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やさしいひと

 結婚してもお勤めを止めた訳ではないので、私も魔導院で働いているまです。勿論、セシル君の研究室に配属されたままです。

 ジルは二人きりの職場というのがちょっぴり複雑そうなのですが、別に浮気とか間違いを起こすつもりは全くないのに。セシル君だってもうきれいに割りきっていると思いますし、そもそも人妻に横恋慕とかそういうのはないかと。


 そんな訳でセシル君と二人の職場なのですが、ふとセシル君がこっちを見ている事に気付いて、珍しいと作業の手を止めてしまいます。

 普段はセシル君お仕事に一生懸命ですから、作業しながらの雑談はあるけどこっちをまじまじと見るって事は基本的にないのですよね。セシル君も手が止まってるので、私が中断しても文句は言えないでしょう。そもそも翌日分の仕事に手をつけてるだけですし。


「何ですか? 顔に何か付いてます?」


 やけにじろじろ見られて、不快というよりは擽ったいです。なんというか、むずむずするような……羽毛の先っちょで撫でられているような、不可思議な感覚。

 悪意はセシル君なので当たり前にないのですが、うーん、興味と好奇心を持たれた感覚? 実に興味深そうに此方を見ているのです。


 そんなに変ですか、と頬を押さえると、私が何を考えているのか分かったらしくセシル君は違う違うと手をひらりと振りながら笑ってしまいます。


「いや、お前も随分と大人っぽくなったなと」

「そうですか? そんなに変わらないと思うのですけど……」


 そりゃあ十七歳になって結構経ってますし、体だけならもう立派な大人です。

 でも私としては何か明確に変わった、という訳ではないんですよね。大人っぽくなったって言われても、正直ピンとこないというか。特に変わった事なんて……ああいや、あるにはありますけど、セシル君には関係ないし言うのも憚られます。言ったら恥ずかしいし。


 そんなに変わりましたかね、と当人としては疑問なのですが、セシル君はもう一度私を見ては「変わったよ」と染々呟いています。


「なんつーか、落ち着きが増したというか?」

「今までが落ち着いていなかったとでも?」

「否定できるか?」

「むむむ……」


 ……それは否定出来ませんね。

 いえ、こう、なんというか、意図的に子供っぽく振る舞ってる訳じゃないのですけど、自然と幼くなっていたんですよね。昔の方が余程大人びていておまけに可愛げもなかったです。

 それが落ち着きを増してきた、と。


「ま、今でも子供っぽいところはあるけどさ。それでもやっぱり変わったよ。落ち着いて、それなりに淑やかになったかな。女の子、というよりは女性、って感じに近付いている」

「ふふ、そうですか?」

「少なくとも『セシルくーん』って言って抱き付いてきた頃よりは遥かに淑やかになったよ」

「もう気軽に抱き付いたりは……し、しませんよ……?」

「おい、何でどもった」


 ちょっと断言するには色々怪しかったので疑問系になってしまい、セシル君に即座に突っ込まれてしまいました。

 

「いえ、感極まった時に抱き付かないとは限らないですし……。でも、控えてます。ジルもやきもち焼いちゃいますし」

「あれはな……」

「愛されているのは実感してますけどね」

「だろうな」


 本当に染々と頷くセシル君は、一番ジルの私への執着を感じていたのかもしれません。まあ多分客観的に見ててジルが私大好きなのは明白ですからね。ジルのお休みの日とかそれが顕著で、翌日へろへろで魔導院に行ったら哀れんだ眼差しを向けられるし……いえそこに同情されるのは複雑ですけども。


「あいつに言っとけ、俺に嫉妬しても意味がないだろって」

「伝えておきます」


 ジルはやきもち焼きですからねえ、と多分誰も否定出来ない評価を下しつつ、結局はそんなジルの独占欲丸出しで沢山の愛を注いでくれる所も好きなんですよね。

 ……まあ、偶には控えてくれる方がありがたかったりもしますが。色々持たないので。


「……何かある度にあいつが全方向に子供じみたやきもちを焼くからリズが大人びて来ているのかもな。よくも一身に愛を受け止められるな」

「私も愛してますから。本人には恥ずかしくて中々言えませんけどね」


 皆はジルの愛が半端じゃないとよく言いますけど、私だって、ジルの事を思っているのです。じゃなきゃ結婚なんてしませんし、ジルに全部委ねたりしないし。

 恥ずかしさに負けてあまり口には出せないですけど、ジルの事は愛しています。私の大切な夫で、私の唯一の人なのですから。

 

 セシル君に言うのも何だか気恥ずかしくて、つい頬がほわっと熱くなってしまって……誤魔化すように微笑むと、セシル君は軽く目を瞠って。


「……ああ、だからあいつは若々しくなったのか」

「え?」


 得心がいった、と言わんばかりに腕組みして頷くセシル君。何故愛してる、が若々しいに繋がるのかさっぱり分かりません。

 それが顔に出ていたらしく、セシル君は苦笑。


「あいつ、前より若々しいし気力に満ち溢れてて若返った感じがするよ」

「ジルはまだ二十代だから若々しいっていう表現はどうかと思いますけど」

「まあそうなんだけどさ。お前に愛されてて色々みなぎってるんだろ」

「そ、それは……うん、まあ……」


 ……ああ、そういう事ですか……いえ、それは否定出来ないのですが……。確かにそう言われると、ジルは結婚する前より元気になったというか。色々な意味で精力的になっていますね、確かに。お仕事だって遣り甲斐があって楽しいって言っていましたし。

 導師補佐の仕事に就いてからは本当に忙しそうではありましたけど、充実した毎日を送っているみたいです。お休みの日は甘えてくるので、そこも可愛らしいですし。


「……逆に、お前はジルに女にされて落ち着きを増した。ジルに愛されてるから、一層落ち着いて綺麗になったんだろ。輝きが洗練されたっつーか、磨かれたって言えば良いのか」

「ふふ、綺麗になりました?」

「ああ、見違える程にな」


 昔よりずっと目映いよ、と何の躊躇いもなしに褒めてくれたセシル君に、私が戸惑います。

 ……そういうセシル君も、大分大人になったのではないかと。照れ屋さんで純情で褒めるのも恥ずかしがるような人だったのに、こんなあっさりと賛辞を贈れるなんて。ピュアボーイが進化した……!


「今失礼な事考えなかったか?」

「気のせいです。……でも、セシル君も平然とそういう事言えるようになりましたよね」

「別に口説いた訳じゃないからな。お前の夫が恐ろしい」

「それは分かってますよ」


 茶化すような一言はちょっとした照れ隠しなのかもしれせん、けれど、セシル君の表情は至って平静で……本当に、セシル君も紳士さんになっています。

 もう、子供っぽさなんて殆どない。いつの間にかあどけなさが抜けて、男の子ではなく男性という顔立ちに。何処か洒脱な雰囲気を纏った、一人の男性になっていたのです。

 格好いいなあ、とは思うものの、やっぱり私はジルが一番だなと思う辺り自分でもベタ惚れだと思ったり。


 ジルはそれくらいじゃ怒りませんよ、と笑うと、ちょっと訝るセシル君。……うん、多分怒らない筈。前にジルに「社交辞令程度で嫉妬する程そんな狭量な人じゃないですよね?」って確認したら大丈夫って返ってきましたもん。……微妙に眉が下がっていたのは見ない振りです、ええ。

 その一連のやり取りを伝えたらセシル君呆れた顔しちゃったけど。


「あれの操縦が出来るのはお前くらいなもんだよ」

「ふふ。じゃあ先輩の母様を見習ってもっと上手くなります」

「……セレンさんはヴェルフの操縦が上手いからな」

「飴鞭が上手いですよね」

「……お前もいつかはセレンさんのようになる気がしてきたぞ?」

「だとしたら嬉しいですね。母様のような女性になりたいですから」


 母様はいつも笑顔で綺麗で優しくて、子供達にも沢山の愛情を注いでくれて。本当に自慢の母親で、理想の母親なのです。

 昔からあんな人になりたいなあって思っていて、結婚してからはそれがより強くなりました。父様の接し方とかあしらい方も見習いたいものです。今はジルに流されるままで結局好きにさせちゃうし……私もちゃんとジルの行動や欲求を制するようになりたいですね。

 まあ、今はジルの愛にどっぷりで良いのですけど。


 いずれは母様のように、と握り拳を作った私。セシル君は何だか遠い目をしています。


「……ジルが尻に敷かれるのか……いや喜んで敷かれそうな気がするが……」

「ジルにそんな趣味はないですよ?」

「物理的にと言ってない」


 お前は何の女王様を目指すんだ、と言われて「私もそういう趣味はありません」と明確に否定するとやっぱりセシル君疲れた顔です。

 セシル君、私の事何だと思ってるのですか。加虐趣味も被虐趣味もありません。ジルは偶に意地悪してきますけど。


「……あなた方は何を話していたのですか……」

「あ、ジル」


 変な性癖だと誤解されたら嫌だとちゃんと否定していたら、入り口からジルが入ってきます。普段はノックして入ってきますが、私達の会話を聞いてノックをすっとばしたのでしょう。

 でも、ジルが何で此処に? まだ夕方と言うには早い時間帯で、お仕事終わってる私は兎も角、忙しいジルが帰るには早いと思うのですが……。


 それでも姿を見れた事は嬉しいので頬を緩めてぱたぱたとジルに近寄って抱き着くと、ジルもまた相好を崩しては受け止めて私の頭を撫でてくれます。……こういうの、堪らなく好きです。やっぱりジルが居ると幸せだなぁ……。


「もうお仕事終わったのですか?」

「今日は仕事が少なかったものですから、リズと過ごす時間を増やそうと思いまして」


 仕事は終わらせてますのでゆっくり出来ますよ、と大きな掌で私の髪を撫でながら囁くから、ついついほっぺたがとろけてしまいます。

 いつも忙しくてお休みの日もお仕事持ち込んだりしちゃうジルだから、寛ぐ時間が増えたなら嬉しい。早い時間に一緒にご飯が食べられて、一緒に緩やかな時間を過ごせるっててとも素晴らしい事でしょう?


「ふふ、ありがとうございます。私も終わってますので……セシル君、」

「仕事終わってるなら問題ないだろ。つーか帰れ、此処でいちゃつくな」


 セシル君に大丈夫かと許可を取ろうと思ったら先んじて言われてしまって。

 ジル待たせるのも悪いし仕事終わったなら良い、と寧ろ追い払われるように手をしっしっと払うように振られるのです。厄介者を追い出すような仕草にそれはそれで複雑なのですが、セシル君なりに考えての事なのでしょう。


「いちゃついてました?」

「誰がどう見てもな」

「……ジル、これがいちゃついてるんですって。結構判定厳しいですね」

「普通通りなんですけどね」


 別にキスしてる訳でもないですし、ジルだってあらぬ場所を探ってる訳でもない。ただぎゅっとして貰ってるだけです。セシル君だって私がジルに抱き締められるのは見慣れていると思うのですが……うーん。


「のろけは良いからさっさと帰って家で好きなだけいちゃつけ」

「言われなくとも」

「もう、ジルってば。じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」

「是非そうしてくれ。仕事の邪魔だ」


 ……そこまではっきりきっぱり言われると複雑なのですが、確かに仕事の邪魔にはなってしまうでしょう。視界に入ったら鬱陶しいでしょうし、セシル君の心情を慮ればあんまり目の前でいちゃつくのも申し訳ないです。

 幾らセシル君が、もう全て吹っ切れたとはいえ……悪いですよね。それに、セシル君なりに気遣ってくれてるんだ。ジルが忙しいの、セシル君も知ってるから。


 言葉では素っ気ないけれど、やっぱりセシル君は優しい人で。


 それを誰よりも分かっているからこそ、私は少し眉を下げながらも微笑んでありがとうを一言。何でお礼を言うんだよ、という眼差しを頂きましたが、それでも笑うとセシル君はそっぽを向いてしまいました。


「セシル君、また」

「ああ」


 最近は物騒だから気を付けろよ、とジルに然り気無く忠告と心配をするセシル君に、ジルも少し眼差しを和らげては「分かっていますよ」と会釈。私も同じように頭を下げてジルに視線で促すと、慈愛めいた色が混ざった瞳が一層柔らかくなり、私を見つめます。

 差し出された手に自然と掌を重ね、もう一度セシル君に会釈をすると……セシル君は、優しい眼差しで。……本当に、セシル君は優しい人ですよね。


 微笑んで静かに部屋を出ると、ジルは繋いだ手をしっかりと握り直しては、私の方に視線を落とします。


「……彼ももう吹っ切ってるようですね」


 ジルは、やっぱり少し気にしていたみたいです。

 嫉妬とかではなく、ちょっとした罪悪感……という程ではないもののしこりがあったようで。何だかんだでジルとセシル君も、私とセシル君が過ごしてきた時間分の付き合いがありますから。お互いに、色々と思うところがあったのでしょう。


「結婚式の時点で、もう綺麗に流してましたよ。今では良き友人ですので、嫉妬しちゃ駄目ですよ?」

「過度に近くない限りしませんよ」


 彼は全般的に信頼してますので、と多分結婚前には聞けなかったであろう評価をジルの口から聞けたのは感激です。

 昔は家の事や私自身の事で警戒してましたからね。大人気なくやきもち焼いたり。あれはあれで可愛かったですけど、当のセシル君が辟易していましたからね。

 今は、大分やきもちとかはなくなってます。私に愛されてる自負が余裕を持たせてくれたのでしょう。


「……私が好きなのは、ジルだけなんですから」

「知っていますよ」


 ふふ、とお互いに笑い合って、繋いだ手をしっかりと握って。

 ああ、幸せだなって……そう思えるこの時に感謝して、私達は少しずつ長くなる影を連れて、帰り道をゆっくりと歩いて行きました。

活動報告の方に特典SSの情報を掲載しています。

三巻は明後日発売です。既に発売している書店もあるみたいです。

宜しくお願い致します。

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