そして迎えた誕生日
そして迎えたジルの誕生日。
朝からお祝いの言葉を色々な人からかけられて、ジルも素直に嬉しそうに頬を緩めていました。ルビィににこにことお祝いをされていた時は微妙に頬が引き攣っていましたが、何を吹き込まれたのでしょうか。
父様に声を掛けられている時は少し緊張気味で、私には聞こえない声量だったものの何か大切なお話をしていたみたいです。父様と別れてから僅かに強張った顔をしていましたが、私の姿を見て慌てて笑みを浮かべました。
「ジル、誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
今日何度も掛けられたであろう言葉、それでもジルは心から嬉しそうに相好を崩しては腰を折ります。誰に声を掛けられた時よりも喜んでくれるのは私としても主人冥利に尽きるのですが、ジルは私にでれでれし過ぎというか。
「ふふ、ジルももう二十四歳ですね」
「耳に痛い限りですよ。そろそろ祝われる年でもないのですが……」
「一年に一度くらい良いじゃないですか」
ジルは若々しいし童顔ではないですがやや中性的な顔立ちなので、実年齢よりも若く見られます。勿論男らしさも容貌に出ているのですが、物腰が穏やかだから中性的に見られるのかもしれません。
そんなジルも、もう二十四歳。
あと一年すれば成人から十年の月日が経つのです。思えば、ジルと過ごし始めてから、十一年の年月が流れている。出会った当初はお互いに幼かったのに、今では大人になった私達。
……まあ私は子供っぽくなりましたけど、それでも私達は変わった。ジルは背が高くなって適度に細いながらも男らしい体つきになった。
魔術の腕もめきめきと伸びて、今や魔導院では屈指の実力派として密かに有名です。父様に師事しているのもあり、後継者となってもおかしくない、とか。
それは誇らしくあるのですが、ちょっぴりジルが遠くなった気がして寂しい気もするのです。それに、異例の名誉爵位を得た男という事で、実力に容貌と相俟って女の人に言い寄られたりもしてますし。
見掛けると何かもやもやしますけど、ジルの自由だから口出しはしません。その後ジルに何故か謝られるので、不思議と溜飲も下がるのですけど。
「それで、誕生日プレゼントなのですが」
思考が脱線してきたので、話を戻しましょう。
という訳で今日はジルの誕生日で、ジルをお祝いする日。ジルは遠慮しがちですけど、ジルだって祝われるべきですし、私が今まで贈り物を頂いて来たようにジルも貰っても良いのです。
「別になくとも」
「えっと、物じゃなくてですね……その、今日一日、ジルのお願いを叶えてあげようと思って」
「……お願い、ですか?」
「はいっ。ジルってあまり望みを言わないし我が儘も言わないから、私にぶつけて下さい。今日はジルを甘やかす所存です」
えっへん、と胸を張ってみせ。
ジルはあまり物欲がないというか、あんまり物事をねだりません。そりゃあ従者としてはそれで良いのでしょうけど、私としてはいつもお世話になってますし頼りにして欲しくもあります。私が頼りないのが大きな問題という事は除いて欲しいですが。
だから、今日この日くらいはジルが我が儘言ってくれても良いのです。私には叶えられる事があるなら、何でも叶えますし。
存分に甘えて下さい、と意気揚々とジルを見れば……これ見よがしに溜め息を落とされました。額を押さえる辺り、昨日のセシル君を彷彿とさせます。
「……無体を強いるつもりもありませんが、リズ様はもう少し、警戒心を持った方が宜しいのでは?」
「……え、えっと、この間みたいなのは駄目です」
セシル君とジルが何を言いたかったのかそろそろ分かってきて、私は仄かに熱を持った頬に気付きながらもやんわり首を振ります。
あ、あの時の夜みたいな事をお願いされたら、ちょっと叶えてあげるのは無理です。ジルが白昼堂々そんな事言い出すとも思えませんし、流石にあんな事をお願いするとも思いませんけど。
「分かりました。では、今日一日リズ様とゆっくりする、でお願いします」
「……へ?」
「ヴェルフ様にお許しは得ていますので、一日側に居て下さい。あなたの時間を分けて頂けたら、それで」
「……そんなので良いのですか?」
ジルが何をお願いするのか、ちょっぴり不安だったのですが……ジルの口からは、あまりにもあっさりとしたお願いが飛び出てきました。
もっと、何か具体的な事だと思ったのに……ジルは『側に居て欲しい』という、そんなお願いだけ。そりゃあ昔に比べれば側に居る時間もやや減りましたけど、今でも側に居るのに。そんな、毎日のような事を願うなんて。
「もっと欲張っても良いのですよ?」
「これでも欲張ってますよ、今日一日はリズ様が大人しく側に居てくれるという事ですし」
「私が落ち着きないという言い方ですね」
「……私が原因ですが、最近は少し共に居る時間が少なかったので。あなたの側に居させてくれれば、私は癒されますから」
凄く甘い言葉を吐かれている気がするのですが。
……私で癒されるって、そこまででしょうか。でも私も大切な人の側に居たら癒されますし、恐らくジルの中で優先順位のトップに居るであろう私の側に居れば癒され……るのでしょう。
願いにしては随分と控え目な望みに、私は本当にこんなので良いのかと悩みながらも頷く事にしました。
「本当に何処か出掛けなくても良かったのですか?」
有言実行と私のお部屋のソファで寛ぐのですが、ジルはお外にお出掛けとかは望みませんでした。部屋で一緒に居れば良いという、無欲というか何というか……こんな事で良いのだろうかと悩みます。
本人はというと実にすっきりしたお顔で、私と目が合えば口許を綻ばせました。
「ええ。私はリズ様のお側に居れば充分に幸せですので」
「お、大袈裟ですね。もっと望んでも良いのに」
「良いのですか?」
てっきり今までの態度から遠慮するのかなと思えば、今度は少し期待に瞳を揺らしては私を見つめています。
私にはジルの考えている事は分かりませんけど、そんな大仰な事を私に言うつもりはないでしょう。ジルの性格上無茶振りはしないでしょうし、言うとしたら最初に言う筈ですし。
「私に出来る事ですよ?」
「では、こちらへ」
にこやかな笑みで手招きするからには、そこまで大きな要求ではないのでしょう。
言われた通りに開けていた距離をなくしてぴったり隣に座ると、ジルは更に笑みを濃くする。分かりやすく喜色を浮かべるので、側に居るだけで嬉しいというのは本当なのかもしれません。ちょっと、恥ずかしいですけど。
何ですか? と触れそうな距離にまで近付いた私が問い掛ければ、相変わらずの穏やかな笑み。首を傾げただけで眼差しを柔らかくするから、何だかむずむずします。
「触れても宜しいですか?」
「……普通の触れ方なら」
「では遠慮なく」
触っても良いか。
触れられるのは、嫌ではありません。そりゃあこの間の夜みたいな展開は恥ずかしくて居堪れないですけど、普通に触れられる分には暖かくて心地好い。ジルも、そう思ってくれたのでしょうか。
どうぞと言いつつどう触れられるのか分からなくて身構えた私に、ジルもこてんと首を傾げて。いえ、少し体を斜めにして体を首を傾け、私の肩に乗せたのです。
凭れ掛かるように、丁度肩の上辺りに耳を乗せて僅かに体重をかけてくるジル。自然の色をした髪の毛が少し頬に当たって擽ったい。
「……ジル?」
「甘えて宜しいのでしょう?」
振り返る事はなく、ただ少し悪戯っぽい声音で私の言葉を言質として呟くジルに、私の頬が少しずつ緩みます。
いつも私ばかり寄り掛かっていましたが、今日はジルが寄り掛かってくれる。甘えて貰うというのも、中々に心地好いというか。今では甘える事が多いですが、甘やかすのも中々に好きなのですよ。頼ってくれるという事が嬉しいですし。
珍しくジルが私に無防備な姿を晒け出してくれるのが擽ったくて、私もにこにことしながらジルの重みを受け止めます。
いつも頑張ってますし、こういう時くらい甘えて貰うのが良いのです。
ふふ、と零れた笑みをそのままにジルの体温をじんわりと感じていた私は、ふと私の太腿の上にやんわり乗せられた掌が視界に入ります。
何となしに手に取れば、私と違って引き締まった硬い掌。骨張った指を指先でなぞると、少しだけ擽ったかったのか僅かに身動ぎをされました。
「……ジルの掌、硬いですね」
「魔術だけでなく剣術も嗜んでおりますので」
「私、この掌に守られて来たんですよね」
つうっとなぞれば所々に引っ掛かりを覚える、それが傷だったり豆だったりするのは仕方ない事です。ジルの優雅な見た目に反して、掌に現れた如実な努力の結果。ストイックなジルは血の滲むような研鑽を積んでいる事も、分かります。
決して無傷の美しい指ではないけれど、私にはこの懸命な努力の刻み込まれた掌は尊くて美しいものだと思うのです。
武骨な掌。豆も出来て魔術を極めんとする人間とは思えない程、男らしい掌。誰よりも私の事を大切にして来た、掌。
私はこの掌に触れられて、撫でられて、守られて来た。いつもこの暖かくて逞しい掌に、包まれて来たのです。
「……本当に、迷惑ばかりかけてきましたね。ありがとう、ジル」
沢山危険な目に遭わせて世話ばかり焼かせて、呆れさせたり怒らせたり心配させたり。ジルにはいつも迷惑ばかり、背負わせて来たと思うのです。
それでも見捨てないでくれたのは、ジルが……私の事を、大切にしてくれているから。幼い頃の、あの夜の誓いから、ずっと。
こんなにも頑張るのは、私の為。自惚れではなく、純粋にそう思えるくらいにジルは私を大切にしてくれているのです。
いつもありがとう、と持ち上げたジルの指に唇を近付けます。角張った武骨な指、細々と傷の残る指にそっと口づけると、びくりと揺れる肩。
凭れ掛かられているので震えが直に伝わって来るものだから、その揺れに自分が何をしていたのか改めて思い知らされます。
「……っ、ご、ごめんなさい、自然と……」
何をしているんでしょうか、自分は。
今更ながらに恥ずかしくなって来て、自分の仕出かした事だというのに物凄くむず痒い。それに、触れた指先が男のものだと感触で分かるから、その事実にも羞恥を感じます。
俯いて羞恥を堪える私に、ジルは息だけで笑みを表現し、そっと肩から頭の重石を外します。
「リズ様」
「は、はい」
想像以上に柔らかい声音で呼び掛けられ、上擦った声が出てしまう。それすらジルは楽しんでいるようで、そういう所は嗜虐心があるのかもしれません。
おずおずと視線を合わせれば茶目っ気の窺える笑み。爽やかなのに何処か悪戯心を残した微笑みは、心臓に悪い。
「どうせなら、此方にして頂けた方が嬉しいですよ?」
そして飛び出た言葉に更なる羞恥が煽られて、じわじわせり上がる熱を抑えるのに一生懸命になるしかありません。
からかうように口の端を吊り上げて頬を指差すジルは、私が固まるのを分かってわざとそんな事を言ったのでしょう。実行する事はないから、ちょっと悪戯してやろう、そんな気持ちな筈。
「冗談ですよ」
現に私が固まって十秒経てばネタばらし。
フリーズする私に苦笑して軽く頬を掻き、私の髪をそっと撫でます。
でも、して欲しそうにしていたのも、事実。
眼差しが少しだけ期待していたというか、ほんの少しだけの確率でも信じたいって印象があって。断られると分かっていて提案したジルは、やっぱり何処か寂しそうで。
……ジルが、望むなら。
何だか今日に限って自分がかなり大胆な事をやらかしていると自覚しつつも、ゆっくりと顔を近付けます。
色白過ぎず適度に健康的な色をした、きめ細かい肌。私よりも硬そうな、引き締まったシャープな頬のラインに沿わせるように唇を押し当てると、今度はジルがフリーズする番でした。
まさに、ぽかんとした表情。
何をされたのか分かっていないような、というよりは信じられないといった眼差しが至近距離に居た私を貫きます。
私は私で自覚してしているので恥ずかしさもひとしお、揺らめく羞恥が顔と瞳に現れては熱を吐き出して居ました。
恐らくジルの想像を上回ってびっくりさせられたのは良いのですが、これはこれで私が恥ずかしい。決して嫌ではないですし擽ったさがあるくらいなのですが、羞恥が全部上回ってそれどころじゃないというか。
それはジルも同じだったらしく、私よりは控え目ながらも顔を赤くしては、私に見られたくないと掌で綺麗な顔を押さえるジル。
「あなたに強制してはならないとは分かっているのに嬉しい私は、浅ましい人間ですね。嫌々やったと言うのに」
「嫌々なんかじゃないですよ? その、ジルですし……」
嫌だなんて思う訳ないじゃないですか。そりゃあ恥ずかしいとは思いますけども。
ジルは、前にも経験はありますし。ほら、ご褒美の頬にキスとかもあったし。決して嫌ではないですし、ジルが喜んでくれるなら。
それでも恥ずかしいものは恥ずかしいので視線をさまよわせる私に、ジルは瞬いてからふにゃりと頬を緩めました。
「リズ様」
「は、はい?」
「あまり可愛らしい事を言っては、私は益々増長してしまいますよ」
手を伸ばして頬を撫でられ、それからその指が唇の辺りをなぞります。武骨な指がゆっくりと唇を沿うものだから、背中がぞわぞわしてしまう。
「……駄目ですね、私は欲深い。そしてリズ様も罪深いお人だ」
けれどジルはそれ以上は求めず、ただ困ったように眉を下げて微笑み、代わりと言わんばかりに私の手を取り口付ける。私がジルにした事をし返されただけだというのに、自分がした時よりももっと心臓が煩くなっています。
……ジルにどきどきする事、多くなってる気がする。何というか、危うい大人の魅力があるというか……その熱っぽい眼差しが、私の羞恥を煽るのです。
ジルは私が溢れだした熱で何も言えなくなったのを満足げに微笑んで、それから立ち上がる。どうしたのかとおずおずと見上げれば、いつもの笑みに戻ったジル。
「紅茶を持ってきます」
私の返事を聞く事なく部屋を出ていってしまったジルは、まるで逃げてしまったような感じがして。
それでもほっとしてしまったのは、あのまま二人きりで居たら私が心臓に負荷をかけ続ける事になりそうだったから。
急に静かになった室内で、私は誰も居ないのを良い事に深く吐息を零します。
「……ジルは」
……私の事、好きなのでしょうか。
ずっと側に居てくれて、あれ程までに大切にしてくれているジル。そんな彼は、私の事を異性として求めているのでしょうか。
気付きたくないし考えたくはなかったけれど、そろそろ……限界、な気がして。あんなに愛おしそうな眼差しととろけた笑みを浮かべられては、勘繰らざるを得ないでしょう。
真実は、本人に聞かなければ分からない。けれど大切に想ってくれて私が一番心を占めているのは、否応がなしに分かります。
何よりも私を一番に優先するジル。
もし、そうだったとして。
……私は、ジルにどう応えたいのか。自分でも明確な名前を付けるには曖昧と断言出来るこの感情は、ジルに答えとして出すに相応しいものなのか。
私は、ジルに『従者』を求めているのか『男』を求めているのか、それすらはっきり分からないのです。
確かに好きだけれども、それが異性としてなのか、判断がつきがたい。長年、それこそ幼い頃から一緒に過ごして来たからこそ、私には上手くこの感情を表現出来ない。
悩んでも悩んでも決定的な答えが出る訳もなくて、どうしようもなくて溜め息をつくしかありませんでした。胸の奥がじわじわと熱くなっているのは、気付かない振りをして。
ご報告が遅れましたが、3/27に『転生したので次こそは幸せな人生を掴んでみせましょう』発売致しました。出版にまで至ったのは皆様の応援あってで、誠にありがとうございます。
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