主従として?
……何とも言えない気不味さを、ちょっぴりジルに感じるようになって一ヵ月。あれからジルは普段通りに接してくれますし、変な素振りは一つも見当たらない。優しく、穏やかで、真摯に仕えてくれる。
あれは、私の勘違いだったのでしょう。そう思わないと、私も平静ではいられなくなる。きっとそう、勘違い。ジルは、歳下を愛でているだけです。
「ジル」
偶に、ジルに触れるか迷う。普段通りに抱き付いてもいいのか、頭を撫でてもらう事を乞うのが許されるのか。
側に寄ると、ふわりと気負いのない笑みが出迎えてくれます。昔と変わらないその笑顔に、私は僅かにあった体の強張りを解いて、隣に並びました。
昔と変わらない笑顔、けれども並んでみれば身長差だけは変わっています。幼い頃より差は縮んだ筈なのに、ジルがもっと大きくなってしまったかのような錯覚を覚える。
私を撫でる掌も、名前を呼ぶ声も、変わった。
「リズ様、どうかなさいましたか?」
「……特に、用事はなかったですけど」
「そうですか」
ジルは特に追及する事もなく、穏やかな表情。
「……ジルは、どうして私の側に居てくれるのですか」
ふと、思った事を口にします。
何で、ジルは私の側に居てくれるのでしょうか。私が我が儘を言っても嫌がらないし、甘やかしてくれるし、守ってくれる。確かにあの時仕えろとは言いましたけど、此処まで忠実に仕えてくれるとは思ってませんでした。
普通、八つも歳下な女の子に忠誠を誓うなんて、嫌がるのではないでしょうか。ジルって元は貴族ですし、誰かに仕えるなんて慣れないのでは。いやサヴァン家ってセシル君のおうちに仕えてるとか言ってたし、……でもぶっちゃけうちとセシル君の家ってあまり仲が宜しくないし。尚更私に仕えるなんて嫌だと思うのですが。
「……お側に居たいから、では納得出来ませんか?」
「明確な理由が知りたいです」
「そうですね……私がリズ様に命を救われたから、でしょうか」
ジルは、一番有り得そうな答えを返します。
……まあ、その理由が一番、なのでしょうね。暗殺未遂を咎めずに、更に口封じの手を未然に抑えた。ある意味では命を助けた事になっているでしょう。
……何か、義務感みたいなので側に居てくれるって思うと、少しだけ……憂鬱というか、何かやだ。我が儘だとは思ってますけど。
じゃあその恩義を返したら、ジルは居なくなってしまうのでしょうか。
「リズ様、先に言っておきますが、それは最初の理由ですからね。今は違いますよ」
私がちょっとしょげたのに気付いたのか、やんわりと苦笑して私の髪を撫でます。撫でるついでに髪を梳いてくれて、さらさらと髪を解いていくジル。
……ジルの中でこれがご機嫌取りの手段になっているような気がします。確かにこれが一番好きですけど。
「仕えている内に、私自身の意思であなたの側に居たいと思うようになったのですよ。恩義抜きで、リズ様に仕えたいのです」
「……どうして?」
「どうして、と言われましても……敢えて言うなら、リズ様が魅力的だからですか?」
「母様に目の治療をお願いしましょうか?」
「じゃあ言い換えましょうか。リズ様は非常に危なっかしいからです」
きっぱりと断言されて、私はうっと言葉を詰まらせました。
何で魅力的を言い換えたら危なっかしいになるんですか。いや魅力的というお世辞よりは危なっかしいが正しいですし、事実そうですけども。
「リズ様は自覚が色々とないですから、色々と危なっかしいのです。私がお守りしたい、と思うのですよ」
「……そこまで危なっかしいですか」
「ええ。拐われたり死にかけたり変質者 に目をつけられて決闘したり、はたまた不仲であるシュタインベルト家の子息と揉め事を起こしてまたも怪我だらけになり」
「ごめんなさい!」
それを言われると物凄く痛いです。否定出来ません、確かに危なっかしい事しかしてません。で、でも誘拐は私のせいじゃないし決闘は成り行きだし、セシル君はそもそも家柄知らなかったし魔術暴走は私が招いた事だし。
うー、と小さく唸って肩を落としつつもジルを見上げると、ジルはくすくすと楽しそうに笑っていました。別に呆れたり怒っていたりする訳ではなさそうですが、その表情は表情で複雑です。
「まあ危なっかしいから、という理由も正確ではありませんよ。それにしては私が打算的ですから」
「ジルが?」
「ええ。リズ様が想像するよりも、私はずっと自分勝手な人間ですよ」
……それはジルが自己評価低い気がするのですけど。ジルは優しいですし、主人思いですし……私が主人で良いのか疑問ですけど。でも、ジルが従者辞めるって言ったらショック過ぎて泣きそうですね、というか確実に泣く。
「兎に角、私は自らの意思でリズ様のお側に居たいですし、守りたいと思っています。それではいけませんか?」
「……辞めないで、くれる?」
「何で辞める発想になったか分かりませんけど、私はずっとお側に居ますよ」
「……私が、結婚しても?」
そこで即答してくれないジルに眉を下げると、慌ててジルが頭をよしよしと撫でます。
子供扱いされているようで微妙に不服でしたが、今はそれで良いかなって。逆にジルに女性扱いされた方がビビりますし、……戸惑う。だから、今私は子供で良い、ジルに何の躊躇いもなく触れて甘えられる子供の方が。
「……例え結婚しても、私はあなたの側に居ますよ」
掌の好きにさせている私に、ジルはゆっくりと、言葉を紡ぐ。ほんの少しだけ、眉が下がっているような、気がしました。
瞬きした時には普段通りの笑顔だったので、気のせいかと思いましたが……何となく、ジルは悲しそうに笑っていたように思えます。
「あなたが望む限り、いつまでも」
ジルは押し黙った私に、するすると髪を梳いては宥めるように温和な笑みを浮かべるのでした。




