番外編 続・ジルの受難
ジルを連れてなら基本何処にでも行けるようになった私は、ちょっとしたい事があるのです。
「エルザさん、前に使った飴玉ってまだありますか?」
そのしたい事の為に長らく訪れていなかった魔道具店を訪ねると、薄暗い中にいつもの美貌が鎮座していました。
仄かに光っているのではないかと思わせるアッシュブロンドを背中に流した美女は、私の来訪に驚いた様子もなく艶めいた笑み。
……絶対に口には出しませんけど、この人年齢幾つなのか激しく気になります。
だって私が出会った五年前から全く美貌は衰えてないんですけど。母性の塊も、服の上からでも分かる瑞々しさと張り。羨ましいくらいにたわわに実っていらっしゃいます。
「あるけど、どうしたんだい?」
「ちょっと使いたい用事があって」
「ほほー、ジル坊やに迫ってみたいのかい?ジル坊やは結構むっつりだからね、胸寄せて迫ればイチコロだよ」
「ふざけないで下さいエルザさん。怒りますよ」
あ、ジルが頬引き攣らせてる。ひくひくと口の側の筋肉が不規則に揺れている辺り、ジルは今のお言葉が相当に気に食わなかったみたいです。
「……ジル、むっつり?」
「裸見て鼻血出しそうだったよ。嬢ちゃん抱き締めてる時然り気無く胸とか触ったりしてるんじゃないかな?」
「エルザさん!いい加減にして下さい!」
「ジル、怒らないで下さい。冗談だと分かってますから」
流石にジルがそんな事してるとか思いませんから、そんなムキにならなくても。
そもそも触って楽しい程今の私に胸はありませんよ。ジルだと物凄く掌が余るでしょうから。やっぱ男性的には豊満な肢体の方が良いと思うのです。
あまりからかわないであげて下さい、と苦笑いになってしまった微笑に、エルザさんは反省の素振り一つなく愉快そうにしていました。
まだからかい足りなそうな感じですけど、これ以上はジルが怒りだすと分かっているらしく、吐息一つで閑話休題。さて、と話を変えるように座ったまま私を見上げます。
「で、飴玉欲しいのかな?」
「はい。あ、お金は一応持って来てますから、買い取らせて頂く方向になりますね」
「ん?別にこれはお代とか要らないよ、欲しいならあげるし」
何か店の経営者として良いのかと心配になるような言葉と共に、エルザさんは立てた人差し指を一振り。
それだけで何か魔術のようなものが発動したらしく、棚から私の掌に瓶が飛んできます。以前にも見た、青色の飴が入った小瓶。
……賞味期限的なの大丈夫なのかと一瞬頭をよぎりましたが、まあ魔道具なので大丈夫でしょう。
「ああ、ちゃんと食べられるから安心しな」
どうやら心配が顔に出ていたらしく、けたけたと笑ったエルザさんに憂慮を吹き飛ばされました。
魔道具だから然程劣化していないと考えて良さそうです。
「……でも、本当に貰って宜しいので?」
「構わないよ、嬢ちゃんにあげた方が楽しそうだし」
「楽しいって……」
「愉快な事になるのを手助けして、結末を想像するのが私の娯楽だからねえ」
悪趣味な、とジルが呟いて瞳を眇めて顰めっ面。多分ジルが一番犠牲になっているらしいので、そこからそんな顔になっているのでしょう。
私としては、今回は特に騒動を起こすつもりはありません。ちょっとだけしたい事があるだけなんですよ、そんな危険はないです。
「今度来た時にどうなったか教えておくれよ」
いやエルザさんの期待にそぐう事は起こすつもりはないんですが。
「……リズ様は、何をするおつもりで?」
結果として飴を頂いてほくほくな私に、ジルが当惑したように眉を八の字に歪めます。
ややすがるような眼差しで、「お願いですから余計な事はしないで下さい」と言わんばかり。大人しくして欲しいと懇願している事がよく分かりました。
……そこまで私って危なっかしく思われているのでしょうか。
ジルも失礼です、今回は騒動も何も起こすつもりはないんですよ。飲んだ時の効能も分かってますし、無闇にジルの前で飲んだりしません。
「……ないしょ」
「……没収しますよ」
「私が貰ったんだもん。私のだもん」
没収されたら目的が果たせなくなりますし。私が貰ったし危険なものでもない、ジルに没収される筋合いはないのですよ。
ぎゅうっと貰った小瓶の入った袋を抱えて離すまいとする私に、ジルは僅かに眉を動かします。
無理矢理奪う事は絶対にしないものの、私が何かやらかせば確実に言いくるめて没収するでしょう。危険因子は即刻排除がジルのモットーみたいですし。
……偶に行き過ぎるんですよね……過保護な時があるというか。
「奪おうとするなら、ジルに一気に三つくらい飲ませて老けさせちゃうもん」
「止めて下さい、まだ老後は見たくないです」
「……でもダンディなおじ様なジルも捨てがたい」
「分かりましたから止めて下さいね」
元が美形だから、上手く年を重ねれば素敵なおじ様になるんだろうなあ……と将来を見据えて微笑む私に、ジルは若干顔を強張らせては引き攣った笑み。
そこまで心配しなくても、多分ジルは加齢しても綺麗に老けていきますよ、きっと。
大丈夫ですよ、と拳を作ってジルの将来を力説してみたら、ジルはこれ以上言わせまいと没収を諦めてくれました。
やりましたよ、飴を守りきれました。これで目的が果たせる……!
次の日の事です。
流石に同じ過ちを繰り返す程ではないので、ちゃんと母様に服を借りてから、自分の部屋で飴を口にします。母様は何をするか察してましたから、大丈夫でしょう。
……ジルが警戒してたのは、私が余計な事をしようとしないか見張る為でしょうね。余計な事ではないのに。
飴は口の中で直ぐに溶けてなくなり、体が発光してあっという間に大人の体に成長です。あ、因みに最初からすっぽんぽんでしたよ、自室だし服が謎の現象で消えるくらいなら最初から全裸で挑みますし。
ぐっぐっ、と掌をぐーぱーと開閉して体の調子を確認。
……うん、問題はなさそう。今までの感覚と乖離した様子がないのは、元の体がそれなりに出来上がっていたからでしょう。身長はそこまで伸びようがないですからね。
手早く下着を身に付けて借りた服に腕を通し、改めて鏡の前に立ちます。ああやっぱり、身長はそんなに変わってない。……これ以上殆ど背が伸びないという事実を突き付けられましたけどね。
今、一応二十歳は越えている計算な肉体です。
顔立ちは大分大人びました、あどけなさも抜けきってはないですが子供っぽさはない。それなりに可愛らしいのではないでしょうか、流石父様母様の遺伝。
体は、……身長低いけど、それなりにメリハリもついています。私を産んだ頃の、かつての母様に大分似た感じですね、うん。今の母様はもっと落ち着いた美しさなので。
これなら、私の目的の場所に入っても侮られませんよね。
「ねえねえおねーちゃん、おにわ行こー!」
満足のいく成長具合にうんうんと頷く私の背後に、声がかかります。ノックしてなかったのは駄目ですよと言いたいですけど、今回はまあタイミングが良かったかもしれません。
驚いてくれるかなあ、とちょっぴり期待して振り返ると、丁度ルビィが駆け寄って来る所でした。
ぱふ、と私に抱き付いて胸元に顔を埋めて、それから違和感に気付いたらしく顔を離しては埋めるの繰り返しです。……まあ、十二歳の頃よりは遥かに胸はあるから、違和感もバリバリなのでしょうが。
「……おねーちゃん?」
「お姉ちゃん以外の誰かに見えますか?」
「ううん、おねーちゃん。……おねーちゃんが太った!」
グサッと心に突き刺さりそうなお言葉を頂いて、私涙目です。
ルビィ、違うのよ、これは太ったのじゃないのです。成長したのですよ。
そりゃあ十二歳の頃と比べて少しふっくらしたしお尻も大きくなった気はしますけど、これは断固として太ったと認めません。
「……このお姉ちゃんは嫌ですか?」
「んーん、いつもよりもっときれーだからすき!」
「ルビィ……」
取り敢えず慰められたので、太った発言は気にしない事にします。
……太ってないもん。
「……やはり飲んだのですか」
ちょっと心に打撃を受けて頑張って持ち直そうとしている私に、どうやら着いて来たらしいジルが溜め息。
そんな心配しなくても、無茶はしませんし、今日の所はルビィと戯れるだけですから。
「人の顔見て開口一番それは複雑なのですけど」
「リズ様が麗しいのは今更ですので。お望みなら幾らでも称賛しますが」
「あう、……うー……ジルって口説くの上手いですよね。ルビィはこういう大人になっちゃ駄目ですよ?」
「よくわかんないけど、うん!」
ルビィは父様に似てきっとかなりの美形になるでしょうから、軽々と女の子に甘い言葉を吐いたら大変な事になると思うのです。
……父様、偶にやらかしますからね。本人は全くその気がないのですけど、「その髪飾りは瞳の色と合って似合ってるな」とか「今日も美人さんだな」とか、まあ社交辞令のような事を言ってる訳です。
勿論社交辞令なのですが、それに引っ掛かる令嬢さんが、実は結構いらっしゃるのです。既婚者だっつーの、と父様は微妙にぼやいでますが、父様にも原因はあるかと。母様怒ってますからね、騒動が起こる度に。
ルビィにはそんな目に遭って欲しくはないので、此処だけはちゃんと教育しておかねば。
「良いですかルビィ、甘い言葉を吐くのは、本当に好きな人にだけですよ。ジルや父様は見習っちゃ駄目ですからね」
「何故私が含まれたのですか」
「じゃあおねーちゃんにはいいの?おねーちゃん、あまい!」
うん、ルビィ意味分かってないけど可愛いから良いです。追々、ルビィが分かって来たらちゃんと言い付けておきましょう。
ぎゅっと抱き締めてルビィを愛でておきますが、ジルは何だか仏頂面です。さっきの言葉が納得いかないみたいですね。
……だってジル、普通に甘い言葉を吐くじゃないですか。照れもせず、平然と。これは見習っちゃ駄目でしょう。
ルビィがにこにこしながらお庭に出ていくのを見送ってから、私は無表情のジルに近寄ります。
……今、並んでますけど……傍から見たら、大人二人に見えるでしょうか。一応肉体年齢的にはジルより歳上なのですけど。
「……ジル、拗ねないで下さい」
「これは拗ねている訳ではありません。リズ様の私に対する見方を考えているだけです」
「顔が無表情なんですけど」
いつもの穏やかな顔ではないですよ、と手を伸ばして頬を両の掌で包んでぷにぷに。
残念ながら身長は殆ど変わってないので、やっている感覚はいつもと同じです。ジルに近付けたかと思っても、案外そうでもなかったですね。
「ジルは私に甘過ぎなのですよ」
「これが普通ですけど」
「それが甘過ぎなのです。私がジルを誉め殺しにしたら、多分気持ちが分かってくれると思います」
甘い言葉を吐かれたり賛辞をされたりするのって、重なると凄く恥ずかしくてむず痒いのですよ。
ジルはいつも言う側ですから分からないのかもしれませんけど、言われる側は非常に困るのです。
こほん、と咳払いをしてからジルの腕に抱き付いてジルを見上げ、上目遣い。
……子供の頃の方が可愛さは出るのでしょうが、仕方ない。此処は大人の色気という私に身に付いていなさそうなスキルを発揮する時なのです。
「……ジルは、……えーと」
「口ごもった瞬間でもう駄目ですよね」
「判断厳しい!」
く、口説くのって難しい。
だって狙って褒めるなんて難しいです。ジルを照れさせようとするなら、尚更。
「……だって、ジルには良い所一杯あるんですもん。優しくて、甘やかしてくれるけど厳しいし、格好良いのに着飾らないし気取らないし。細いのに強くて、魔術も出来て、理想的な男性じゃないですか。あり過ぎて褒められません」
何処をピックアップして更に褒めるとか考えるだけで疲れちゃいますよ。まあちょこっと保護者モードが行き過ぎて過保護になっちゃいますけど、それを除けばかなりの優良物件なのです。一介の従者に収めるには勿体無いくらいに。
「……充分出来てると思うのですが?」
「え?」
何処か困ったような響きの呟きに瞬き。
ちゃんとジルの顔を見上げると、少しだけ赤らんだ頬。視線は少し外されて、ちょこっとそっぽを向いていました。
照れてる、というのが、私の目にも明らかな顔。
「リズ様は非常に質が悪いのです。お願いですから、他の人をこのような褒め方で褒めないで下さいね」
「……此処まで褒めてあげられるの、ジルくらいですよ?」
だって、他の人は大して知らないし。
例外でセシル君を褒めようと思ったら一杯良い所を挙げられますけど、……この雰囲気的に、それは言わない方が良さげです。
ジルの機嫌が直っているみたいですし、内緒にしておきましょう。
……だって、確実に明日、機嫌損ねる事しますし。ご機嫌取りしておく方が良い気がするのですよ。
別にジルを怒らせたい訳ではないですけど、結果的に怒らせる羽目にはなるので。
これもジルの為なんです、と明日の不機嫌顔を想像してこっそり脳内で謝罪。
それから私は、仄かに照れたようなジルに、自分も照れ臭さを感じつつも笑いかけました。