眼鏡
「……一つ聞いても良いか?」
「何ですか?」
「何で俺を凝視してるんだよ」
椅子にかけてデスクワークをしていたセシル君を観察していたら、視線に気付いたらしいセシル君が面倒そうに片頬をひくつかせています。
因みにデスクワークと言っても会社みたいな経理とかその辺ではなくて、ペンダントに術式を刻み込んでます。魔導師らしいお仕事でしょう?
多分出来る人間が限られている、魔道具作りの最中なのです。見たところ、反乱の時に役に立った自動防御の術式みたいですね。
ただ私の貰ったのと違って、堅牢さに欠けるのと、素材がミスリルではないです。
まあそんな作業は今の私にとってはどうでも良いのです。
「セシル君って、目が悪かったですか?」
そう、問題はセシル君が見慣れないものを身に付けている事です。
初めて見た時はこの世界にも製造技術があったのか、と感心してしまいました。二つのレンズを細い金属で固定して耳にかけさせ、レンズ越しに世界を見させる、装飾具に近い物。
まあ名前をぶっちゃけるなら眼鏡ですね。
「いや、目は良い」
「じゃあお洒落ですか。セシル君もお年頃ですね」
「お前、それはないと分かって言ってるだろ」
洒落っけのないセシル君が、お洒落眼鏡なんてかけないと分かってますけどね。着飾らない癖に美形度は増す一方なので美形ってずるい。
セシル君は見んなと言いたげな眼差しですけど、これを見られずにいようか、いやいられまいなのです。セシル君って眼鏡凄い似合ってます、まさにインテリ美形。
「これは魔術刻んでる魔道具だ。見掛けの為な訳がない」
「何の魔道具ですか?」
「見てみれば分かる」
かけていた細ぶちの眼鏡を外してぽいっと此方に投げて来られて、私は慌てて壊れないようにキャッチします。
こういうものって壊れやすいから乱暴にしちゃ駄目なんじゃないですかね、普通。
柔らかい掌で受け止めてから、眼鏡型の魔道具をまじまじと観察してみます。
見掛けは変哲もない普通の眼鏡ですね。細ぶちのフレームに薄いレンズで、度は入ってなさそうな感じ。ファッション的なものに近そうです。
かけてみたら効果が分かるそうなので、まあ明らかに私には似合わなさそうですが装着してみます。この顔にインテリっぽい装飾品は似合わないのですよ。
「……おお」
レンズ越しにセシル君を捉えて、漸く疑問が氷解しました。セシル君の体を包むような赤と青が混じって紫になりつつあるような色、そんなオーラが、答えとなっています。
「……これ、魔力反応ですか?」
「そうだ。魔力の流れを可視化しているんだよ。魔道具作りとか魔術の使用に役立つだろ」
「こんなもの何処で手に入れたんですか。エルザさんのお店?」
「エルザって人間は知らんが、屋敷の倉庫整理してたらあった。まあウチのだし貰っても構わんだろ」
俺が片付けなきゃそもそも見付からなかった訳だしな、とセシル君。……まあおうちのものですし、パクっても良いとは思いますけどね。
それはさておき、これって結構便利なものだと思うのですよ。
流れが見えるって事は、魔術の粗を探す事だって出来ます。魔術に対する使用魔力の余剰分とか、制御出来ていない所とか、その辺が視界に表れるのですから。
勿論魔術はイメージも大切ですけど、技術面の粗は此方で全部直していけるのではないでしょうか。
「ほあー、セシル君って綺麗な魔力してますね。黄昏っぽい色で綺麗」
「適性によって色が違うらしいしな、自分のは見ても把握出来ないからネックだが。その分だと、俺は赤と青が混ざってるから得意なのは火と水系統って事になるな」
「じゃあ私は?」
「お前隠蔽の魔道具着けてるだろ、分からん」
せめて外してから言え、とリボンを指で示されて、隠蔽のリボンの効力は健在ですね、と少しほっとしました。これには助けられました、反乱の時には特に。
じゃあ、と髪を束ねていたリボンをほどいてからセシル君に眼鏡を返上しておきます。
一番眼鏡の似合うセシル君は、眼鏡を取り戻してそれをかけて私を見て……瞳を眇めました。それは機嫌が悪いというより、何処か眩しいものを見て反射的に瞳孔を狭めたような感じ。
「無駄に魔力あるな、お前」
「もう成長は殆どしてないですけどね。で、何色?」
「白」
「白?」
……白色が表す魔術なんてないと思うのですが。魔力の色なんて十人十色だとは思いますけど、白って。
有り得そうなのが、治癒術辺りでしょうか。母様の血を引いていますし、それなら有り得そうです。
「多分、同じように適性があるから白なんだろ。そりゃヴェルフとセレンさんの血を色濃く継いでるからそうなる訳だ」
「だったら火系統も使いこなせる筈なんですがねえ……」
「それはお前が努力不足だからだろ」
きっぱり言われて、色々と言葉が胸に突き刺さります。
……そんなの自覚してるもん。
自分が今まで訓練を怠って来たからですし。火って直接的に害するものばかりだから忌避して来た自分が悪いですし。
父様の娘の癖に、火が苦手というのは、恥ずかしいです。父様の覚えも宜しくないでしょう。父様は何も言いませんけど。
やっぱり今みたいな努力じゃ足りないのかな。もっともっと練習しないと、父様みたいに火の魔術を扱えないですよね。
自分は至らない所だらけなのが情けなくて、頭が勝手に悄然と項垂れてしまいます。
私が甘ちゃんだから人を傷付けるの怖がるのです。人に守って貰ってばかりで、人を傷付けて自分の心が傷付くのを恐れていたから。
「わ、悪かった、言い過ぎた。お前は良く頑張ってる」
見るからに影を背負い込んだであろう私に、セシル君は幾分慌てたようで、何だか急造の慰め。
頑張っても、報われない事があるのは分かってるので良いです別に。しかも今回の原因は私にありますし。
「セシル君は、人を傷付ける覚悟とか、あるんですか?」
「そりゃあな。……ヴェルフにでも言われたか?」
半ば確信を持った響きの問いに、首肯。
「こう言っちゃあれだがな、俺は博愛主義じゃない。お前もそうだろう?」
「……傷付けたくは、ないですが」
「そりゃあ俺だってそうだ。……お前は、割り切れてないだけだ」
言い切られて、反論しようのない自分が情けないです。セシル君が厳しい事を言うのも分かりますよ。
「常識は持っているつもりだから無闇に力は使わんが、俺は自分が守りたいものの為なら力を振るう事は厭わない。極論、俺は俺が大切だと思うものしか守るつもりはない」
「……大切なもの?」
「そりゃ、自分とか平和な暮らしだな。……お前も、大切な内に入るつもり、だし」
ゆっくり顔を上げると、少しだけ固くなった表情のセシル君が此方を見ていました。
「全部を守れるなんて思ってないし、思わない。俺はそこまで強突く張りじゃない。もし他人を傷付ける事で守りたいものが守れるなら、迷わず傷付ける事を選ぶぞ」
言葉に微塵も疑いなく、堂々と言い切ったセシル君が、私にはとても羨ましく思えました。
決断力のあるセシル君だからこそ、一度懐に入れると何よりも大切にするセシル君だからこそ、ああやって言い切れるのでしょう。
「ヴェルフも、ジルも、魔導院や騎士の連中も、少なからずそう思ってる筈だ。お前は守りたいから強くなりたいんだろ?」
「……うん」
「それでも気に病むなら、守る事を放棄した方が良い。その方がお前の為だ」
「そんなの、」
「なら、とっとと覚悟を決めちまえ。その方が楽だろ」
……そんなの、理屈では分かってますけど。
「……割り切らないと、お前が辛いだけだからな。そういう仕事を任される事だってある」
「セシル君は、そういう事するんですか」
「そりゃあな。お前と違って長年此処に居るし。人や魔物を傷付けたりする事もある」
躊躇いもなく言い切ったセシル君に、何だか同い年に思えないくらい頼もしさが溢れている気がしました。
中身は私も相当年を重ねている筈なのに、何だかセシル君の方がしっかりしているように感じます。私が温かくて穏やかな生活に浸っていたからでしょうが。
眉を下げる私に、セシル君はぐしゃっと髪を撫でて、でも何も言わずにそのままデスクに向き直って仕事に戻ります。
甘えるな、覚悟は自分でするべきだ。そう、言外に言われていました。
突き放されたようには、思いません。寧ろ、私を慮ってくれているのでしょう。
「……ありがとう、セシル君。……頑張る、から」
きゅ、と拳を握り締めて、私は唇を閉ざしては自分の足元を見つめました。
 




