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少しずつ近付く確信

 結局、ジルは私に決定的な言葉は避けるかのように、ただ何も言いませんでした。

 明確な言葉は口にせず、あっても茶化すようなもの。真っ直ぐな眼差しを向ける癖に、言葉は出さない。気付いて欲しそうに、切なげに揺らぐ眼差しを幾度となく見ました。


 気付かなかった頃と変わらない関係に安堵しつつも、確実に少しずつ近付いてくる距離に私もどうして良いのか分かりません。

 昔よりも、ずっと……ジルは、私の側を求めて来る。裏のない純粋なまでにひたむきな想いは感じていて、最早それを敬愛と一蹴するには辛いのです。熱を孕んだ眼差しを向けられて、それがただの敬愛だと切って捨てるなんて出来ません。


 かといってそれを恋情だと受け止めるには、自分も整理出来てなくて戸惑うばかりなのです。

 当たり前でしょう、今までずっと側に居てくれて、苦楽を共にして来た人なのに。私が片手で数えられる年齢の頃から私の面倒を見てきてくれた人なのに。恥ずかしながらお腹丸出しで寝てたり寂しくて泣いていた姿を見られたり色々情けない姿を見られてきた人なのに。

 ……そんな私を、異性として求めるなんて、信じたくなかったのです。


 けれど現実は非情ですし、事実は小説より奇なりとでも言いましょうか。間違いないのは、ジルが少なからず自分を好いているという事です。

 いつからかは分からないけれど、自分をそういう目で見ていると気付いてしまった。主としてではなく、女として見ている時があるのだと。寧ろ何故気付かなかったレベルだと。

 ……客観的に見たならば、あの言動は行き過ぎなのでしょう。普通従者は主にキスなんてしたりしないし、あんな縋るというか求めるような渇望の眼差しを向けたりしない。

 そして私もそれに慣れて逸脱した行為を許していたし、求めていた。その事実に気付こうとしなくて、逃げていた事も自覚しています。


 じゃあ、そんな感情を向けられて、自分はどうなのか。

 決して、嫌ではありません。人間的にはジルは大好きですし、側に居て楽しいし心地好い。キスされても、そりゃあ恥ずかしいですが嫌ではないし、優しく触れられる事は幸せです。

 でも明確に好きかと言われれば分からなくて、こんなにも悩んでいるのです。好きという感情が此処まで判別し難く受け入れ難い感情だと思いませんでした。


 自問自答した所で答えが返って来る訳でもなければ、解決の糸口すら見つからない。寧ろ逆に恥ずかしさでむず痒いし頭ぐちゃぐちゃで上手く思考が纏まりません。

 こんなに考えさせられる事が今までにあったでしょうか。こんなに他人の事を考えて、自分と向き合って、自分に答えを見付けようと探り出す事が。


 過去にない情報と事実と羞恥が津波のように押し寄せてきて、頭がパンクしそうです。自分でも制御しきれない感情の波に拐われて、溺れてしまいそう。熱湯に近いこの波にもがいても、掴む藁すらなくて解決など出来ません。

 けれど未解決のままで投げ出してしまえる程、私はジルの存在を軽んじている訳でもない。明確な言葉を送られる前に答えを見付けたくても見付けられないのが現実ですが。


「……じるのばか」


 呟いた声に混じる吐息は、熱い。

 ベッドに寝転んで天井を見上げながら、息どころか全身に回る熱に体の自由を奪われている事実を再確認します。

 ……実に情けないお話なのですが、うんうん悩み続けた結果許容量限界に達したらしく、体の方から悩むのを止めてくれとSOSが発されたみたいです。夜悶えながら悩んで、起きた時には体が不調を訴えていました。


 医者に診せなくとも、ただの悩み過ぎによる精神疲労というのは自覚しています。だからこそマリアに言ってそのまま放置して貰っているのです。医者を呼ぶまでもありませんし、こんな事で呼びたくもない。

 そう言えば、前にも似たような事がありましたね。十歳の頃に、ジルが言った事を真剣に悩んで熱を出したんでしたっけ。


『もしそんな人が見付からなければ、私が連れ去ってあげますよ』


 ……あ、あれ、この頃からジルって私の事……?


 思い直せば昔から結構なアプローチをかけられていたというか、当時から主従とそういう感情の間で揺れていた気がしてまた熱が上がって来ます。

 落ち着きましょう、これ以上熱を上げたら本当に医者を呼ばれてしまいます。物凄く間抜けな理由で熱を出したとか言えないです。頭沸いてるのかってなります、実際沸いているかもしれませんけど。

 違います、この頃は明確なものではなかった。思い返せば狭間で揺れている程度です、本当に異性として好きとかそこまでではなかったように思えます。そもそも十歳のぺちゃぱいに異性は求めないでしょう、人間的に好かれていたのは間違いないですけど。


 じゃあ、明確になったのはいつ?


 内側で吹き荒れている疑問の嵐に答えが出る前に、部屋に響いたノックの音が思考を一時停止させます。


「リズ様」


 扉の向こうから聞こえて来たのが件の人だったから、一瞬にして心臓が鼓動を早めます。

 タイミングが良いのか悪いのか、それとも私が常に悩んでいるからそう思うのか。あまり顔を合わせたくない時に訪れるのだから、どう対応して良いものか分かりません。


 けれど拒むつもりもなくて、深呼吸をしてから「どうぞ」と促せば間髪入れずに開かれる扉。当然、その奥から翠を揺らした姿が現れます。

 朝はジルには会ってなかったものの話は聞いているのか、顔で体調を察したのか、心配そうに此方を窺っていました。……原因の一端はあなたにもあるんですよ、とはとても言えません。


「お加減は如何ですか」

「……へ、平気です」


 幸いな事に熱は出ているから頬の紅潮は誤魔化せます。ややぎこちないかと自覚しつつも寝たまま頷いてみせれば、ジルもそこには追及せず「良かった」の一言。

 少し伏し目がちに微笑んで、此方に歩み寄って来ます。


 起き上がろうとすれば手で制され、安静にしていて下さいとやんわり窘められてしまいます。その気遣いは助かるのですが、視線を直に感じるので恥ずかしいと言いますか。


「大人しく寝ていて下さいね、疲れも溜まっていたのでしょう」

「……そうしておきます」


 誰のせいですか、と思いつつも八つ当たりみたいなものなので言えません。私が勝手に悶々悩んで熱を出してしまうという間抜けな事態を引き起こしているのですから。

 で、でもジルが思わせ振りというか、ジルが……あんなに愛しげに見てくるのが悪いのです。深く考えるに決まってるでしょう、あの眼差しをされたら。


 半分はジルの責任だもん、とちょっとだけ身勝手に責任転嫁しつつジルを見上げると、心配そうな表情をほどいて今度は苦笑を形作ります。


「どうされましたか?」

「何でもないです」

「そうですか。そんな拗ねた眼差しをされても、言ってくれなければ不平は伝わりませんよ?」

「拗ねてません」

「ふふ、それなら良いのですが」


 くす、と息だけで楽しそうに笑って見せたジルにはやっぱり敵う気がしません。このもどかしい感情を口にした覚えはないのに、何故だか見抜かれている気がして恥ずかしい。


 文句は口から出る事なく胸の奥でもやもやと煙っているのですが、ジルがそっと頬を撫でて来ただけで霧散してしまいました。

 武骨な指先が擽る手前の心地好さを与えて来る。指の関節ですりすりと甘やかすように撫でられるだけで、妙な満足感が蟠りの代わりに胸の奥を埋めていきます。

 普段は暖かい掌が今日ばかりはひんやりとしていて、とても気持ちいい。


「……ん」


 猫のように喉を鳴らして瞳を細めてしまったのは、癖としか言いようがありません。

 つい甘えてしまう。

 何でこんなに触れられるのを許してしまうのでしょうか。駄目だと分かっているのに、指先が肌をなぞる事が心地好い。絶妙の撫で方が警戒を全部奪い取っていくというか、今まで染み込んで来た『ジルに撫でられる事は日常茶飯事』という感覚がそうさせるのでしょう。


 ジルに触れられるのは嫌ではないし、寧ろ気持ちいい。今はひんやりしてるけど普段は暖かくて、ふわふわする。私が人肌を好むと分かっているジルは、私が嫌がらない範囲を心得ているしどうすれば喜ぶかも把握している。

 だからこそこんなにも気持ちよくて、うとうとするのです。寝かせる為にわざと、こんな事してるのかもしれません。


「……ジルは……」

「はい」

「私に触るの、すき?」


 指先の動きがぴたりと止まって、それから苦笑。静かな湖にさざ波が広がるように、顔は緩やかに笑みの形へと変化していきます。


「私が些か変質者のように聞こえますが、あなたに触れるのは幸福ですよ」


 耳に滑り込んでくる囁きは、酷く甘いもので。

 ただでさえ熱があるというのにこんな熱の籠った、愛しげな声音を向けられては熱がまた上がってしまうではありませんか。自分から聞いた事とはいえ、返答がこのような甘い言葉だとは思ってなかったのです。


 恥ずかしくて、体に宿っている熱にも影響を及ぼされたのか頭が浮かんだような感覚。思考が定まらないというか、ふわふわして……上手く、掴めません。

 せり上がる熱と妙な擽ったさ、それから変な浮遊感。きっと熱のせい。ジルの甘い声が、悪いのです。


「私も、ジルに触られるのすき」


 私の制御を擦り抜けた言葉は、自然とジルに向いていました。


「……意味深な言葉ですよ、リズ様」


 勝手に口をついて出た言葉に、ジルは苦笑い。いえ、苦笑いと称するにはあまりにも瞳が熱を孕み頬が緩んでいます。

 少し照れたような表情は、私の熱が移ったかのよう。


 ジルも、少しは恥ずかしいと思えば良いのです。私をこんなにも悩ませているのだから、少しくらい、意地悪したって。


「……あまりに可愛らしくて、私は時々どうすれば良いのか分かりませんね。私はリズ様にいつも翻弄されています」


 何とも言えない複雑な笑みを浮かべて、それからまた頬を撫でるジル。


 翻弄されてるのは、私の方です。こんなにもジルの事考えさせられて、どきどきさせられるのに。その癖決定的な言葉は言わなくて、私を惑わせてばかり。……それがありがたくもあり、同時に明確な答えが欲しいとも思ってしまう。

 矛盾しているのでしょう、私は。逃げたい癖に答えを知りたがっているのだから。


 ぼんやりとジルを見上げていれば、ジルの掌がゆっくりと額に当てられます。ひんやりとした掌に、そう言えば濡れタオル頼めば良かったな、なんて今更のように思い出します。


「お休みなさいリズ様、ゆっくり休んで下さいね」


 穏やかな声に、意識が自然と遠のいていきます。まるで睡魔に引きずり込まれるように、意識の端っこからどんどん眠りの海に落ちていく。

 疲れもじわじわ出てきて体の倦怠感と熱に薄らぐ意識の中、私が最後に見たのは喜色と寂寥の混じった笑みと、僅かな唇の動き。


「……私は……」


それを聞く前に、意識は白い海に落ちていきました。

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