少しずつの変化
結婚したからといって、特に生活が変わる訳でもありません。
朝起きて隣に最愛の人が居るという事は変わりましたが、それ以外はそんなに変わらないのです。嫁いだならまだしもジルは婿入りの形でアデルシャン家に入って来たので、家も敷地内というか、別邸にあるだけ。直ぐに家族に会いに行ける状態なのです。
「ジルー、父様が朝から本邸に来いと言ってましたよ。起きてー」
昨日は父様に散々こき使われたらしくて夜遅くの帰宅だったジル。折角の休日なのでお休みさせてあげたいのは山々なのですが、父様に呼ばれてるみたいなのでそうも言ってられません。
次期魔導院のトップと言われるようになったジルの負担は増すばかり。軽々とこなして子供の事も気に掛けていた父様ってかなり凄いんですよね。
父様も厳しいとは思うのですが、ジルの為なので仕方ないのですよね。……決して娘を奪われた憂さ晴らしとかではないと思ってますからね、父様。
ジルは起きてこそいるものの、私を抱き締めてはもぞもぞと肌に触れているので、そろそろ起きて欲しいのです。
素直に甘えてくれるようになったジルは、勿論可愛いのですが……そろそろ起きないと父様呼んでますし。私としてはこのまま甘やかしてあげたいんですけどね。
「ジル、起きてー」
「……起きてはいますが、休みくらい嫁と仲良くさせて欲しいものですね」
毛布の中で私に密着するジルは、起きる事には気乗りしていなさそうです。忙しいのもあって中々私と仲良く出来ない(ジル談)らしく、補給を兼ねてこうやってくっついているそうな。
何もなければ私もそのまま二度寝に入るのですけど……流石に呼ばれていますし、ちゃんと起こしてあげなきゃ。
「父様の用事が終わったら好きなだけくっついて良いですから」
「……そうですね、後の楽しみにしておきます」
漸く起き上がっては頬にキスしてくるジル。まあ私にこの台詞を言わせるが為にわざと起きてなかったのは分かりますけど、責めるつもりもありません。
ジルとは想いが通じるずっと前から側に居ましたけど、すごーく一途に私を見てくれてたんですよね。だから結婚した今では人目がなければ直ぐにくっついてくるし。いえ、嬉しいのですが……恥ずかしい、というか。とても大切にされてるのは実感出来るので、擽ったい。
完全覚醒したジルはてきぱきと着替えて人前に出てもおかしくない格好に。別に見て悪い訳ではないのですが、遠慮なく目の前で着替えられるのは恥ずかしいし慣れません。
相変わらずのしなやかな体というか、脱いだら凄いを地で行く人なので正直直視出来ない。普段殆ど肌を見せないから、ギャップが凄いのです。
「リズはどうしますか?」
「んー……ジルが出て行ったら着替えます」
「夫婦なのですから恥ずかしがらなくても」
「人間羞恥をなくしたら終わりだと思うのですよ」
流石に着替えを手伝われるのは恥ずかしくて死ねるので断固拒否します。ジルとしては別に着替えさせるのも苦ではないのでしょうが、というか割としたがるでしょうが、私の心臓と羞恥心に悪いです。そりゃあ夫婦ですし見られる機会があるからといって、羞恥がなくなる訳でもありません。
このやり取りは初めてではないのでジルはあっさりと納得して、私の額に口付けてから先に部屋から出て行きました。いつもの挨拶なのでそろそろ慣れなきゃ、とは思うものの、やっぱり額であれ口付けられるのは恥ずかしい。頬から熱が引くまで、ゆっくり着替えをする事にしましょう。
そうして私が本邸に行く頃には、ジルは父様と何か話してきたらしく少し気乗りのしなさそうなお顔。どうしましたか、と問い掛けると困ったように眉を下げて笑うのです。
父様ってばジルに期待してるせいもあって、結構接し方は厳しいのです。それは昔から変わらないのですけど、ゆくゆくは導師の任を担う程の実力を身に付けたので、余計に指導に熱が入っているというか。
あ、でも家ではそこまで厳しくないですよ、偶に釘は刺されてますが。
「また父様に何か言われたのですか?」
「いえ、今回は違いますよ。喜ばしい事です」
「……その割に顔が暗いのですよ?」
言葉と顔が一致していません。喜ばしいという割には、何というか困惑しているようで。少なくとも純粋な歓喜でない事は明白です。
今更父様の言葉に凹まされるようなジルじゃないのですが、今日のジルは何というか、ちょっぴりらしくない。父様に何を言われたのか、それを知らない事にはジルの表情の理由が分かりませんけど。
「で、父様になにを言われたのですか? 変な言い掛かりとかなら私が父様を叱り付けるので」
「リズ、父さんをどんなイメージで見てるんだ……」
父様はジルに風当たりが厳しいので、とジルの援護をしようかと思ったら、件の父様本人が丁度姿を見せました。朝から呼び出した父様ですが、何でジルがこんな顔をしているのか聞かなくては。父様ってばジルに目をかけてるからって結構に無茶振りしちゃうので。
「リズ、誤解してるかもしれないが俺は何らジルに不利益な事も言ってないし文句も付けてない。寧ろジルの為になる事を言ったんだぞ?」
「ジルの為?」
「ああ。もうそろそろ魔導院の二番手を名乗っても良いと言ったんだ。既に魔導院の連中からは実力が認められてるからな」
なんせディアスのお墨付きだ、と肩を竦めてみせた父様に、思わずジルを見上げると複雑そうな笑顔。
「それなのにまだ若輩者だからと躊躇しててな。折角専用の服も用意してるのに受け取ろうとしない」
コートをボロボロにした詫びも入ってるんだぞ、と決闘で使い物にならなくなった特注のコートの事を言われて、あの時は凄かったな、なんて妙に感慨深くなったり。
父様はもうジルの事を認めていますし、陛下のお墨付きもあり魔導院で二番手……つまり導師補佐に相応しいのはジルだと、魔導院の誰もが認めているでしょう。逆に父様に対抗出来たジル以外居ないと言いますか。
それは当然ですし妻として誇らしいのですが、ジルは浮かない顔。何で今になってジルは抵抗を覚えているのでしょうか。あれだけ父様に勝つと誓っていて、魔導院の上も目指していたというのに。
その疑問を感じ取ったらしいジルは私の頭を撫でては苦笑。何と言ったら良いのか、と戸惑い混じりの言葉を漏らし、それからふぅと一息。
「確かに上を目指してはいましたが、それはリズとの事を認めて貰う為であって、純粋に高みを目指していた訳ではないのです。中途半端な気持ちでそれを受け取っても良いのかと」
「寧ろお前以外の誰が受け取るんだよ」
「此処に居るリズとか」
「私にそれは勿体無いと思うのですが」
まだまだ未熟な私が二番手の名を受け取ってどうするんですか、苦情が来ますよ。
「……つーかお前ら二人でトップで良いと思うぞ、正直。リズが攻撃してジルが防御、それが一番強いと思うんだが」
「私は父様には勝てませんよ」
「それもいつまでかね……言っとくが、広域に撒き散らすならリズの方が強いからな」
俺は流石に一発で国を破壊とかは出来ない、と掌を振られ、私も出来ないと言おうとしたものの二人して真顔で出来るとか言ってくるので口を噤むしかありません。そんな危ない事しませんし、流石に全力出しても無理な気がするのですが。
そもそも魔力が多いだけで制御力は圧倒的にジル達の方が上なんですよね。大分制御出来るようにはなりましたけども。
「どうせ俺が退けばジルが一番手になるんだ、リズと一緒に魔導院のトップ張れよ。誰も異存はないだろうに」
「……私には相応しくありません」
私はまだまだ若輩者ですし、魔物退治やらなんやらで忘れ去られがちですがセシル君の研究室に配属されてます。居心地良いですし、セシル君とも友人関係は上手い事いってるので変わる気なんてないのですよ。
そりゃあ異動の辞令が出たら変わりますけど、父様が戦闘専門の場所に入れるとは思いませんし。
むう、と唇に山を作ると、父様は「何も今すぐじゃない」と宥めるような前置き。
「俺だってずっと最強という訳じゃない。現にジルやリズたちは強くなっている。いずれは俺を越えていくだろう。その時は、二人に後を任せる、という話だ」
それに老いには勝てないからな、と何とも身も蓋もない事を付け足す父様。へらりと笑った父様は、まだまだ年齢より遥かに若く見えます。それでも、もう四十に近いのですが。
……父様も、いつかは私達に後を任せて家の事に専念するようになるのかな。そう思うと少し寂しくはありましたが、きっと、それが時の流れという事もあるのでしょう。
少ししんみりしてしまったのが顔に出ていたみたいで、父様は苦笑。
「ま、直ぐに導師になれとか言わないから。ただ、ジル、お前は俺と対等にやり合ったんだからもっと自信持てよ。素直に称賛くらい受け取りやがれ」
何も、父様はジルの事を嫌っている訳じゃありません。息子のように可愛がってすらいたのです。まあルビィとは違う愛の鞭方式ではありましたが。
名実共に息子となったジルに、厳しくも、認めて接しているのです。
大きな掌にくしゃりと乱暴気味に頭を撫でられたジルは最初こそやや戸惑い気味でしたが、次第に穏やかな笑みが浮かんでは零れます。
返事は、という父様のからかうような声に、ゆっくりと頷いて「はい」と明瞭な声音で答えたジルに、もう迷いはありません。
……きっと、こうして世代交代がなされていくのかな、なんてちょっと擽ったい気持ちで、私もジルを祝うように抱き付いては二人に微笑んでみせました。