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全部ジルのせいだもん

「おねーちゃ、ねつあるの?」

「……はぃ?」


 ルビィに指摘されて、私は喉の奥からふわっと曖昧に声を上げました。

 此方をじっと見上げるルビィは、心配そうに私を見上げては手を伸ばして来ます。どうしたの、と屈み込むと、小さな掌がぺたぺたと頬を触る。じんわりと染みる冷たさに瞳を細めた私に、ルビィはおねーちゃ、とまた不安そうな声。

 ……ルビィは誤解してますけど、これは昨日のジルが取った態度に悩んで恥ずかしさに顔が赤くなってるだけです。


 思い返すと、また体が熱くなる。ジルが思わせ振りだからいけないのです。昨日のあれは、社交辞令のようなものなんですきっと。

 だって私はまだ子供だし、男の人が好むようなぼんきゅっぼんでもない、つるぺたボディです。私が男ならこんな可愛いげのない子供じゃなくて、もっと色気のある大人の女性を選びます。それこそエルザさんみたいな、魅惑的な女性を。ジルはロリコンではない。


 ……う、やだ、考えたくない。考えると頭が痛くなるし、くらくらする。違う、兎に角違う。ジルは、主従としての敬愛と親愛で、私に接しているの。そうです、そうでないと色々困ります。


「おねーちゃ、かおまっかだよー。ねつ、あるよー」

「ちょ、ちょっと顔洗って頭冷やして来ますから、平気ですよ」


 駄目だ、顔が熱くて思考がまとまりません。ちょっと頭を冷やしましょう、私が混乱するとルビィも心配するし、ジルに会ったら絶対取り乱す。今の所は避けられていますけど、昼前には鉢合わせする可能性が高いです。その前に冷静にならなくては。


 眉を下げて心配そうなルビィには頭を撫でて宥めてから、私は洗面所に向かいます。足取りが重いのはジルのせいです。頭が痛くなるくらいに悩むのも、ジルのせいだもん。

 はぁ、と溢した吐息は、私の心理状況を汲んでかとても熱っぽいものでした。




 ふらふらと壁に手を伝いながら歩く私を心配したのか、マリアを始めとするメイドさんや執事さんが声をかけて下さりました。流石に事情を話す訳にもいかず、丁重にお断りして一人で歩きます。

 ……そろそろ、熱も収まって良い筈なのに。どうしてこうも顔が熱いのでしょうか。


「……リズ様?」


 早く収まって、と頬に手を当てる私の背に、元凶の声がかけられます。多分、私は大袈裟に背中を震わせた事でしょう。

 落ち着け、私。昨日のジルに他意はなかった、社交辞令社交辞令。


「マリアから聞いたのですが、体調が優れないと……」


 声はどんどんと近付いて、気付いたら直ぐ側にまで来ています。私から振り返らないのは、ちょっとした意地でした。

 唇を噛み締めて、霞がかかったような頭を必死に叩き起こす。呑まれてはいけない、動揺を顔に出してもいけない。


「リズ様、……リズ様?」


 覗き込まれて、私が僅かに後退りするだけで足腰から力が抜けてしまいます。何で、こんな、情けないんですか、私は。


「……リズ様、失礼します」

「……え……?」


 ふらりと体が傾いた所を支えられて、抱き寄せられる。固まる私に、ジルはそっと掌を私の目の辺りに覆い被せました。

 暗くなる視界に戸惑い、疑問の声を上げた時には……掌に、微かな魔力の反応があって。


 急に明滅し出す意識に、私は魔術を使われたのだと遠退く意識で理解して、そのまま意識を睡魔に委ねました。






「風邪だそうですよ」


 目覚めた私に、ジルはあっさりとそう言い切りました。


「此処の所、前当主の事で疲れていらっしゃったのでしょう。朝から体調悪かったのでは?」


 まあ体調が悪かったと言えばそうですけど、でもそれはジルが変な事を言うから悩んだのであって。……悩んだから体調が悪くなった? それとも体調が悪かったから思考もぐちゃぐちゃで悩んだ?

 取り敢えずどっちでも良いですけど、ジルの事で悩んだのは事実です。


 当の本人は昨日の余韻もなく、私を心配そうに見遣っては額に手を置きます。魔術でちょっとひんやりとした掌が乗って、冷たさに瞳を閉じて喉を鳴らしました。

 ……やっぱり、昨日のは社交辞令か気のせいだったんですよ。ほら、ジルはいつも通りだし、普通に接している。


 私が慌てる事も、もやもやする事もなかった。


「兎に角、今日はゆっくり休んで下さい」

「……はぁーい」


 そう理解してしまえば後は戸惑う事なんかなくて、私は乗せられた掌の感触を感じながら間延びした返事を返します。そう、ジルは幼女趣味じゃない。ただの敬愛です。


「何か誤解を招いている気がするのですけど」


 ほっと胸を撫で下ろす私に、ジルは小さく呟いては首からチェーンで提げた指輪を軽く弄びます。御揃いの、魔道具。

 ……あれ。これって意志疎通の魔道具だったような。


「リズ様、今体調悪いですよね?」

「は、はい」

「制御緩んで思考が漏れてますよ」


 は、と息を呑んだ時には、ジルは私に顔を近付けます。額同士をくっ付けて、熱を計るように。私が横になっている状態なので、ジルの背後から見たら口付けをしているような体勢です。

 至近距離にまで迫ったジルは、普段とは違う艶やかな笑み。穏やかさはそのままに、思わず息をするのを忘れてしまう程凄艶に、唇に弧を描かせていました。


 くすり、と笑った時の吐息が肌をなぞる程には、近い。どちらかと言えば中性的に思えた美貌は、此処まで間近で見ると男性にしか見えません。


「……まだ、熱がありますね。ゆっくり休んで下さいね」


 私の呼吸すら支配するジルは色香を薄くし、ゆるりと穏和な笑みに切り替えては私の頬を指でなぞります。翠玉の瞳は今度こそ慈しむような温かな眼差しでした。


「お休みなさい、良い夢を」


 他人に聞かせる事はないであろう、甘く柔らかな声で囁いたジルは、額をそっと離しました。

 接近に否応がなくどきどきさせられていた私が息を吐いたのも束の間、ジルの唇は私の鼻先に触れて。ちゅ、と柔らかな感触が一瞬だけした、ジルの唇が、触れた。


「……っ、じ、じる、何して」

「頬が良かったですか? 早く寝てくれないと次は頬にしましょうか」

「今すぐ寝ます!」


 ばふっと体にかかっていたシーツを顔の辺りにまで引き上げてそっぽを向くと、ジルはくつくつと愉快そうに喉を鳴らして私の上から退きます。

 再びお休みなさい、と柔らかな声音で声を掛けられましたが、私は鼻を押さえる事に精一杯で無視してしまいました。ジルは相変わらずの押し殺した笑い声を微かに響かせて、部屋から出ていきます。


 ……あれですよ、ジルは、親愛的な意味でしたんです。ほら、私だってルビィや父様に頬へキスくらいするし。それの延長でしょう、今のは。そう思わないと、何だか私の頭がまたパンクしそうです。

 ……ジルは、そういう感情じゃない。だって十歳だもん、ジルは十八歳で、八歳差。ジルにとっては私はちんちくりんだもの。そんな甘ったるい感情じゃない、筈。


「……ジルのせいだ」


 また熱が上がって目が冴えてしまったのは、絶対にジルのせいだ。明日になっても熱が下がらなかったらジルのせいにしてやる。ジルが余計な事を考えさせなかったら、こんなむずむずもやもやどきどきしなかった、もん。思わせ振りなジルが悪い。


 ジルの、ばか。





「おはようございます、体調は大丈夫ですか?」


 翌日会ったジルは、拍子抜けするぐらいにあっさりと、いつも通りの笑みを向けてきました。そりゃあもう身構えていた私が馬鹿みたいに、普段通りの穏やかな笑顔。蠱惑的でも挑発的でもない、見慣れた笑顔です。


「……熱は下がったので大丈夫です」

「そうですか、それは良かった」


 誰のせいで熱が出たんですか、と口から飛び出そうになりましたが、すんでの所で堪えます。八つ当たりは良くない、それに何か墓穴を掘りそうです。

 なるべく私も冷静に対応するように努力はしていますけど、ちょっと近付かれると変にどきどきしてしまう。昨日一昨日の顔が、脳裏をちらつく。……何で、子供に向かってあんな顔したんですか。


「次からは色々気を付けて下さいね。体調の事も、私の事も」

「……え?」

「リズ様は、わざと鈍い考えをしようとしていらっしゃるので」


 チェーンに通った指輪を撫でるジルは、微かに艶かしい笑みを薄い唇にのぼらせては私の頬を撫でる。一歩後退った私を見て、おかしそうに笑って瞳を細めました。

 ……今は、制御出来てるから、心の声なんて漏れていない筈。昨日だって、あの後指輪を外したから分からない筈なのに。


「まあ今の所はそれでも構いませんけど」


 何の話なのか分かりませんけど、何故か妙な感覚が背筋を走って、ふるっと身震い。……何でしょうかこれ、敵に捕捉されたような緊張感というか。別に、ジルは敵じゃない、のに。


 穏やかに微笑むジルの姿に言い知れない何かを感じて、私は強張る体をジルから離す事しか出来ませんでした。




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