準備
特蓄隊の次の任務は、西灯留置所にいる雄トラのヴァランの記憶を見ること、に決まった・・・
兵機庁西灯支部家畜棟
サゴシの部屋
椅子に腰掛け、サゴシは書類に目を通す。
ヴァラン記憶調査の計画書だ。
こういった資料は種で植え付けるのが、一般的な方法だ。
しかし、彼は種を嫌い、資料を熟読する方を選ぶ。
パタンと机に置き、ノートパソコンを開いた。
「マキちゃん、少佐に繋いでくれない?」
『マキ大尉、と呼びなさい!
あんたは二等兵!
馴れ馴れしく呼ぶな!』
マキの音声が響く。
「俺、二等兵に降格してたのか」
『家畜扱いの間は、上の階級に出来ないもの。
今繋ぐから、待ってなさい』
※サゴシは動物としての身の回りの情報を、断絶させられている
故に、自分の今の階級を知らなかった。
キャンディの姿が画面に映る。
サゴシは互いに顔が見える設定にしていた。
『何か用かしら、サゴシ?』
「資料を読んだよ。その上で質問がある」
『どうぞ』
「明日までに、セロリに追加調査を頼めるか?
ヴァランについて、もう少し具体的な情報がほしい。
詳しい希望はメールで送る。
あと、餡に資料を植え付けるのか教えてくれ。
彼女は俺と同行予定だからな」
『セロリに追加調査させるのは許可します。
私宛にメールを送りなさい。
調査内容については、私が判断します。
次に、餡には種を植え付けないわ。
自力で資料を読み込ませています。
習得の足りない部分のみ、種で補充する予定よ』
キャンディは答えた。
「何故だ? ヒト家畜だからか?」
『ええ、拒絶反応を起こすのよ。
過去の担当医師からの引継ぎ事項でね。
充分に餡を納得させないと、植え付け出来ないの。
それに記憶操作出来る医師も限られているわ』
「面倒だな」
『そうね。コストと手間は、他の家畜の何倍もかかる。
でも、完成した姿は、至極そのものよ。
だから研究者達は何代にも渡り、一体のヒト家畜を育てるの』
「素晴らしいことで。
それじゃあ、後でメール送るからよろしく頼むよ」
サゴシは通話を終了させた。
※動物達は記憶の種を用いて、短期間で知識を修得する。
何世代にも渡って、研究を発展させていくのだ。
種のおかげで、世代交代時に頓挫することはほぼない。
先代の経験と知識を植え付け、自身が築いたものも加えるのだ。
※しかし、デメリットもある。
自発的でない記憶や知識が、突然大量に入ると、脳は混乱する。
最悪の場合、個体精神が破壊する可能性もある。
では、なぜこの世界の動物達が、記憶の種を植え付けるのか。
それは、彼らの寿命が短いからだ。
ヒトの何倍の速さで、成長し老いる彼らに、思考する暇はない。
多くの動物達は、一度に大量に入り込んだ記憶を「他者の記憶」と割りきって受け入れるのだ。
※次の台詞は爺様が言っていたものです。
「『話題の引き出しを増やす』という表現があるだろう。
ヒトなどの長寿動物は、引き出しの中身だけではなく、棚そのものも自分で創り上げる。
他者の引き出しをいきなり横に置かれると、大きさも幅もバラバラだから落ち着かないんだ。
一方、寿命の短い動物は、棚の形や素材にはこだわらない。
勿論、個体差があるから、全ての動物がそうと言えない。
種を植え付けるのかどうか、最後は自身が決めることなのさ」
◇◆◇
翌日。
家畜棟のとある場所で、餡は服を脱いだ。
裸になり、カーテンの向こうに入る。
同じく服を着ていないサエズリが四足歩行で餡の足元を過ぎる。
撥水加工された白い壁が広がる。
床は淡い水色で、滑りにくいように凹凸になっている。
踏むと足裏が心地好い。
室内には、カーテンで小分けされたスペースが四つある。
一番端に位置するカーテンをめくる。
サエズリも入り、餡はカーテンを閉めた。
直径二メートルはありそうな円柱型の浴槽が置かれている。
直立している餡の胸元位まで高さがある。
中は真っ白な液体で充たされていた。
その浴槽に、餡はサエズリを抱え上げ、放り込む。
サエズリはブクブクと浮かび上がった。
二足歩行姿になり、浴槽の縁につかまり、プシシッと顔を振る。
続いて餡も縁によじ上り、液体の中に飛び込む。
白い液体は、ほんのり温かい。
紫外線、熱、衝撃、汚染、菌。
この液体はあらゆる外部接触から防護する役目を持つ。
完璧に防護できるものではないが、任務後の負傷具合は、液体有無で大きく変わる。
化け医学により生まれた、この液状防護膜は、世界中の軍や警察で広く採用されている。
本来衣服を必要としない多くの動物にとって、分厚い武装はストレスになる。
その為、防護膜を全身に纏い、装備の量を減らすのだ。
液体の中に頭の先まで潜る。
餡はパチパチと瞬きした。
鼻から液体を吸い込み、口に出す。
粘膜ギリギリまで覆う方が効果が高い。
顔を水面から出し、頭から毛先まで、両手で丁寧に揉み込む。
顔を撫で、その手は首から鎖骨、乳房を覆う。
腕、背中、腹。
自分の手の届く限り、皮膚に液体を染み込ませる。
次に足指の爪に触れる。
指の間を揉み、ふくらはぎから太股へ、手は動いていく。
餡は一連の流れを、慣れた手つきでこなす。
最後に手は、自分の足の付け根に到達する。
一番慎重になる粘膜の部分に、指が届く。
「いってぇぇぇーー!!」
サゴシは液体に浸かった途端、反射的に叫んだ。
「これ、濃すぎだよ!
特任の時は、ここまでキツくなかったぞ?!」
サゴシは浴槽の傍で立っているタテガミを睨んだ。
先に浸かったタテガミは、全身から液体をボタボタ垂らす。
身体を振って、液体を飛ばしてはいけない為、鬣はべチャリと頭皮にくっついていた。
バスタオルを腰に巻き、サゴシの絶叫に目元を歪ませた。
「まぁ、俺達は動物が行けない場所に行くのが目的だからな。
通常よりも強いやつを使っているんだろうな」
「お前らは毛皮があるから良いけどさ。
ヒトは、直接皮膚に浸けるんだからさ」
サゴシは手のひらを見る。
既に赤みを帯びている。
刺激が強すぎて、軽い炎症が起きていた。
傷口に塩を練り込むような痛みが、全身で起きている。
「餡は、毎回これに入っているぞ。
お前もちゃんと口と鼻の穴とかにも浸せよ」
「口って、先にお前が浸かったのにか?!
ふざけるなよ!」
「俺達は家畜だぜ。
動物様みたいに、一人一人お取り替えなんかしねーよ。
ほら、早く潜れよ」
タテガミは手の平で、サゴシの頭を押さえつけようとした。
「やめろよ!
少佐に頼んで代えてもらうから・・・」
サゴシが喚いている中、隣のカーテンが開く音がした。
濡れた身体のまま、餡は出口に向かって歩いた。
後から来たサゴシは、カーテンを閉めていなかった。
ドアの方へ行こうとする餡の後ろ姿が見える。
白い背中が、うっすら赤みを帯びている。
四足歩行のサエズリも毛並みから液体をポタポタ垂らしていた。
サゴシは餡に釘付けになった。
それに気付いたタテガミは、彼の頭を掴み、強引に液体の中へ突っ込んだ。
◇◆◇
サゴシの叫びが、餡の耳に入った。
浴室を出て、脱衣場で送風機にスイッチを入れる。
四角い機械の送風口から、心地よい風が吹く。
天井を見ると、監視カメラがある。
餡は風に当たりながら、送風機の傍にある通信ボタンを押した。
「餡、どうしたのって、ええ?!」
モニタールームにいるマキは声をあげた。
脱衣場の映像を正面モニターに出すと、裸の餡がいたからだ。
「ちょっと!
服を着てから通信しなさいよ!」
隣の雄チーターの若葉が、サッと視線を反らした。
※彼は餡に対し、性的興味はない。
しかし異性へのマナーという意味合いで、目を背けるのが、この世界の一般的感覚だ。
家畜の場合は別だが、若葉の咄嗟の判断がそうさせた。
『乾くまで服を着れない。
時間を無駄にしたくない』
餡は平然と答えた。
「はいはい、で、何の用なの?」
マキは呆れたような口調で尋ねた。
『サゴシについて二点、女主人に伝えてほしい。
次回から、サゴシ用の防護膜を用意してくれ。
今のままでは、彼には強過ぎるらしい。
我々が盾になるなら、同じである必要は無いと思う。
何より、うるさくて迷惑だ』
そう言った矢先に、遠くからサゴシの悲鳴が聞こえてきた。
「まぁ、そうとも言えるわね」
『二点目は、私とサゴシを同じタイミングで浴室に入れるな。
何の為に、今まで個室対応してきたんだ』
「え!? それは悪かったわ。
夏と冬に注意しておく。
用件は以上かしら?」
『以上だ』
「防護膜の件は、私から少佐に相談しておくから。
あんたは、さっさと乾かして、着替えなさい」
そう言ってマキは通信を終わらせた。
正面モニターを、待機中の陸穂達の映像に切り替えた。