密かな交流
「殿下振ったのか」
昨日の今日で情報回るの早過ぎませんか、と何処から仕入れてきたのか激しく疑問な情報を口にしたセシル君に、私は頬が引き攣るのを感じました。
何故セシル君が知っているのか。
一騎討ちを知るのは当事者だけな筈。訓練所の人払いは済ませてありましたし、扉はきっちり閉まっていた。
残る可能性としてジルが漏らしたか、殿下が漏らしたか。ジルが他人に吹聴するとは考えられませんし、殿下……なのでしょうか。でも意味もなくこの事を漏らせば、私だけでなく殿下の醜聞にもなるのに。
殿下は気遣いの出来る方なので、お互いの事を考えて他言しない筈です。そもそも求婚自体内密なもので、私とジル、母様しか知らなかったのですから。
「何で知ってるんですか」
「俺の所に突撃してきたからな、すげえびびった」
書き終わったらしい書類の端を机で整えながら呆れたように肩を竦めたセシル君に、私は自分の席に着きながらも首を傾げます。
「あれ、殿下とセシル君って交友あったんですか?」
「親しい訳じゃないがな、夜会や魔道具献上する時とかに会うっちゃ会う。今回は別用件だったが」
「……用件?」
ああそっか、交流が全くない訳でもないですよね。セシル君普段は実家に帰りませんが、公爵家の嫡子ですから。家の都合でパーティーに公爵家として出席している事も多々あります。
当然挨拶とか普通の会話はあるでしょうし、セシル君の言ってた魔道具を献上する際に会話はあるでしょう。同年代ですし、セシル君はとても優秀な研究者だと認識されてるので。
でも昨日の今日で、殿下とセシル君が会って暴露……? と、納得いかずに首を捻るしかない私。セシル君はうっすら苦笑い。
「振られた! と良い笑顔で宣言されたぞ。目は赤かったが」
「……殿下」
「仲間にされたからな、振られた者の。何で知ってやがったあの人」
ヴェルフの奴が口滑らせただろ、とこの場に居ない父様に悪態づくも、眼差しは険しくはない。寧ろ柔らかさすら伴った視線が、私に滑ります。
殿下との間にあった事は本人に知らされているのでしょう、気遣いとも違う優しい瞳。きっと、セシル君は私が罪悪感を抱いているのなんてお見通しで、詰問したり責めたりなどしない。
その優しさが、私には辛いのです。セシル君から想いを告げられているから、尚更。
「謝らなくて良いからな。仕方ないし、お前の選択であり俺や殿下の選択だ。後悔してるなんて言わせねえからな」
「後悔はしてません」
罪悪感はあるけれど、後悔は一切していません。私はジルが好きなのだから。罪悪感を噛み締めて、尚私は選んだ。後悔などある筈がありません。
これだけははっきりさせておきたくて明確に断言すれば、セシル君は「なら良し」と淡い笑顔で受け入れてくれます。セシル君自身にも、後悔も嫉妬の色はなく、純粋に喜んでいるようにすら見えました。
「俺は吹っ切れてるし、殿下も諦めはついてた。誰を選ぶにせよ残りはこうなるんだから、仕方ねえよ。お前はお前の事だけ考えろ、一々俺らの事まで気にするな。幸せは誰かの犠牲に成り立つものだ」
激励か、或いは慰めか、はたまた自分に言い聞かせる為か。
そのどれも含んでいるかもしれない言葉をセシル君は口にし、少し眉が下がり気味な私に「変に気遣うなあほ」と距離さえなければでこぴんしそうな悪戯っぽい笑み。
「……ありがとう、セシル君」
「どういたしまして」
セシル君には励まされてばかりです。私がうじうじしてるのが悪いのですけど。
「お前は早く身を固めて俺達を安心させてくれ」
「それは頑張っているのですが……結局ジル次第ですから」
身を固める、という言葉がちょっぴり気恥ずかしかったりしますが、同時に胸の奥からじわりと滲む歓喜。
昔は結婚なんて実感がなかったし、さして興味があるものでもありませんでした。
けれど、今ジルと結ばれて、共に過ごしていきたい、幸せな家庭を築いていきたいという思いがあるのです。結婚を身近に感じて、言い知れぬ高揚感があるというか。
少し照れ臭くて頬を押さえた私に、セシル君も苦笑を返します。
「そうだな。ま、頑張って貰うしかない。ヴェルフもこの期に及んで手加減なんかしないだろうからな」
「それはジルに失礼だと父様も分かってますからね。それだけの相手だと認めてくれているのでしょうし」
父様は私とジルの結婚に反対ではありますが、ジル自身を認めていない訳ではありません。寧ろ、父様自身や私のように血統的な優位がある訳でもない中、努力だけで今の実力に至っているのですから。
ひたすらなる鍛練、力を追い求める貪欲さ。今思えば、それは全て私の為だったのでしょう。
その努力を認めているからこそ、父様は手加減など一切しない。全身全霊で、ジルを迎え撃つつもりなのです。ジルも、その期待に応えるつもりでいるでしょう。
「執念は恐ろしいと俺が初めて覚えた相手だからな……」
ジルのやる気はセシル君も知るところなので、苦笑いを通り越してほんのり呆れを含んだ眼差し。やや遠い目をしているセシル君です。
セシル君の目から見てもジルの懸想の程は凄かったらしく、自覚した私が漸く感じ取れるものをセシル君はずっと感じていたのでしょう。
よく考えれば、昔セシル君に忠告されたのはこの事だったのでしょうね。セシル君なりに忠告していたのに気付かなかった私は相当鈍い気がします。
「……ある意味で凄いですよね。そんなに私の事好きだったなんて」
「気付かねえお前もお前だ、あれだけ分かりやすかったのに」
「そ、それは申し訳ない限りですが」
……言い訳をさせて頂くなら、ジルは凄く一途でひた向きな事は分かってましたが……それが恋情に繋がるとは、極最近まで思ってなかったのですよ。まさか小さい頃から側に居るお兄さんみたいな人が異性として好いていたなんて、普通思わないでしょう。
今では気付いて愛を受け入れていますが……本当に、びっくりしたんですから。
眉を下げた私にセシル君はやれやれといった風に肩を竦め、それからふわりと柔らかな笑みを浮かべます。
仕方ないやつだ、そう小さく囁いたセシル君は、何の暗さも感じさせない微笑みを湛えては、私を見詰めて来ました。まるで視線で頭を撫でられたような、慈しむような優しい眼差し。
「……ま、今では自覚してるし幸せそうだから良いけどな。ちゃんとこれからも幸せにして貰えよ」
温かいのは眼差しだけでなく、言葉も態度も雰囲気も、陽射しのような温もりがあって。
……言葉に表せない程の、感謝が、胸に滲みます。
「……はい」
全ての感情を一言に乗せて微笑めば、セシル君もまた一層穏やかな笑みで頷いては静かに瞳を眇めるのでした。