気不味さ
母様には私から相談しているので、何となくで私とジルが懇ろな仲になったと察する事が出来るでしょう。母様は理解して下さっているので、父様にも言ったりはしません。
言うつもりはあるのですが、まだ時期尚早。
家では普段通りに接してジルの準備が整うまで内緒にしておきます。ルビィにも、一応。
ただ勘が物凄く良い子なのでいつまで隠し通せるか分かりません、洞察力があるのと、母様譲りの恐ろしいまでの第六感。姉にはそこまで受け継がれていないのですが、ルビィにはばっちり受け継がれております。
ルビィは外見父様似で中身は母様似、私は外見母様似で中身は生来のものもありますが父様寄りであります。力押しの所とかね。
父様にも隠すつもりではあるのですが、私からボロが出そうなので何処まで時間を稼げるか。
まあ言った所でタイムリミットはそのままですけど……ジルの風当たりを強めるのも嫌なので。そして気不味くなるのも嫌です。
そんな感じで暫くは内緒という取り決めをした私ですが、翌日の出勤程複雑で気が進まないものはありませんでした。
「おはよう」
「……おはようございます」
恐る恐る研究室に入ると、いつもと変わらぬセシル君の挨拶。そりゃあもう此方が拍子抜けするくらいに普段通り、意識しているのは私だけ。
いつも通りなのは私にもありがたいのですが、此処まで普段通りというのも、逆に困るというか。
けれどつついて何かあっても困るので、そのままなるべく静かに自分の机に向かってお仕事を開始します。今日のお仕事が書類整理や使い捨て魔道具の魔力の補充だけで助かりました。セシル君とのやり取りも最小限で済むから。
お喋りもなくやけに静かな室内は、さらさらと羽ペンによる紙を引っ掻く音と書類を捲る音だけが響きます。私は私でセシル君の一挙一動についびくびくしてしまうので、落ち着きません。
「そこまで意識されても困るんだが」
そんな事を繰り返していると、苦笑混じりの溜め息と共にセシル君が声を掛けて来ます。
ちら、とセシル君を見ればいつもの表情に苦笑いを浮かべ、仕方のない奴だと言わんばかり。態度が変わる訳でもなく、本当にいつも通りで……。
「だ、だって」
「お前はジルと上手くいったんだな?」
「……はい」
「なら良い」
躊躇いがちに頷くと、セシル君は強く感情を乱す訳でもなくただ私の言葉を受け入れます。
何も思ってない訳でないでしょうに、それでもセシル君は変わらない表情と態度。怒るでも、悔やむでも、悲しむでもなく……毅然とした表情で、頷いていました。
私がこんなにも気不味くて申し訳なさで一杯なのに、本人は凄く平常通りで。
「……私から言うのもおかしな話ですけど、セシル君は、それで良かったのですか?」
本当に振った私から言う事ではないのですが、あまりにもセシル君がいつも通りで、気になってしまう。
何なら怒ったり責めたりしてくれても良いのに、彼はあまりにもさっぱりと未練を断ったように平常運転。恐らく私に気を遣っているのもあるでしょう。
でも、好きと言う気持ちを、そんなにあっさり手放すなんて。
「あれの執着に敵うかと言われればちょっと自信ないからな。まあそれでも好きには好きだったぞ」
あれの執着、はジルの事を指しているのでしょう。ジルの私に対する執念は凄いのだと思い知らされた最近では、色々とセシル君の苦労も理解して来ました。セシル君には散々迷惑をかけてきたのだとも。
「ま、お前が幸せならそれで良い。俺がジルの立ち位置に居たかったのは否定しないが、お前が幸せで、笑っていられるなら良いよ」
「……セシル君」
気遣いも、あるのでしょう。
けれど、それ以上にセシル君の本心が伝わってくるから、申し訳なさとセシル君の優しさにじわじわと目の奥が熱くなって来ます。
セシル君は、私が思うよりもずっとずっと優しくて、誠実で、格好良い人です。私欲よりも私の幸せを願ってくれるくらいに、セシル君は優しくて他人思いで。
「って、格好つけてみてはいるが、結構悔しいからな? あいつさえ居なければとかも思うし」
私の表情の曇りに気付いたのから茶化すように笑って肩を竦めてみせるセシル君。それすら優しさと気遣いに満ちたもので、 どうして私はこんなに素敵な人を選ばなかったのかとも思います。
ジルを選んだのは私の意思で、ジルが好きだから。セシル君の魅力をよく分かった上で、私はジルを選んだ。素敵だと分かっていても……私は、ジルしか恋情を抱けなかった、から。
「私も、ジルが居なかったらセシル君を選んだと思います」
きっと、ジルが居なかったら、私は迷う事なくセシル君を選んだ。殿下が嫌ではないけれど、私は殿下と共に生きていくよりセシル君と寄り添って生きていく事を選んだでしょう。
どうにせよ全てもしもの話で、現実はジルを選んでいるしジル以外を選ぶつもりもありません。
それを分かっているから、セシル君は眉を少しだけ下げて苦笑。ゆっくりと首を振り、僅かな寂寥を表情に滲ませます。
「そんな仮定はお互いに無意味だろ。お前はジルを選んだんだから」
「……うん」
「良いんだよ、これで。俺が悔しがったりしても、お前には関係ない。俺が決めた事だからお前が悩む必要はないからな」
未練はあるのかもしれない、けれど、その言葉に後悔も迷いもありません。揺らがない意思で、きっぱりと言い切ったセシル君は……本当に、格好いいと思います。
思えば、小さい頃から一緒に居て、共に成長して来た。私は体だけの成長なのですが、セシル君は心身共に成長して来た。
最初は、人嫌いで孤独と劣等感に苛まれていた。拒む事でしか自分を守れないと思っていた、男の子だった。
それが、いつしか人と接するようになり、笑うようになって、守る対象を広げて他人を守るようになって、思い遣りに満ちた男性になった。
私が知る中で一番、彼は成長しました。それこそ、誰よりも……優しく、凛々しく、格好良く。本当に、私には勿体無いくらい素敵な人に。
「……セシル君は、優しいですね」
「今日ばかりはその言葉を甘んじて受け入れてやるよ」
ゆるりと瞳を眇めて悪戯っぽく微笑むセシル君に私も応えるべく、セシル君から貰った暖かい気持ちを微笑みで表現します。
世間では男女感に真の友情は成立しないとか言いますが、結ばれなかった男女が真の友情を成立する事は不可能でないと思います。互いに痛みを乗り越えたなら、きっと。
「……で、だ。お前どうするんだよ」
「え?」
心からの感謝を胸に抱いていると、ふとセシル君は思い出したかのように唐突な言葉。主語がないから何がどうなのか分からなくて首を傾げた私に、セシル君は溜め息。
「くっついたのは良いが、最大の難所残したままだろ。俺は黙っといてやるが、あれも鈍くないからその内気付くぞ」
「父様、ですね」
あれ、が何を意味するのか分かって、最大の壁を改めて認識。
……そう、私達は想いを通じ合わせたからそれで良いとはならない。私達が真に結ばれるには、立ちはだかる堅牢にして強大なる壁を打ち倒さなくてはなりません。
まだ言ってはいませんが、気付かれるのも時間の問題。出来る事なら気付かれる前に自分達から言いたいものですが、ジルがまだ鍛え方が足りないそうなのでもう少し時間が欲しいのです。
「ジルから話は聞いているんだな」
「ええ、十七歳の誕生日までに父様を超えないといけないって」
「正直中々の無茶振りだとは思うがな」
肩を竦めたセシル君に、私も同意。
ジルを貶す訳ではありませんが、ジル一人では父様は荷が重いと思うのです。かといって私と二人で立ち向かうのは矜持が許さないらしく、あくまでジルを鍛えるお手伝いしか出来ないのですが。
「それでも、ジルはやる気ですよ。私も手伝いますし」
「そりゃあやる気満々だろうな。寧ろ今までよりもずっとやる気に満ちているだろ、後は許可だけなんだから」
「もしジルが勝てなかったら」
「駆け落ちでもするのか?」
「いえ、私が決闘でも何でもして権利をもぎ取ります」
これはジルにも言って却下されちゃいましたけどね、と苦笑。
もし、本当にジルが敵わなかったら……私も本気で抵抗しますし、ジルに任せきりにはしたくないから私も足掻きます。ジルに矜持があるように、私にも貫き通したい想いがある。
私は特に親に反抗をした事がなかったですし、しようとも思いませんでした。私も私という個が既に出来上がっていたのもありますし、父様母様は人格も能力も素晴らしい人達で、私達にも愛情を注いでくれていた。反抗をする所がなかったのです。
ですが、こればっかりはそうもいきません。私の未来が掛かっているのですから。貴族の慣習に従わなければならないのも分かっていますが、父様自身が与えてくれたチャンスを、どうしてもものにしたい。私は私の心に従いたい。
いざとなれば頑張ります、と拳を握って決意を新たにする私に、セシル君はやや呆れたような眼差し。
「……その要らん行動力を別の所に回して欲しいもんだな。まあそっちの方が早そうではあるが……普通泣き落とすとか考えないか」
「まずは私が出来る範囲で行動して、それでも駄目なら泣きます。それでも許されなかったら家出て領地にでも引きこもってやります」
「ヴェルフ泣くぞ」
「数年したら和解してくれると思います」
「そこは計画してんのかよ、恐ろしい」
父様とて鬼ではないでしょうし、たとえ駆け落ちした私を一族から除名したとしても、親として、娘として接してくれるでしょう。
……それに、父様自身が我を貫き通して母様を得たのです。気持ちは、分かってくれるでしょう。
「……ま、ジルが勝つと信じておけ」
「はい」
それは当然です、と微笑む私に、セシル君もうっすらと微笑みます。少し苦いものが混じっていたけれど、紛れもないセシル君の本心だとも分かりました。
……私は、色々な人の気持ちや覚悟の上に立って、そしてジルを選んだ。ならば諦める事も投げ出す事も許されません、私は最後まで足掻きますしこの想いを諦めたりしません。
「リズ様」
決意は変わらないと心に決めた私の名前を呼ぶ声。扉をノックの音、それから開く時に金具の軋む音がして、件の……そして私の大切な人が現れます。
「ジルか」
特に表情が変わる訳でもなく、声音もいつも通りのセシル君。
「こいつ暴走させんなよ、お前がちゃんとヴェルフに勝てよ」
「ええ、言われずとも」
「……俺にはその立場に立てないから、お前が幸せにしてやれ。出来なかったら俺が貰うからな」
「そのような事は有り得ないので安心して下さい」
「そりゃ安心だな」
憎まれ口を叩く事も出来たでしょうに、セシル君はただからかうように、それでいて穏やかに緩やかにジルの背を押しているようにも聞こえました。
平然と軽口を叩いていますが、内心どう思っているのかは私にも分かりません。ただ、私達の仲を否定せず受け入れて、応援してくれた優しさと思い遣りだけはひしひしと伝わってきます。
セシル君のあっさりした態度にジルも拍子抜けしたのか瞠目した後微かに瞳を眇めましたが、それもゆっくりと穏やかなものに変わります。
ジルに、敵愾心はもうない。ただ、少しだけ気遣うようにセシル君を見ていました。
その変化を感じ取ったからこそ、セシル君も苦笑して眉を下げるのですが。
「ほらリズ、ジルが用事あるらしいから付き合ってやれ。今は仕事ないし、帰っても問題はないぞ」
私達を気遣った事など明白で、申し訳なさと有り難さが半々に混ざりあって名状し難い変な感情が胸の奥に渦巻く。
けれど、この厚意を無下にしては彼にも失礼だと思いました。決して少なくない痛みを飲み込んで私達を後押ししてくれる彼に、その優しさと想いに、応えたい。
「セシル君」
「何だよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
言葉こそ素っ気なかったですが、万感の思いがこもったような表情と声です。私がそれに何か言葉を発する前に「さあ帰った帰った」と手を払うように動かしたセシル君。
私はそれ以上言葉を口にするのを止めて、静かに微笑んだまま腰を折り、ジルを伴って研究室を後にしました。……私が痛みを感じてどうするんですか、セシル君の方が痛いのに。
「……セシル様は随分とあっさりしていましたね」
研究室から離れ、廊下を並んで歩く私達。ジルがセシル君に聞こえないと確信した距離を作ってから、意外そうな声を上げます。
「私が気まずいくらいでしたから」
「リズ様は物凄く気を遣いますからね」
「当たり前でしょう。自分を好きだと言ってくれて、その上で私の背中を押してくれたのですよ」
何も思わない訳がないでしょうに、それでも私の事を応援してくれたセシル君。悔しさを飲んで後押ししてくれたセシル君に、私も何も思わない程薄情でもありません。
それでも決意は鈍らないし、私はジルを選んだのだと後悔はしていません。彼にもジルにも失礼だし、私の心がジルが良いと言っているのですから。
「ジルは何の用事で?」
「大した用事ではなかったのですが。リズ様のお顔が見たかったというのもありますね」
「毎日家で見てるじゃないですか」
「そうですけどね」
家とは違う顔付きがまた素敵なのですよ、といまいちよく分からない事を言うジルにもう、と小突きつつも真意を問うべく見上げます。
多分、もっと他の用事があるのでしょう。ジルも自分の仕事や鍛練があったりして、魔導院では私の従者よりも一魔導師として行動して貰っていますし。わざわざ呼びに来るくらいなのですから、私が必要な用事なのだと思います。
「……リズ様に、少し手伝って貰おうかと思いまして」
「ああ、魔術の鍛練ですね。私の空いている時間で良ければこれからは手伝いますよ」
やや躊躇いがちに切り出された言葉は、ある意味で想定内のものです。寧ろ、私を必要とする用事はこれ以外ないとも言えました。
ジルの鍛練は自己鍛練で、磨ける範囲にも限りがあります。ストイックに魔術の精密さを追い求めているのですが、やはりどうしても一人には限界があるのでしょう。
特に集中的に鍛えている障壁の術式は、魔術に相対した時に真価が発揮されるし効果が分かる。自分で堅牢な障壁を築いたとしても、どれだけ強固なものに仕上がっているのかは分かりません。ある程度の予想はつけど、実際に魔術を防いだ時にどう作用するかなどはその時にならなければ分かりませんからね。
ジルは父様の魔術を防げるように、という目標がありますから、威力だけなら父様と同等と言われる私の『コキュートス』で確認をすれば良い。
「本来、手伝って貰うのは男として複雑なのですけどね」
「でも手段選んでいられない、でしょう?」
「ええ。……ありがとうございます」
「いえ、私もジルに勝って貰わなきゃ困りますし、私の為にもなりますから」
「リズ様の為?」
「ゆくゆくは父様の跡を継ぎたいなって。勿論勝った後経験を積んでジルが長になるとは思いますけど、その補佐を出来たら良いなって」
私の夢、詳しくジルに言った事なかったかもしれません。
父様にはちゃんと言ったのですが、父様の右腕になれるくらい強くなりたい、優秀な魔導師になりたい、そう願ったのです。そして、父様の跡を継げるような立派な魔導師に、と。
それはジルが居ますしジルにリーチがかかっているので、ジルに夢を託します。ジルと争う気にもなりませんし、私は上に立てる程判断力もなければ非情に撤する事も出来ない。組織のトップというものは、冷徹な判断を下さなければならないのも場面もあるから。
その役割をジルに押し付けると言ったら聞こえが悪いのですが、適材適所というか、私よりもシビアに物事を判断するジルの方が相応しいと思います。
私は、その隣で支えてあげたい。苦しく辛い判断をしなければならない時には、私も分かち合うから。罪を背負うなら私も一緒に背負うから。
人生の一大目標を、ジルは少し感動したように瞳を揺らがせながら聞いています。
「リズ様……」
「あとジルが負けた時の保険で私も強くなっておこうと思って」
「勝ちますから信じて下さい」
「信じてますよ?」
でもその後の言葉で真顔に戻ってしまったので茶化すように笑うと、少し複雑そうというか微妙に拗ねてしまうジル。
……ちゃんと、信じてますから。
だから、勝ってくださいね。私達の本気を、父様に見せてあげましょう。