることに気付く。
彼女は自分の反応を逃さない為に、じっと見つめている。
顔が近いので、サゴシはサッと視線をそらした。
姿勢を正し、サゴシはケーブルのボタンを押す。
ヴァランの耳からケーブルを抜き、その先端を左耳のタグに繋げる。
これで、情報化された記憶がセロリの元に届く。
細かい分析は、彼女に任せる。
「任務終了だ。撤収しよう」
「了解」
強制的に記憶を探られると、脳エネルギーが大量消費される。
二人で眠っているヴァランを持ち上げ、ベッドに戻した。
最後にサゴシは、ヴァランの頭に触れる。
自分達と接触した記憶を消す為だ。
「そこにいるのは、誰だ!?」
サゴシと餡は、バッとしゃがんだ。
その声は、先程の雄ヒョウだった。
檻の前に彼はいない。
ドアを開けた瞬間に、ヴァラン以外の存在に気付いたのだ。
サゴシはあまり強い催眠をかけてはいなかった。
強い催眠状態は、本人や周囲に混乱をもたらす。
それは、自分達の存在の発覚に繋がりかねない。
慎重にしたつもりが、裏目に出たようだ。
サゴシは奥歯を噛みしめた。