殿下の突撃 セシル視点
セシル君視点で前話にあった殿下が突撃してきた事のお話です。
「失礼する」
研究も一段落して一息つこうとすっかり冷めた紅茶を口に含んだ瞬間、ノックもなしに飛び込んできた人物を見て危うく吹き出しかけた。
すんでの所で大惨事は免れたものの、気管に入りかけて軽く噎せて紅茶も零しそうになり、慌ててカップを机に置いて咳き込む。げほげほと反射的に出る咳で生理的な涙が浮かび上がるのを自覚しつつ、頭だけは何故か冷静に目の前の事態を把握しようと動いていた。
扉から飛び込んできたのは、フード付きのローブを纏った男。部屋に入ってからフードを取った男は金髪碧眼の、客観的に見れば美丈夫。それはどうでも良いが、問題は男が何者かという事である。
「……ユーリス殿下、急な来訪はお止め下さい」
ノックなしに扉を開けた事も別に良い、問題は次期国王が護衛も連れずアポなしに部屋に転がり込んで来たという事だ。
漸く咳が収まり、俺は改めて目の前の男に視線を移す。
ユーリス=イル=セレスティアル。国王陛下の第一子にして次期国王となる男が、一研究者である俺の元を訪れてくるなど。
正直言って特に親しくしている訳ではない。公爵家の人間として、そして魔道具研究の責任者として会う事はあるし面識はあるが、私的に話す事は滅多にない。
だというのに、何故か殿下は俺の元に来ていた。確実に私用であろうラフさで。
「堅い事を言うな。少し貴殿と話したい事があってな」
「私と、ですか」
政務時の事務的な雰囲気はなく、ただ何処かすっきりしたような明るい雰囲気で。言葉遣いこそ普段とそれほど変わりはないが、柔らかさや気安さが違う。
私用で訪れたらしい殿下に、何故俺なのかという疑問が湧いたが、それも話を聞けば分かるだろう。俺個人に話があるなら断る訳にもいかないし。
目的はよく分からなかったが、王族を無下に扱うなど出来る筈もなく、ソファを進めようとすれば「構わん、このままでいい」と鷹揚な態度。
「私の事は気遣わずと良い。此処には貴殿と二人だ。言葉遣いも普段の物で構わない」
それで良いのか王族。とは思ったものの、陛下に対しヴェルフは公的な場以外はフランクな口調だから良い……のだろうか。俺と殿下は親友とはとても言えない関わりなのだが。
殿下は気軽に言ってくれるが、中々に普段通りの言葉を使うのも気が引ける。だが殿下の眼差しが敬語は止めろと訴えているので、渋々俺も納得して砕けつつもある程度失礼のないような言葉遣いをすると決めて話す事にした。
「……分かった。それで、何の用で?」
「いや、一応貴殿にも報告しておこうかと思ってな」
「何を?」
「振られた!」
爽やかな笑顔で言い切った殿下に、思わず素で「は?」と言ってしまった。
振られた、そう殿下は言った。誰に、と考えて直ぐに一つの結論に辿り着く。つまりは、そういう事なのだろう。あいつはジルを選んだ、殿下にも答えを出しに行った。そこから振られた、が来たのだろう。
よくよく見れば、後悔のない笑みはしているものの、目元はほんのり赤く腫れている。もしかすると、振られてからそう時間が経っていないのかもしれない。
……それは良いとして、何故わざわざ俺に言いに来たのだろうか。普通は隠しておきたい事実であろうし、自ら言い触らすなど。
「……それは分かったが、何故俺に?」
「貴殿もリズに振られたのだろう?」
「何処で聞いたそれ!?」
何で殿下が知ってやがる!
わざわざ殿下にリズが言うとは思えないし、ジルも言わないだろう。それ以外で俺の気持ちを知っていた奴となると……ヴェルフの野郎か。何口を滑らせてやがる……つーかいつ言いやがった。
ヴェルフの野郎、と毒づけば殿下は少し愉快そうに口許の笑みを深める。大衆に見せる気品のある笑みではなく、何処か少年のような悪戯っぽい笑み。
「互いに長年片想いして見事に振られたな」
「……俺は殿下程じゃない」
軽い微笑を湛えてあっさりと言う殿下は少し悔しそうで、だが諦めは付いているのか落ち着いた様子だった。とても長い恋が終わったというのに、晴れ晴れとした表情。きっと、こうなる事は最初から予想していたのかもしれない。俺のように。
殿下は、俺よりもあいつに惹かれていた期間がかなり長いらしい。リズは出会った頃から慕われていると漏らしていたから、恐らく十年は易々と超えるであろう。
それなのにひたすら思い続けていた殿下はとてもひたむきとしか言えない。振られたというのに潔く認めていて、よく諦められたな、と感心してしまう。
「それでも貴殿も長い間リズを思って来ただろう。そして、私よりも側に居てリズの魅力に触れてきた。リズがジルに惹かれていくのを近くで見ていた分、辛いものがあると思うが」
「……言ったら悪いが、俺は最初から諦めてた。叶わぬと知ってたからな」
「……その諦めの良さもどうかと思うぞ。触れる事が出来るなら足掻けば良かったものを。私より側に居ただろう」
「そんな事を今更言っても詮なき事だ」
今更嘆いても仕方ないだろう。それに、もう俺は吹っ切っている。今も愛しいとは思うが、俺の手で幸せにする事はならない。リズはジルを選んで、ジルの手で幸せになる事を選んだ。
なら、俺はそれを見守るしか出来ない。そして、それで良いのだと思う。リズが幸せそうに笑うなら、それで良いと。好きだった女が幸せになるのなら、それはきっととても幸せな事だ。
後悔はしていない。あいつの幸せを願うのは、俺が決めた事だから。
「俺はリズが笑っていられるなら、それで良いよ」
やんわりと首を振って苦笑した俺に、殿下は少し目を丸くして、それから殿下も仕方ないといったような笑みを浮かべた。
「貴殿は損をする男だな」
「よく言われる」
肩を竦めてみせると、困ったように殿下も肩を竦めた。そういう殿下も損な役回りをしているし、正直お互い様だとは思っている。
「ま、もしジルがリズを泣かしたらジルをとっちめるくらいは許されるだろう」
「そうだな。私も許されるだろう」
含みを持った笑みの殿下に、これはもしジルがリズを傷付けたら周りの反応が恐ろしい事になるな、と自分でも笑うしかない。俺も含め、殿下やルビィ、ヴェルフが黙っちゃいない。こう考えると中々にリズも大切にされているものである。
だから、ジル。リズを悲しませてくれるなよ。幸せにすると決めたなら、ちゃんと守ってくれ。……俺は、お前に任せたんだからな。
そんな事がないように祈りつつ、俺は殿下と顔を見合わせて苦笑するのであった。