弟の襲撃その後
私の弟は可愛らしい顔をしてかなり剛胆というか、強かで有言実行がモットーな弟なのだと思い知らされます。
あの後本当にジルの元に突撃したらしく、ジルが私の元を訪れた時には色々とボロボロになっていました。まさか若干髪の毛の先をチリチリさせ煤けた顔で来るとは思ってなかったのです。
「……ルビィ、本当に突撃したのですね」
「ルビィ様にお伝えになったのですね、笑顔で色々と責められました。間違いなくルビィ様はヴェルフ様の血を色濃く継いでいらっしゃいます」
右手でジルの髪を整えつつ左手で煤けた頬をハンカチで拭ってあげれば、苦笑と共に称賛と困惑が混じったぼやきがぽろり。状態からして、恐らくルビィが襲撃を仕掛けたのでしょう。ジルも何でルビィが苛立ってたのかは分かるでしょうし、甘んじて受け止めたのだとは思います。
……それにしても、流石にジルも無抵抗ではなかったでしょうけど、魔術を少し食らわせるとは。ジルも防御の手を弱めてかなり手加減はしている筈ですが、それでもジルがいなしきれる上限を突破出来る程の威力が出せるようになったなんて……何というか成長が著しいです。
小さい頃は魔術行使なんて以ての他でしたが、今やセシル君に師事しながらジルに掠り傷を与えられるくらいに成長したのですよね。……誤解を招きそうですが、ジルも多分とても手加減はしていたとは思いますよ?
「怪我とかは大丈夫ですか?」
「ルビィ様の気持ちも分からなくはないので受け止めておきましたよ。火傷はないので大丈夫です」
「他はあるのですね?」
「胸倉掴まれて一発殴られましたけどね。ルビィ様もお強くなりましたね」
普段はとても温厚で人を傷付けるのを苦手とするルビィがそこまでするのは、本当に珍しい事。それだけ腹に据えかねたのでしょう。
でも、ルビィは私を応援すると受け入れてくれた。……まあジルにはやっぱり姉様を奪われたと感情は納得は出来なくて、こうしてジルにちょっと八つ当たりしに行ったみたいですが。
「後でルビィを窘めておきます」
「大丈夫ですよ、まあこうなるとは思ってたので。想像よりもアクティブでしたが」
成長なさりましたね、とハンカチで頬を拭う私の手に触れて肩を竦めるジル。ルビィがジルを責めるのは本人も想定内だったのでしょう、ただまさかルビィが予想を越えて成長していたみたいですが。
「ルビィ様には『姉様を不幸にしたらありとあらゆる手段でジルを叩きのめすからね』と凄まれました。愛されてますね、リズ様も」
……時折私のルビィ像とジルのルビィ像が乖離してるのではないかと思うのですよ。
「それだけリズ様は大切にされていますし、愛されているのですよ。私が独り占めするには勿体ない程です」
「……でも譲る気はないのでしょう?」
「勿論です」
そこは揺るぎないのか、直ぐ様断言しては私の左手を取り、薬指に唇を触れさせるジル。未だに空いたままのそこは、いずれ彼から贈られる物で埋まる。それが恥ずかしくもあり、待ち遠しくもある。
私だって、何があろうと左手の薬指に誓わせるのは彼だけだと思っています。全てを捧げても良いと思うのは、ジルだけ。
誓いが無上の喜びであるのは、お互いに。その証拠に私もジルの左手薬指に口付ければ、この上なく嬉しそうに頬を溶かすのです。あんまりに幸せそうで、私もジルの事とやかく言えないくらいにだらしない顔になっていました。
頬を緩めて正直な気持ちを表に出せば、自然な流れでジルは私の事を抱き寄せて瞼に口付け。引き締まった腕に包まれるのは、心地好いけど未だに気恥ずかしさがあります。結婚したら、慣れるのでしょうか。
……その結婚の前に、父様を破れなければ仮定は全て意味をなくすのですが。
今幸せ一杯なのは良いですけど、考えるのはこれからの事。
私達の仲を母様は知っているけど、父様には内緒にしているのでいずれはカミングアウトしなければなりません。父様は父様で確実に最初は駄目だと言われるでしょう、それくらいは分かります。
ジルの条件を考えれば対立は必須。父様は一度決めたら梃子でも動きません。柔軟性はあるから頑固ではないですが、意思は固いし簡単には曲げてくれません。だからこそジルも自身を鍛えているのですが。
それに加え、殿下の事も直接会いに行って断らねばならないです。私がジルを選んだ以上、殿下の告白にも答えを出さないと。殿下も忙しいから中々謁見出来ておりませんが、答えだけは出したい。
散々待たせて振り回しておいて断るのは、非常に申し訳ないし心苦しい。けれど、私はジルを選んだのです。せめて、直接会って断らなければ。
胸の中で溜め息をつくと雰囲気の変化が分かっていたらしいジルが顔を離して「どうしましたか?」と柔らかな笑みで顔を覗き込みます。
「……ちゃんと父様には言わなきゃなあって」
「ヴェルフ様には私から直接言わないと駄目でしょうね」
「そうですね……私から泣き落としは最終手段ですし」
「それでは意味がありません。それに、私がリズ様を得るに相応しい実力を見せなければヴェルフ様は真には認めてくれませんよ」
既成事実を作るのは簡単ですが、それでは意味がないと悪戯っぽく囁くジル。
私もこの歳にもなって意味が分からない程ではないし、ジルが私を女として望んでいるのは百も承知です。ジルとそういう行為をするなり、何ならジルが私を連れ去るとかいう手段が取れなくもない訳で。それでは意味がないからこそ、今壁に直面しているのですがね。
「それはそうですけど、もしもの時は押し通ります」
「そこは逞しいのですね」
「ジルと離れるなんて嫌だもん。此処は曲げませんよ」
「なら私の信念も貫かせて下さい。私は自分の力であなたを勝ち得たいのです」
「……うん」
男の矜持です、と凛とした眼差しで囁かれ、唇からその熱を注がれ。軽く触れ合うだけでジルの熱意が此方にも伝播しそうな程です。ちゅ、とわざとらしいリップノイズが耳朶を打つのが、羞恥を煽っていました。
無理強いはせずただ軽いキスを交わすだけ。それだけでも満たされて、へにゃりと顔が緩んでしまいました。みっともないと自分でも思うのですが、ジルはそれすら愛おしそうに見詰めて来るのです。
セシル君にべた惚れって言われるくらいにジルは私の事好きで、私もジルの事好き。この気持ちだけは、譲れません。たとえ父様でも。
「……あのね、父様が認めてくれなくても……私はジルと一緒に居ますから」
「リズ様」
「たとえ私がアデルシャンでなくなっても、愛してくれますか?」
もしも負けて逃避行にでもなったとして、ジルはそれでも愛してくれるか。そんな意味の問い。まあ答えは聞かずとも、ジルの表情が雄弁に語ってくれているのですけどね。
「当たり前でしょう。……たとえ貴族でなくなっても、私はあなたが欲しいしあなただけを愛します」
「うん。……ずっと、側に居て下さい」
「勿論」
否定の返事が返って来る筈もない。
私から満面の笑みを引き摺り出したジルは、一層笑みを深めて口付けるのでした。