第175話 カッコいい生き方。
「こんなのが王子様って――ふざけんじゃないわよ! おまけにタオさんの恋人って!? 鏡見たことあんの!?」
ハルナはひたすらオークを罵倒しゲシゲシと蹴り飛ばしている、それをテーブルの上に放置されたまま見ていたアイゼンは、このオークが少し気の毒に思えてきていた……
ハルナを怒らせている理由は、このオークが何故子供たちを食料集めに行かせたのかだ!
この辺りは虎や熊も潜んでおり、非常に危険な場所でもある。
しかし鹿や猪や野兎などの、餌となる動物も多いので人間が襲われることなど滅多に無いらしいのだが、それでもか弱い子供だけで歩いて安全なはずは無い。
「し、しかし、逆に子供を人質にして母親を行かせると……遠くまで行って助けを呼んで……」
「――そんなのあったりまえだって言うの! それに何? 食べ物ぐらい自分で探しなさいよ!? 元人間の、しかも男でしょうあんた!?」
コラツーは唖然としていた。
タオと同じ魔極水を持っているとの事ではあったが、ハルナの使い方は全く別物だったからだ。
「赤首」と呼ばれる異形の力を使い、オークを撃退するところを見たのは始めてだった。
リリパットが魔姫や魔鎖の率いるオークの軍勢に攻められた時、彼はまだ誕生していなかったのだから仕方がない事なのだが、オークが本能的な恐怖で逆らえなくなるとは思っても見なかった。
「ハルナ様、畑の隅に穴を掘ってまいりました。かなり深いので、腐敗しても雑菌が流出する事もございませんし、血の匂いで虎や熊が寄って来ないよう生き埋めを推奨――」
「ひいいいー! 止めてくれええ、許してくれええー!!」
何となくこのオークが不憫になったアイゼンは、こっそりとヤマトに連絡を取った。
本当にタオ女王の恋人だったのか、一応確認しようと思ったからだ――
その頃ヤマトの離宮で、不破は執務室での公務に追われていた。
「――こちらが、予算の計画書です。今のところ建設予定地は4箇所……エチゴとムツ、そしてデワとシナノ、他の各地域に診療所を設け――」
『いやロイさん、病院の需要が多いのはわかるんだけど医者の数が足りないよ! ゲンアン先生に聞いても、まだまだ本格的に任せられる人は……なんだ? コラソンが光ってない?』
どうやらアイゼンからの定時連絡だ、一日のうちで、一番俺が安らげる時……のはずなんだけど、正直気が重い。
先日ようやく繋がったと思ったら、いきなり瞬間移動した先で魔魅とばったり出会したって聞いた時は本当に驚いた……ついうっかり魔極水と世界の鍵を黙って持ち出した事を叱っちまったからなあ……俺のことを思っての事なんだろうけど、もう心配でどうにかなりそうだ。
またぞろ何かやらかしたんじゃないだろうかと思いながら、ロイに頼んでコラソンを頭――だな、その上に乗せてもらった。
――『不破陛下、アイゼンです……その……タオ女王はいらっしゃいますか?』――
なんだ、俺にじゃなくてタオさんかよ!? まあどうせ下に居るだろうし、呼んできてくれるようロイに頼む。
『もうすぐ来るからさ、それよりハルナは……また無茶してないよな?』
――『ああはい……無茶はしてませんが、それより最近私の扱いがぞんざいなんですが、どうにかなりませんかね』――
『知るか! 良いからハルナと代れ――って、そこどこ? 小屋があって畑で――……!』
あら!? 急に映像が途切れた……かと思ったら、いつの間にかやってきたタオさんにコラソンを取り上げられてた……良いけどアイゼンが疲れる前に代わってくれよ?
「はぁい、アイゼンくんどうしたのぉ~? ……うんもちろん知ってるぅ……え? ――はあ!?」
おろ? 珍しくタオさんが焦ってるような……?
『あのお……ハルナさん、触るのイヤでしょうがそのオークの襟、左の内側にですね……」
「なに? こいつ――そう言えば気になってたのよ、なんでこんな立派な服着てるのか。靴も履いてるし――」
今まで見た他のオークと明らかに違う、そんな外観的な大きな特徴もハルナにとってはどうでも良い事の様だ。
子供を苛めた事、泣かせた事、危険な目に遭わせた事、働かない事、他人を働かせた事、その全てが許せない彼女にとって、このオークは盗賊と同じかそれ以上に蔑むべき存在だ。
そして何よりこのオークが漂わす雰囲気は、以前日本に戻った時に無理やり政略結婚させられた40代の大金持ちでヒキコモリニートのボンボンと同じ匂いを醸し出している事が、生理的に受け付けなかった。
「ハルナ様、タオ女王様のご要望ですので検分を、私が確認いたしますので」
「……それもそうね……シルヴィア、お願い」
アイゼンが伝えたタオ女王の言葉――「左の襟の裏にぃリリパットの紋章が有るか見てくれるぅ」――という要望に応え、シルヴィアは乱暴にオークの襟首を捻り上げた。
怯えるオークの襟首を持ち上げる金髪で無表情なマネキン人形……まるで不良少女から喝上げされている中年男性の如し……
「確認しました。ウサギを模した刺繍があるだけです、それではすぐに処刑を――」
「お待ち下さいシルヴィア殿! それこそが我がリリパットの紋章に間違いありません!」
オークを引き摺り出そうとするシルヴィア、それをコラツーは慌てて制止した。
話を聞いてハルナも思い出したのは、リリパットで城内のあちこちに貼られていた見覚えのあるウサギのキャラクターだ。
よく似たネコのキャラクターと一緒に描かれている事が多かった、微妙にリボンの位置や色を変えてあるだけで、子供たちを喜ばすためのパクリキャラだと思いこんでいたのだが、まさか――……
「じゃあ何!? このブタ野郎が本当に王子様あ!?」
「そのようです。そうであれば一番末の姫、ミミイ様の父君にあたられるお方――だった方だと思います」
ミミイといえば、タオ女王が今最も溺愛している子供だ。
ハルナも何度か抱っこしたこともある、可愛らしい女の赤ちゃんだったが――
「――ずえったい有り得ない! こんな父親からあんな子があ!?」
「ハルナ様、落ち着いてください。今アイゼン様が問い合わせをしておりますので」
『――ええ、はいはい、そうですか~……ちょ~っとお待ちを。あの、映像が見たいそうなんで、そこをどいていただけますか?』
ハルナ達が取り囲んでいたせいでオークの姿が映せないでいた。
ハルナとシルヴィアが退いた後、コラツーがアイゼンを持ち上げオークの前にかざす。
「うわ! ……すっご……こりゃまた……はあぁぁ……」
『タオさん何ですかそっきから! 早くハルナと代わってくださいよ、時間なくなるでしょ!』
通信を始めてからどうにもタオさんの様子が変だ。
とうとう溜息まで吐き出したし、なかなか代わってくれないし……
『間違いなさそぉねぇ、上唇のハナクソみたいなホクロとわたしが贈ったその服ぅ……マキちゃんに負けて行方不明って聞いたからぁ、てっきり食べられたのかとぉ……まあ確かに以前よりは食べやすそうな顔になってるけどぉ……』
「――だからさっきから何言ってるんです? 時間もったいないから! ハルナを――」
このロリババア! さっきから貴重な通信時間を独り占めしやがってー!
『――ああ、はい、ええ……ええ!? あ、いや……わかりました、失礼します』
アイゼンの限界に達したため、ヤマトとの一日一回の通信が終了した。
そしてタオ女王との会話内容を伝えなければならなくなり、アイゼンの心は更に深く沈んだ。
「――で、アイゼン君、タオさんは何て言ってたの?」
「そうです、我々は一刻も早くミカド様の捜索に戻らんくてはならないのです。とっととそのオークを処分して先へ進みましょう!」
「お二方とも落ち着いて。アイゼン様、タオお嬢様は一体何と仰られたので?」
全員の視線が痛かった。
しかしいつまでもここに居るわけにも行かないし、タオの言葉を伝えないわけにも行かない。
アイゼンは困り果てたのだが、少し考えて開き直る事にした!
そう、これはタオ女王から命じられた決定事項であり、ただの伝達役である自分には何ら責任など生じていないのだ。
皆の――ハルナとシルヴィアは怒り拒むかもしれないが、そんなの自分のせいではない。
恨むならタオ女王を恨めばいい、文句が有るならタオ女王に言えばいい、そう考えて彼は今の話の内容を全員に伝えた。
「――ふざけないでよこの珠っころ! このブタ男をヤマトに連れてこいですってえ!? そんな暇有るわけないないでしょ!? 何考えてるのよ!!」
「――ハルナ様の言うとおりです。さっさと処分するべきでした、私がせっかく掘った穴……深さ8メートルまで頑張ったのに」
「……まあまあハルナお嬢様、ここはタオお嬢様に免じてお怒りをお鎮めください、シルヴィアさんも……あの穴には水が湧いてまいりましたので、こちらの皆様で井戸として利用していただきましょう」
味方はコラツーだけだった。
自分に責任は無いはずなのに……まるで悪者の様に理不尽に罵られ、アイゼンは落ち込んでいた。
「とにかく先ず、こちらのご家族に対する賠償が必要と考えます。このオー……ハッケノン王子にはその責任があるわけですから」
コラツーの話は尤もだ。
生かすにしろ殺すにしろ、この家族に対して何の利益にもならないばかりか損害の方がずっと多い、ハルナも少し落ち着いて考える事にした。
因みにシルヴィアはコラツーの提案に賛成し、掘った穴を井戸として活用するための囲いを作る作業を始めている。
「……そうね、聞くところによれば……あんたここの食料全部食べたんだって!?」
子供たちの母親に確認を取ると、1週間分の麦や乾燥野菜などが根こそぎ食べられていた。
それも僅か一晩で、大人二人と子供6人分を平らげてしまったというのだ。
「……仕方なかろう、この身体になってから、とにかく腹が減って気が狂いそうになるのだ。それに余は生まれてこの方食料を探し歩くような事をしたことが無い、その様な事は下々の者の役目――へごお!?」
ハルナは無言で彼の頬を殴った!
聞いていて虫酸が走ると言おうか、彼の言動がますます例の元夫を彷彿とさせ、おかげで心の底に沈めていた色々なモノが吹き出てくるようで腹が立ったのだ。
「――ひ、ヒイ、な、何をする!? それにここの者達は元々余の領民では無いか!?」
「うるさい、黙れこのブタ! その領民を守れず戦いに負けて、その上ブタにされておめおめ生きてるんじゃないわよ! 王子だって言うんなら責任取って――あ……そうだわ、食べた食料分あんたの肉で返してもらいましょうか? ハムやベーコンに加工すれば長持ちするし、食べきれない分は町で売ってそのお金で――」
もちろん本気では無いが、効果的な恫喝になった。
このオーク、ハッケノン王子はすっかり怯え従順な態度を取り始める。
「――ゆ、許してください! ど、どうかこれを……これを差し上げますゆえ」
彼が差し出したのは、柄と鞘に宝石を散りばめたナイフであった。
確かに高価な物の様で、売ればおそらくこの一家は当分食うに困らないと思われたが……
「……いけませんね、これでは対価として認められません」
コラツーはナイフを受け取る事に異を唱えた。
「どうして? まあ高そうだけど、子供たちを危険な目に遭わせたんだし、お母さん達にもこんなひどいことしたんだから……まあ貰いすぎかもしれないけど」
だがコラツーはハルナの意見に首を横に振る。
「この短剣は、おそらくヴァリャーグ王家伝来の品。かなりの値打ち物なのは否定しませんが、これを商人に売ろうとしたら、この方達が盗んだと思われるでしょう。安値で買い叩かれるか、役人に突き出されるか……いいえ……今の不安定な情勢ならば、間違いなく奪われ皆殺しの目に遭うでしょう」
これは至極尤もな意見であった。
アイゼンも同調し、子供たちの母親も――そんな怖いものは要らない――と言う。
とは言え子供たちの明日の食事も無いのだ、ハルナは躊躇う事無く自分の食料をほとんど差し出した。
「そんな……助けて頂いた上に、こんな事までされては――」
「いいから遠慮しないで、子供たちのためなんだからさ。あたしは平気、ダイエットになるし」
ハルナは心配させまいと強がって見せる、それは不破の影響でもあった。
この世界にやって来た最初の頃は、他人を省みる余裕など無かった。
誰も助けてくれないどころか、下手に同情すれば何もかも奪われ失うのがこの世界の常識であり、それ故彼女は極力他人と関わらないよう生きてきた。
だが不破は違っていた。
彼は好むと好まざると、様々な人々と関わり合いながら生きている。
誰もが彼と共に生きることを心から喜んでいて、彼も周りの全ての人々を大切にしている。
それはハルナが昔から憧れていた最も「格好良い」生き方だった……嘗て彼女を救い、教え導いてくれた宇都宮モトコと同じ生き方だ。
でもそんな生き方は自分には出来ないと思っていた。
不破に恋をして、彼と一緒に居ればそれが可能だと思うようになった。
だから彼の真似をする、彼ならどうするか考える、そしてそれは簡単な事だ……自分が心からカッコいいと思う事をすれば良いのだ。
だから自分は飢えても良い、喉が渇いても我慢しよう、例えそのせいで死ぬことなったとしても、自分は一度死んだのだ! これは二度目の人生で、好きな様に生きていいんだ――だからもう迷うことは無い。
――そう、今のあたしは昔のあたしより何百倍もカッコいいんだ! 圭一郎さんと一緒に、もっともっとカッコよく生きてやる!――




