特訓と本音
ジルにこってり絞られた私は、翌日セシル君ともう一度訓練室に向かいました。因みにもう一日ベッドは貸してくれました、ちょっと態度が柔らかくなった気がします。
「セシル君、今日も実験は後回しにしましょう」
「は?」
薄々感付いていたでしょうに、それでもセシル君は訝るような視線。だって私二人で訓練室に来たんですよ? 他の人が居なきゃ実験出来ませんし。
私達が居る訓練室はちょっとぼろぼろになっていて、そこかしこに魔術の爪痕が残っていました。剥がれたタイルが散乱しているのを見ては、セシル君が瞳を少し伏せています。
「今日はセシル君の魔術の特訓をしたいと思います」
「は、……はぁ!?」
そんなセシル君に問答無用で今日の目的を告げると、セシル君は目を剥いて、それから此方を睨んで来ました。セシル君の気持ちは分かりますよ、昨日今日で魔術を暴走させて、それなのに被害者に魔術の特訓とか言われたら。
でも私は彼のトラウマを嫌がらせでほじくったり、笑ったりするつもりはありません。私には私なりの考えがあります。たとえそれが短慮だったとしても。
「……お前、この前怪我したばかりだろ」
「そうですね。でも、今がチャンスなんですよ? この間制御出来た感覚を忘れる前に身に付けておかないと」
この間の暴走も、私の手助けはありましたが、最後はセシル君が自分で制御出来たのです。慣れてしまえば、これからは恐らく制御出来るようになると、私は思うのですが。
「それに、セシル君の事は何となく分かりました。制御が上手くいかない理由も」
「……っ」
「……セシル君が嫌なら、私は無理強いしません。でも、セシル君が良いなら、全力で手伝います」
これは彼の判断に委ねるしか出来ません。魔術の制御はセシル君がする事ですので、セシル君が望まないならばさせたりはしません。私としては、これからの為にも特訓した方が良いとは思っていますが。
どうですか? と彼の顔を覗き込んで問い掛けると、セシル君はじーっと此方を見て眉をひそめていましたが……やがて、こくんと頷きます。
セシル君もこのままではいけないとは思っていたのでしょうね、じゃないと私の提案は受け入れてくれなかったと思います。何せ嫌われてますから。
でも、出会った当初よりは比較的態度も軟化してるんですよ。出会い頭の舌打ちはなくなりましたから。
「なら、早速取り組みましょう。えっとですね、魔術を制御するにあたって、セシル君はちょっと特異体質なのだと気付きました」
「……特異体質?」
「はい。セシル君、人より魔力の密度が高いんです。そりゃあもうぎゅぎゅっと圧縮されてます」
セシル君は気付いていたのかいなかったのか、疑うような瞳。
「少しの量で絶大な効果を発揮するみたいで、だから通常量で魔術を使うと暴走したんです」
分かりやすく言うなら、水路があったとしましょう。そこに一の水を流せば水を行き渡らせ効果を発揮出来る。でもセシル君は圧縮された水の持ち主で、一を流しているつもりが結果的に二や三も流している事になり、洪水を引き起こしているのです。
慣れてしまえばその水路自体の容量を増やせるのですが、最初の制御すら出来ていないからそれは出来ない。
なら解決法は単純で、流す量を少なくしてしまえば良い。それが簡単に出来ないから訓練する訳ですが。
「なので、セシル君には節約を覚えて貰います。節約というよりは加減ですけど。最初は私が魔力を薄めるので、徐々に制御出来るようになってくれたら良いです」
説明はこのくらいにして、とセシル君の掌をきゅっと握ります。話を聞いていたセシル君は私の行動に驚いたらしく、嫌そうに手を振りほどこうとしましたが……離しません。だってくっついてないと魔力の譲渡出来ないし。
「手を繋ぐのが嫌なら抱き着きますよ?」
「……手で良い」
別に私は構いませんけど? と口角を上げる私に、セシル君は頬を引き攣らせて私の手を握り返します。そこまで嫌がられるとショックなんですけどね、と不満は口にしておきます。
くっついた掌を介して、私の魔力をセシル君に注いでは濃度を調節。流石に魔力MAX状態のセシル君を、一般的な人の濃度まで下げようと思ったら、私の全力でも無理です。
なので、扱えそうなギリギリの範囲で薄めていく。通常の五割増しくらいだったら何とか制御出来るでしょう。
「……暖かい」
「そうですか? 魔力を流しているからでしょうか」
「……とんでもない量が流れて来ている、気がするんだが」
「だって此処までしないと制御しにくいし。セシル君がある程度制御出来るようになったら、徐々に濃度を上げていきます」
これは疲れるのでなるべく早く制御出来るようになって下さいね、とお願いしておき、手をゆっくり離します。充分に薄めたつもりですから、これなら、多分セシル君でも制御出来る筈。
「適当に弱い魔術を使って下さい。あ、魔力の量は少な目で。四割くらい減らして下さい」
「……本当に、するのか」
「自分から言い出したのでしょう、大丈夫です、いざとなったら私が消しますから」
魔力は薄めておきましたし、威力も低いものを少ない魔力で使ってくれたなら、充分に対処出来ます。本来は大人が付いていた方が良いのですが、セシル君が確実に嫌がるので。
頑張って下さい、と拳を作って応援する私にセシル君は唇を噛み締め、魔力を術式に通し始めました。ゆっくりと、慎重に。
私から見て少し流れに揺らぎがあるのは、やはり暴走を恐れているのでしょう。また暴走したらどうしよう、そんな気持ちで一杯なのだと思います。
私は静かにセシル君の背後に回って、あまり刺激しないように優しく抱き締めてあげます。
「大丈夫、怖くないよ」
そっと囁いて、掌をもう一度包みます。制御の手助けは彼の為にまだしません、失敗したら勿論補助に入りますが。これは、彼を落ち着かせる為です。
突然の行動にセシル君は驚いていますが、暫し俯いた後深呼吸をして、魔力の流れを揃え始めます。……ああ、もう、大丈夫ですね。
ぱしゃん、とセシル君の視線の先に水球が落ち、地面で弾ける。簡単な魔術ですが、確かにそれは成功した証で。
「……よく出来ました」
頬を緩ませて素直に賞賛すると、セシル君は私に抱き付かれたまま、嬉しさを噛み締めるように「ああ」と答えました。
「あ、そうだ。聞きたい事が幾つかあるのですが」
流石に抱き付いたままだと嫌がられたので隣でのんびりセシル君を見守りつつ、気になっていた事を口にします。
「結局、まだ私の事大嫌いですか?」
自分で口にはしたものの、セシル君の本心でイエスの言葉が返って来る事はないだろうなあ、とは思っています。
最初の頃に比べて目付きも多少は優しくなりましたし、言葉は刺々しいですが敵意も多少は和らいでいます。そもそも大嫌いなら会話したり素直に抱き付かせてくれませんからね。
セシル君はぱち、と瞬きをして此方を見て、微妙に眉を寄せてから視線を逸らします。昔だと完全無視か即答だったでしょうから、進歩とは言えます。
「……ムカついてた」
「そうですか、具体的に何処が?」
「……恵まれている事が。欲しいものを持っていて、それが当たり前のようだから」
やっぱり、そこが嫌われる点で、傷付ける点でもあったのでしょう。私が短慮で自分の都合を優先していましたからね。
「……俺は、小さい頃から何故かこんな性格で、変に賢くて。周りから気味悪がられて、魔術を暴走させて、人を傷付けて。父親も、祖父も、俺の事を疎んだ」
……ああ、と、私はそこで今までの妙な感情の正体に気付きました。
何処かで見た事がある、初めて見た時、そんな既視感を感じました。
それは、もしもの私の未来だったんですね。素直でいたが故に迫害された、もしもの私の姿と重なったのです。
私は恵まれていた。明らかに子供ではない思考をしていた私を受け入れてくれる周りだった。愛してくれる人が居てくれた。私を受け入れてくれる人が居た。
それだけの違いで、私と彼は、異なる未来を歩んだ。
「お前も、同類だと思ったのに……お前はへらへら笑って、幸せそうで。それが、むかついた」
「……セシル君は、それで私にあんな目をしていたのですね」
こくりと頷かれて、私は何となく分かってしてしまいました。
……セシル君は、何故自分だけ、と思ったのでしょう。同じような立場で、同じような条件で。それなのに扱いも能力も違ったから、それが恨めしかった。それは当然でしょう、私も逆の立場なら妬んだと思います。
ただ、それを行動に移された私には傍迷惑なお話ですし、普通に怪我して痛い目見たのはちょっと辛いですが。ジルもあんなに怒らなくても良かったのに。
「……お前おかしいだろ。普通俺が殴られる立場だからな、お前を散々傷付けて来たんだからな。責めても良いんだぞ」
「や、責めるつもりは一応ないのですが……」
「良いから」
「……うー。確かに痛い目見たのは事実なんですけどね……。じゃあ責めますけど、切り傷は凄く痛かったです」
「……う、」
「無視されるし舌打ちされるし、ソファで寝かされるし。此処は父様が手配していなかったのも悪いですけど。あと魔術の暴走は、素直に言ってくれたら魔術も使わせなかったんですよ?」
「……本当に悪かった」
されて来た事を思い出すと、まあ結構理不尽だとは思いますけど、今更ですし。父様も父様だから何とも言えませんねえ……いやはや。
セシル君自体に怒りはないですね、あまり。真面目に反省はしてくれていますし、責めてもへこむだけでしょう。殺人未遂とか責めるとセシル君が大変ですし。
「んー……なら、これで貸し一つにしておきますね」
あんまりにもセシル君が申し訳なさそうだったので、私はにっこりと笑って拳を握ります。そのまま作った拳を頭のてっぺんに落として、セシル君の石頭を拳骨しておきました。
殴ったこっちも地味に痛いですが、セシル君はセシル君で突然の痛みに目を白黒させています。
「これで無視と睨みの件はチャラにします。死にかけた件は、貸しにしておきますね。将来利息つきで返して下さい」
踏み倒しなんてさせませんよ? と笑って人差し指を唇に当てる私に、セシル君は有り得ないものを見るような眼差しを向けて来ました。それから、溜め息。
「……甘ちゃんだな、お前」
「よく言われます」
「……しかも将来って事は、お前とこれから関わっていけという事だよな」
「そういう事になりますね」
宜しくお願いしますね? と笑顔で首を傾げると、セシル君も渋々ながら頷いてくれました。これは仲良くなったと言うのでしょうか。……まあ良いか、和解したので良しとします。




