従者と親友 セシル視点
体を動かす事は、嫌いではない。寧ろどちらかと言えば好きな方だ。リズには引きこもりを疑われているが、屋敷で運動くらいはする。
剣術もそれなりにするし、苦手ではあるがそこら辺のお飾りの騎士よりは出来る。つーかあいつら役に立たないのが殆どだからな。
ロランにルビィのついでに教えて貰っているし、そこそこやれる筈、だとは思っている。
それはあくまで、そこらの騎士と比べてだが。
重ねた剣から伝わってくる衝撃は、激しく重い。
気を抜けば剣ごと吹き飛ばされてしまいそうになるのを堪えつつ、細身の剣を勢いよく払う事で相手の剣を弾く。
後ろに飛び退き剣を合わせていた奴を睨めば、何処にそんな力があるのか、ジルの奴は涼しい顔で此方を見ていた。
間髪入れずに火の魔術が飛んできたものだから、水の魔術を剣に纏わせて切り裂く。一瞬火の玉で視界が奪われ、クリアになった瞬間にはもう視界の先にジルは居ない。
しまった、と舌打ちした俺は咄嗟に剣を音がした方に構える。反射的な反応だったが、間違いではなかったらしく横からジルが剣を降り下ろしていた。
一応木の模擬剣だから、頭を狙われたり胸を切っ先で突かれたりしない限り然程危険はないのだが……ミシ、と木の方から嫌な音がして強い衝撃が手首を襲った辺り、当たれば物凄く痛い事は分かる。
これでも相手は手加減していそうだから、恐ろしい。
化けモンかよ、と呟きは口の中だけに収めつつ剣を握った手が痺れだしたのを堪えて、剣を流す形でいなす。それで体勢が崩れる筈もなく、返す手で胴体に剣を叩き込もうとするジル。
ぎりぎりの所で躱して、飛び退きつつ溜めておいた水の魔術でジルの脚元をぬかるませるものの、それを予想していたジルは此方に踏み込んで来た。
俺は魔術を無反動で使える訳でもない。僅かに反応出来ない瞬間がある。殆どの人間には魔術使用後には反動があり、白兵戦で剣術と魔術が併用出来ないのはそこに問題があるからだろう。
やべ、と思った時には剣が吹き飛ばされて、ジルの靴底が腹にめり込んでいた。
向こうもそれなりに手加減しているのは分かる、全力にしては踏み込みが足りない蹴りは、それでもかなり大打撃で。
込み上げる嘔吐感を堪えつつ吹き飛ばされて、地面を転がる。くそ、あいつ今寸止め出来ただろ。口の中切ったし、腹痛いし最悪だ。
「大丈夫ですか?」
模擬戦を見ていたリズは、俺が地面に背中を着けてお腹を抑えているのを見て慌てて駆け寄って来る。情けない所を見られて、恥ずかしいのだが……リズはそう思っていないようで、純粋に心配そうな顔で此方を覗き込んでいた。
地味に痛いもののこいつが慌てるから黙っておこうと思ったが、傷を確かめる為か遠慮なく腹を触ったので顔を顰めてしまう。ああ、ほらばれた。こいつは何ら怪我してないのに痛々しい顔で腹部に治癒術を使って来る。
今更下らない見栄を張っても遅いという事は分かったので、もう治して貰った方が良いとリズの好きにさせておく。
リズは窺うように、不安げな眼差しを俺に落とす。こいつは人が傷付くのは嫌いな甘い奴だから、あまり怪我する所は見せたくなかったのに。
「隙があると分かって魔術を使うのは失策かと」
「うるさい分かってる」
相変わらずの平然とした顔で近寄ってくるジルに、自然と眉が寄る。
模擬戦をやって改めて思うのが、こいつ基本スペックがおかしい。魔力量は俺やリズに及ばないものの制御に長けていて、制御だけならヴェルフにその内届くレベル。剣術も並の騎士では敵わない。何つー男を従えてるんだリズは。
「……お前、マジ何者だよ」
「しがない従者です」
しがないの意味を調べてから出直して来い。
痛みも取れて来たので体を起こすとまだ不安で揺れる瞳が俺を見ているものだから、安心させる為にくしゃりと撫でてやる。ジルが目を一瞬細めたのは横目で見えたので、どんだけ過保護なんだよと悪態をつきたい所だ。
「……お前、絶対暗殺とか仕込まれてるだろ」
「暗殺者としてこの家に来ましたし」
「元暗殺者さんですからねえ」
しれっと答えた元暗殺者に、のほほんと同調する元標的。何か間違ってるとか激しく思うのだが、これがこいつらにとっての普通なのだろう。
引き攣りそうな表情筋を何とか奮い立たせて無表情を装い、立ち上がる。
全身が土で汚れていて、これは帰ったらメイドに嫌な顔をされそうだな、と溜め息。弟にも何か言われそうだが、それはどうでも良い。箱入りで育てられた貴族の子息にとって、土まみれになるというのがおかしいのだろう。
俺は血や土で汚れるのは比較的慣れているが、弟はそうでない。俺とは反対に大切にされて来た弟は、実戦に出るなどないのだから。
「それだけ強ければ、大概の奴に負ける事はないだろ」
「いえ、まだまだです。リズ様をお守りするにも、欲しいものを勝ち得るにも、足りません」
向上心溢れるといったら聞こえは良いが、正直ジルはこいつに執着し過ぎだろう。それがリズを傷付ける結果にならなければ、放置はしておくが。止めるならヴェルフが止めるだろうし。
リズはちょっと困ったように「努力家ですねえ」なんて言ってるが、リズ自身も執着されているのは自覚があるのだろう。それが恋情から来るものだとは理解していないだろうが。
ジルの既成事実を作らずに正面から貰いに行こうとする心意気は嫌いではないものの、度が過ぎればリズにとって重い枷にしかならない。願わくば、こいつを傷付けるような結果にだけはしないで欲しい。
「……あれは手強いだろ、ジルにどうにか出来るのか」
「知ってます」
「……まあ、一応応援はしておく。駄目なら俺に役目が回ってくるだろうが」
ジルの眉間がぴくりと動いたのが、見える。
だが、事実だ。ジルがリズを最強の鳥籠から連れ出さない限り、結局的にその鳥籠から連れ出すのは俺の役目になるのだ。政略結婚という形で。
リズ的には別に反対はしていないらしいし、家柄も釣り合う。ジルが手を打たない限りは、俺が相手になる訳だ。ジルには物凄く不服な結果になるだろうが。
「そうならないように努力しとけ」
「……そうします」
俺はジルに嫌われてはいないものの、最近警戒度が増している気がする。心が狭いと鼻で笑ってやりたいが、にこやかに冷たい眼差しが飛んでくるから止めておこう。
リズはというと、俺達の会話の中身が分からないらしくきょとんとしている。
主語がなかったが、そこは空気で理解すれば良いものを……不思議そうに首を捻るばかり。ジルが苦戦するのも頷ける、天性の鈍さというか。
まあリズ的には小さい頃から一緒に居る上に年齢がかなり離れているから、まさかそういう感情を向けられているとは露にも思ってないのだろう。それか、薄々気付きつつも気付きたくなくて心のフィルターをかけてるか。
「……段々俺が保護者になって来た気がするぞ……」
「えっ、セシル君お兄ちゃんになってくれるんですか? ルビィが喜びますね」
微妙にずれた感想を口にしたリズは、わくわくと此方を期待の眼差しで見詰めてくる。止めろ、誰がお兄ちゃんだ。
「ルビィー、セシル君がお兄ちゃんになってくれるんですってー!」
「待て! ヴェルフに聞かれたら確実に誤解されるだろ!」
今日はあいつ家に居る筈だ、そんな発言を聞かれでもしたらにやにやした笑みで「ウチに婿入りか、それとも嫁に貰うのか?」とか冷やかして来るに決まってる。
ジルにとっては乗り越えなければならない壁があるが、俺には殆ど関係のない壁だ。ジルは乗り越えられない限り得られない存在のリズ。
それを貰っていくように取れる発言は、人には聞かせたくはない。ジルの顔が暗くなる上に機嫌まで悪くなるからな。リズの事になると案外分かりやすい男だと、つくづく思う。
駆け出して行こうとするリズを抑えて口を塞ぐ俺に、リズは無邪気に笑っていた。
人の気も知らないで、と悪態をつこうと思ったが、リズがあんまりにも楽しそうに笑っていたものだから、止めて頭にチョップをかましておいた。




