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番外編 ジルの受難 後編

「ほ、本当にリズなのか?」

「はい」


 無言のまま家に帰って、そのままジルを追い抜かして父様の書斎に。丁度母様も父様と一緒に居ていちゃいちゃしていらしたので、邪魔しては悪いと思いつつも報告します。

 父様達は私が書斎に乱入して来たのにびっくりしていましたが、後から入って来たジルと説明はしたので納得してくれました。エルザさんの仕業です、の一言がかなり効いたのでしょう。


「あらまあ……随分と大人になって。ジルもエスコートお疲れ様」

「……いえ」


 ジルは隣で力なく首を振っていますが、私はそれには反応はしないでただ父様達を眺めています。……エスコート、とは言わないですもん、あれは。私から拒んだのが、そもそもジルが触るのも見るのも嫌がったからですし。

 無表情で母様の笑みを見ていると、何かを感じ取ったらしい母様が私の頬に手を滑らせます。


「……ジル、何かした?」

「ジル、まさかお前……!」

「別に何もしてませんよ、ジルは」


 父様が目の色を変えて眉を吊り上げていたので、私はそれには否定しておきました。別に父様が心配するような危害が加えられた訳ではありません、父様が怒る必要はないです。

 ジルは私の言葉に目を見開いていますが、私はそれを横目で一瞥するだけに留めておきました。流石にもう頬を膨らませる程の衝動はないですけど、ちょっと素っ気なくするくらいは許される筈です。

 見るからに機嫌が急降下している私に、ジルの頬が引き攣ってますけど知りません。


「取り敢えず部屋で大人しくしています。数日あれば効果も抜けるようなので」






「……リズ、こちらにいらっしゃい」


 話を終えて退室した私を追うように、母様は書斎から出て来て私の手首を掴みます。有無を言わさずに私の部屋に連れ込まれて、ベッドに座らされました。

 表情を変えない私に、母様は顔を覗き込むとうっすらと困ったような笑顔を一つ。


「……ジルと、何があったの?」

「何もないです」

「じゃあジルに素っ気なくしないでしょう? いつもあんなに仲良くしてるのに」


 確信を持った瞳。私は見抜かれているのだとは分かっていても、答えたくありません。

 ……私が、拗ねているだけですもん。

 分かっているんです、ジルは別に悪くないって。私が勝手に不貞腐れてるだけなんだって。ジルだって変わった私に戸惑っているだけです。

 我が儘なのは、私。


「ジルがその格好悪く言った?」

「そんな事は、ない、です。……寧ろ、何も言われない方ですし」


 ヤケ気味に似合っていますとか言われても、そんなの本心じゃないかもしれない。そもそもロクに顔も見ようとしないのですから、そんなの分からないでしょうし。

 別に、お世辞を言われたい訳でもないですけど……ちょっとくらい、心からの言葉が欲しかった。ちゃんと目を見て、思った事を口にして欲しかった。可愛くないなら、それでも良いから。

 ……それはそれで複雑ですけども。


 俯く私に、母様はおもむろに両掌を私の頬に沿わせ、額同士をこつんと合わせます。


「大丈夫よ、リズは可愛いわ。私の子だもの」


 自らの発言に疑いはない母様。

 捉え方によっては物凄くナルシストに聞こえますが……否定する要素は、ありません。

 乳白色の肌に濡れたように輝く琥珀色の瞳、薄い紅色の艶やかな唇。整った顔立ちは、やや童顔気味ながらも素直に美しいと思わせる美貌です。しっとりと微笑むその表情は、自分の親でなければ見とれてしまいそうでした。


 母様の言い分としては、そんな母様の血を継いでいるのだから可愛くない訳がないそうな。まあ、比較的整っているとは思いますけども。……ジルが可愛いと思うかは、別でしょう。


「ジルだって、そう思っているわよ」

「……分からないでしょう、そんなの」

「じゃあ本人に聞いてみる? ねえ、ジル。盗み聞きしているでしょう?」


 開いたままの扉に視線をやる母様、それに釣られて母様と視線を重ねたら……ジルが、困ったような顔で扉から入って来る所でした。


 ……聞いて、いた。

 何で、このタイミングで。いえ、このタイミングだからこそでしょう。御機嫌取りをするなら、母様が事情を聞き出してから、そこから話を合わせれば良いですし。


「ねえジル、私はあの人よりもジルの味方だけども、リズに悲しい顔させないで頂戴。分かるわね?」

「はい」

「なら良いけど。……ちゃんとするのよ?」


 母様は私の頭を撫でて、でも眼差しはジルに。淑やかな笑みは、少し形を変えて悪戯っぽい笑みに変わっていました。二児の母とは思えない可愛らしさで、母様の血を色濃く継げたら良かったのに、と密かに溜め息。

 そんな私に母様は大丈夫よ、と小さく囁いて、私から離れます。代わりにジルが入れ替わりで此方に近付いて来ました。


 何処か強張った表情のジルに母様は軽く肩を叩いて、そのまま部屋から出て行ってしまいます。私は取り残されて、ジルと二人きり。母様は最初からこうするつもりだったのでしょう。


「リズ様」


 押し黙る私に、ジルは歩み寄って目の前に立つ。ジルは顔を合わせるのが嫌だからと、私は元のように俯きます。ううん、私が気不味いから、俯くのです。

 呼び掛けには返事を返さずに、サマードレスの布地をきゅっと握っては視線を落としました。ジルは、私の前で止まっています。


「リズ様、顔を上げて下さい。ちゃんと、お顔を見せて欲しいのです」


 帰りがけとは逆の言動に、自然と肩が震えます。あれだけ目を合わせて欲しいと願っていたのに、今更怖じ気付くなんて。もしジルに悪く言われたら、ちょっとショックで立ち直れないかもしれません。それが心からの言葉で、感想だったら……。


 いつまで経っても顔を上げない私に、ジルはそっと吐息を一つ。呆れられた、でしょうか。


「……何故私がリズ様を見なかったり、触るのを躊躇ったか分かりますか?」


 ……そりゃあ、ジルだって急激な変化に戸惑っているから、でしょうけど。


「私だって男です。主従関係にあれど、リズ様は体だけは年頃の女性のものです。くっつかれると不都合があるのは分かりますね?」

「……困る?」

「だけで済んだら良いですけどね。あと、多分困るのはリズ様ですよ。私が色欲に捕らわれた場合、対象になるのはリズ様ですから」


 色欲。……色欲?

 つまり、ジルは……そういう事をしたい、という事になるのですか。確かにジルだってお年頃ですし、男性としても充分に成長していますけど。

 ……私に?


 恐る恐る顔を上げると、うっすら苦笑いしているジルと、視線が合います。ちゃんと、ジルは真っ直ぐに此方を見ていました。


「リズ様はもう少し私の事を警戒して下さい。あなたの従者である前に、私は男です。あなたに酷い事をするかもしれません」

「ジルは、そんな事しません」

「何処から断言出来る自信が来るのですか」

「……だって、ジルは結局優しくて、私の嫌がる事はしないですし」


 ジルの事だから、襲うとかは有り得ないんですよね。基本無理強いはしないですし、意思を尊重してくれる。それに百歩くらい譲って、襲って来たとして……魔術で抵抗出来るし、その後の父様のお仕置き(制裁)があるから、そんな事しないと分かっているのですよね。

 人間、安全圏に居ると、つい緩んでしまうので……ジルがそういう事をするとも、思わないです。


 じいっとジルを見詰めると、何故か溜め息をつかれました。


「……近くに居過ぎた私も悪いですね。分かりました。リズ様が望まない限り何もしないので、存分に無防備になって下さい」


 とても呆れられたような気がしましたが、どうしようもなかったのでそのままジルを見続けます。

 ……だって、ジルにとって中身が子供なのに、そういう事したいとか、あまり思わないでしょうに。ジルは肉体だけとか、そういうの嫌いそうですし。


「……一つ、聞いても良いですか?」

「何をですか?」

「ジルが目を合わせてくれないのは?」


 くっつくのを躊躇うのは、分かりました。でも、わざわざ視線を逸らす必要はなかったでしょうし。


「……その、リズ様の変化……というか変貌を遂げた姿に驚いて」

「そんなに変わりましたか?」

「はい。リズ様、今ならやっと言えますけど……とても、可愛らしくなりましたよ」


 普通にお世辞のように聞こえたのですが、じいっとジルを見ると微かに赤らんだ頬。嘘はついては、いなさそうです。そもそもジルが為にならない嘘をつくとも思いませんが。


「……ほんとに?」

「はい」


 確かめるように問うと、はにかみながらもしっかりと頷いてくれました。


 それなら、良かった。一番褒めて欲しい人にそう言われたのですから、とても、嬉しい。自然と頬が緩んで、へにゃりと眉が下がってしまいます。自分でもだらしない顔だなあとか自覚していますよ。


 とろとろと少し溶け出した緩い笑顔な私に、ジルは微かに目を瞠り、それから隣に座りました。ふやけた笑顔の私にジルはそっと頬を撫で、唇の端を弓なりに上へ曲げます。


 ジルの固い指が擽るように頬をなぞるので、むずむずして喉を鳴らすと、ジルは少しだけ躊躇いながらも此方に手を広げました。

 その意味する事は一つで、私は吸い込まれるように、胸へと正面から体を預けます。ぽふ、と固い胸に顔を埋めて、背中に手を回してぴったりとくっつきました。


「……今回は私からですし良いですけど、大人になってもこういう事しようとしないで下さいね」

「約束はしかねます。ジルが一番落ち着くんですもん」

「襲われても知りませんよ」


 仕方ない、と言わんばかりの呆れた声音。でも、それは甘さを含んだ柔らかな物だと、私には分かりました。

 鼻腔には、嗅ぎ慣れたジルの良い匂い。ジルは父様と違って、ジル本人の匂いが強いです。落ち着く匂い。石鹸と爽やかなハーブの香りも混じっていました。


 今は私だけが引っ付いている状況でしたが、ジルは暫し迷ったらしく時間をたっぷり三十秒かけて、片手を私の背中に回します。もう片手は、私の髪に指を通していました。

 する、と腰まであるアイボリーの髪を丁寧に手櫛で梳かれて、堪らずに平らな胸に頬を擦り寄せます。

 こうやって髪に指を通されるのは、特別な事。許した人にだけ。家族やジルにだけ、許すのです。


 ジルの温もりと抱き締められた固い感触、私の好きな香りに髪を梳かれる心地好さ。それらが合わさるととても気持ちよくて、ふわふわして。頬の筋肉が溶けたように機能しなくて、とろりと緩みきった表情。このままジルに全部預けてしまいたくなります。


「……ん……」


 ぺったりと凭れて喉を鳴らすと、つむじに苦笑が落ちてきます。猫みたいですね、そんな囁きが耳朶を擽りました。

 ゆっくりと顔を上げてこてん、と首を傾げると、ジルは穏やかな眼差しで私を見詰めます。小さい頃とは違って、その瞳は近い。翠の瞳は、しっとりと湿っていて、勘違いでなければ愛しげに私を映していました。


 繊細ながらもしっかりした指が、緩慢な動きで頬を撫で、次に唇をなぞり。表面を滑る指先にむず痒さとは別の感覚がして、鼻にかかったような甘い声が漏れてしまいます。

 少し息を飲んだジルが慌てたように唇から指を離すので、何処か物寂しさを感じてぎゅむっと胸に顔をくっつけました。ジルの胸の奥、肋骨に囲まれた心臓が普通よりも速い間隔で鼓動を刻んでいるのが、分かります。


「……ジル……?」

「本当に、リズ様は無防備ですね」


 ぽんぽんと背中を一定のリズムで叩かれて、温もりに包まれた私は瞳を閉じました。

 陶然とした感覚にも似た心地好さに、ついうとうととしてしまいます。睡魔が、思考を蕩けさせていきました。漠然とした幸福感、ふわふわ浮かぶような心地好さが、堪らなく気持ち良い。


 とろんと力の入らない瞼と同じように、背中に回した手も力が抜けてずり落ちます。完全に体だけが凭れ掛かった状態で、でもジルが支えているから倒れない、そんな状況。

 あやすように背中を優しく叩かれると、全部委ねてしまいたくなる。というか今の時点でジルに身を任せています。


「……じる」


 眠気と妙な倦怠感で舌足らずに名を呼ぶと、少しの震えと共に丸みのある柔らかな声が、僅かに鼓膜を震わせました。

 何を言われたのか、眠くて分かりませんでしたけど……とても温かい言葉だったのは、辛うじて分かります。


 ただ、とても眠くて……私は温もりに誘われるように、意識を白い海に沈ませました。




 目が覚めてジルが居なかったから寂しくて、しょげてちょっと眉が下がった事は秘密にしておきます。所で父様が笑顔で怒っていたのはどうしてでしょうか。ジルが見当たらないし。……まさか、ね。





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