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その翌日の事

 殿下の生誕祭から一夜明けた今でも、私の頭の中では昨夜の出来事が交代交代に思考を占拠していました。


『リズベット=アデルシャン。どうか、このユーリスの伴侶となってくれまいか』

『私は、一人の男として……あなたが欲しい』


 鮮明に蘇る二人の熱がこもった告白に、私の肌が勝てる訳もなく全身が赤らんでしまいます。鏡は見ていないのですが、多分今の私は自分の瞳にも負けないくらい朱が広がっているのでしょう。

 全身が熱くて、思考が茹る。交互に囁かれているような錯覚すらあって、あまりの羞恥やら葛藤に目眩すら覚えていました。


 殿下が私を求めて、ジルも私を求めて。

 二人とも私を好き。女として求めている。


 ……殿下は、分かっていた。分かっていたから驚きと躊躇が強く、羞恥はそこそこのものだった。寧ろとうとうその時が来てしまった、とすら思ったくらいだったのです。

 だからこそ、あの時ジルが追従するように告白するなんて思ってもなかった。薄々察していても明確な確信がある訳じゃなかった、だからまだ温い日々が続くものだとばかり思っていた、のに。

 ……ジルまで、私の事を欲しがるなんて。


 いつからなのでしょうか、私に熱のこもった眼差しを向けるようになったのは。

 意味に気付いてしまった今でこそあれは男として私を欲していたのだと何となく分かりますが、それを知らずにべったりくっついていた私は相当ジルをやきもきさせて来たのではないでしょうか。

 抱き着いたり頬にキスしたり、寝間着でくっついたりそのままジルの目の前で寝ちゃったり。……ジルの側で寝たのは大概体調が悪い時だからセーフだとしても、無防備とジルが評するのも納得な距離です。


 その時はジルの側に居てほわほわしていたし嬉しかったから何にも考えてなかったですが、どう考えてもアウトです。

 ジルが理性で何もしなかったから良かったものの、その内心で何を考えていたのかとか想像すると羞恥が暴れ回って、ベッドの上を転がってじたばたと発散しようとしてしまう。過去の自分に「気付け」とか「もうちょっと接触を考えて」とか言いたいくらいです。

 でもジルの側は心地好いから多分聞かないでしょう。ジルの慕情を自覚したからこそ、客観的に言える訳で。


 ジルは私を女の子として見ている。

 それはつまり、私とキスとかハグとかそれ以上を望んでいる、訳です。だから、あんなにも抱き着いた時に動揺したり、キスマークをつけたり、した訳で。あの時、ジルは……その、欲を持った、という事ですよね?


 ……駄目だ、考えたら頭がぐるぐるして来ました。いつも従者としてしか見てなくて、でもジルは女として見ていて。

 頭がもわもわくらくら言う事を聞かず、告白が再生されてはじたばたと藻掻くしかない。


 こんな顔では仕事に行けませんし仕事も出来ません。

 魔導院に毎日行く必要はないものの、何だか罪悪感があります。基本魔導院で暮らしているセシル君は仕事量も多いのに、私だけがこんなメンタルの問題で休むなんて。

 でも見抜かれるの恥ずかしいので、引きこもるしかありません。指摘されたら隠せない、私は顔に出やすいらしいので。それはこの頬に今も尚残留する熱が物語っています。


 少しだけ耐性が出来ていたのかあの時のように熱こそ出ないものの、頭の中では二人の告白がぐるぐると再生されて上手く思考が出来ません。

 朝食を食べる気にもならず、マリアとも会話をする事もなくお部屋に引き込もるしかありません。部屋の外に出てしまえばジルと遭遇する可能性があるから、極力出たくない。会ってどんな顔をすれば良いのか、分からないから。


「リズ、起きてるかしら?」


 ベッドでもだもだしている私に、部屋の外から掛けられる柔らかな声。

 出勤しようとも朝食を食べようともしない私を気遣って様子見に来たのでしょう。母様は気配りが出来る方なので、昨夜から私の様子がおかしかった事も見抜いているでしょうし。


 この状態を見られる事は恥ずかしいのですが、折角来て下さった母様を追い返すのも嫌だったので「起きています、どうぞ」と声には出ないようにお返事。

 家族だからあまり遠慮はしないので、その声だけで母様はゆっくりとドアを開け……ベッドで悶える私を見て目を丸くしました。


「あらあら、顔が真っ赤」


 母様の指摘通り、私の顔は茹で蛸にも負けない程赤色が占めています。

 訪ねてきた母様は、何故だか楽しそうです。確実に見抜かれている気がしなくもないですね。


「……これは気にしないで下さい」

「ふふ、まるで恋する女の子みたいよ?」


 そうして息を吐くように鋭い指摘を投げてきた母様には脱帽と言うか、女の勘というものは凄いと改めて思いましたね。単に私が顔に出やすいというのもあるでしょうけど。


「まるで、じゃなくてそうなのでしょうけど。……今日は何を悩んでいるの? 言いたくなければ言わなくても良いわよ」


 穏やかな微笑みを湛えて私が居るベッドまでゆっくりと歩み寄る母様。無理矢理に聞き出そうとはせず、あくまで私に選択の自由を与えてくれます。


 昨夜からこんな様子で心配を掛けてきましたし、マリアにも申し訳ない事をしています。それに同性という事もあり、ずっと黙っているよりは言ってしまった方が楽なのではとすら思えました。

 実の母親にこういうお話を聞かせるのは恥ずかしいのですが、生憎と直ぐに相談出来る相手は母様しか居ません。マリアはどうしても使用人目線での返答が返ってくるでしょうから、客観的に見てくれる母様が適役だとは思うのです。


「……他の人に言いません?」

「ええ。娘の悩みを言い触らす訳がないじゃない」

「父様にも?」

「リズが内緒にして欲しいなら、勿論」


 あくまで私の自主性に任せる母様に何だかとても安堵してしまって、私は「じゃあ……」と頷きベッドの縁に腰掛けます。母様も、私の隣に座って促すように此方を覗き込んで来ました。


「……その……殿下と、ジルに、同時に……」

「告白されちゃったのね」


 小さな声でたどたどしく相談をするのですが、全てを言わずとも私の様子と言葉の半分で合点がいったらしくあっさりと看破してしまいました。

 母様の勘は凄まじいと言いますか、そもそも薄々こうなる事を察していたのでしょう。以前にも違う事ですが相談しましたし、私は極端に鈍いというか目を剃らして来たのと違って母様は外から眺めていてジルの恋慕にも早くに気付いていたのかもしれません。


 それでも見抜かれた事は恥ずかしくて、また再熱する頬。おずおずと首肯すれば母様の頬も綻んでいます。からかうというよりは、微笑ましそうに「あらあらまあまあ」とのんびりな感嘆の声を上げていました。


「それでどうしていいか分からず悩んでいるのね。ふふ、もてもてね」

「ちゃ、茶化さないで下さい」

「ふふ、ごめんなさいね」


 ころころと喉を鳴らして、それでも上品さを保った笑みを浮かべる母様。

 私は母様が凄く焦った所とか見た事がないです。いつもゆったりとしていて、鷹揚というか器が大きいというか……兎に角、取り乱さない人。それが、話を聞いて貰う私にとって凄くありがたいです。


 否定せず、かといって全てを肯定せず。

 相槌を打つのがお上手というか、甘えたくなるような抱擁感が堪らない。自分から相談したくなるような距離感を保つのが上手いのですよ。


「リズは、どうしたいの?」

「……分からないから、困ってるんです」

「それもそうねえ……じゃあどうしようかしら」


 私が、どうしたいか。

 分かったら此処まで悶々していないのです。母様に八つ当たりする気もないのですが、私は私の気持ちが把握しきれなくて此処まで悩んでいます。


 二人に好かれて、嬉しい。それは紛う事なき本音です。親しい人から好かれて嫌な訳がありません。

 では、どう応えるか。

 此処に至ると、私の思考は止まってしまうのです。二人共嫌いではありませんし、寧ろ好ましく思っています。素敵な殿方だとも分かっています。


 ……私は、彼らとどうなりたいのか。


 殿下と結ばれれば、私は将来王妃として振る舞わなければならなくなる。個人的にはあまり望ましくはありませんが、ユーリスという個人の事は好ましいですし立場を抜けばとても良い人だと思うのです。


 ジルと結ばれれば、この場合私がジルの元に行くのかジルが婿入りするかは兎も角として、主従ではなくなる。ジルの事は好きですけど、それが異性としての物なのか、未だに悩み続けていました。

 ……小さい頃から一緒に居たからこそ、私はこの感情に明確な区別が付けられない。何処を基準にすれば良いのか分からないのです。

 此処が私が幼いと言われる所以なのでしょう。この歳にもなって恋心が分からないなんて。


 唇を結んだ私に、母様は急かす事なく円やかな眼差しを向けるだけ。私が自ら話すのを待っているのでしょう。


 ……ふと、母様は、どうして父様を選んだ、と思いました。これだけの美貌と才能を兼ね備えた、まさに才色兼備な母様は殿方に言い寄られる事が多かったと聞いています。

 それだけ男性に求愛されていたなら、もしかすれば条件だけなら父様より良い人も居たかもしれないのに。 


「……母様は」

「ん?」

「母様は、父様に告白された時、どんな気持ちになりましたか」


 結局、私が知りたいのはそこなのでしょう。好きだと真正面から言われて、どんな気持ちが生まれたのか。私が分からない部分の答えが、そこにある気がして。


「あら、ふふ……そうねえ、最初は告白どころじゃなかったわ。だってヴェルフ、お義父様と争って傷だらけだったんですもの」


 一度母様から聞いた、求婚の騒ぎ。

 お祖父様と喧嘩して、血だらけになりながらも母様を求めた事。


「で、元気になって改めて言われたのだけどね、本当に私で良いのかって思ったの。だって相手は侯爵様の息子よ?」

「……嬉しくなかったんですか?」

「嬉しかったわよ。だからこそ困ったの、ヴェルフが弱小貴族の私なんかと結ばれれば悪く言われるのが見えていたし。無理矢理キスされて怒りもしたわ」

「それでも、父様を選んだのですよね」

「ええ。好きだったもの。それにね、ヴェルフが『良いからつべこべ言わず本当の気持ちを聞かせてくれ。受け入れてくれるなら何者からも守ってやるし、必ず幸せにする』って。ふふ、こんな事言われたら頷かない訳がないわ」


 うっすらと頬を薔薇色に染めて幸せそうに眼差しを和らげる母様は、きっと誰が見ても可憐で美しい。恋するのに年齢は関係ないと言いますが、きっとそれは母親になっても変わらないのでしょう。母様はずっと父様に恋をして、愛している。

 ……そんな母様が羨ましくて、眩しいです。


「ヴェルフもそれだけ本気って事が伝わってきたのよ。あの人、普段そういう事言わないから」

「……母様は、幸せですか?」

「勿論よ。好きな人と結ばれて、可愛らしい子供が三人も出来たのだから」

「……そう、ですか」


 聞かなくても分かるくらいに、母様は父様の事を愛しています。父様も母様を愛していて、お互いに幸せそうに寄り添って生きている。

 誰が何と言おうと、二人は幸せです。


 私も、二人みたいにそういう気持ちになって、家庭を築けるのでしょうか。殿下か、ジルと。義務も立場も関係なく、ただ自分の意思で愛する事が、出来るのでしょうか。

 ……そうなったら、良いのになあ。


 きゅ、とシーツを握って俯く私に、母様はただ美しい微笑みを向けるだけ。


「どう応えるか決めるのはリズだけど、リズの気持ちに素直になれば良いのよ。リズは、ユーリス殿下やジルとそういう関係になっても良いと思う?」


 ユーリス殿下やジルと、夫婦に。


「私から答えはあげられないわ。リズの感情だもの。だからこそ、悩めば良いのよ。それで出した結論なら誰も文句は言わないわ」

「……はい」


 よく相談に男は解決策を求め、女は共感を求めると言いますが……それは間違っていないのでしょう。母様に話を聞いてもらっただけで、幾分か心の整理がついて余裕が出ていました。

 勿論、まだ答えは出ていないし分からない。けれど、ちゃんと考えるだけの空き容量は出来ました。私が殿下とジルの事を男として見ているか、好きなのか、夫婦になりたいと思うのか……それを見つめ直すだけの余裕が。


「……リズも女の子ね、親離れは早いわ」

「母様」

「幸せにしてくれると思える人を選ぶのよ?」

「はい」


 頷けば、母様は年齢を感じさせない美しい笑みで私の頭を撫でるのでした。

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