小さな約束
魔術というのは非常に便利な物です。好きに雨を降らせ、強制的に植物を成長させる。
自然の摂理には反しているかもしれませんね。ですが人間は一度覚えた利便性を手放す事は中々しないでしょう。こういう私もその内なのですが。
殿下(+護衛の騎士様)を連れて裏庭までやって来た私は、どうぞ、と前方に手を出します。
私達の目の前に広がっているのは、うん、自分でも思いますけど雑多な光景です。
この前咲かせたリーシアの花畑にフレーズの植木。それから追加して私が単に食べたいと言う理由でオージュ……ああみかんに似た果物ですね、ちょっと形が違って、外皮も薄いピンク色です。中身はオレンジ色なんですけどね。
まあその木を植えたり、ぶっちゃけ私の私的目的に植えられた野菜やら果物やらがあちこちにあります。色気より食い気です、子供の食欲を侮るなかれ。
……こう言うと食いしん坊にしか聞こえませんけど、ちゃんとお花ゾーンとは分けていますよ。こっちは口を楽しませてあっちは目を楽しませるのです。うん、他の家の庭とは明らかに違うとかそんな。
「私が好きに遊んでいるのでお見苦しい状況にはなっています、すみません」
この家の人間は私に甘いので誰も止めてくれません。ジルさんはジルさんで異形と化していく庭を穏やかに笑いながら見ていましたし。そのジルさんは今は魔導院に一時的に戻っているのですが。一日休暇で書類を取りに行っているらしいです。
ぽかんとしている殿下に、私は少し歩いて生っていたフレーズ……ええい面倒な、苺を取って差し出します。
「新鮮ですよ。まあ毒の心配があるなら私が食べますが……」
言うや否や、殿下は躊躇いもなく苺を口に放り込みます。……出来ればヘタは残して欲しかったですね、食べられないし。忠告しようとしたら食べられたし。
まあ殿下も興味津々な顔してましたから、仕方ないかもしれません。王宮の外に出ないならこういう、実っている所を直接見た事はないでしょう。精々絵程度。
社会勉強もいう意味では、ある意味突撃訪問の意味もあったのかもしれませんね。あくまで殿下にはですが。
「……口の中に残るぞ」
「ヘタはぺっと吐き出して下さい。殿下が普段食す分には取り除かれていたのでしょうね」
そういう私も苺(面倒なので心の中では苺と呼びます)をむしゃり。果実に歯を突き立てれば瑞々しい果汁が溢れてきて、口内を甘酸っぱい味で満たします。……でも日本のに比べたら甘さが足りないんですよね……要品種改良。出来るのかは分かりませんが。
品種改良、出来たら良いのですが。魔術で簡単に、まあずるではありますが、種さえあれば育てられてしまうから、何かハードルが欲しい所です。
勿論魔術でも制限はありますけどね、特別な条件が必要な草花とか種自身の生命力が殆どない時とか。
それを除いたとしても、『グリーンサム』は便利な魔術です。この魔術には適正の有無があるらしいですけどね。ジルさん、私があの時あんなに練習しても出来なかった時、適正なかったとかだったらどうするつもりだったのでしょうか。
「殿下は果物お好きですか?」
「ああ、好きだぞ」
「何がお好きですか?」
「うー……アディム、か」
アディム……ああリンゴですね。語源は察するにアダム、そして禁忌の果実から来てるのでしょう。この世界にアダムとイブのお話があるかは知りませんが。
「では殿下が次に来る時までには植えておきます」
「来ても良いのか……?」
「駄目だと言っても来るでしょう。なら手紙で知らせてから来て貰った方がマシです」
殿下は確実に味を占めて突撃訪問して来そうです。なら最初から条件付きで受け入れておいた方が手間もかかりませんし、騎士様も混乱しないでしょう。
殿下は暗殺の危機とか理解してないんでしょうねえ、ほんと。
……騎士様が何とかしてくれるとは思いますが、もし私がその場に巻き込まれて死ぬような事になったら? 相当な手練れで騎士様でも太刀打ち出来なかったら?
「あ、やっぱ止めて下さい命が惜しいです」
「何でだ!」
「や、暗殺者とか来たら私死ぬな、と思って」
「わ、私が守ってやる!」
「いっちょまえに守るとか言える程強いんですか殿下」
「あれから毎日訓練はしているぞ!」
「それは偉い偉い。でも暗殺が現実になるなら騎士様でも敵わない相手という事ですからね、殿下が敵う筈ないでしょう」
そもそも殿下が一貴族である私を庇う方がおかしいです。立場が逆でしょう、貴族である私は恐らく殿下の臣下という立場でしょう本来は。命懸けで殿下を守り抜くのが普通です。いやこの国の貴族にそこまで忠誠心があるかは定かではないですが。
賢王と呼ばれる今の陛下でも僅かながら反乱分子は居ますし、政策に異議を唱える貴族も居ます。声高にこそ不服は口にしていませんが、父の口から貴族達の状況の愚痴が漏れているくらいには内側で派閥が別れている状態です。
現行派の忠誠心が高い方は殿下を守ろうとするでしょうが、反乱を企む人にとっては抹殺対象。そこを殿下にはご理解頂きたいです。
……アデルシャン家?
うちは穏健派というか別に現状に不満もないので、現国王派ですね。事なかれ主義です。
「殿下は大人しくして下さい」
「それではリズに会えないではないか」
「諦めて下さい」
「リズが城に来れば良い!」
「用事がありません。強いて言うなら魔導院に行くくらいですけど……出入り禁止になってるので」
本当に惜しいです、出禁になった事が。魔導院に出入りして良いなら本を読みに行くついでに、ちょーっと殿下の顔を見るくらいはしてもいいのですが……。
この言い方だと私が上に立っているみたいですが、そういうつもりではありませんよ。そもそも殿下とこうやってお話ししているのがおかしいですが。
「……何故入ってはならぬのだ?」
「ちょっとやらかしたのでゲオルグ導師に出禁食らいました」
まあ私の自業自得なんですけど、と続けて、花畑に歩み寄ります。
可憐に咲き誇るリーシアの花に頬を緩め、それから一本だけ、悪いとは思いつつも手折ります。そう簡単には萎れないようにちょっと『グリーンサム』を使って魔力を注ぎ込み、それを不思議そうに近寄る殿下に差し出しました。
「どうぞ。この花をじっと見ていましたし、お好きなのでは? まあ女性から花を贈るのも変な話ですが」
「……感謝する」
「ああそうだ、余計な手回しは結構です。魔導院の出入りについては後々何とかしますので」
「……それではリズが来てくれないではないか」
「我慢して下さい、男の子でしょう」
我が儘を許し過ぎるのも教育には良くないでしょう。殿下はいずれ国を背負うお人なのですから、ままならない事もあると覚えておくべきです。
駄目ですよ、と先に釘を刺しておいた私に、殿下はむっと眉を寄せています。そのまま私の事も諦めてくれれば良いのですが。
「……分かった、それは我慢する。我慢するから、……また、ぎゅっとしてくれるか?」
花を潰れないように抱き締めて此方を窺う殿下に、瞬きを幾度か。
ああ、あれか、あれ気に入ったんですか。そんなにこの貧相な幼児体型が気に入ったんですか。別に頼んだら王妃にでもして貰えるでしょうに。
「……良い子にしてて、次会う時まで我慢したら、してあげますよ」
「ほんとか!?」
「殿下に嘘はつけないでしょう。約束しますよ」
……まあハグぐらいなら良いか、殿下のやる気も出るでしょうし。この歳で殿下の手綱を握るとか夢にも思わなかったですよ。
見るからに顔を輝かせだした殿下に、護衛の騎士様達が遠目に微笑ましそうにしているのに気付いて、私は溜め息を隠しきれませんでした。
次会う時に爆発されて国王とかに余計な事言わなければ良いのですが。