お呼ばれ
あれからなのですが、ジルさんは少し……いや、結構な感じで私に柔らかい態度を取るようになりました。今までは穏やかでしたし丁重に扱ってくれてはいましたけど、何処かよそよそしく、ある種の素っ気なさを感じていました。まあそれは雇用をする側される側だからだとは思います。
ですが、今は……優しい、というか、うーん……少し親しげになったというか。割と甘やかして……甘やかして? くれるようになってます。壁が少し取り払われたようになったというか。
「……うー」
それは、良いんですよ。仲良くなって良いのかはちょっと微妙な所ですが、現段階では危険もないですし。
それは、構わないのです。
「……リズ様、変なお顔になってますよ」
「だって父様が」
「ヴェルフ様の件については同感です。……僕だって、事情があり行きたくないのですよ」
あからさまに不服そうに溜め息を溢すジルさんに、私は複雑な心境で同じく溜め息をつきました。
今、私達は正装で城に居ます。
まあ何でかって言ったら殿下の誕生日パーティーだからなんですけどね。前にお呼ばれしたあれです。結局断るのも失礼なので、此処に挨拶だけでも、と来た訳ですよ。
……殿下に見付かったら最後、とは思ってしまいましたが。絶対はしゃいで注目を集めるでしょう。それが国王の目に止まったらややこしい事になりそうです。
挨拶をしに来た癖に出来れば会いたくないという矛盾した事を思っていますが、仕方ないとしか言えません。
ジルさんはジルさんで微妙に嫌そうに眉を寄せています。実の所彼が一番嫌そうなんですよね、私は義務として来てますけど、彼は強制的にですし。父様のせいで。
「……父様、何の用事があるのでしょうか」
「……僕にリズ様を預けていく精神が理解出来ません。理由なら薄々分かっていますけども」
「理由?」
「それはまだ言えませんが、リズ様に関わる事でリズ様に知られたくない事ですね」
ジルさん、私にそれを言っちゃ駄目でしょう。私が詮索するとか思わないのでしょうか。
まあこんな事を洩らすくらいには打ち解けてくれたという事でしょう。
「そもそも僕が此処に来てしまったら僕が嫌な思いをすると分かっていたでしょうに。ヴェルフ様は嫌がらせをしたいのでしょうか」
「ジルさん、父様には内緒にしておきますけど、本音は包み隠して下さい」
いやまあジルさんが嫌がってたのを、無理矢理エスコートとして行かせたのは父様ですけど。此処は父様が悪いとは分かります、……ジルさんはアデルシャン家の人間ではないと分かって行かせたのも父様ですし。
ジルさんは、お呼ばれされるくらいの爵位はあります。でも今回はジルさんの家の人間として来た訳ではない。
「……僕のような人間が、このような場に居る事自体が本来駄目なのですけど」
「……でもジルさんは貴族ですよね?」
「いずれは話しますが、……僕は勘当されたような身なので。勘当というよりは居ない人間扱いですが」
……でも、子爵から手紙が来た、って。居ない扱いならわざわざ手紙なんか出さない筈。私は子爵の人柄を知らないから何とも言えないですが、普通なら自分が認めない相手に手紙など出さない。そんな事をしてしまえば、認めてしまう事になるから。
それなのに連絡を取ると言うのは、何か目的があっての事。それもジルさんがあんなにも魘されるくらいに嫌な事を。
良くない想像ばかりが膨らんで、どんどん眉が下がっていく私に、ジルさんは苦笑いをしてそっと頭を撫で、リズ様ご気に病む事ではありませんよ、と少し悲しげに微笑むジルさん。……複雑な家庭環境にある事だけは、分かります。
「……ジルさん、」
「リズ!」
空気が読めなかったんですね、殿下。そりゃパーティーのメインが殿下のお祝いですから空気読むとか必要とされないでしょうけども。
……まあぶっちゃけ殿下祝うのは名目で、貴族達の社交の場であり色々と情報交換したりする為の催しとして受け取られてますが。
ジルさんとの会話は一旦打ち切り、私を発見して駆け寄って来る正装の殿下。もう八歳という事もあり、中々様になっています。流石王族というか。
正直な所駆け寄るという目立つ行為は止めて頂きたかったです。ほら貴婦人方が私を見てひそひそ囁きだしてるし。
「殿下、この度はお招き頂きありがとうございます。謹んで御誕生日のお祝いを申し上げます」
「……そこまで堅苦しくされても困る」
「皆様の前で馴れ馴れしくする訳にはいきませんから」
外行きの笑顔で一礼するのですが、殿下は不服そうです。許して下さい殿下、此所で礼儀を欠くと、後々の人生が大変な事になるのが定まってしまうので。
「……む。そこの男は誰だ」
「申し遅れました、私はジルドレイド=サヴァンと申します。この度は御誕生日おめでとうございます」
にこやかにそつなく挨拶をこなすジルさんに、殿下は素っ気なく「うむ」とだけ答えています。いやいや殿下、それは駄目でしょう。表情がこいつ気に入らないって顔に微妙になってますけど隠しましょうね。
ジルさんは若干邪険に扱われている事には気付いていますが、こちらは穏やかな笑み。此処は年期の差でしょうね。ジルさんもまだ子供ですが。
「何故リズがこの男と居るのだ」
「父は所用があり別々に来る事になりまして。ジルさんにエスコートして貰ってます」
本人は実に嫌そうだったのですけどね、とは言わず、にこやかな笑みで「ね?」とジルさんに同意を求めます。ジルさんは頷いて私のそっと肩を抱き寄せて、……何故火に油を注ごうとしてるんですか。
ジルさんをちょっと恨みがましげに見上げると、ジルさんは変わらない穏やかな表情。但し瞳がちょっと挑発的に殿下を見下ろしています。わざとか。
「ヴェルフ様より他の殿方を近付けさせないように仰せ付かっております」
「ほう……この私でもか?」
「私はヴェルフ様に指示されていますので」
何このプチ修羅場。……絶対ジルさん面白がってやってますよね。ほら頬がひくついてますもん。殿下は別の意味で頬を引き攣らせていますが。
殿下、堪えて下さい。
ジルさんにとって、やっぱり殿下の私への好意は微笑ましい物なのでしょう。そして案外ジルさんは人をからかうのが好きそう。殿下が気付かない内にからかわれてますねこれ。
「リズ、こっちに来い。父上に紹介する」
「や、それは遠慮したいと言いますか……」
「良いから」
「女性の意思は尊重するものですよ、殿下」
「……っ、良いから」
殿下、あなたはジルさんにはまだ敵いませんよ。そして無理矢理手を取って引き摺るの止めて下さい、視線が痛いんですってば。子供だからってこんな真似するのは不味いですよ。
ジルさんはジルさんで私を引き留めようとしましたが、視線を進行方向に滑らせて……顔を強張らせます。
初めはその表情の意味が分からなかったのですが、殿下に引っ張られていく時に前を向いて、何となく、理解しました。
殿下の向かう先の途中、少し離れた所に……男性が立っていました。
正装に身を包み、ジルさんと同じ、鮮やかな緑色の髪をオールバックにした姿。顔立ちはジルさんに似ているものの、確実に違うと言えるのは、目付きが鋭く瞳に野心を宿したような不穏な輝きがある事。いつも穏やかなジルさんとは、全く違う。
ジルさんは私を引き留めようとしたものの、伸ばした手を下ろします。何処か怯えたような瞳が揺らいで、視線が足元に移動しています。きゅ、と握られた拳は震えていました。
殿下に強制的に連れていかれる私は、ジルさんの事を心配するしか出来ません。
「殿下、」
「サヴァンの人間には近寄らない方が良い」
「……え?」
ジルさんによく似た男性の側を通り過ぎてから、殿下は小さな声で呟きます。
「良い噂は聞かない。リズが危ない目に遭うのは嫌だ」
「……心配、して下さったのですか?」
「当たり前だろう、リズは私の……」
「友人として認めて下さるのですか」
少し頬を染めて続けようとする殿下に、そこは言わせないとにこやかに続けます。ごめんなさい殿下、色々と命が惜しいので。
あと国王陛下の前でそんな事言ったら全力で方向修正しますからね。将来を勝手に決められるなんて真っ平御免です、殿下も一時的な感情で決めないで下さい。
遮られた殿下が見るからに不満そうです。友人で納得して頂きたいのですが。実際そのくらいが今の関係を端的に表していると思うのです。
「……リズは私が嫌いなのか」
「嫌いとは言ってませんよ。認めて頂けるなら良き友人だと思います」
「……リズのばーか」
拗ねられたくらいでは意見は変えませんよ、私も自分の立場と未来がかかってますので。
「怒らないで下さいませ殿下。あと離して下さい、私を陛下に紹介など恐れ多いです」
「……ユーリス?」
「父上!」
言った側からご本人様登場とか!
「父上、彼女が私の言っていたリズです!」
殿下の空気の読めなさはどうにか直さないと。
嬉々とした声に恐る恐る顔を上げると、……どうしよう、此処までだとは思ってませんでした。
私の瞳には、美男美女が映っています。
男性の方は金髪碧眼、殿下と同じ色合いをした見た目。但し殿下をもっと大人にして色気をこれでもかと追加した雰囲気。如何にもというマントを羽織っていますが、それがまた似合っているのなんの。
女性の方はストロベリーブロンドの長い髪が波を打っていて、こちらも緑の強い青の瞳。纏うのは豪奢なドレスですが、それが霞むくらいには美しい女性です。
頭の中で、「 此方におわす御方をどなたと心得る! 恐れ多くも現国王陛下と王妃であらせられるぞ! 皆の者頭が高い!」とかそんな声が響きました。テレビの見過ぎですねこれ。
「ユーリス、慌てないの。急がなくても話は聞きますよ」
王妃様は少しおかしそうにころころと笑います。笑い方ですら気品が溢れてますよ、流石というか。
……そして敢えて言いましょう。わっか! 若い、若過ぎでしょうこの二人! どう多く見積もっても二十代後半にしか見えない! 何も言われなければ二十歳とかにも見えるのですが!
色々な意味で固まる私に、国王陛下がゆっくりと視線を私に移します。
「……ほう、ユーリスの言っていたのは彼女か」
殿下、何言ったんですか。その内容如何では私が不敬罪でお縄頂戴されて牢に拘束されるか、若しくは将来を拘束されるのですが。
「名前は何と申す?」
「り、リズベット=アデルシャンです」
流石に国王陛下に直接話かけられて、内心キョドりながらも名乗って一礼。下手に喋ると大変な事になりそうなので口を閉ざします。殿下は不思議そうに此方を見てきますが、当たり前ですからね、国で一番偉い人と対面してるんですからね。
きゅ、と繋がれた手を握ると、ちょっと嬉しそうに顔を綻ばせる殿下。……いや喜んでないで助け船出して下さいよ、期待はしてませんけど。
「ヴェルフ=アデルシャンの娘か」
「はい」
「貴女は両親に似ていますね、そっくりですもの」
王妃様しっとりと微笑み、国王陛下と何やらアイコンタクトをしています。無性に嫌な予感がするのは気のせいでしょうか。
「少し私達と話しませんか?」
あ、私詰んだかも。