通じた想い
暫くの間ジルに愛でられていたのですが、そろそろジルの脚の上でくっついてるとジルが痺れて来そうなので降りる事にしました。ジルが微妙に名残惜しそうなのですが、寧ろジルを思って離れたのですけどね。
隣にでも腰掛けようかな、と移動しようとして、ぐいっと引っ張られて。今度は緩く胡座を掻いたジルに横抱きされるように座らされたので、意地でも離さないという意思は伝わって来ました。
逃げたりなんてしないのに、と不満を漏らせば「単純に触れたいだけです」とにこやかな笑み。ジルが望むなら全然構わないのですが、頬擦りされると恥ずかしい。頬や瞼にキスとかも落とされるので、今までの我慢を解放したかのようなスキンシップに、恥ずかしくて堪らないです。
好きだという感情はこれでもかというくらいに伝わって来るので、嬉し恥ずかしで顔が茹る。もう、と唇を尖らせればそれすら微笑ましそうにしてぎゅうっと抱き締めて来るものだから、拗ねてる暇などありません。
もう慣れるしかないと開き直ってジルに身を委ねれば、一層幸せそうに微笑みを湛えるジル。……この表情が見れたなら、ちょっと恥ずかしいくらい良いやと思う私も相当に頭が幸せなのでしょう。
「ああ、まだヴェルフ様に言ってはなりませんよ。私もまだ鍛練が足りないので」
その後もジルに愛でられては羞恥と幸福感をじわじわと積み重ねる私に、ふとジルは思い出したように素の表情。
父様に言ってはならない、のは何となく分かります。父様、娘の私が言うのも気が引けますが親馬鹿なので……誰が相手でも一回は怒りそうです。お父さんが言う「娘はやらん!」という台詞がとても似合いそうな人ですからね。
「……まあリズ様の場合顔に出そうですが」
「う、それは否定出来ません」
「リズ様は直ぐに感情がお顔に表れますからね。そこが可愛らしいのですが」
ちゅ、と愛おしげに頬に口付けを落とされて、直ぐに発熱する頬。それを見てジルも苦笑しているので、とても私は分かりやすいと思うのです。これでも懸命に隠している方なのですが……親しい人達には、あまり感情を隠せない。
というかこれはジルが悪いのです、と頬を押さえながら半眼で見上げればそれすら愛おしげに顔を緩めて受け止めるジル。確実に敵いはしないので、諦めてジルの胸に凭れかかります。
「……私は私なりになるべく顔に出さないようにします。セシル君にも内緒にしてってお願いしなきゃ」
「……セシル様、ですか?」
「後押ししてくれたのは彼ですから」
意外そうなジルに、私は苦いものが込み上げてきたもののそれを飲み込み苦笑。
……セシル君が居なければ、今私はこうしてジルを受け入れる事はまだなかった。今も悶々として自問自答を繰り返していた事でしょう。それどころか、貴族としての在り方を優先して殿下を選んでいたかもしれません。
もし、ジルに告白もされないで、殿下の事だけ悩んでいたら。そこにセシル君から告白されたら。
……きっと、私はセシル君を受け入れていた。それだけ親しかったし、多分共に過ごす内にちゃんと恋情も持てたのだと思います。男の子としては見ていましたから。
「……悪い事をしたのは、理解してますけどね」
それでも現実はジル一人を選んだのだから、セシル君には申し訳ない事をしています。後悔はないけれど、凄く、申し訳ないのです。
それも受け入れて、私はこの場に立って……今は座っていますけど。
「気付いていらしたのですね」
「本人に言われて気付きましたけど。……それでもジルを選ぶと決めたのは私ですし、後悔しては失礼ですから」
選んだ事に疑問も後悔もない、これは私自身が選んだ事なのだから。悔やんでしまっては、私の幸せを願って後押ししてくれたセシル君に失礼です。彼の事を思うなら、振り返らずに前を見るべきだと思うから。
ジルの体に体重を預けては瞳を伏せ、何処までも優しくて男らしかったセシル君に思いを馳せれば……抱き締め直され、包み込むように密着されます。
「……大切にしますから」
「はい。私もジルを大切にしますから」
悲しみを飲み込み私を応援してくれた人が居る、これだけ私を想ってくれた人が居る。私はとても恵まれているのでしょう。
だからこそ、この幸せに胡座を掻いてはいけません。与えられるだけではならない、私からも与えるべきです。守られるだけではなく、守れるように。幸せにして貰うだけではなくて、幸せにしてあげられるように。
きっと、そうしてお互いを大切にして想い合う事が、愛するという事なのでしょう。
まだ正面切ってジルに「愛しています」とは言えそうにないですけど、もう少し慣れてから……ちゃんと、愛の言葉を返せたら、良いな。
少しずつ接触にも慣れてきたのか、ジルの温もりを感じながら微睡みを微かに感じ始めた頃。今までのジルとの事を思い出していて、ふと……疑問が未だに解決していない事があったのを思い出します。
「……そう言えば、何故ジルは二年って期限があるのですか?」
今ではジルが私を得る為に頑張っていたのは分かるのですが、何故期限付きだったのか分かりません。最近嫁ぎ先がどうたらとか言われなくなったのも、それに影響しているのかと思います。
「二年以内にヴェルフ様を倒せなければ、リズ様はシュタインベルトに嫁ぐ事になってましたから」 「そんなの聞いてません」
「ヴェルフ様も言ってませんからね」
ジルの言葉に、何か本人の預かり知らぬ所で勝手に話を進められていた事が判明して複雑です。政略結婚は貴族として多々ある事なので仕方ないとはいえ、父様も父様でそういう事は言って欲しかったのですが。
……と、思ったのですが、多分……父様は、その言葉に縛られる事なく私に選んで欲しかったのでしょう。ジルに猶予を与えると共に、私にも選択の余地を与えてくれていたのです。
その気遣いはありがたいと思うのですが……父様はジルにやっぱり厳しいとも痛感です。
そりゃあジルは一応貴族になったとは言え爵位は低いですし、そもそも従者の身なので、そうせざるを得ないのでしょう。私が侯爵家の一人娘だからこそ、父様を越えたという箔が必要だと判断した、のかと。後は、親として娘を任せられるか……そんな所でしょうか。
……それを知った今、改めてセシル君には感謝と申し訳なさが立ちます。
セシル君はきっとその事を知っていた。いえ、知っていたのです。だからこそ約定という言葉を使ったのでしょう。
セシル君は、そのまま時が経てば私がセシル君の家に嫁ぐ事を知って尚、私を応援してくれた。黙って悩ませたまま、何なら然り気無く邪魔をすれば時間経過で私は嫁ぐ事になったのに。
彼は、私の幸せを願ってくれた。
……セシル君は、本当に……優しくて、凛々しくて、真っ直ぐで。
振った私が言っても何の慰めにもならないでしょうし、当て付けかと思われるかもしれませんが……とても格好良くて、素晴らしい人だと、思います。私には勿体無いほど、素敵な殿方です。
「……一先ず、想いが通じて一段階乗り越えましたね。後は私がヴェルフ様を越えるだけです」
ありがとうセシル君、とジルには聞こえないように呟いた私に、ジルの真剣な声音が聞こえてきて。
……父様を、越える。
歴代魔導院の中でもトップクラスの実力を誇る父様を越える事が、ジルの条件。
「難しくないですか?」
我が父親ながら、本当にあの人は強くて経験も豊富です。
家では母様や子供にでれでれしていますが、戦場に立てば全てを燃やし尽くす紅蓮と恐れられる、戦闘のエキスパート。実際に誘拐組織を灰塵に帰したり魔物の大軍を殲滅したりと、戦闘特化の人です。
勿論賢く遣り手だとも言われる父様は、そんじょそこらの男性では太刀打ち出来ない程優秀な人なのです。
ジルも優秀ではありますし恐らく魔導院で父様に次いで強いくらいには成長していますが、経験も含め父様に敵う確率は高くない。ゼロとは言いませんが、ジルが的確な戦術と魔術を組んで運も味方に付けたとしても、五分五分にすらならない。
それだけ父様は凄い人なのです。敵にすればこの上なく厄介ですが。
「酷い感想ですね。まあ、とても困難だとは思います。それでもあなたを手に入れる為なら、私は限界を越える為に努力しますよ」
正直な感想を否定するでもなく苦笑で受け入れたジルは、私の瞼に唇を寄せて仄かに触れさせる。片手は私の体に、もう片手は私の髪を撫でて、愛しげに柔らかい手付きで触れて来ます。
「漸く長年焦がれて来た女性が私の想いに応えてくれたのです、そう易々と諦める訳がないでしょう?」
「……うん」
そこは疑っていないので、私も微笑むとジルは更に幸せそうに微笑むのです。
……嫌だ、私はこの人を手放したくない。例え私を育ててくれた父様を敵に回そうとも、私は彼が良いのです。
ジルは私の想いが激情とまでいかない恋情だと思っているのでしょうが……ジルは、私が案外執着心が強いのを知らないでしょう。私は、一度真に心を決めたら、そう易々と変えないという事を。
私は、ジルが良い。ジルじゃなきゃ、嫌です。
「……好きです、誰よりも、リズ様が」
「……好きですよ、私も」
近付いてきた唇を受け入れるように顔を上げれば、強い歓喜を顔一杯に広げたジルがとろけたような笑みで口付ける。
軽く啄まれるのも構わずそのまま身を委ね、体に回された腕を掴んで離しません。怒濤のような幸福感の波を一杯に受け止めて、そのまま飲み込む。求められるがままに抱擁を返して、私もジルを求めてぎゅっと抱き付いて。
唇を離してはお互いに顔を見合わせて緩む頬をはにかみで隠せば、とても満ち足りた気持ちで全身がふわふわしてしまいます。
この幸せを手放したくなくて強く抱き締めると、ジルはするすると髪を撫でてはまた軽くキス。擽ったさも、愛おしい。
「あのね、もしジルが勝てなかったら……」
「駆け落ちでもしますか?」
くすくすと微笑むジルに、私は改めて自分の中で固めた答えをジルに示そうと思います。
「いえ、私が父様倒します」
「リズ様は偶に無駄に行動力溢れますよね」
かなり真剣に言ったつもりが、ジルには冗談と捉えられたのか無謀と捉えられたのか、溜め息と苦笑を返されます。
こう見えて、真面目に考えたのですよ。もしジルが負けたら、私は結局セシル君に嫁ぐ訳で。セシル君の事は嫌いじゃないですけど、やっぱり私はジルが良いのです。
無理矢理嫁がせるなんてないとは思いたいのですが、父様も意思は固いのでジルが条件を満たせなければ遠慮なく嫁がせるとも思ってしまうのです。
そんなのは御免ですし、私は私の意思を貫きたい。
だからこそ、もしもジルが負けてしまった時は私にも抵抗の権利はあると思いたい。
「大丈夫ですよジル、私も父様の血を継いでいるのです」
「継いでいるから不安なのですけどね」
握り拳を作って力説してみるも、ジルの同意は上手く得られません。寧ろ止めて欲しいと懇願されてしまいました。
むう、と唇を尖らせれば頬を擽られて宥められます。それで少し気分も落ち着くのだから、ジルの事をそれだけ好きなのだと自分でも思います。
「男の矜持なのですよ、自らの力で勝ち得るのは」
「もしも、ですよ。私はジルを信頼してますからね?」
「ふふ、ではその信頼に応えなくてはなりませんね」
「期待しています」
ころころと喉を鳴らして微笑み、ジルの胸に凭れて頬擦り。
ジルの事を信じていない訳ではないのですよ。寧ろ、これだけ努力をしているのだから……と期待と信頼をジルに託しています。
それでも念には念を入れて、私という予備を作っておくのです。ジルとしては自らの力で権利を勝ち得たいでしょうが、もしもという可能性を考慮して私も力を磨くべきでしょう。
負けたらの事を考えるのは嫌なのですが、叶えたい願いの為なら手段は問いません。ジルに機会が与えられたのだから、私にも抵抗の機会が欲しい。
……それでも駄目なら、ジルの言う通り逃げてやりますよ。駆け落ちでも何でもしてやります。それだけ、ジルの事が好きだから。
「……ところでリズ様、それは結婚を承諾して頂いたという意味で宜しいですよね」
「えっ?」
そ、そう言われればそうですよね。父様には私達の仲を認めて貰う為……つまりは、結婚を許して貰う為に抗っている、のですから。
でも改めて結婚と言われると、何だかむずむずしてしまう。まだ十五歳……もうすぐ十六歳ですが、この歳なのに結婚を考えるのは、ちょっと不思議な気分です。現世なら中学生か高校生ですからね。
まあこの世界の基準では充分大人ですし、そもそも情緒や貞操観念も含めて早熟な子が多いから、この歳で嫁ぐのも何らおかしくはないのですけど。
結婚したら、ジルの奥さん。
暫くは共働きだとは思いますけど、それでも……やっぱり、何か照れ臭い。ずーっと一緒で、側に居て……いつか子を成すと思うと、恥ずかしい。
「そ、そうですけど……もう少し、心の準備が欲しいと言いますか」
「私が越える迄にしておいて下さいね」
「……はい」
ジルは勝てば直ぐに祝言を挙げそうなので、言われた通り覚悟しておかないと。嫌じゃないし嬉しいのですが、こう、むずむずするし、落ち着かないと言うか。
それでも幸せなのは疑っていないので、ジルと結婚するのは嬉しいのですよ。嬉し恥ずかし、といった感じです。
ほんのりした羞恥に頬を染めながら頷くと、ジルもうっとりと幸せそうに微笑みます。
「大切にしますから」
「それは身に染みて分かります」
「……愛していますよ」
そう遠くない未来を想像して、私は胸のどきどきと疼きを感じながらジルの口付けに応えるのでした。