二人の馴れ初めと、
お祖父様が帰ったのは問題解決として良いのですけども、まだまだ問題はあります。以前挙げた殿下と、導師の事。
導師はひとまず放置だとしても、目の前の問題として今度は殿下が浮かび上がって来る訳ですよ。
何度も言いますが、殿下は嫌いではない。ただ、恋愛的な目では見れないだけで。
私にとって殿下は将来仕えるべき人間であり、友人であります。そこに異性としての感情はありません。どきりとする事はあっても、それが持続する訳でもないし。
私に好きな人が居れば、断れる。まあ居ないから困っているのですけど。
「リズは全くユーリス殿下に靡かないわよね」
嫌いという訳でもないでしょう? と首を傾げながら私の髪を櫛で梳く母様に、私は苦々しく笑んで視線で頷きました。
別に人間性で言えば、好ましくはあるんですよ。まあちょっぴり好意を露にされ過ぎて苦手意識もあるのですが。
どうやら私は押されるのは弱いのですが、押され過ぎると嫌なタイプみたいです。積極性がある人は嫌いではないですけど、恋愛方面だと困るんですよね。メリハリがある方が良いと言うか?
「私にとって殿下は大切な友人で、それ以上には思ってないので」
「あらあら、殿下が聞いたら泣いちゃうわよ?」
「……私には、好きという気持ちは難しいです」
なまじっか中身が成熟していた分、歳下で可愛らしかった殿下に恋をするのも無理があります。好意的には思えますが恋慕にはならない。
出会った当初が幼かったから、特にそう。結局は、最初の印象は覆らない。あれだけ大人びても、私には子供にしか思えなかった。だから受け入れられないのでしょう。
殿下も肉体的には一応歳上ですけど、私的な好みではもっと歳上が好きです。おじ様まではいきませんけどね、ダンディな方もそれはそれで良いですが。
「……母様は、何で父様を好きになったのですか?」
「私?」
自分の話が及ぶと想定していなかったらしく、意外そうに声を上げる母様。そうねえ、と紅唇に指を当てて思案顔をする母様は、まだまだ若々しさに満ち溢れていました。
一度、聞いてみたかったのです。母様は父様の何処に惹かれて、如何に好きになったのか。
父様も母様も互いに仲は良いまま、寧ろ私が生まれた時よりも繋がりが深くなっています。今でも仲睦まじく、下手したらまだ下が生まれそうなくらいにはいちゃついている両親。
その母様は、父様の何が良かったのでしょうか。
「そうね、長くなるかもしれないわよ?」
「それは全然良いのですけども、出来ればのろけは控え目の方向でお願いしたいです。普段でお腹一杯なので」
「もう、そういう事は思っても言わないの」
ちょっぴり咎めるように言われたものの、母様は楽しそうにしていて気を悪くした様子もありません。
「うーんとね、まず馴れ初めから始めようかしら? 私はあまり家柄も良くない、本当に下の貴族だったのよ」
「お祖父様がうるさかったですもんね」
「ふふ、そうね。そんな私が侯爵家のヴェルフと関わりを持つなんて変でしょう?」
貴族社会では、基本的に同じぐらいのランクか上下一つのランクくらいの家柄としか付き合いません。下のものが擦り寄る事はあれど、上の爵位の人間が主従を除いて関わる事はあまりありません。こう言うのもあれですけど、上の爵位の人間って結構下を見下すので。中にはそうでもない人もそれなりには居るのですけどね。
まあそういう思考は建国当初からあり由緒ある侯爵家ならば尚更です、おまけにその時の当主はお祖父様だったでしょうし。さぞかし鼻につく家だったでしょう。
「私はね、リズより少し上くらいの歳から魔導院で働き出したの。家族と違って魔力が有り余っていたから。まあ追い出される形だったのだけど」
「……追い出される?」
「リズなら分かるとは思うけど、ちょっと突出してると疎ましく思われやすいのよ」
少し悲しそうに笑う母様に、私は唇を噛み締めます。
私も経験しているから、何となく母様の置かれていた状況を理解しました。優れていれば称賛される反面嫉妬も生まれる。母様はそれを家族に向けられたのでしょう。
「まあ貧乏な貴族だったし、私は末っ子だったからどちらにせよ邪魔だったのよ。追い出されたお陰でヴェルフに会えたから良いけど」
「魔導院で、父様に出会ったのですね」
「そう。魔導院でも微妙に家柄的に疎外感はあったのよ。でも、ヴェルフは私と対等に接してくれたの。能力で入ったのだから貴賤はないって」
「父様らしいですね」
「ふふ、最初はあの人冷たかったのよ? というかやさぐれてたわ、家の問題で」
母様と会った時点で父様はお祖父様と確執があったのですね。まあ反面教師で育ったのかタイプが全然違いましたし、反抗期真っ只中でもあったのでしょう。
今では想像はつきませんけど、父様はクールで素っ気なかったそうです。何かセシル君そっくりですね。
もしかしたら、だからこそ父様はセシル君を気にかけていたのかもしれません。かつての自分と姿を重ねて。
「それでね、ヴェルフはある日義父様と大喧嘩をしたの。それでヴェルフが大怪我しちゃって。ふふ、義父様も大人気ないわよね、子供にムキになって」
「笑い事じゃないですよ母様」
「そうなんだけどね。で、喧嘩した理由が私の事だったの。何だかんだで一緒に居て仕事してたし、それなりに打ち解けて来た矢先に、義父様がこんな下賤な人間と付き合うんじゃない、って」
「お祖父様なら言いかねませんよね」
「それでヴェルフが人の付き合いに口出しするなって怒っちゃって。で、成人するかしないかの歳だったし、義父様も最盛期だったから喧嘩で大怪我。その場に居たから義父様を力ずくで止めて、泣きながら血塗れのヴェルフを治療したの」
今力ずくで止めたとか言いましたけど、父様が負けた相手を力ずくで?
……あれですよね、消耗したお祖父様を制圧したんですよね。まさか真っ向から押し込めたとか言いませんよね。母様最強説が持ち上がりそうで恐いです。
……お祖父様が母様嫌いなの、そこにも原因があるのでは。
「流石に背中ぱっくり風で切り裂かれてたから、治すのも一晩中治癒術使って、どうにか治したわ。まあ私もまだ未熟だったし、傷が深過ぎてまだあの人の背中にうっすら残ってるのよ、傷痕」
「……気付きませんでした」
「まあ背中だし薄いから。……ヴェルフ、私を庇ってあんな傷を負ってしまって。庇わなければ、あんな傷負わなかったのに。私も一晩中泣いて謝り続けたの。私のせいで、って。そうしたら、ヴェルフは言ったの。『惚れた女を悪く言われて怒らない訳がないし、惚れた女を守るのは当たり前の事だ』って」
「……父様が」
「ふふ、格好つけてるかもしれないけど、私はそんなヴェルフに惚れたのよ」
うっとりと、夢見る乙女のように頬を染めて、懐かしむ母様。その顔は二児の母とは思えない程若々しく、美しく、そして幸せに満ち足りた表情でした。
母様は、今とても幸せそうです。私やルビィを産んで、父様とも仲良いままで。穏やかで、幸せに満ちた世界。その中で母様はとろけるような笑顔を浮かべていました。
……良いなあ、と素直に思います。
母様はきっと、運命の相手とやらに出会ったのでしょう。運命なんてあまり信じませんけど、きっと父様と母様は、結ばれるべくして結ばれたのだと思います。それだけ、二人は幸福そうに過ごしています。
「……私にも、そんな人が現れるのでしょうか」
私を守ってくれて、私もその人を守れて。私の為に怒ってくれるような、そんな人が。
「現れるわよきっと。ううん、もう現れているのかもね。……ねえ、ヴェルフにジル」
そっと私の頬を撫でた母様は、悪戯っぽい笑みで視線を私の背後に向けます。流石に予感はしたので振り返ると、やっぱりというか父様とジルが居ました。
いつから、とは聞きません。だって父様がかなり照れたような顔してますし、ジルもほんのり顔が赤い。私は気付かなかったのですが、最初らへんから話を聞いていたのでしょうね、この照れ具合は。
「セレン、リズにあまり情けない所を言わないでくれ」
「あら、私を庇って怪我した事は情けなくないわよ。それとも、庇った事後悔してる?」
「まさか」
しっとりと微笑み、母様は私から手を離す。私はそのまま、母様から離れて入れ替わりのように父様と擦れ違いました。邪魔したら悪いと思ったのです。
のろけに近い馴れ初めを聞いたジルは微妙に照れている。そんなジルを連れて、私は部屋を後にしました。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてしまいますから、ね。
「リズ様は、ヴェルフ様のような人が好みですか?」
隣を歩くジルは、暫しの沈黙の後にそう切り出しました。
「まあ父様は好きですけど、好みとなると……うーん」
「では、どのような男性が好みですか」
「言う必要あるんですか?」
「大いにあります」
「き、今日のジルはやけに押しますね……好み、ですか」
そんな事聞いても仕方ないでしょうに。ジルはジルで、窺うような眼差しの癖に妙に真剣と言うか、……何か迫るような眼差し。そこまで気になるものなのですか。
一瞬有り得ない想像はしましたけど、まさかねえ、と切り捨てます。……私は子供だし、まだ十歳ですもん。ジルも幼女趣味じゃないって言ってたし。
「……まあ私に優しいとか誠実というのは大前提で、……やっぱり、頼りになる人、かな」
「頼りに……ですか?」
「あ、でも一方的に頼るんじゃなくて、私も頼りにして欲しいというか。支え合って、寄り添っていける人が良いです。それから、駄目な所は駄目だとはっきり言ってくれる人が」
私はつい、許した人には甘えがちです。逆に、心を許された人には甘えられます。だから、ちぐはぐな私を受け止めてくれる人が良いです。甘えたいし、甘えられたい。頼りたいし、頼りにされたい。互いが相手を理解して、支えていけるような人が良い。
「あと、父様に勝てる人が良いですね……。父様は結婚になると大反対しそうなので」
「……それは……想像がつくというか」
「いざとなれば私が決闘なり国外逃亡なりしますけどね。……だから、家柄に惹かれた人は、嫌です。富も名声もない状態でも愛してくれる人が良い」
これは我が儘ですか? とジルを見上げると、ジルは首を振って、立ち止まる。釣られて私も立ち止まってジルの隣に立つと、ジルは私の頬に手を添えて、柔らかく微笑みました。
慈愛というには、あまりにも熱のこもった眼差しで。
「もしそんな人が見付からなければ、私が連れ去ってあげますよ」
しっとりと濡れた翠玉の瞳は、私だけを映している。ただただ、真っ直ぐに、曇りなく私を見詰めていました。
背筋が、震えてしまいます。嫌悪という訳ではなく、言い知れない感覚によって。クリアな眼差しに見抜かれて、息をするのさえ忘れてしまいそうでした。
明らかに、これは子供に向ける視線でも顔でもない。それは違うと脳内が警鐘を鳴らしていて、それが逆に予想を真実だと認める事になる気がして。
……違う、そんなんじゃない。これは、敬愛が行き過ぎただけ、な筈。
「……なら、どちらにせよ将来は安泰ですね」
やけに心臓の鼓動が早くて、痛い。頬に触れたジルにも伝わるのではないかというくらいに、大袈裟に脈打つ心臓。
動揺している事を見抜かれたくなくて、私は平静を装ってそう返しました。頬の熱が、ジルに伝わらなければ良いのに。
「ですから、行き遅れても平気ですよ、リズ様」
「……行き遅れないように努力します」
それだけ返して、私はそっぽを向いてジルを置いて歩き出します。
本当に薄くしか膨らみのない胸に手を当てると、自分でも有り得ないと思うくらいにどきどきしている。……違う、これは、ジルが思わせ振りだからです。びっくりしただけです。
ジルは、幼女趣味じゃない。私の事を好きでもそれは敬愛か、親愛。況してや異性の情なんて、ない。だって昔から一緒に居て、殆ど態度が変わってないもの。
違うと言い聞かせれば言い聞かせる程現実味を帯びて来るから、私はぶんぶんと頭を振って余計な思考を追い出しては頬を押さえました。
熱は、まだ引かない。




