狩りと夕餉と風の民
二話の書き直しです。
気がつくと、私は横になって寝ていた。
どうやらあれからまた寝てしまったらしい。
私は、当然か、と若干苦笑気味にため息をついた。
あれだけギリギリまで体力を削っていたのだ。眠くもなるだろう。
起き上がって周りを見回すも、彼の姿はなかった。
どこかへ出かけているようだ。
しかし、と、私は彼の行動に思いを巡らせた。
宙を運ばれてくる液体。
それを操る彼。
そして、水を飲んだ私。
水自体に害はなかったし、害あるどころか自分でも驚くほど元気になっている。
そして彼は、私の命の恩人だ。
だが、あれは夢でもなんでもない現実で、現実で水が空を飛んだ。
曲芸のような現実が、私の命を救った。
そもそも、彼はなぜここにいるのだろう。
私はたまたまここに迷い込んだが、彼はこの広い死の森の地理をそれなりに理解していた。
少なくとも私が迷い込むより前にはここにいたはずだ。
しかし、この何もない森にいて何になるのか。
考えても、一向に答えは出ない。
あれは、何だったのだろう。
彼は、なぜここにいたのだろう。
そんなことを考えたちょうどその時に、彼が森から帰ってきた。
「起きたか」
どかっとそれなりの重さのものを下ろす音に振り返ると、彼の細身に似合わない大きさのイノシシが転がっていた。
見たところ牙がない。メスらしい。
「イノシシ、この森にいたの…?」
あれだけ歩いて出くわさなかった生き物を、一体どこから…。
と、思ったところで、
「…あれ?声が出る」
今更ながら気がついた。
迷子になった初日に全力で助けを求めていたため喉を潰してしまい、しばらくは声が出せないと思っていたのだが。
まるで何事もなかったかのように、たったの数刻で治ってしまった。
「この森にはいない。
ここから数里西に行った所にある森で狩ってきた」
言葉数少なくそう言って、声については一切触れずに彼はイノシシの解体作業を始めた。
里の男達が十人がかりでやっと仕留めるような大物を、よく一人で獲ってきたな、と感心してしまう。
彼が怪我をした様子もなく、イノシシは心臓を一突きにされ絶命したようだ。
解体作業を観察しながら、私の中でふと疑問が湧く。
本当にどうやって狩ったのだろう?
私の里では、犬を使ってイノシシを誘き出すか、注意を引かせて取っ組み合いをしている最中に狩るか、弓で遠距離から攻撃し、流血によって衰弱させた後で、集団で一斉にとどめを刺していた。
どれにしても、絶対に一人ではできないものだ。
仮に罠を仕掛けたとしても、そんなに大掛かりなものは作れない。
それに、今の時間帯は日が傾き森の中は薄暗い。
こんな中山に入っても、鼻のいいイノシシに見つかり、先制攻撃を仕掛けられるだろう。
怪我をしろとは言っていないが、無傷というにも程があるだろう。
彼の衣服や皮膚には、土の汚れさえついていない。
それほど瞬時に仕留めたということだ。
慣れた猟師でも危険なことを、この青年は一人でこなしている。
武器は脇差程度の黒刀一本のみ。
どうやったらこんなものを狩れるというのか。
考えに悶々と耽っていると、解体の休憩中らしい彼からおい、と声をかけられた。
「薪拾ってきてくれ」
「わかった」
腰を上げて彼の方をふと見ると、近くに木の実らしきものがたくさん転がっていた。
今日はイノシシを中心に豪華な食事になりそうだ。
私は少し心を弾ませながら、薪を拾いに森へ入った。
*****************
イノシシは、今日の夕食になった。
長らく食べ物を口にしていなかった私のために、彼は木の実と肉のお粥のようなものと、簡単な汁物を作ってくれた。
胃に刺激が大きすぎるとよくないらしい。
見ず知らずの人間に対して気遣いの込もった対応に、本当に感謝しきれない。
…が。
「あ、あの…」
「なんだ」
「質問してもいいですか?」
「ああ」
「ご飯はとっても美味しいし、私の体調を気遣ってくださって嬉しいんですけど…」
「ああ」
「…なんで、水が宙に浮いているんですか…?」
そう。
こんな森の中に鍋などないし、土器なんて何週間もしないと作れない。
木で作っても燃えてしまうし、どうやって調理をするのかと思っていたら。
水が丸ごと宙に浮き、そのまま調理を始めたのだった。
空気のようなものを器の形にしているらしいのだが、理屈が全くわからない。
正直ご飯よりもそっちの方が気になってしまう。
「…ああ、これは…」
彼はそこで言葉を止め、そのまま黙ってしまった。
沈黙が食卓を流れる。
横目で彼を伺うと、言うのを躊躇するように、口に手を当てたまま眉間にシワを寄せている。
聞いてはいけないことだったのだろうか。
そう考えると申し訳ない。
「あの、気にしませんからいいで…」
「お前、他言しないでいられるか?」
彼が、正面を向いたまま私の台詞を遮った。
他言?
そんなにヤバい事なのだろうか?
「あ、あの…」
「できるか、と聞いている」
念を押すように繰り返す。
助けられたあの時のように、彼の目は真っ直ぐだ。
が、今回は少し違った。
前と比べて少しだけ、目の奥に意志の光が宿っている。
これは、覚悟の目…?
私は、彼にはっきりと言った。
「はい。誰にも言いません。
絶対に他言しない」
それを聞くと、彼は少しだけ、本当に微々たるもので、思い込みと間違うくらい薄っすらと表情を崩し、そしてこう言った。
「俺は、風の民。
風を操る一族の長だ」
私達の周りを、夜風が静かに吹き抜けた。
イノシシの狩り方も色々あるそうです。
違ってたらすみません。