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父の父

 目下の所、私の頭を悩ませている事案が幾つかあります。


 一つは、殿下の事。

 これは今の所どうしようもありませんし、断るには私の感情が傾き過ぎている。あんなに好意を示されては、多少なりとほだされてしまうのも仕方ないです。

 異性的ではありませんが、好きには好きなんですよ。苦手でもありますが。


 一つは、ゲオルグ導師の事。

 こちらも今の所打つ手がありません。向こうは恐らく私を疎んではいるのでしょうが、表立って私に何かしてくる訳でもありません。これも放置。




 そして、もう一つ。

 此方が今の大問題に発展しているのです。


「初めまして」


 初老の男性が厳めしい顔付きで見下ろしては、頬をひくひくとさせています。私はそんな男性に、殊更丁寧にお辞儀を一つ。

 私の隣では父様が笑顔になっていない表情で、こちらも頬を引き攣らせていました。今にも舌打ちしかねない、強張って気持ちのこもらない笑顔な父様は、本当に目の前の男性に敵意しかありません。


 ……自分の父親をよくそこまで嫌う事が出来るなあ、と心の中で嘆息。


 因みに私の目の前に居る方は、父様の父親、つまり祖父にあたる方です。よく見れば紅い瞳や顔立ちがほんのり父様に似ていますね。厳つさは大違いですが。

 父様はいつもは柔和、というか気のよいお兄さんみたいな笑顔をしているのですが、今だけは敵意剥き出しの構えです。突然のお祖父様の登場に警戒心Maxでいらっしゃいます。


「何の用だ親父、領地に引っ込んでる約束だったよな?」


 普段私が聞く事はないであろう、心の芯まで凍り付きそうな、冷ややかな声。向けているのはお祖父様だと分かっていても、隣に居る私まで寒気がしてきました。


 以前聞いた事があるのですが、父様とお祖父様はとても仲が悪いそうです。仲が悪いとかそりが合わないレベルじゃないらしいですけどね、歩み寄りの余地がないくらいだそうな。

 お祖父様はよくある貴族至上主義の男尊女卑、父様は能力重視でフェミニスト。どうやったらこのお祖父様から生まれたのかさっぱりですよ。


「決闘の効力はどちらも死ぬまで有効な筈だ。よくもまあのうのうと俺の目の前に現れたな」


 吐き捨てるような言葉に、ちょっと父様が怖くて掌を握ると、父様は表情を和らげて私の頭を撫でてくれます。

 そう、それで、まだお祖父様が存命で元気にも関わらず父様が当主をやっている理由が、決闘だそうです。


 父様はあまりほぼ平民と変わらないような、位の高くない母様と結婚する際にお祖父様と決闘して、そこに条件として結婚と当主の座を明け渡す事を盛り込んでいたらしく。

 決闘に勝った父様は当主になり、お祖父様を領地の屋敷に隠居させたそうです。お祖母様は私が生まれる前に亡くなったそうなので、よく分かりませんけど。


「孫に会いに来て悪いか?」

「何で親父に会わせないといけねえんだよ。息子はぞんざいに扱った癖に?」

「それはお前が父親に刃向かっては私をコケにしてきたからだろう。孫は今なら間に合う、素直に育てればな」

「あんたのは従順に躾ける、だろ。意思を無視して押し付けがましく下らない教育、いや洗脳をしようとする。そんな奴に会わせる義理はないな」


 既に目の前に居るんですけどねえ、お祖父様。まあ私の事は眼中にないそうなので結構ですけど。

 私はとっくの昔に自我も価値観も確立してますから、今更お祖父様に何かを教えられた所でそれは揺るぎません。ですが、幼いルビィは、お祖父様の影響を受けてしまう可能性がある。

 ルビィは貴族至上主義とか男尊女卑とか、そんな下らない慣習や思考に囚われて欲しくはないのです。ですから、会わせないのが得策でしょう。


 孫に会いに来た、という点では会えない事は同情しますけど、他の目的があるならそれは阻止します。私の世界を壊させたりはしない。


「……リズはルビィの所に行って来なさい」

「はい、父様」


 頷いてルビィを守らねば、と意気込む 私に、お祖父様は紅の瞳を瞬かせ、不躾に此方を見て来ます。じろり、不愉快さを伴う視線が私の顔や体を見ては鼻で嘲笑いました。


「あの下賤な女にそっくりだな。見ていて不愉快だ」

「……親父、それ以上セレンやリズを侮辱するなら、実力行使で追い出すぞ」

「父様、穏便にお願いしますね。それと、……母を貶す前に、御自分の言動を振り返っては如何ですか? 私からすればあなたの方が余程不愉快ですけど」

「なっ、」

「じゃあ父様、私はルビィと遊んで来ます」


 言い逃げに限る、と私は眉を吊り上げて今にも怒鳴りそうなお祖父様と、逆に愉快そうに口の端を吊り上げる父様に背を向けて走り出しました。

 黙っていようと思ったのですけど、つい口に出ちゃいましたね。いけないいけない。でも、母様の事馬鹿にされたら言わずにはいられませんでした。私だけなら我慢しますけど、母様を侮辱するなど許しません。


 母様とルビィに外に出ないように言わなくちゃなあ、と思いながら、私は後ろから怒声が聞こえて来る廊下を駆けました。






「まあ……義父様が」


 母様の部屋で読み聞かせをしていた母様に事の次第を伝えると、母様は眉を下げて困惑したように吐息を溢します。母様はお祖父様の事を嫌いという訳ではなさそうですが、突然の来訪に戸惑っている模様。

 正直、私の前でもああいった態度を崩さないお祖父様の事を、母様は罵倒されているでしょうによくぞ嫌いにならないでいられますね。私だったら嫌いになりますね、身内になる人間にそこまで言われたくないですし。


「母様はお祖父様の事をどう思っていますか?」

「私は……そうね、頭の固い人だとは思うわ」

「ああ、凝り固まった思考で、父様も老害だと言わんばかりの目をしてましたし」

「まああの人は勘当された……というか当主になっちゃったから立場が逆なのかしら? 縁を切ったに近い状態だからね」


 私の為にしてくれて嬉しいけどね、ところころ笑う母様は案外強かな人です。だからこそ父様も惹かれたのでしょう。


「まあ領地に居る分には何ら害がないから良かったのだけどね」

「お祖父様此方に来てしまいましたよ」

「そうね、困ったものだわ」


 うーん、と柳眉を下げて唇に人差し指を当てる姿は、子持ちとは思えない程、自分の親だと思えない程可愛らしいです。

 個人的な意見ですけど、こんな美人な人を義娘として迎えられるって幸せだと思うのですがねえ。だって美人だし魔術出来るし家事もメイドさん居なくても出来るし優しいし倹約家だし。

 多分これ以上の物件を探す方が難しいでしょうに。私にはお祖父様の思考は理解出来ませんね。


「おじいさま?」

「父様の父様ですよ」


 初めて聞く人だからか、話を聞いていたルビィは不思議そうな表情で小首を傾げています。この愛くるしさといったら……さっき背後から抱き抱えて居るのですが、振り返ってきょとんとしている所が可愛いのなんの。


「どんなひと?」

「ええっと……うん、まあ……凄く、意思を曲げない人に見えましたね」

「……おねーちゃ、かお、いたそう」


 眉と眉の間が普段より狭まっているのに気付いたらしいルビィは、不安そうに私を見上げて来ます。


 ルビィは体が弱かったし外にも出ず人ともあまり接して来なかったからか、同年代の子達より幼い言動をしています。

 口調こそたどたどしいですが、決して頭が悪い訳ではありません。 人の感情の機微を鋭く見抜きます。此所は本能的な何かなのでしょうね、大概当たっていますから。


「おねーちゃ、そのひときらい?」

「……私には理解出来ない人種だな、と」

「じゃあぼくもきらい!」


 出会う前から嫌われたお祖父様に合掌。





 私とルビィ、母様がのほほんと会話をしている間に、父様達は玄関先では何やらどんぱちやらかしていたようです。私が部屋に来て一時間くらいした所で、ジルがぐったりした様子で部屋の扉を開けました。


「何なのですか、あの方……」

「お疲れ様です。父様はどうしてらっしゃいますか?」

「まだ玄関で言い争いしてます」

「でしょうね」


 素直に帰ってくれるとは思ってなかったですし。私としては、というか家族一同の総意で問題になる前にお引き取り願いたいのですが。

 言い争いと多分若干の実力行使があったであろう父様達、そこに仲裁というか抑止力的に入ったらしいジルはくたびれたような表情です。あの二人に割り込みなど出来ないでしょうに……よくもまあ使命を果たそうとしましたね。

 疲れているジルは後で労いましょう、……どうやったら労えるでしょうか。膝枕とか? まだ太腿はふくよかさがないのですけどね。


 それはさておき、まだ解決しないのでしょうか。もう既にルビィはお祖父様に敵対モードに入ってるのですが。私が指示した訳でもないのに、ルビィは嫌な相手だと決めちゃったみたいです。

 矛盾しますけど、自分の目で見て自分の意思で決めて欲しくはあります。会わせたくないのが本音ですが。困りましたねえ。


「私が仲裁しても良いのだけど、義父様が何か言ってヴェルフをキレさせる可能性の方が高いのよね」

「そうですね。私にも下賤とか言うくらいですから。……あ、ジル、ストップ。怒らなくて良いですから」


 ジルの冷めた眼差しに明らかな怒りを宿し始めたので、慌てて制止をかけておきます。いや別にそこまで怒らなくても良いですから、あれは母様に向かっての悪口みたいなものですし。だからこそ私も苛ついただけです。

 私自身が罵られたのであれば、余程でない限り切って捨てられます。対して知りもしない癖にと笑えますから。


 怒るとジルも怖いので、宥めてついでに抱き付いておきます。ジル成分補給と共に落ち着かせる為ですよ。ジル、結構私の事になると見境ない気がするので。


「別に気にしてませんから、ね?」

「ほらジル、リズも平気って言ってるから落ち着きなさい」

「……はい」

「じる、ずるいー。ぼくもおねーちゃにくっつく」


 更にルビィが背中にくっついて来たので、私はジルとルビィにサンドされてます。ジルは私を抱き締め返してくれてないのでちょっと違うかもですが。

 私の事を大切にしてくれる二人にぴったりくっついて幸せです。これでお祖父様という不穏分子が居なくなってくれればもっと幸せなのですが。


「仲が良いわねえ、ふふ。私にはしてくれないのかしら」

「しても良いんですか?」

「勿論」


 いらっしゃい? と腕を広げる母様に、私はジルからそっと離れておずおずと抱き付きます。柔らかくて、温かい。とても良い香りがして、うっとり。

 あまり迷惑をかけないようにと甘えるのは控えていましたけど、やっぱり母親というものは落ち着きます。もう精神年齢やばいですし肉体年齢も十歳になるのに、この甘えた時の至福は堪らないのです。本当に、子供になってしまいましたね。


「リズは昔から甘えなかったから、その分甘えてくれても良いのよ」

「……ジルがたっぷり甘やかしてくれましたから」

「あらあら」


 しっとりと微笑む母様は、意味ありげな視線をジルに送っています。ちょっと気不味そうというか、困ったような笑みを返すジル。

 胸部のふくよかさを堪能してから顔を離し、微妙に母様にたじろぐジルに首を傾げました。……別に、私が甘えたから甘やかしてくれただけだと思うのですけど。


「……セレン」

「あなた」


 どうしたのでしょうか、と内心首を捻る私は、母様より一瞬遅れて父様が部屋に現れた事に気付きます。疲れきった表情を見て、私は一緒に抱き付いていたルビィと共に離れておきました。

 私の想像は当たったらしく、父様は乱れた髪を掻き上げて、母様を抱き締めます。


「……親父が五日間滞在する。我慢してくれ」

「あらあら、妥協したのね? 偉い偉い」

「……本当は家に上げたくなかったんだがな」


 不足した母様成分を補給するべく抱き締めては頬に口づける父様。……こういう所は私も似ているんでしょうね、疲れたら抱き付く所は。と、ルビィを死角に隠してから眺めます。

 母様もぐったりしている父様に、髪を撫でては宥めるような笑顔。愛おしそうに触れては、母様も唇を頬にくっつけていました。


「……セレン、俺はセレンを妻に迎えた事を後悔していないからな」

「ふふ、知ってる。私の事大好きですものね」


 艶を帯びた紅の瞳は、母様だけを見つめています。お互い滴りそうな程色っぽく濡れた瞳が見詰め合う。紅の差した頬は色香にすら見えて、潤った唇が緩やかに開かれます。


 あ、これルビィが見たら駄目なパターンだ、と判断した私はルビィの視界を塞いでおきました。ルビィがよく分かっていない表情で「おねーちゃ、どうしたの?」と声を上げたので、しーっと歯の隙間から息を溢すように小さく声をかけます。

 邪魔したら、悪いですよね。いやあ本当に若々しく仲睦まじい夫婦ですよ、はい。


 流石に私も見てはいけない気がしたので、ルビィを連れてそっと部屋を後にします。ジルもちょっと困ったようで、最後の辺り視線が足元にいってました。一緒に部屋を出たのですが、ほんのり赤らんだ頬は隠せていません。

 ……よく考えればジルってもう十八歳なのに、免疫なさそうですよね。多分私がずっと側に居るから恋人とか作る余裕もないのでしょうが。


「……二人は、本当に仲が宜しいですね」

「まあおしどり夫婦って外でも評判ですし。私も将来はあんな風にいつまでも仲睦まじい夫婦になれたら良いのですが」


 まあその前に相手が見付かりそうにないですけどね、と苦笑いをしたら、ルビィは笑顔で「ぼくがおねーちゃとけっこんするー」と言ってくれました。

 まだ子供なので深くは突っ込みませんけど、取り敢えず可愛かったのでありがとうと言って頬にキスしておきました。


 ジルが何故か微妙な顔をしたままなのですけど、まあ問題はなさそうなので放っておきます。本当に私の弟は可愛いですね、もう。






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