暁闇と旅立ち
「…え、なに、風の…?」
「風の民、だ」
まごつく私に彼は静かに答え、静かに話し出した。
「自然界には、『気』と呼ばれる力が溢れている。
例えば、大きな滝や夕焼けに荘厳さや感動を覚えるのは、それらが『気』を放ち、見た人間がそれに影響を受けるからだ」
…自然の力、ということか。
確かに、森や神社などて何かの力を感じた気分になる時がある。
それは、『気』を受けていたということらしい。
「もちろん、自然界だけでなく俺達自身も『気』を纏っている。
殺気や怒気などもその一種だ。
お前も、一度くらい感じたことがあるだろう?」
「あるわ、何度も」
一度どころの話ではない。
思い出したくないほどに受けてきた。
…まだ話が続きだ、まずは話を聞かなければ。
考えを振り切り、話の続きを催促した。
「それで、その『気』とあなたの力、なにが関係あるの?」
「ああ。
俺達風の民は、自分の『気』と風の『気』を同調させて、風を操ることができる。
今この吸い物を浮かせているのも、お前を助けた時に水を汲み上げたのも、風の力だ。
俺はこの力を使ってイノシシを倒した。
お前の喉を治した。
全部、風の力だ」
え?
風の力で、私の喉を?
治りが異常に早かったのはそのせいなのか。
しかし、風が傷を癒す…?
「風の民には、決まった技が伝承される。
属性は色々あるが、お前を治したのは『吹花擘柳』という技だ」
そう言って、彼は生えている草を毟ると、自分の左手の親指に当てて素早く引く。
すると指が切れ、細い切り傷からじわじわと血が染み出してきた。
彼が離した草を見て、私は慌てて彼の手を取った。
「これ毒草よ!
早く止血しないと!」
自分の着物を裂こうと裾に手をかけると、その手を押さえ、待ったをかける。
「大丈夫だ、見てろ」
そう言って、彼はおもむろに脇差に手をかけた。
そして。
「『旋風駒』」
そう呟くと、黒い脇差に変化が起こった。
刀を中心に風が渦を巻き、小さな竜巻ができる。
その竜巻は速度を増し、刀の形を変えていくと共に勢いを落としていく。
勢いが完全に止まった時、その中心にあったのは宙に浮いた黒色の一寸ほどの大きさの駒だった。
「自然を操る民達は、それぞれ特定の対象と『気』を同調させる。
その時、より技の操る精度を上げるために『然具』と呼ばれる道具を使う。
俺達風の民は『旋風駒』という名だ」
左手の平を上に向けると、駒がその上に滑るように動き、止まった。
多分、よくわからないが彼が『気』を操って動かしたのだろう。
そして。
「『風車・暴の一……吹花擘柳』」
その瞬間。
「!」
駒を中心に微風が吹き始めた。
その風は、優しく、春のそよ風のように暖かい。
私には、その風の流れが彼の切った指を撫でているように感じた。
「よし、もういいだろう」
彼がそう言うと風が止まり、指の傷は何もなかったかのように消え去っていた。
「すごい、消えちゃった…。
これが、風の力…」
そこまで言いかけた時だ。
私は、これと似たような感覚を思い出した。
そうだ、あの時のあれは、もしかして…。
「あの、私がここにたどり着く前に、長い縄状のものが樹々の間を縫うようにして張り巡らされていました。
もしかしてあれ、あなたが…?」
あれは、今彼が見てくれた風の技と同じように、周囲の風を巻き込んでいるように感じた。
空腹に倒れそうになりながらも、そのことだけはしっかりと覚えている。
そう言って彼に目を向けると、彼は私を凝視していた。
表情が少し崩れ、驚きを湛えている。
感情をあまり表に出そうとしない彼が感情を顔に出しているということは、相当びっくりしているのだろう。
その顔を見て、私の肩が無意識に跳ね上がる。
ああ、あなたもなのか。
あなたも私をそういう目で見るのか。
違うとはわかっている。
目が私を拒絶するような色をしていない。
しかし、ただ純粋に驚いていただけの彼の目は、他人に奇異の目で見られ続けた私の目には、どうしても恐怖にしか捉えられなかった。
『気』について聞いた時。
私はあなたの考えに納得した。
私が普段感じていたものはそれだったのだと。
私は、昔から風を読むのが得意だった。
最初は風向きが変わることを予測できる程度だった。
里の友人達と凧揚げをする時は、よく風向きの指示を出していた。
楽しかったし、面白い才能かもしれないと、自分でも周りの人も思っていた。
しかし。
成長し、年を重ねるにつれ、風を読む力はどんどん大きくなっていった。
天気の予測だけではなく、風に乗って遥か何里も先にいる人たちの声や、声に出していない他人の考えが頭の中に流れてきた。
人々はだんだんと私を疎み、化け物扱いをし。
ついに私は里を追い出された。
私はこの力を呪った。
こんな力はいらないと、何度願っても無駄だった。
里にはもう帰れない。
里からは、私に対する畏れや貶す『声』しか聞こえなかった。
私は化け物だ。
人じゃない。
私は────。
「…ぃ、おい!」
「…!」
「なんで泣いてる?大丈夫か」
気がついた時には、私は曲げた足を腕で抱え、その脹脛に爪を食い込ませていた。
頬に手をやると、濡れている。
気づかないうちに、私は泣いていた。
彼は私の肩を揺さぶり、呼びかけている。
いつの間にか、思想に沈んでいたらしい。
慌てて足から手を緩めると、爪の跡から血が滲み出ており、鈍い痛みが走った。
「いッ…」
「触るな、治す。
『吹花擘柳』」
彼が足に手をかざすと、その手の平側に緩やかに風が流れ始める。
その風は、見ていた時よりもずっと暖かく、柔らかい。
まるで私を包むように流れる風に、不意に目から涙がこぼれた。
泣きたくなくて目を擦るのだが、それでも涙が溢れて止まらなかった。
人の温かさを感じたのは、いつぶりだろうか。
私の傷を治し終わっても私が泣き止むまでずっと、彼は風を止めなかった。
*****************
「ありがとう、ごめんなさい突然」
突然泣き出してしまったことと、傷を治してくれたことをお礼を言いつつ頭を下げると、彼はぶっきらぼうに「別にいい」とそっぽを向いた。
なぜ泣いていたのかは、追求しない方向のようだ。
見ている時よりもずっと暖かいのはあの風だけではないようだ、と、頭の片隅で思った。
もういっそ口に出してしまった方が楽になれる気がして、私は彼に、理由を話した。
風が読めること。
里を追い出されたこと。
帰る場所がないこと。
そして、全て話した締めに彼にもう一度お礼を言った。
恐らくもう二度と会わないであろう彼に向かって。
たった一日のことだったが、彼に出会えてよかったと思い、ありがとう、と告げた矢先、
「ちょっといいか」
ずっと聞き役に徹していた彼が口を開いた。
「お前、風の民になる気はないか」
それは、思ってもみなかったものだった。
私が風の民になる?
そんなことが、果たしてできるのだろうか。
「お前は風の糸が見えるんだよな?」
風の糸。
樹々に張り巡らされていたあれ。
「見えるわ」
「お前は風が読めるんだな?」
答えると、まるで反射のように質問が返ってきた。
私が化け物と呼ばれる所以で、私の嫌っていた能力。
「読める」
「そうか」
それだけ言うと、彼は軽く息を吐き、改めて私に向き直って言った。
「俺は今、目的を幾つか持って旅をしている。
その内一つが、『新しい風の民を探すこと』。
純風の民で生活するとどうしても人が減っていくから、長にはそういう仕事も任されているんだ」
この時、私はこの言い回しに若干の嘘の気を覚えた。
その時は彼が聞くことを拒絶しているようにも見え、どうしても聞くことができなかった。
その理由は、後々ある事件と共に知ることになる。
「私、風の民になれるの…?」
「ああ、素質がある」
今まで『化け物』と言われ続けた力が、初めて他人から認められた瞬間だった。
「本当にいいの?」
「しつこいぞ」
不安になり聞き返すと、少々不貞腐れた声色で返事が返ってくる。
なんとも彼らしいと感じた。
たった一日過ごしただけの人間とこんな事になるとは思わなかったが、私自身少しわくわくしていた。
私は、もう化け物じゃない。
風の民として生きる。
そう思うと、過去の経験も笑い飛ばせるものになるかもしれないと思えた。
「宜しくお願い致します、えっと…」
彼の名前を続けようとして、まだ知らない事に今更気がつく。
「私はサツキといいます。
…お名前、教えてもらってもいいですか?」
「サツキ、だな。
俺は、アオギリだ」
「宜しくお願い致します、アオギリさん」
夜が明け、朝日が樹々の葉の間から差し込んでくる。
その光は、私の旅立ちを祝っているようにも見えた。
玖草子のキャラクターには、木や花の名前を付けようと思っています。
近々活動報告にまとめる予定です。
新キャラが出次第更新します。
因みに、技名に使った吹花擘柳ですが、実際に風の名前として使われているものです。
吹花擘柳
…花をそっと吹き開かせ、また柳の芽を割き分けるようにそよぐ春の風。
素敵な名前なので回復技として引用させていただきました。