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例え何があっても

 今日三度目の訪問者は、私が一番心配していた人です。


 控え目なノックの後、掠れた声で「起きていらっしゃいますか」と問い掛けが飛んで来たので、私は慌てて声を張って意識がある事を伝えます。

 ジルも私が腕の中で気を失ったから、心配かけたかもしれません。それに、ジルの声が、何だか辛そうな気がして。


 どうぞと促せば、間髪入れずに開く扉。予想通りの、緑髪が視界に飛び込んで来ます。

 少し俯きがちで部屋に足を踏み入れたジルは、私の姿を見て少しだけ上瞼を弛ませて安堵の表情。それでも、顔色は殆ど晴れていません。


「……ジル?」

「……リズ様」

「どうか、しましたか?」


 近寄る間も、端整な顔は暗雲に覆われたまま。悄然とした表情は、何かに苛まれるように歪んでいました。

 私の腰掛けるベッドの側に立っても、それは変わりません。寧ろ、私を見て辛そうに、瞳が伏せられる。

 隣に座るように視線で促せば、俯いたまま隣に腰掛けるジル。


「……火葬して来ただけです。仮にも、父親ですので」

「あ……」

「何処にも埋葬出来ないですから」


 静かに語る様は、酷く淡々としていて。それが逆に、ジルの懊悩を際立たせていました。


「……人を殺した事がない訳ではないのですよ」


 吐息に紛れるように、小さな呟きが静かな室内に染み渡ります。溜め息にも似た響きのそれは、微かなものでしたが私の耳にはしっかり届きました。

 私にはあまり縁のなかった告白に、半ば反射的にジルに視線を滑らせると、ジルは腿の上で指を組んで項垂れています。私からは、表情が見えません。


「リズ様こそ殺しませんでしたけど、あの後にリズ様を狙う輩は処理していましたし。あなたを守る為なら、という大義名分で、何人も命を奪った」

「……私の、せいで?」

「いいえ、これは私が勝手にした事です」


 そこだけはやけにはっきりと否定したジルは、ゆっくりと顔を上げます。

 とても普段通りの顔とは言えない強張った表情は、私と視線が合うとくしゃりと音をたてそうな勢いで歪みました。綺麗な顔は、紛れもなく悲哀で溢れかえりそうです。


「……馴れたと思ったのですよ。なのに、……実の父親をこの手にかけた、それだけで、こんなにも……苦しくなる」

「そんなの当たり前で、」

「違うんです。……私は、リズ様を守るという大義名分で人殺しを正当化していたんですよ。私の為に父親を殺したと認識したから、苦しいのです」


 固まる私をどう捉えたのか、ジルは強張る頬をぎちぎちとぎこちなく動かし、微笑みます。笑顔と形容して良いものか分からない、痛々しいもの。

 普段、そういう辛そうな顔をしないから……私には、どうして良いのか、分からない。そんな事ないよと否定したくても、それはジルにとって薄っぺらい言葉にしか聞こえないでしょう。


 言葉を失う私に、ジルは眉を下げて引き攣った笑みを浮かべるだけ。


「そして、私は……父親を殺した事より、あなたに……リズ様に嫌われるのが、怖いのです」


 自嘲の笑みを浮かべたジルは、そっと私の頬に手を伸ばす。触れそうな所で、触れないように保たせるジルは笑っているのに泣きそうでした。


「私は、人を殺す事より、あなたに殺す姿を見られた事が怖い。あなたに、嫌われてしまうのが怖いのです。……酷い男でしょう?」


 自虐的に微笑んだジルに、私は真っ直ぐに彼を見つめて。


「……ジル」


 多分、こんな事をするのは八年ぶりでしょう。




 表情に翳りを落とし唇を噛み締めるジルに、私はおもむろに手を伸ばす。緩慢な動作のこれを拒む事など、ジルには容易いでしょう。

 しかし、ジルは微動だにせず、そのまま私の手を受け入れました。


 お椀とはとても言えない、精々盃くらいにあるかないか。隆起と呼べなさそうな、そんな薄くなだらかな山にジルを誘う。

 人形を抱き締めるよりも優しく、それこそ子供を包むように、そっとジルを抱き寄せます。緑色の髪が腕の中に収まったのを確認して、震えている背中をやさしく擦りました。




  お互いに、あの時とは比べ物にならない程成長している。

 私の体にささやかながら凹凸が出来たように、ジルの体は逞しく、大きくなった。背中だって、広い。抱き締めた感触で、それは分かります。


 でも、今のジルは……酷く、小さく感じました。


「私は、あなたの事を嫌ったり軽蔑したりなんかしない。絶対に」


 私にとって、ジルは、とても大切な人。側に居て欲しいし、私を受け入れて欲しい。

 ジルから離れない限り、恐らく私はずっと側に居ます。ジルだって、私から離れないと思いたい。


 そんなジルを、嫌いになる筈がない。




 ジルが、おもむろに顔を上げます。

 緩慢な動作で持ち上がった顔に、私は少しだけ瞠目しました。


 いつ振りでしょうか、ジルが泣いているのを見たのは。

 声に出す訳でもなく、ただ静かに涙を目に湛え、体を震わせるジル。涙の膜が張った翠の双眸はとても澄んでいて、複雑な感情が瞳の奥で揺れています。


 頬に滴り落ちていく水滴を人差し指の関節で拭うと、更にくしゃりと顔が歪んで涙が零れる。……泣かないで、なんて事は言えない。けど、このまま泣いて欲しくはありません。


 ジル、と小さく名前を呼んで背中を軽く叩きます。昔やったように、とん、とん、と一定のリズムで。


「……私が側に居ますよ」


 例えあなたの手が汚れていたとしても。

 それは、きっと私のせいだから。そんな事では離れたりなんかしない。全部、受け入れてあげる。

 だって、ジルは私の大切な人ですから。




 慈しみを込めて寄り添う私に、ジルははらはらと雫を生みながら顔を寄せる。申し訳ありません、と掠れた声が耳朶を軽く打ちました。


 翠が迫ったと認識出来たのは、一瞬後の事。

 湿った肉の感触を唇に感じて、初めて自分の身に何が起こっているかを理解しました。




 ん、と引っ掛かったような声が、喉の奥で鳴ります。触れ合った場所から、熱が交わる。唇だけではなくて、頬が次第に熱くなるのが分かりました。

 仄かにしょっぱさの混じる唇は、ただ触れるだけ。それだけの事なのに、恐怖とも悲哀とも違う感情で心臓が痛くなる。


 する、と今日初めてジルが私の事を引き寄せて、腕の中に収めます。唇の柔らかい部分が触れては、熱を分け合う。

 とっ、とっ、と鼓動がやけに早まるのを感じるのに、何処か他人事のような感覚がしました。あまりにも突然過ぎて、何が何だか受け止めきれてないのが現状です。


「ジル……?」


 顔が離れて力が抜けた私に、ジルは私を受け止める。今度は私が胸に撓垂れる形になりますが、そんな事を気にしている余裕はありません。


 顔が、熱い。

 

 ジルはそのまま、私の背中に手を回して、抱き締めて来ます。くっついた頬から、早い鼓動が伝わって。


「……リズ様。私は、側に居ても良いのですか……?」


 何処か乞うような眼差しと不安で揺れた声に、私はゆっくりと頷きます。


 そんなの、当たり前でしょう。

 ジルは、私の従者なんですから。


 首肯に安堵したジルが瞳を緩ませて再び熱を共有させて来ましたが、……私が拒む事は、ありませんでした。






 ジルは暫く私を抱き締めて落ち着いたらしく、微笑んで部屋を後にして。


 ……私は、そのままぽてん、とベッドに倒れ込みます。


 どうしましょう。

 ……求められるがままに唇を許しましたけど、あれって普通にキスしてましたよね。手の甲とか頬とか鼻じゃなくて、唇に。マウストゥマウスなのです。接吻でも良いです。

 雰囲気に思い切り流されましたけど、あれってして良かったのでしょうか。いやだって、拒めない雰囲気だったんですもん。


 普通は駄目ですよね、と熱を共有した唇を指先でなぞり、口付けの感覚を思い出します。

 大人のキス、とかじゃなかったから、平気だったのでしょうか。ただ触れるだけの、もの。甘さとかはなくて、味だけならしょっぱかった。そりゃあジルが泣いていたからですけど。


 


 そっと唇を撫でると、柔らかな感触が再び触れたような錯覚を覚えてしまって、恥ずかしくなる。


 ……別に、初めてとか拘らないから、良いですけど。

 でも普通、襲われかけた女の子にキスは駄目だと思うのです。傷付いたという意味では、ジルも同じですけど。

 ジルにされても、怖くない。それだけは身を以て理解しました。……変なの。




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