番外編 望まぬ休暇
番外編第一弾は人気投票一位のジル君です。
ジル視点です。
「ジルには三日間の休暇を言い渡すのです!」
どーん、と背後にそんな効果音がつきそうな、自信満々の表情で言い切ったのは、私の主です。
唐突な事に、「はあ」と気の抜けた返事をしてしまったのは仕方のない事でしょう。
リズ様は偶に訳が分からない唐突な事を言い出す時があります。これもその内に入りますね。何でいきなり休暇という事を思い付いたのでしょうか。
真意を問うべく控え目にリズ様を窺っても、リズ様はにこにこと笑って腕組みをしたまま。屈託のない、可憐な……というより咲き誇る大輪のひまわりのような笑顔を向けています。
「……ええと、何故ですか?」
「ジルは一杯お仕事して貰ってるし、いつも頑張ってるから。だから、偶にはゆっくり休んで欲しいなあって。あ、給料は父様にお願いして有給休暇になってますよ!」
そういう所は非常に用意周到なリズ様。つまりこれは決定事項なのでしょう、ヴェルフ様に言ってるという時点で決まった事のようですし。
……正直な所、お休みを貰っても困るのですが。
お気遣いはありがたいと思うのですけど、別に然程疲れている訳でも、休養を欲している訳でもない。寧ろ休みを貰ってしまうと、リズ様の側を離れる事になるので出来れば遠慮願いたいというか。
「あ、私はご心配なく。おうちからなるべく出ないようにしてますので」
「それでは、リズ様の側に居ても宜しいですか?」
「……休暇の意味がないのです」
どうやら私を休ませる気で一杯のリズ様、不満そうに唇を尖らせていました。可愛らしかったのでつい頭を撫でると、頬がぷくっと膨れて来ます。まるで子リスのような仕草。
……そういう所が愛らしさを増していると、本人は理解していないのでしょうね。
「兎に角、ジルには休暇を与えますので、しっかり休んで下さいね」
少しむくれたリズ様は、何処か不満そうながらも命令を覆す気はないようです。
こうして、私には三日間というとても長いお預け期間を与えられる事になりました。
……休暇が与えられたは良いものの、本当にやる事がありません。
これといった趣味はありませんし、何処かに出掛けたい訳でもない。お金はかなり余ってますけど、使いたいとかは思いません。散財するには私が守銭奴の気をどうにかしないとなりませんし。
基本的に自分の為に使うのは殆どありません。精々本くらいです。
食事は支給されてるし、装飾は男だからする必要はない。そもそも服はローブとシャツなどで充分ですし。恵まれているのですよね、この環境は。
強いて趣味を言うなら、リズ様を甘やかす事なのですけど……本人が休みなさいというから、出来ません。私としてはリズ様を愛でれたらそれで充分な休養になるのですが……本人が分かってないですし。
あまりにも退屈過ぎて困りますが、この際普段は出来ない事をするべきなのでしょう。
したい事はありませんけど、魔術書を読むのは勉強になります。リズ様を守る為にも、そして私の為にも、強くなる事は必須なのですから。
時間潰しを兼ねて読書に勤しむものの、三日目の始めには書斎にある本で目ぼしいものは読み終わってしまいました。
さてどうしたものかと溜め息をつく私に、こっそりと此方を窺って来る主。
気付いていないと思っているのか、ドアの隙間から私をちらちら覗いていました。
……可愛いですけど、素直に出てきて欲しいのですがね。休暇中だと遠慮しているのでしょうけど。
「……どうかしましたか、リズ様」
「ふえ、……いえ、何やってるのかな、と」
「暇してますよ」
ちょいちょい、と手招きをすると、分かりやすく瞳を輝かせて駆け寄って来るリズ様。見るからに嬉しそうに顔を明るくしているので、まあ構ってあげられなかった事が余程効いているようです。
リズ様は、やや私に依存しているような気がします。リズ様に執着する私が言えた義理でもありませんが。
私が構わないと拗ねたり寂しがったり、兎に角しょげてしまう。まだ私に恋情こそ抱いていなさそうですが、リズ様はリズ様で私に執着している。
それが、嬉しかった。
手を伸ばした私に、躊躇いがちに抱き付いて来るリズ様。
ふに、と柔らかな感触が腕に広がって、愛しさが沸き上がっては、理性が何とか胸の内に押し込める。抱き締めるだけで、今は抑えておかなければ。
出来る事なら、ひたすらに甘やかしてあげたい。どろどろに溶かして、私だけを見てくれるように、幸せで囲ってしまいたい。
けれど、それをすれば私が彼女の側に居られなくなってしまう。だから、受け止めるのが限界なのです。
「……邪魔じゃない?」
「暇してましたから。寂しがりのリズ様に構う方が楽しいですよ」
「……もう」
ぷくっと頬を膨らませて拗ねたような表情ですけど、本気で怒っている訳ではないと分かっています。その証拠に、あやすように頬を撫でて髪の毛を梳くと、ふやけたような笑顔に変わるのですから。
何処か照れたような笑みでとろとろと表情を緩ませるリズ様を膝に乗せて、そのまま抱き締めます。多分今の状況をヴェルフ様に見られたら半殺しにされますね、間違いなく。
相手が子供だから許される行為なのでしょうが、リズ様が大人になったら流石にこんな真似出来ません。そうじゃなくても、リズ様は成長が早いのに。
ちら、と見下ろせば小柄な肢体。年相応の身長ですけど、親譲りなのか一部の発育が少々宜しいと言いますか。
無邪気に抱き付かれると戸惑う感触があったりして、嬉しいやら困ったやらで悶々はします。勿論見境なく盛ろうとか全く思わないので、平常を保てはしますよ。
「重くない?」
「軽いですよ。寧ろ食べてるか心配ですね。好き嫌いしてませんか」
「食べてるもん」
とか言いつつ、嫌いなものは泣きそうになりながら一口頑張って、結局残すんですけどね。瑞々しい赤色の野菜がどうしても苦手なようで、サラダに出る度に顔が引き攣るのはいつもの事です。
その癖加熱したら食べられるのだから、リズ様の基準はよく分かりません。
けどそれを指摘すれば拗ねてしまうので、苦笑に押し留めてリズ様を撫でておきます。
案外子供っぽく、且つ大人びた仕草を時折見せるリズ様。そのアンバランスさが、とても私には魅力的に思えました。
こうやって抱えている分には大人しくて、可愛らしい。手を離してしまえば、無駄に高い行動力で色んな事を成し遂げる。
ある意味で、リズ様はじゃじゃ馬かもしれません。そんなリズ様も愛おしいのですが。
「……ねえ、ジル」
「何ですか?」
「……私の側に居るの、辛くない?」
危険とか沢山あるし、我が儘一杯言うし、頼りにし過ぎて寄りかかったままだし、と。少し申し訳なさそうなリズ様。
……何を言い出すのかと思えば、そんな事。
辛いなら、側に居る筈がないのに。こんなにも愛しく思っているのに、リズ様には伝わらないのでしょうか。……恋情が伝わってないのは、確かですけどね。
「私が好きで側に居るのですから、リズ様が心配する必要はありませんよ」
「……でも」
「私が側に居たいだけですよ。……私の、大切な人ですから」
思えば、私はとてもリズ様に救われているのです。
あの暗くて苦しい家から救いだしてくれて、暗殺未遂を許してくれて、私に居場所を与えてくれた。『僕』だった頃に比べて、今の私はとても満ち足りている。
……リズ様にはとても感謝していますし、守りたい。そして、愛しく、手に収めたい。愚かな願いだと分かっていても、諦めるには近過ぎて、狂おしい程に愛しい。
華奢な体を抱き締めて微笑むと、リズ様は少し目を瞠って、それから視線をさまよわせます。先程とは違う、赤らんだ頬。
恥ずかしそうに瞳を伏せながらも、時折ちらちらと此方を窺う姿は、やけに可愛らしい。それでいて美しいと思わせるのだから、とんでもない魅力の持ち主だと思うのです。
ふとした拍子に、リズ様はあどけなさと艶やかさを同居させる。
今だってそうだ。しっとりと濡れた深緋の瞳は吸い込まれそうな程深く、薄紅の唇は潤って艶めく。上気して色付いた頬は、下地の白い肌と相俟って清楚な色香を醸していた。
上目遣いなのは私のせいなのだとしても、本人が狙ってやっていない分、ある意味で質が悪い。
分を弁えず、欲しくなってしまうから。
する、と髪を指でほどいてから、私は唇を額に押し当てる。
前髪の上から微かに触れるだけの口付けでしたが、効果は絶大だったようでみるみる内に頬にのぼった薄紅を濃くするリズ様。……本当に、愛らしい。
「……あなたが望む限り、この身はあなたのものです」
「そ、そう、ですか」
もごもごと唇を歪めたリズ様が、恥ずかしそうに口許を掌で隠そうとしたので……そっと、その手を取る。掌を重ねるように私の元へ持ってゆき、今度は手の甲にキスを一つ。
これも軽く触れただけでしたが、リズ様は今度こそ顔を真っ赤にして腕の中から逃れようと藻掻き始めました。
リズ様の行動は分かりやすくもあり、対処も簡単です。
「私に触れられるのは嫌ですか?」
少し悲しげに眉を下げると、うっと声が漏れて、大人しくなるリズ様。私を拒むのは、多分リズ様には無理でしょう。私がリズ様を拒めないように。
卑怯だとは感じつつも、私はリズ様を腕の中に収めてそっと髪を撫でる。確信犯だ、と小さく不満げな呟きが聞こえて来たので、私は頬を緩めて「今更ですか?」と返しておきました。
……そういうリズ様も確信犯とは、内緒にしておきましょう。気持ちに薄々気付いている癖に、分からないと言い聞かせて私に無防備な姿を見せるのですから。
……お慕いしておりますよ。
口には出さずにそう噛み締めるように頭で反芻して、私は照れて困り果てているリズ様を抱き締めました。




