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宿ったもの

「どうかしたか?」


 何とも言えないこの感覚をどうしたものか、と頻りに胸を擦っていると、セシル君は異変に気付いたのか、私に声をかけてきます。

 なるべく顔に出さないように仕事をしていたのですが、それでも顔色で分かってしまったようで。


 あんまり体調が悪い、とか知られたくなかったんですけどね。セシル君にバレるとジルにまでバレちゃうし。


「ん……此処最近、体調が良くないんですよね。何だか、胸がモヤモヤするというか……食欲も湧かないし……」


 どう体調が悪いと言われると困るのですが、なんというか、全般的に芳しくない。倦怠感があるというか、貧血で目眩とかもしちゃいますし、胸がむかむかしたり……あ、でも最近は生トマトが食べられるようになりました。昔は嫌いだったんですけどね。


 私の味覚も大人になったのかな、とちょっぴり喜んでいるのですが、セシル君としては私の体調不良が心配らしく眉を下げています。

 そ、そこまで酷いって訳でもないですし、心配される程でもないんですけどね。


 ……それに、まあ、何となくですが、心当たりはあるので。


「大丈夫ですよ、そう酷くはありませんから」

「そう言って無茶するのは、お前だろう。それで熱出してぶっ倒れるとか、有り得るからな」

「う。でも、これはそういうものじゃないと思いますし……落ち着くまでどうにもならないものかなって」

「じゃあ落ち着くまで休めば良いだろう、わざわざ体調が悪いのに無理して出勤する必要もない。ほら、仕事はそんなにないんだから早退しろ」


 無理して倒れられるより先に帰した方がマシだ、と言い切ったセシル君。……うーん、セシル君が心配する程でもないのですが……でも此処で反論した所で確実に言い負かされるのは私なので、素直に首肯します。

 あまり、セシル君に心労をかける訳にもいきません。多分、無理を言って仕事をしていてもひやひやしながら此方を様子見してくるでしょうし。


 素っ気なく見えて優しい人ですよね、と苦笑して、有り難く気遣いを受けとります。

 やはり気遣わしげなセシル君には「ではお言葉に甘えて」と緩く微笑んで、立ち上がろうとして――世界が、回る。


 視界が明滅してぐるりと回る感覚。やば、と何かを支えにしようにも、平衡感覚ごとやられていて。

 気付けば、セシル君の魔術で衝撃を殺して床に崩れ落ちていました。

 未だにくらくらとする上に、せり上がるような気持ち悪さに口許を押さえる。セシル君は慌てて駆け寄ってきて「大丈夫か!?」と焦りの顕著な声。


 なんとか言葉を返そうにも、色々と不調が押し寄せてきて、口が開けません。

 どうしよう、とかなりぐらついている頭で考えたものの、眩暈が限界で、私はそのまま意識を投げ出す事になりました。




「……リズ、目が覚めましたか?」


 気が付くと、見慣れた天井……というか天蓋と、愛しの旦那様の顔が視界に入ります。家に搬送されたな、と直ぐに分かりました。

 多分、セシル君がジルを呼んでくれて、ジルに託したのでしょうね。


 セシル君には心配をかけてしまったな、と反省しつつ起き上がると、ジルが「まだ寝ていて下さい」と制止にかかります。……や、起きないとお医者様に診て貰えないですし。どうせ、呼んでいるでしょうから。


「大丈夫ですよ。ジル、心配かけてすみません」

「全くですよ……リズが倒れたと聞いて心臓が止まるかと」

「すみません。でも、多分ジルのせいでもありますよ?」


 え? と首を傾げた旦那様には意味深な笑顔を返し、私はお医者様を呼んで下さい、と固まる彼にお願いしました。




「ご懐妊です」


 おめでとうございます、と微笑ましそうなお医者様には「ありがとうございます」と穏やかに笑顔を返す私。ジルは、何故か固まっていらっしゃいます。


 ……てっきりジルの事だから察したかと思ったのに、そうではなかったようで。

 愕然とした表情で私を見るものだから、堪らず吹き出してしまいました。


 もう、あれだけ愛して下さったのですから、そろそろ授かる頃だとか想像しなかったのでしょうか。

 私としては月の者が来ない時点で薄々察していたのですけど、確信するまて何も言えなかったし出来なかったのです。まあ、夜のジルに駄目ですよとやんわり制止をかけるくらいはしてましたけど。


「ジル?」

「……あ、」


 放心していたらしいジルに声をかけると、我に返ったのか、恐る恐る私を窺ってくる。……その翠色がじわりと滲むのを見て、私はそのままそっとジルの頬を撫でます。


 生温い水滴が指を濡らすのを感じながら、私は衝動のままに、ジルに「いらっしゃい」と囁く。

 ジルは、はらはらと涙を零しながら、私をその体で包む。ジルの肩越しに気を遣ってくれたお医者様が音を立てずに退室するのを見ながら、私は背を震わせる旦那様の背中を優しく叩きます。


「……私の子、ですよね」

「何ですか、浮気を疑うと言うのです?」

「いえ。……本当に、私の子なのですか……」

「ジル、私達の子ですよ」


 目尻に口付けて涙を掬い取ると「失言でした」と苦笑するジル。

 ジルが泣いたのは、アルフレド卿を手にかけた日以来でしたね。

 あの時は、家族だったものの命を奪った、やるせなさ。この時は、新たな家族の存在を喜ぶ、嬉し泣きでしょう。


「……夢に見たんですよ。幸せな家庭を」


 ……きっと、ジルは、昔を思い出したのでしょう。愛されなかった、サヴァンの子だった時期を。


 ……ばかですねえ、ジルも。あんな思い、私がさせる訳がないのに。あなたは、アデルシャンに来てから、そしてこれからもずっと、幸せな家族で居てもらうつもりなのに。


「じゃあその夢、ちゃんと実現させて離さないようにして下さいね?」

「……勿論」


 囁きに、涙を拭って微笑みを浮かべるジル。その笑顔は、誰が見てもきっと、幸せに満ち足りたものだと評するでしょう。

 サヴァンであったジルからは想像出来ない、心からの笑顔で。


 可愛い旦那様だ、と私も穏やかな幸せに胸を温めて、相好を崩しました。

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