誓い
会場に戻ると、当然と言うか何と言うか、とても注目を集めているのが分かります。殿下と親しげに話して国王陛下と王妃様に直々に呼び出された幼女。何があったのか勘繰るのもおかしくないです。
現に私を見てひそひそと噂話に興じる御婦人方も。私より少し年上の少女も会場には沢山居るのですが、その子達も面白くなさそうな表情です。まあ玉の輿を狙うお嬢さん方にとって私は目の上のたんこぶでしょう。
国王陛下達と話すに至って殿下を置き去りにしたのですが、今殿下は私の側には居ません。遠くで大人達に囲まれておべっかを使われているのが見えました。一応笑顔で対応してますが、私には辟易しているのがよく分かります。頑張れ殿下、それも王族の義務の一つですよ。
そう言えば、と会場内を見回して、緑の髪を探します。
あれからジルさんとは別行動ですけど、何処に行ったのでしょうか。あまり人の多い場や目立つのは好きではないと言っていましたし、端にでも居るのでしょうか。
敢えて殿下の方向と逆を探して、本日の付き添い役を探します。ぶっちゃけそろそろ帰りたいので。この視線の質がもたらす疲労は、殿下の比ではありません。
視線を浴びながら緑の髪をチェックしていたら……あ、居た。
ジルさんはテラスに居て、その隣には……先程見掛けた、ジルさんを吊り目にして歳を重ねたような男性が居ます。恐らくは、ジルさんの実父である、アルフレド=サヴァン子爵。
お互いに向き合って居ますが、ジルさんの顔色はよくありません。夕暮れ時なので黄昏色に照らされているのですが、……表情からして、怯えているのが分かります。
視線は足元に、アルフレド卿を直視する事が出来ていません。対するアルフレド卿は、遠目から見ても分かるくらいに冷たい瞳をしています。
私は談話にいそしむ貴族達の間を擦り抜け、テラスに近付きます。本人達に気付かれないように少し遠回りでテラスから見えないように、ですが。
ついでに魔力の波動も押さえていますよ、ジルさんに普通にばれるので。基本はあの人驚かせられないんですよね、全部感知しちゃいますから。それだけ優秀という事なのですが。
「お前を何故向かわせたのか分かっているのか」
「……承知しております。ですが、私は」
「くどい。末子の貴様に最後の役割を与えているのだ。精々私の役に立て」
見掛け通りの冷たい声に、私まで心臓を掴まれた気分です。折り合いが悪い所じゃなく、冷えきって息子であるジルさんを羽虫か何かのようにぞんざいに扱っていました。
そして猛烈に嫌な予感もします。
私は周囲の人間に恵まれているとは自覚していますが、私を面白くないという人も沢山居ます。
父様は、私に「人を見る目を養え。自分を傷付ける人間か否かを。それはリズを護る力になる」と仰いました。
……そうして観察を続けて来た私ですが、本能が警告しています。この人は、駄目。
「……分かったな」
「……」
ジルさんは、返事をせずに押し黙ったまま。ばれないようにカーテンの影に隠れるように立っているので、ジルさん達の顔は分かりません。ですが、きっと歯を食いしばって俯いているのでしょう。
足音が聞こえたので、私はカーテンの内側に隠れます。幸いに子供の小柄な体なので簡単に隠れる事が出来ました。私の行動を不審げに見ている貴族さんも居ましたが、子供の戯れだと納得して視線を外します。
それからアルフレド卿が通り過ぎて行くまで、冷や汗が止まりませんでした。私が恵まれて過ぎているのでしょう、ああいう人種が近くに居なかったのは。
「……リズ様、もう隠れなくても宜しいですよ」
「ほぁ!?」
ほっと一息ついている所でカーテンを捲られたので、私は思わず喉の奥から奇声を発してしまいました。ひっくり返った声にジルさんも驚いていましたが、自分でも驚いています。
というかジルさんは気付いて居たんですね、私がすぐ側で聞き耳立てていた事。
「リズ様はもう少し魔力を静かに体内に循環させた方が宜しいですよ、隠しても表面から微量に漏れています」
「耳が痛いですね」
「魔力の絶対量が多い分、制御も難しいとは思いますが……確実に隠密には適しませんね」
結構ぐさっと刺さる一言を頂いて余計に気分がブルーになる私ですが、ジルさんはもっと憂鬱なのでしょう。こんな口を利く元気も、今はない筈なのに。
そっとジルさんの手に触れると、逆にきゅっと握り返されます。手は、少しだけ震えていました。
「何処まで聞いていましたか」
「あまり……。私が聞いたのはお前を何故向かわせたのか、の下りからです」
「核心までは聞こえていなかったでしょうけど、リズ様ならどういう事か想像がつくでしょう?」
そりゃあ、私も阿呆の極みまではいかないので、何となく分かっていますし、それをずっと危惧していました。ジルさんがそれを望んでいる訳ではない事も、理解しています。
「……リズ様は、どうなさいますか。この、僕を」
悲しそうに揺れる瞳と、自嘲の笑みに、私は言葉を失います。
ジルさんは、私が全てを察している事に気付いて、それで尚問い掛けています。
……私は。
「リズ、こんな所に居たのか。探したぞ」
答えを出せないでいると、何処からか父様が現れて話し掛けて来ます。
「父様。探したぞはこちらの台詞ですよ、今まで一体どちらに?」
「少し野暮用でな。ジル、ちゃんとエスコートしていたか?」
突然話を振られたジルさんは、ちょっと困ったように眉を下げました。エスコート、以前の問題だった気が。
「父様、エスコート以前に殿下に引っ張られ陛下と王妃様と対談する羽目になりました」
「ディアスがか? ……っと、陛下だな、陛下が何の用だ?」
然り気無く呼び捨てにするという大胆な父様ですが、流石に人目もあるので慌てて言い直します。本当に陛下と父様は親しいのですね、普通に呼び捨ては不敬罪で取っ捕まる気が。……まあ私も人の事は言えないのですが。
「殿下の事で少々」
「あー、殿下はリズに御執心だからな。でも陛下も分かってくれただろう?」
「流石はヴェルフとセレンの娘だ、ですって」
「そりゃ俺らも鼻が高い」
愉快そうに口許を緩める父様は、何処かあの時の陛下と似たような雰囲気がありました。案外似た者同士だったりするのかもしれませんね、陛下と父様は。
父様の出現で話は打ち切られてしまいましたが、私はずっと考えていました。私は、ジルさんに対して、どうすれば良いのか。
「……父様、話があるのですが」
パーティーから帰ってきて直ぐ。
私は、ジルさんが部屋に戻った後に、父様の元を訪ねていました。
それから、次の日の事です。
「いらっしゃいませ、ジルさん」
夜の帷もとうの昔に降り、既に皆が寝静まった頃。まあ草木も眠る丑三つ時、そんな時間に、ジルさんは私の部屋を訪れました。
音もなく扉を開けたジルさんに、ベッドに腰掛けたまま微笑む私。実は結構無理して起きてます、魔術で無理矢理覚醒させているだけです。幼児の体には中々堪えるものがあるんですよね。
こんな時間に起きていた事にか、それとも自分が現れる事を予期されていた事にか、或いはその両方にか。ジルさんは私の姿を捉えて目を見開いております。
「僕の狙いは、分かってますよね?」
「そうですね、出会った当初から危惧はしていました」
「……そうですか」
私の穏やかな表情に、ジルさんはくしゃりと顔を歪めていました。その手には、鈍く輝くナイフ。刃渡りこそジルさんの掌程もないですが、鋭利なそれは私の命など簡単に奪えるでしょう。
薄々、こうなる事は予感していました。最初にジルさんの瞳を見た時から、何となく。まあ一種の勘だったのですけど、それが当たっていたからこうなっているのですね。
「私を、どうしますか?」
ジルさんに聞かれた「僕をどうしますか」という問い掛けと同じように、私はゆっくりとジルさんに問い掛けます。
息を飲んだジルさんは、苦しそうに顔を歪めて肩を震わせます。やがて静かに私に歩み寄り、そのまま肩を押してベッドに押し倒しました。
突き付けられる、ひやりとした感触。
「……あなたは、私を殺しますか?」
囁くように問い掛けると、ジルさんはかたかたと握り締めたナイフを震わせます。ぴりっとした痛みが走ったのは、刃が首の薄い皮を切ったのでしょう。
たらり、と液体が首を伝っていくのを感じながら、それでも構わずにジルさんをじっと見上げます。
ジルさんの表情は、様々な感情で溢れかえっていました。父への恐怖、殺人の葛藤、私への憐憫、これからの未来に対する絶望、こんな所でしょうか。
好き好んでこんな事をしている訳ではない、それが分かっただけでも充分です。
「ジルドレイド=サヴァン。あなたは、私を殺しますか?」
殊更ゆっくりと問うと、ぽす、とナイフがシーツに落ちます。かたかたと震える手が、自分の目元を押さえます。
……答えは、最初から出ていたのでしょう。
ジルさんは私を狙って、家庭教師としてやって来た。アルフレド卿の、捨て駒として。ジルさんが私を殺しても勘当してサヴァン家の人間ではないと言い張れば済みますし、周囲からも折り合いが悪かったとの証言がある。お咎めなしとまではいきませんが、勝手に元貴族が暴走したで済む。
なんなら殺した後にジルさんを処理すれば見付からない、見付かったとしても責任を取らせたと言い張れば良い。そんな魂胆だったのでしょう。
でも、一つだけ誤算。
ジルさんはまだ成人していないし、まだ若い。心変わりがないとも限らないし、殺人に葛藤もある。
詰まる所、ジルさんは抹殺対象である私に情を抱いてしまったのです。
「僕は、……僕は、殺したくない、です……っ」
湿り気を帯びた声で、小さく主張するジルさん。
元から、望まない事だったのでしょう。まだジルさんは若くて、闇に身を染めるには綺麗過ぎた。心が完全に成熟していない人間に、罪のない(と思ってます)幼子を殺せなどと命令する方がおかしいのですよ。実行出来なくておかしくはないです。
「……分かってますよ、それくらい。……ジルさん」
「……僕は、リズ様を殺そうとした。罰を受けるべきです」
どちらにせよ僕に未来はありません、と泣き笑いを浮かべたジルさん。……どうして、此処まで追い込んだのでしょうか、あの男は。我が子なのに。
あの冷徹な顔を思い出すと腹が立って来ますが、それは抑えてそっと手を伸ばします。ぺと、と涙に濡れる頬に触れ、やんわりと撫で。
「泣かないで下さい。大丈夫、もう恐れる事はありませんから」
「でも僕は、」
罪悪感と後悔に苛まれた表情のジルさんに、私は微笑んで傍らのナイフを掴みます。よく切れそうなナイフだという事は、分かってます。
「ジルさんを楽にしてあげますから」
片手でナイフを持ったままゆっくりと首に手を回す私に、ジルさんは一瞬怯えたような表情。でも直ぐに覚悟を決めたように、瞳を閉じます。
微妙に長さが足りないので半分体を起こした状態で、私はナイフをジルさんの首筋に近付けます。もう片手は、そっと束ねた髪に添えて。
そして、私はナイフを持った手首を捻りました。
「これでジルドレイド=サヴァンは死にました」
ぱさ、と落ちて来る緑の束。
「これからはジルという名前の、ただの魔導師として、私の従者として生きなさい」
随分と短くなった緑の髪を撫でて、私は真っ直ぐに彼を見つめました。呆気に取られているジルさん、私はにっこりと微笑んでおきます。
別に、ジルさんが悪いとは私は思ってません。あのアルフレド卿がとち狂ったのがいけないのです。実際に傷付ける事が叶わなかったジルさんに責任の所在を求めるつもりはありません。
あの後、私は父様に相談しました。ジルさんの事、アルフレド卿との会話を、そしてそこから導き出された答えを。
どうやら父様もアルフレド卿が何やら不穏な動きをしていると掴んだらしく、パーティーの時は探っていたらしいです。方法は内緒だそうですが。
それで、私の話に合点がいったらしく、父様は私に問い掛けました。
『リズはどうしたい?』
『……私は、ジルさんにはお世話になってますし、彼の事も割と好きです。出来れば、罪に問わず、このまま家庭教師を続けて欲しいです』
『……なら、ジルドレイドには一度死んで貰わないとな』
『な、』
『ああ違うんだ、ジルドレイド=サヴァンは一応サヴァン家の末席に名を連ねている。流石にそのまま雇うにしても、またアルフレドに利用されるかジル自体口封じに消されてしまう』
その為にも、一度『ジルドレイド』には居なくなって貰わないと困る。そう言った父様です。
「幸いにも向こうはもうジルさんとは無関係だ、と正式に発表してますし、まあ暗殺失敗で口封じを仕掛けて来るかもしれないので……こっちも、対抗策を講じました」
「……対抗策?」
「ジルさんをうちで正式に保護し、その上で従者として雇う事にしました」
やはりこういうのは大人を頼らないとどうしようもないので、父様の力を借りました。
陛下もサヴァン家が怪しい動きをしていると知っていました。というか父様が報告して確信したらしいですが。
元から黒い噂の絶えないサヴァン家、そんな中勘当されて保護されたジルさん。陛下の忠臣の立場に近い(と今日知った、てっきり中立派かと)アデルシャン家が快く受け入れる分、向こうの批判が高まるでしょう。ジルさんの勘当は、内輪揉めがあったのだと世間は勝手に詮索してくれると思います。
そんな中ジルさんが口封じに殺されれば、サヴァン家が何かしたと言っているようなものです。迂闊な真似は出来ないでしょう。それに、父様がさせない。切れたら手が付けられないと母様も苦笑いしてましたから。
父様だってジルさんの事気に入ってるんです。目をかけた人には甘いんですよ、父様 。
あ、因みに断髪したのは心機一転です。今までのジルさんであるジルドレイド=サヴァンは消えて、ただのジルとなった証です。
お坊さんは出家の際俗世の象徴を捨てるべく髪を剃るらしいので、宗教とは関係無いですがジルさんもしがらみを捨て去るべく剃ってあげようとは思ったんですよ。でも流石に剃るのは可哀想だったので髪をちょん切りました。
「……リズ様」
「あ、これは恩として売っておきますね。……生きて働いて返してくれますよね?」
少々恩着せがましいかもしれませんが、これで良いです。恨んで生きる糧になるならそれも良し。まあジルさんの性格上ないと踏んで言ってるのですが。
「……お嬢様は甘い人です。もし私がまた襲ったらどうするおつもりで?」
「どうしましょうか? 多分私が死んだり傷付いたら両親が烈火の如く怒って一族郎党皆殺しにしますよ? それか社会的制裁を加えたり 」
あ、顔が青くなった。そして私の首筋を凝視してる。……まあこれは不慮の事故という事にしておきますし、父様達に言うつもりはありません。
……まあ、父様と母様今起きてるでしょうけど。私が死にかけたら困りますから。
「それに、私はジルさんを信じてますよ」
こう見えて見る目はある方ですよ? と悪戯っぽく微笑んで首を傾げてみせる私に、ジルさんはまた泣き笑い。但し、今度は嬉しさを滲ませて。
「……はは、本当に、甘い人ですねリズ様は」
「私の側に居てくれますか?」
「……御意に」