三者の気持ちと、選んだただ一人
散々ジルに口説かれたせいで、私の頭がジルで満たされている気がします。
本当にジルは私の事大好きというか、凄く愛されてるのはよーく分かりました。じゃなきゃあれだけ甘ったるいお言葉を囁いてはキスとかしないと思います。ジルの性格上冗談で人に言い寄るとかは思いませんし。
……だからこそ、こんなにも、恥ずかしい。
私の事を知り尽くしている筈のジルが、それでも尚私を欲しがるなんて。私を女性として求めるなんて。
嫌では、ないのです。
それどころか、恥ずかしいけど擽ったくて、一途に想って貰える事が幸せな事だと思えるのです。ひたむきなまでに、私を大切にしてくれて共に在りたいと願ってくれて。
……それは、本当に嬉しい。私だけを見てくれて、愛そうとしているのが分かるから、それは凄く頭がぽわっとしてしまう。熱がじわじわと広がって、気怠さとは違う名状し難い浮遊感にも似た何かを感じるようになった。
これが、好きという気持ちなのかな、と。
けれど、これがただ一時的な影響に過ぎない可能性も否定しきれないからこそ、私は答えを出せずに居るのです。
もしこの感情がジルの熱烈なアピールによって生まれた一過性の感情だったならば、もしこの感情がなくなってしまった時が怖い。そして双方にも失礼極まりない。
選ぶならちゃんと感情を見定めて、自分が確かだと思えるまで考えたい。待たせたくはないけれど、曖昧なまま答えは出したくない。
私は、ジルが好きなのか。
私はジルと、愛し合いたいのか。キスをしたい? ぎゅーってして貰って本当に幸せ? 結婚して、その先に進みたいの?
……答えは、そう易々とは出ません。何を以てして正解なのか、人によって基準は違うのだから正確な答えを望むのが間違いなのです。
だからこそこんなにも悩ましくて、胸が苦しい。
「さっきからすげえ顔してるんだが」
「え」
うんうんと声に出さないように脳内で唸る私に、呆れたような響きが届きます。
我に返って顔を上げれば、声音に違わず呆れた顔のセシル君。……数日振りに出勤したのを、忘れていました。
「お前本当にポーカーフェイス出来ないよな。顔に出てる」
「そ、そんなに顔に出てました?」
「ああ、すげえ色んな顔してた」
挨拶もそこそこに仕事をしながら悩んでいたのですが、どうやら顔に出ていたみたいです。あと手も止まっていた。
そりゃあ、ころころ表情を変えていれば誰だっておかしいと気付きますよね。寧ろ今まで指摘しなかったのはセシル君の優しさなのでしょう。表情が変わるのが一段落した頃合いを狙ったみたいなので。
頬を押さえてむにむにと解す私に、セシル君は深い溜め息。
「大方何があったかは想像つく。ジルに告白でもされたんだろ」
「何で知ってるんですか!」
「あれは見てたら誰でも分かる」
分からねえ程鈍くねえよ、と然り気無く私が馬鹿にされている気がしなくもないお言葉を返されて、言葉が詰まります。……そりゃあ、鈍いのは分かりましたけど、思い知らされましたけど。知らぬは本人ばかりなり、なのでしょう。
私が極端に恋愛面で疎かったのは紛れもない事実なので否定はしません。セシル君から見ても私は相当に鈍かったのでしょう、少なく見積もっても数年はジルからの恋情に気付かなかったのですから。
……セシル君の様子だと、ジルにはかなり前から想われていたのが分かります。物凄く呆れられてますから。
「……お前はどうしたいんだ」
「……分かりません。ジルの事は好きですし、ずっと側に居てくれるのは嬉しいです」
セシル君ははっきりした性格なので、あまり曖昧な答えを返されるのは好きではないでしょう。
けれど、明確な感情として定まってない今、私に返せるのは曖昧な答えだけでした。
「でもジルは女としてお前が欲しいんだろうが。どうするつもりだ、応えるのか、応えないのか」
「……分からないから、困ってるのに」
白黒つける性格は美点でもありますが、私のような優柔不断な人間には時として困る事があります。セシル君としては見てて鬱陶しいからさっさとケリを付けて欲しいのでしょうね。
告白されて今も尚悩むしかない私としては、やっぱりそう簡単に結論を出せない。出せたら苦労しないのです、セシル君を責める訳じゃないですけど、どうしても直ぐには答えが弾き出せないのです。
熟慮の上で結論を導き出したい私に、どうするのかなんて、聞かれても。
「キスされても嫌じゃないしほわほわするけど、これが答えで良いのか、分からない」
素直な感情としては、ジルの事は好き。
キスされたって嫌じゃないし、優しくしてくれたなら受け入れる。ジルの事はとても大切で、触られても幸せだと思える。一緒に長い時を過ごしていける、とは思うのです。
……けど、これを答えとして良いものか、分からない。
自分でも完璧な名前を付けられないこの感情に、セシル君も苛立ったのか、それとも呆れきってしまったのか。
端整な顔立ちを非常に不愉快そうに歪めては、深く溜め息をつきます。あまりうじうじしてるのはセシル君好きじゃないだろうから、見てて腹立たしいのも理解はしてます。
でも、どうしようもないんだもん。好きなのは、好き。だけど、例えばセシル君に向ける好きや殿下に向ける好きと何処まで違って、何処まで許せるのか、分からない。
幼くなったな、と自分でも苦笑するしかないぐちゃぐちゃな感情の混ざりように眉を下げた私。セシル君は私の泣き笑いに近い顔を見て、小さく「手のかかる」と呟いて、此方に歩み寄って来ます。
目覚ましに拳骨でも落とされるのかと恐る恐る見上げた私は、セシル君との距離が異様に近付けられていた事に今更気付きました。
普段の距離よりも、もっと近く。
それどころか、互いの距離は拳一つ分もない。わざわざ手を伸ばさずとも触れられる距離に、セシル君は居て。
固まった私に、セシル君は腕を伸ばす。
それが椅子の背凭れにを掴み、セシル君自身は顔を私に近付けて来ます。彼我の距離など、殆どない。少しでもどちらかが動けば触れてしまいそうな程、近くて。
金色の瞳が鋭くも真摯な眼差しとなり、私を貫いて離しません。
「このままキスしても良いか」
呆気に取られるというよりは唐突な展開でフリーズするしかない私に、セシル君は更に顔を近付ける。あと少しで唇が触れそうなくらいに、近い。綺麗な銀の睫毛すら鮮明に見える、吐息が肌を撫でる程、お互いに余分な空間はないです。
「俺とジル、どっちが良い? お前は、俺にキスされて嬉しいと思えるか?」
セシル君らしからぬ言葉、けれど茶化したような雰囲気は一切ありません。求めるような言葉のようで、それでいて何か確かめるような問い掛け。
言葉を咀嚼しようとして、あまりの近さに上手く飲み込めなくて。ひゅう、と呼吸にすら音が出てしまいます。
セシル君と、ジル?
セシル君に、キスされて……どう思う、のか。
文字通り目と鼻の先の距離に居るセシル君は、少し顔を此方に傾ければ唇を触れさせる事が可能でしょう。私は背凭れがあるから逃げられませんし、男性が本気で抑え込もうとしたら私の抵抗など無意味でしょう。
だから、セシル君の言うキスも、容易に実現可能なのです。
セシル君に、キスされたら。
「ちが、う」
……違う気がするのです。嫌ではないけれど、私が求めた感覚と感情ではない気がして。されたらびっくりするでしょうしどきどきもするでしょうが、胸が熱くなるような、奥から涌き上がる擽ったいような甘さを含んだ心地好さは、浮かんで来ないと思うのです
。
頭がくらくらして、全身が痺れたようにじんじんするようなあの感覚は、きっとジルにされた時だけのもの。恥ずかしくて甘ったるい、あの名状し難い微睡みと高揚の中間的な感覚は、ジルだけしか感じない。……セシル君とは、違う感覚。
「……ごめん、なさい」
どちらが良いかとかそんな問題というより、私の求めるものとは違うと本能的に感じてしまって。
私の手は、セシル君の胸を押し返していました。違う、ただそう思って。
駄目です、と距離を空けたくて顔を触れないように逸らすと、セシル君は一瞬寂しそうに瞳を伏せて、それから掌を額の前まで持ってきます。何をされるのかと構えれば、親指と中指が輪っかを作って……ぱちんと、音が鳴りました。
額に走った衝撃と痛みについ「いたっ」と声を漏らして瞬きを繰り返す私に、セシル君は穏やかに微笑みます。少しだけ困ったような色合いを含んだ笑みは、ただ私に迫る事なく静かに頬を和らげていました。
「それで答えは出てるんじゃないのか」
「……セシル君」
「損な役回りばっかだ、本当に」
わざと、こういう事をして私の自覚を促してくれたのでしょう。何処か、拒まれる事を前提としたような、そんな雰囲気がしたから。
背凭れを掴んでいた手を離し体ごと体を離すセシル君は、笑みに苦いものと諦めを混じらせ嘆息。呆れというものではなくて、自分に言い聞かせるように……深く、悩ましげな吐息を繰り返し吐き出していました。
「……セシル君には迷惑ばかりかけています」
「知ってる。まあこれであの時の貸し借りは帳消しにしてくれ、利息分返しただろ」
「……うん」
下手をすれば嫌われるかもしれない事を、私の為に買って出てくれたセシル君。勿論嫌うつもりなど更々ないのですが、そういう事をさせてしまった。自分の優柔不断さと鈍さがセシル君への迷惑を招いていた事が、本当に申し訳ないのです。
セシル君は、小さい頃のあのやり取りを覚えていたのですね。……正直、利息を取り過ぎています。沢山、沢山迷惑をかけて、お世話になってきた。これ以上セシル君に何かを押し付ける事はあってはならない。
セシル君にはお世話になってきたな、と苦笑が湧く私に、ふと瞳を細めて再び真剣な眼差しが私を捉えます。
「なあリズ、これだけ言っても良いか」
「何ですか?」
苦言を呈されてもおかしくはありませんし、これからはしっかりしろと窘められても不思議ではありません。それだけ私はセシル君に負担をかけてきましたし、お世話にになってきた。
けれど予想する言葉を私に向けるには、セシル君の表情が、凛々しく真剣なもので。怒るでもなく、呆れるでもなく、たたひたすらに私を真摯に見詰めて来て。
「好きだよ」
そうしてセシル君から告げられた言葉に、私の動作は固まりました。
「今更言うつもりはなかったけどな、俺もけじめはつけておこうと思って。折角決めたお前を悩ませるのは心苦しいんだがな」
これくらいは許せ、と眉を下げて微笑むセシル君。呼吸すらつっかえる私を、そっと撫でて。
「好きだよ、リズの事が。危なっかしくて、そそっかしくて、無防備で、無邪気で。見てて不安にもなったけど、それ以上に、守りたくなった。この手で、幸せにしたかった」
だけどその役目はあいつの物だな、と苦笑。その笑みは酷く苦く、それでいて既に吹っ切れたような爽やかさがあります。
……私、は。
セシル君の気持ちなんか知らないで、自分の事ばかりで頭が一杯一杯で。セシル君がどんな気持ちだったか、考えてもいなかった。考えようともしなかった。
私は自分勝手な人間なのだと再認識して、セシル君にしてしまった仕打ちが、酷く申し訳なくて。目頭に溜まる熱が溢れ出そうで、胸が詰まって締め付けられて、苦しい。
でも、私なんかとは比べ物にならないくらい、セシル君の方が苦しいのに。全部飲み込んで私を応援してくれたセシル君の方が、もっと苦しいのだから。
「……結局、俺は最後まで我が儘にはなれなかったな。お前が幸せならそれで良いと思えるんだよ、俺はその幸せを踏みにじるなんて出来なかった」
「……せし、る、く」
私は、セシル君が、我を通そうとした事を見た事がありません。あまり物も欲しがらなかったし、我が儘なんて言わなかった。凄く自分を律していて、優しくて、私なんかよりずっと大人だった。
……セシル君には、私の気持ちが定まる事を阻止する事も出来た。それなのに、セシル君は私の事を考えて、私の気持ちを優先してくれた。痛みを堪えて、私を応援してくれた。
そこまでさせてしまった申し訳なさと、何故気付かなかったのかという後悔と、何処までも優しいセシル君に甘えてしまった情けなさに、我慢が出来なくて。
瞳から滴るしょっぱいものがぽろぽろと零れて、内側から滲み出る苦しさと悲しさと情けなさを嗚咽がばらしてしまう。泣いたら迷惑をかけて心配させるだけだと分かっているのに、身勝手な涙は止まってくれません。
「……言っとくが、気に病むなよ。後悔もすんな。ほら泣くな」
言わんこっちゃないと苦笑いを継続しているセシル君は、懐からハンカチを取り出して目元を拭います。ぐしゃぐしゃのみっともない顔に、セシル君は「よしよし」と頭を撫でてくれて、どれだけ迷惑と手間を掛けさせているのか分からなくて悔しい。自分の情けなさに張り手をしたいくらいです。
痙攣したようにびくびくと体を揺らしてしゃくりあげて涙を零す私にも、セシル君は仕方ないと苦笑して宥めてくれました。自分を選ばなかった相手を気遣うなんて、セシル君は辛い筈なのに。
私がこんな弱くては駄目だ、と涙を拭い、ちゃんとセシル君に向き合います。ぐずぐずと鼻を鳴らしているし凄く情けない顔をしていますが、セシル君がけじめをつけたのだから私もけじめをつけなければなりません。
「……ありがとう、セシル君」
何を言えば良いのか分からなくて、でも謝るのも違う気がして。
今までかけてきた迷惑や心配、手間、それからセシル君の気持ちに対して、お礼を言うべきだと思ったのです。ごめんなさいは、背中を押してくれたセシル君に言う事ではない気がして。セシル君には最大限の感謝と、そしてこれからの自立を示したい。
逃げずに真っ直ぐセシル君を見つめれば、少し意表を突かれたように目を丸くするセシル君。それから、苦笑を柔らかな微笑に変化させました。
「どういたしまして。こんな優良物件振った事後悔しないくらい幸せになれよ」
「……セシル君は、私には勿体無いくらい素敵な人ですよ」
からかうような悪戯っぽい笑みに、私も穏やかに微笑みます。
これだけは、本音。
ジルと比べた訳ではないですし、双方の価値を決めた訳でもない。けれど、こんなに素敵で優しくて良い人は、うだうだ悩んで沢山迷惑をかけてきた私には、不相応だと思います。
私の幸せを願ってくれた優しい彼には、心からの感謝を。
「ほら、行って来い」
「うん」
私は、選んだ。
この気持ちに、後悔はありません。
いつも側に居てくれて、私の事を助けてくれて、沢山の愛情を注いでくれた人。
告白された時は戸惑ったし迷ったし訳が分からなくなって恥ずかしかったけど、今なら、ちゃんと気持ちを伝えられる。暖かくて心地好くて、ずっと側に居たい。生涯を共にしたい。一緒に幸せになりたい、愛しい人に。
真正面から、気持ちを伝えたい。
セシル君の方は振り返らず、私は研究室から飛び出しました。
「ジル!」
探さなくても、指輪で居場所は感知出来ます。双方の合意があれば場所は特定出来ますし、そもそも仕事の合間はいつも訓練場に居るのだからそこを訪ねれば良いだけの事。
あれだけ人に迷惑をかけて後押しまでされたのだから、私から言わなければならないし、私もこの気持ちを伝えたい。凄く待たせてしまったしやきもきさせて来たに違いないのです。
走って反応のあった訓練場に向かえば、当たり前のようにジルが居て、魔術を操っていた所でした。
勢いよく扉を開けては閉めた事に驚いたらしいジルが振り返って目をぱちくりとさせていましたが、私だと分かると表情を幾分か和らげます。
それでも窺うように此方を見てくるジルに、私は駆け寄る。
「どうなさいましたか、リズさ……うわっ」
走った勢いそのままにジルに抱き着くと、あまりに想定外だったのかジルの体の重心を前に押し出してしまい、魔術の疲労があったのかふらつきをそのままに尻餅を着かせてしまいました。
風の魔術で優しく着地したものの、ジルは私の暴挙に目を白黒とさせたまま。
私がジルの胸の辺りに抱き付いているというか、そのままジルの太腿の辺りに乗ってジルにしがみ付いているからか、ジルも少し困っているみたいです。手が行き場を失って宙をさまよっているのが見えました。
「リズ様、何があったのですか?」
「あのねジル、ちょっと言いたい事があるんです!」
「分かりましたから落ち着いて下さいね」
この決意が薄れない内に言いたい私と、何が何だか分かっていないらしく戸惑うしかないジル。
流石に勢い余ったのは自分でも分かっているので深呼吸しつつ、ジルの脚の上で互いの準備が整うまで待機です。ジルはのし掛かられて結構視線がさまよっていたりするものの、私の表情が真剣だったので「どうしましたか?」と優しく問い掛け直してくれました。
向かい合って、そのまま見つめ合い。
綺麗な翠の瞳を真っ直ぐに見上げて、私はゆっくりと口を開きます。
「ジルの事好きです」
「……はい?」
悩みに悩んだ末、後押しまでして貰って漸くちゃんと定まった気持ちをそのままに伝えれば、ジルは素っ頓狂な声を上げて目を見開きます。
それからすうっと瞳を細めて、真意を問うような眼差し。何をいきなり、とでも言われそうな顔に告白した此方が何でこんな顔をされているのか不思議でなりません。
「もう一度言って頂けませんか」
「え? だ、だから……その、ジルの事、好きです」
まさかこの至近距離で聞こえてなかった訳がない、とは思いつつも、もう一度素直な気持ちをジルに伝えます。
二度も言わされると流石に恥ずかしくて少し頬に熱が昇ってしまうのですが、ちゃんと望まれた通りに言葉にして……何故か溜め息をつかれました。それも深々と。
「何で人が悩んで出した結論に溜め息つくのですか」
人が一世一大の決心の元に告白のお返事をしたと言うのに、こうもジルが想定外の反応をするとは思いませんでした。
嫌がってはないですが、何と言えば良いのか……幾分疲れたように見えます。私としてはもう少し、情熱的と言うかロマンチックな展開になるのかと思いきや、あっさり過ぎというか反応が薄過ぎて微妙に納得が出来ません。あれだけ悩んで出した結論なのに、告白した本人がこの反応とは。
「いえ、長年焦がれ続けて来たので、こんなにもあっさりと返事を返されるとは思っていなかったのです」
「これでも凄く悩んだのですけど……」
私が凄く悩んでいた事、ジルも知っていた癖に。引き込もってベッドで悶えていた事とかはジルも見ているのですから。
ジルが知らないのは、セシル君とのやり取りだけ。そのやり取りで凄く悩んだし選択もしたから、私からすれば一大決心でしたし、人生に関わる大きな岐路に立たされた所を自分で選んで来たと言うのに。
これがあっさりと言われてしまうと、ちょっと。
むう、とジルのシャツの胸元を掴みながら唇を尖らせる私に、ジルは柔らかい微笑を浮かべては「申し訳ありません」と頭を撫でて。
「私としてはもっと時間がかかると思ってましたよ、長期戦や断られる可能性も視野に入れてましたから」
「……嫌、でしたか?」
「まさか。ただ、あまりにも現実味がなくて」
「ちゃんと現実ですよ」
これを夢にされては私もセシル君も立つ瀬がないので、きちんと現実である事を確かにする為にもジルの胸に抱き付きます。
背中に腕を回して胸元に顔を埋めれば、とくとくといつもより早い鼓動が聞こえて来て、少しでもジルを乱せていると思うと、少し嬉しい。いつも私ばかり慌てて混乱して悶えていたのですから、偶にはジルもドキドキしてしまえば良いのです。……私も、ドキドキしてるのですけどね。
ぎゅうっと抱き付けばジルの香りが一杯に広がって、頭がぼーっとしてしまう。ジルの腕がそっと背中に回り、抱き締め合う体勢になればそれは顕著です。
大きく逞しい腕に抱き締められて密着して。心地好い温もりと包まれている安心感に、男だと思い知らされて羞恥と胸の高鳴り、それから好きな人に求められている幸せが、一気に押し寄せて来ました。
……やっぱり、ジルだけです。こんなにも、心地好くて、幸せで、ずっとこのままで居たいと思うのは。頭がふわふわして、でもジルの感触だけは明確に感じる。愛おしくて、共に在りたいと思うのは、ジルだけに感じるもの。
自然と溶けた頬のままジルを見上げれば、熱っぽい眼差しが降り注ぐ。ジルも照れているのか僅かに頬を赤らめていますが、私よりもずっと余裕があって、寧ろ念願が叶った歓喜で瞳が揺らいでいました。
「リズ様、私を選ぶ事に二言はないのですね?」
「はい」
「……こういう事、されても良いのですね?」
こういう事が何を指しているのか、それは直ぐに分かりました。
後頭部に回された掌が私の逃亡を阻止して、近付けられた顔が直ぐに零距離になる。一気に視界を埋め尽くした肌色に少し驚いてしまいますが、拒む気はありません。
押し付けられた唇の柔らかさは私と違う、それをぼんやりとした頭で感じながら、ジルが求めるままに応えます。ちゅ、と唇を食まれて、熱に浮かされたように頭がふわふわして仕方ない。
少し唇を食べられているだけなのに心臓は爆音を立てていて、その癖微睡むように心地好くて幸せを感じていました。
……物語の中だけでしか知らなかった、好きな人に口付けられる幸福感。それがこんなにも、愛しくて幸せなものだとは思いませんでした。
ゆっくり離れたジルに顔を窺うように覗き込まれて、私は熱を共有した唇をなぞりながら恥ずかしさをそのままに微笑みます。
「先に言って欲しかったのですが。……はい」
心の準備くらいは先にさせて欲しかったのですけどね、と今度はジルの唇を指先でなぞって注意すると、ジルは注意にも関わらず嬉しそうに微笑むのです。反省はしていない気がしますが、言っても聞かなそうな気がするので今のところは諦めておきましょう。
「……あなたも、馬鹿な人ですよね。私なんかに捕まって」
「そう仕向けてきたのはジルですよね?」
「まあそうですけども。……私の可愛いリズ様」
言った側から軽くキスをしてくるジルは本当に反省してないのですが、嫌ではないので好きにさせます。……ジルに口付けられるの、好きですし。勿論恥ずかしさが一杯なので限度はありますからね。
もう、と胸を叩いて抗議してもますます嬉しそうに頬を蕩けさせるものだから、言っても聞かない事は明白です。……今までかなり我慢させて来たみたいなので、キスくらいなら良いのですが……先に言ってくれないと、不意打ちは心臓に辛いんです。言われた所でどきどきは一緒なのですけどね。
「……ジルって計画犯?」
「ふふ、どうでしょうか」
「計画犯ですね」
「……かもしれませんね?」
「もう」
ずうっと、側に居て。
多分、少なからずジルの事を好きになった切っ掛けは、苦楽を共にして助けて貰って、守られて来た事にあるのでしょう。吊り橋効果とも違いますけど、長年の刷り込みはあった気がします。
それでもこの気持ちは本物ですし、他を選べた状態で私はジルを選んだ。ジルだって選択の余地を残してくれていたのです。
ジルを選んだのは私の意思ですし、それに偽りはありません。ジルを選んだ事に後悔もないです。一緒に居て幸せだと思えるのは、彼だけなのだから。
「……捕まった事に、後悔はないのですよね?」
「当たり前でしょう」
ジルが良い、私からはただそれだけを伝えましょう。
迷う事なく答えた私に、ジルは微かに瞠目。それから一層幸せそうに、頬を緩めて、私の事をしっかりと抱き寄せます。
「好きですよ、リズ様」
「はい」
改めて言われてしまうと、やはり気恥ずかしい。
けれど、何よりも嬉しく、愛おしく、心地好く。
ジルの事を馬鹿に出来ないくらいに緩んだ顔で、私も微笑み返すのでした。
セシル君推しの方には残念な展開にしてしまいました。その点は非常に申し訳ないと思っております。
殿下についても今後けじめはつける予定です。
分岐につきましては、一旦此方が完結してからアナザーストーリーとして連載致します。
セシル君にもリズと幸せになる構想はあるので、少し後になってしまいますが、本編も残すところ少ないので出来ればこれからもお付き合い頂けたらと存じます。