番外編 お兄ちゃんと呼び隊 後編
番外編第四弾後編。
セシル視点です。
偶に、本当に訳が分からない考えをしだすのが、リズという女である。
「兄妹喧嘩しましょう」
一日限定の兄を得てご満悦気味なリズは、何故か真顔でそんな事を言い出した。
……仲良くしたいのか、喧嘩したいのかはっきりしろと言いたい。さっきまでふにゃふにゃ笑って楽しそうにしてただろ、意味が分からん。
「何で喧嘩するんだよ」
「けんかー?」
ほら、ルビィも首傾げてるだろ。
リズにべったりとくっついて胸元に顔を埋めていたルビィは、不思議そうな声音でぱちぱちと瞬きを繰り返している。図らずも上目遣いなルビィに、リズは真顔を崩してまたふやけた笑みを浮かべていた。
……こいつの弟好きは、正直度を超している気がする。
ただ、その愛情を注ぐ理由は、分からなくもない。
屈託のない笑顔と俺をお兄ちゃんに慕ってくれる素直さは、眩しいくらいに純粋で好意的で、困るくらいだ。リズが溺愛するのも、まあ頷ける。
……俺の弟は、こんなんじゃないからな。もっと捻くれてるし人を蔑むような、貴族らしいと言ったら失礼だが庶民が想像するような嫌味ったらしい貴族そのものだ。
この前一度話したが、俺の事を明らかに嫌ってたし。俺が居なければ家督は相続出来たのだろう、恨まれるのも分からんでもない。正直継承権なんか譲りたいくらいだ。
まあそんな弟を見ていたから、こういう弟は欲しい……のかもしれない。だがついてくるこの妹は、ちょっと。
「そうですルビィ、喧嘩するんです。さあセシルお兄ちゃんに何か悪口言ってみて下さい」
「えー。セシルおにーちゃん、ぎんぱつー!」
「それ悪口じゃないだろ」
「セシルお兄ちゃんの……ばか?いやでも私より頭は確実に良いですし……えっと、天才!」
「誉めてるぞそれ」
妹にするには、やや天然な気がしてならない。
馬鹿ではないし、賢いには賢いのだが……偶に、とんでもなく抜けている気がする。計算ではないし、狙っていない分質が悪いのではなかろうか。
指摘に「それもそうですね」とぱちぱち瞬きを繰り返す様は、まあ可愛らしいと言えば可愛らしい。
普段は無駄に大人びていたり、落ち着いてはいるのだが……一度暴走すると止まらない。無邪気さが抜けきっていないんだろうな、だからこそ、要らん奴等に目を付けられるのかもしれないが。
「じゃあセシルお兄ちゃんのひょろひょろ!……あ、でも筋肉あったし……うーん、難しいですね罵倒って」
むむ、と唸りながら唇に指を当てて思案顔なリズ。
そもそも、こいつが表立って罵倒する事は滅多にない。おふざけや冗談で「ばーか」とかはあるが、本気での暴言はほぼないと言えた。
……いや、伯爵子息にはちょっとばかし言ってたっけ。あれはそう言われても仕方ない所業をしてたから、当然だろう。
俺が見ていた限りでは、基本的に穏やかな人柄をしているリズだ。偶に暴走こそするものの、他人を害する事はしたがらない。
「あっ、思い付いた。セシルお兄ちゃんのツンデレ!あざといです!」
「殴るぞ」
ふざけんな。
「そこから兄妹喧嘩勃発ですね!よし来いなのです!」
反射的に拳を握った事に気が付いたらしいリズ、何故か嬉々としてどっしりと構えていた。引くぞ、殴られるの喜ぶとか。
「おにーちゃん、おねーちゃんなぐっちゃだめ!」
「いや殴らないから」
ルビィが慌てて庇うように手を広げて涙目になったので、俺は即座に否定して手をひらひらと振った。
デコピンとか軽い拳骨、頬をつねるくらいならあるが、本気で殴る訳ないだろう。こいつも女だし、……どちらかと言えば、守ってやりたくはある。
ただ、その形がジルとは違うだけで。
「えー」
「何で不満そうなんだよ……仲良い方が良いだろ……」
「喧嘩する程仲が良いって言いません?」
「形から入ろうとするなよ」
頼むから普通にしてくれ。
普通ににこにことお兄ちゃんと呼んでいる分には、今日の所は拒まないでおくのだから。
「だってセシルお兄ちゃん、素直に甘えても受け止めてくれないでしょう?」
「……考慮しなくもないぞ」
「本当に?じゃあルビィ、一緒に突撃!」
「とつげきー!」
「おいこら!」
考慮しなくもないとは言ったが、抱き付いて良いとは言ってない!
二人に突撃されて、確かに受け止められずに背後のベッドに三人で雪崩れ込む。
ルビィの部屋の、それもベッド間際でこんな会話してたから良かったものの、こいつの部屋だったり後ろが床だったりしたらシャレにならん。特にジルが居たら。
ふかふかなベッドに背中を着いた俺に、リズもルビィもべったりと抱き着く。
おいリズ、お前は少しは考えて行動してくれ。頼むから女だという事を自覚してくれ。
急に抱き着かれると、しなやかさと柔らかさを兼ね揃えた感触に戸惑う。ああもう、何でこいつは無駄に無防備なんだ。
「あ、大丈夫ですよ、ジルは今日魔導院に行ってるので」
……こいつ、今回は自覚してやがったのか。何と質の悪い。
「おひるねー!」
「あ、ルビィ眠いのですか?じゃあこのまま寝ちゃいましょうか」
「おいこら、この体勢は本気で止めろ」
腕に絡み付いた体勢は、色々な意味で心臓に悪い。ジルに見付かった時の事とか、誤って変な場所を触らないかとか、腕に押し付けられた感触を意識してしまったり。
頼むから、無防備にしないで欲しい。後々が怖いんだよ。
リズの方から目を逸らすと、ちょっとだけおかしそうに笑う声が聞こえた。
「セシルお兄ちゃんは純情さんですよね、ほんと」
「分かってるなら止めろ」
「はーい。……おやすみなさい、お兄ちゃん」
温かい眼差しに柔らかな光を灯したリズは、とろとろと緩んだ笑みで瞳を閉じた。既にルビィはうとうととしていたらしく、半ば寝ている状態だろう。
側に二人分の温もりを感じて、俺はこれ以上文句も言えずに唇を閉ざした。
……こういう、温かい気持ちを向けられる事はむず痒いと、リズは知ってるだろう。それでも慕ってくる二人には、何とも言えない照れ臭さのようなものがあった。
俺が昔恨んで渇望していた温もりは、今、直ぐ側にある。多分、幸せなんだろうな、俺は。
「……リズ」
「……んー……」
「……何でもない、やっぱ」
眠たそうに俺の肩らへんに額をくっつけてはもぞもぞと身動ぎしているリズに、俺は少しだけ苦笑い。シーツに散らばっていた色素の薄い髪を纏めるように、さらさらと梳いてやると、ふにゃりと笑うリズ。
……ありがとう、は、まだ言ってやらん。これ以上幸せそうな顔をされると、俺がどうして良いか分からなくなるから。
いつか、感謝の気持ちを言葉として伝えられたら良いのだが。……今は、これだけで勘弁してくれ。
「……おやすみ」
……まあ、その後俺も寝落ちして、セレンさんに見付かって微笑ましそうに見られたのは、ある意味決まった流れと言えよう。
ジルに見付からなくて良かった、とこっそり思ったのがリズには見抜かれたらしく楽しそうだったので、デコピンしておいた。それでもふにゃふにゃ笑ってたから、もう何も言わん。
 




