そして、立っていたのは
何が起こったのか、私には分かりませんでした。
轟音と熱風。衝撃波が障壁を貫いて襲い掛かって私にぶつかった所までは、意識は確かでした。その後から、一時的に記憶が失われています。
気付けば陛下が地に膝を着き、私の事を上半身を抱き起こして心配そうに此方を覗き込んでいました。
「っげほ、ぅ……」
「大丈夫か、リズベット嬢」
「へい、か? ご無事で……」
「私はリズベット嬢の障壁とセシル殿の防御術式があったから無傷だ」
首から下げたチェーンには見覚えのある小さなミスリル製の飾りがあり、それが陛下を守ってくれたようです。
私の障壁だけでは魔術の余波を受け止めきれなかったみたいで、セシル君には本当に感謝しかありません。こちらの都合で陛下の御身に傷を負わせるなどなりませんから。
取り敢えずはどうやら私だけ吹き飛ばされて背中を強かに打ち付けたみたいです。げほ、と咳き込むと地味に痛くて、痛いままでも堪らないので治癒術を使って治しておきました。
流石に陛下に凭れ続ける訳にはいかずに治った事を確認してから立ち上がると、陛下も心配そうながら続いて立ち上がります。
「大丈夫か?」
「私は平気です」
打ち付けただけで肺や骨が損傷している訳でもなさそうでしたし、治癒術を使っているので問題はありません。
けれど、私以外の被害が酷い。
見れば観客席は瓦礫となっていて、最早観客席と舞台の区別がつかないほどにぐちゃぐちゃになっています。対魔術の建材であるのに溶けている場所も多く、それだけ術式が苛烈だったという事の証明でもあります。燃え移っていないという事は、父様が火を消したのでしょう。
先程の障壁とは別に会場全体に張り巡らされた防御術式を起動していたにも関わらず、この有り様。何も対策なしだったら更に悲惨な事になっていたでしょう。
全力の『インフェルノ』は、膨大な熱を持った炎と衝撃が撒き散らされるから。今しがたそれを実感しました。前の『インフェルノ』の手加減具合も、よく分かりましたけど。
「ヴェルフめ、訓練場一つ半壊させおって。後で始末書を山程書かせてやる」
「ジルは!?」
陛下にぼやきに改めて今の事態を思い出し、慌てて瓦礫を乗り越え中心に視線を向ければ……二人の姿が、しっかりとありました。
コートをボロボロにし生地も焼けて引き締まった肌が所々見えて、その見えた肌は赤くなり火傷を負っている痛々しい姿でしたが、それでも紛れもなくジルは立っていて。
じわりと涙が浮かんで危うく嗚咽が零れそうになりましたが、我慢。でも嬉しくて、瞳からは勝手に涙が滴ります。凛々しく勇ましく、誇るように立っているジルの姿が、涙で滲んで見えました。
「……これは、リズ様に救われましたね……このコートがなければ、立ってはいても相当火傷を負っていましたよ。後遺症が残るのは勘弁ですから。文字通り、一緒に戦ってくれましたね」
最早使い物にならなくなったコートを愛おしそうにそっと撫でるジル。慈しむ笑みは、とても穏やかで落ち着いたものでした。
相対していた父様は、ジルが無事二つの足で立ち健在している事を確かめ、はあと深い溜め息。
「……まさか受けきられるとは思ってなかった。此処まで成長されるとは」
途方に暮れたような響き。けれど、微かな歓喜も、含まれています。
父様の表情には、もう敵意はありません。ただ、無事なジルを見て何処か安堵したようにもう一度吐息を零していて、父様は心の底では既に認めていたんじゃないかって、何となく思いました。
「分かったよ。認める、娘をやる。泣かしたらただじゃおかないからな」
「……ええ。大切に、します」
父様の睨みと共に承諾の言葉を得たジルは、神妙な面持ちで頷き私の方に視線を移して。私の涙を見て申し訳なさそうに眉を下げたけれど、直ぐに誇らしげな笑みを浮かべて私を宥めます。
それにまた涙が滲んでしまって、ごしごしと手の甲で擦って、私も微笑み返して。
本当に、勝ってくれた。信頼に応えてくれた。……あの父様に、自身の存在を認めさせた。本当に、本当に……私、ジルと幸せになっても、良いんですね。
ぐしゃぐしゃになってみっともない顔をしている私に、父様は目を丸くして、それからふっと穏やかな笑みを浮かべます。
その優しい眼差しが、何よりの答えで。
「リズ、泣かされたら俺に言えよ、今のはノーカンにしといてやるから。……幸せになれよ」
柔らかく微笑んだ父様はそのまま瞳を閉じて、そして後ろにゆっくりと重心が移り……そのまま、倒れます。どさりと音がして床に倒れた父様は、そのまま目を覚まそうとしない。
「父様!?」
「案ずるな、魔力が枯渇しただけだ」
何で、と震える私に、黙っていた陛下が此方に近付き、父様の様子を遠目に確かめてから微笑みます。
魔力枯渇による昏倒。以前私も体験した事のある、気絶状態のようなもの。つまり、全力を出し切った。
今ジルはきっちり立っていますが、ジルも恐らく限界ぎりぎりなのだとは思います。少しふらついていて、でもしっかりと地を踏みしめている。
「……あやつも、なるべく此方に被害が来ないようにしていたみたいだからな。私が担いでいこう」
「へ、陛下の手を煩わせる訳には」
「構わん。起きたらたんまり始末書を書かせるつもりだからな。……それに、二人を邪魔する程野暮でもない」
相変わらずの美貌でウィンクを一つ。かあっと私の頬に熱が昇ったのを愉快そうな笑みで見詰めてから、陛下は瓦礫を乗り越え地面に転がった父様の元に向かっていきました。
側まで近寄った陛下は意識を失った父様を見下ろしては「最後まで意地を張りおって」と、溜め息。けれど、声は丸く、そして少しだけ誇らしげに。最後まで自分の矜持を貫き通した父様を、陛下は優しく見守っていました。
身動ぎ一つすらしない父様に、陛下は「起きたら覚悟しておくと良い」と揶揄するような笑みを浮かべ、次に私とジルを交互に見ては祝福するような慈愛の眼差しを送って下さります。
堪らず頭を垂れれば、陛下の喉を鳴らして笑う音。
「ほら、リズベット嬢。未来の旦那が待っているぞ」
「……っ、ありがとう、ございます」
感謝の言葉と共に顔を上げ、私を待つジルの元に。陛下はそんな私達を何か眩しいもののように目を細めて見遣り、それから父様を背負って私達を気遣うように静かに訓練場を去っていきました。
「……ジル」
側に寄れば、はっきり分かる体の状態。遠目で既にボロボロだとは分かっていましたが、近寄れば皮膚に火傷を負っていて衝撃などで肌が裂けている部分もあり、痛々しい。
父様に勝つ為には避けては通れない道とはいえ、傷付いて欲しくはなかった。我が儘だって、分かっていますが。
まずは何より手当てと患部に手をかざし治癒術を使う私にジルは苦笑して、それから治すのに必死な私を愛おしげな眼差しで見つめて来ます。
「……漸く、認められましたよ」
「それは分かりましたから、まず治癒を……っ、きゃ」
嬉しい、本当に嬉しいけど、祝うのはジルが治ってから。そう決めていたというのに、ジルはお構いなしに私を引き寄せ腕の中に収めるのです。
「……リズ」
そうして囁かれた名前に、私の息が一瞬止まってしまいました。
敬称も何も付けられていない、対等な立ち位置からの、言葉。今まで呼ばれる事のなかった呼び方に体を震わせれば、構わず抱き締め全身で歓喜を伝えて来ます。もう離さないと、甘く囁き。
「……随分と、待ちました。身分違いだと諫められた事もあった、他人に忌々しい血だと罵られた事もあった、諦めるべきだと諭される事もあった。……でも、もう、私は我慢しなくても良いのですね」
今までは、決して認められるものではなかった。許されない想いだった。けれど、今、私達は父様に認められて、そして一生を共にする事を、許された。その歓喜は、お互いに計り知れない。
もう、我慢しなくても良い。愛しい人の側に居る事が許される、結ばれる事が許される、生涯を共にする事が許される。
そう考えただけでじわりとまた涙が滲むのですが、浮かんだ雫はジルの唇が吸い取り喜びごと私を受け止めてくれて。
涙を堪え顔を上げた私に、ジルは慈愛の眼差しで、私に視線を注ぎます。もう、誰に憚る事なく想いを受け入れても、良いんだ。
「もう一度、言わせて下さい。……リズ、私はあなたを心の底から愛しています。あなたと共に在りたい。……私と、結婚して頂けますか?」
「……はい」
断る筈もなく、微笑んで頷けば、ジルの幸せそうな笑みが迫って来ていました。瞳を閉じれば唇に柔らかい感触が当たり、染みるように全身に多幸感が巡る。ふわふわして、温かくて、溶けてしまいそうなくらいに、幸せで。
愛しさに抱擁を強めてジルにくっつけば、ジルもまたぴとりと寄り添って全身で私を受け止めてくれます。
「ずっと、あなたの側に」
腕の中で囁けば、一層幸せそうな顔をするジルが居て、私もまた頬が溶けてしまいそうな感覚を覚えながら微笑みました。