欲しいものを探して
この間のフィオナさん達とのお出掛けで改めて思ったのは、そういえばジルの誕生日もうすぐだよなあ、という事です。
私に仕え始めてから早十一年。当時十二歳の少年だったジルも、今ではすっかり逞しくなっています。見掛けは逞しいというよりは優男に近いですが、周り曰く脱いだら結構凄いそうな。抱き付いた時の筋肉の硬さでもそれは何となく分かります。
仕えて十一年、成人してもうじき九年経とうとするジルは、あまり誕生日というものが好きでないそうです。
仕え始めた頃は誕生日の事を教えてくれなくて、おかしいと思って聞いてもはぐらかされ。漸く教えてくれた頃には私の年齢が二桁に突入していました。
何故嫌がるのかと疑問をぶつけると、ジルは少し返答に困ったようで眉を下げて笑い、それからゆっくりと肩を竦めました。
「あまり誕生日に良い思い出はないので」
苦々しく呟かれた一言に胸を割かれたのは、私と父様でした。今は亡きアルフレド卿の仕打ちを、思い知らされたからです。
そんな事を聞いて黙っていられる私達ではありませんでした。
何だかんだで父様もジルを家族の一員として認めているので、ジルの事を気遣っています。ならその嫌な思い出を塗り替えようと盛大に祝ったのが数年前の出来事。
あの時は色々凄かったのですが、結果としてジルが泣き笑い気味に喜んでくれたので結果オーライなのです。
それから毎年ジルの誕生日は家族で祝う事になってるのですが、二十四歳の誕生日ともなると祝い方というかプレゼントのネタが尽きて来てしまうものです。
そもそもジル自体物欲がない方なので、あげるものに困っていました。今までだとスカーフとかハンカチーフとか、エルザさんの所で買った小さめの魔道具とか。
比較的実用性の高いものを贈ってきたのですが、そろそろ万策尽きたと言わんばかりに贈るものがなくなって来たのです。装飾品は男性にはあまり向きませんし、かといってお金とかは贈り物ではありません。そもそもジルは倹約家なので恐らくお金は余っています、領地云々で更に収入がありますし。
じゃあ今年の誕生日は何をあげようか、という問題になります。私が思い付く限りでは欲しがりそうなものはあげているのです。
ならば人に聞いてみるしかない、とジルにばれないようにこそこそしながら、手始めにルビィから意見を聞いてみたいと思います。
「ねえルビィ、ジルの欲しいものって分かりますか?」
お庭で魔術の自主訓練に励んでいたルビィを捕まえて問い掛けると「ああもうそんな時期なんだ」と説明せずとも納得してくれました。但し、心なしか瞳を細めていますが。
「分かるよ? けど言わない」
「えー。そこを何とか」
「だーめ」
何とか聞き出したい所なのですが、ルビィの方は私に漏らすつもりはないらしく悪戯っぽい笑みで人差し指を私の唇に当てて来ます。
姉の私から見ても可愛らしい微笑み、ちょっと目が笑ってない気もしますけど、それが向けられているのは私ではないでしょう。でも下から覗き込むように見つめられて、ちょっとたじろいでしまう私です。
最近ルビィかなり大きくなって来て、私の背に段々と近付いて来ているのですよ。あと二年もすれば軽々と追い抜かされている事でしょう。
あどけない顔立ちはそのままなのですが、屈託のない笑みの他にふとした時に幼子には出ないであろう色気に近いものを感じるので、姉としては将来が心配です。父様の遺伝子は脈々と受け継がれていますよ、その内マダムキラーにならないか不安だったり。本人には言えませんが。
「というか絶対に一番欲しいものはあげたくないもん」
「何ですかその強固な意地は」
しれっと酷い事を言ってる気がしなくもないのですが。
確かにルビィはセシル君を優先しますし、ちょっぴりジルには意地悪だったりしますけど……嫌いという程じゃないと思うのですよね。
ルビィがジルに向けているのは、うーん……敵意というか、それにしては害意がないものです。嫌悪しているとかではないですし、大丈夫だとは思うのですけど。
言ってくれても良いのに、と少し不満げに唇を尖らせると、ルビィはくすくすと空気を鳴らしながら笑って首を振ります。その対応から、絶対にルビィの口から漏れる事はないという事も理解出来ました。
「姉様にも秘密な事はあるもん。僕だって男だからね、男の秘密というものがあるもん」
「そ、そうですか? じゃあ他の人に聞きます」
ルビィが一端の男になったような感じがして、感慨深いやら何か先行きが不安というか、ちょっぴり複雑でした。
ルビィから聞き出すのは諦め、次は父様。
お仕事でジルと時間を共にするのも多いでしょうし、大人の人なら大人のジルの欲しいものも分かる気がしたのです。
「父様はジルの欲しいもの分かりますか?」
「そうだなあ、分かるがやらんな。まだあいつには早い」
どうやら父様もジルの欲しいものに見当を付けている模様。それでいて私に話す気がなさそうなのはルビィと一緒です。
苦笑気味に眉を下げて首を振る父様に、何で私には皆内緒なんだろうという疑問が押し寄せて来ます。
私には言えないようなものなのでしょうか。ルビィは男の秘密って言ってましたし、父様はまだジルには早いと言った。
贈り物に早いも何もあるのか疑問なんですよね、もう成人しているしお酒だって飲めるジルです。父様だってジルと偶にお酒飲んだりしますし、お酒の線は除外。
だとすれば男の秘密でジルにはまだ早いもの。男の秘密。
……まさか、春本?
この時代にも男性の嗜みというか娯楽品として存在はしていますし、貴族の女性向けにそういう本がある、とも。我が家では閨の事は教えられてませんが、教育の為にそういう本があるのも知っています。
よく考えれば二十四歳にして未婚というのは相当なものなので、三大欲求の一つを持て余している可能性がありますよね。娼館という手もありますが、ジルがそういう所に行っている様子もありません。
……やはり、この線が有力でしょうか。
「……父様、もうジルも大人ですよ? ちょっといかがわしい本の一つや二つ……」
「どうしてそうなったのか分からんが、ジルの名誉の為に言っておくと想像してるのとは違うからな」
流石にその辺りを塞き止められると可哀想だ、と眼差しで訴えれば真顔で首を振る父様。いつもは笑みの似合うお人なのですが、今ばかりは感情を削ぎ落としたような無表情です。
私はというと予想が外れてしまって嬉しいやら悲しいやら。ジルの欲しいものを当てられなかったのは残念なのですが、ジルがそういう本を欲していないのにはちょっと安心してしまいました。
別に所持していた所でそういうものなのだと分かりますし、男性の本能を拒否するつもりもありません。寧ろ男としては健全なのではないでしょうか。
それでも複雑なのは、ジルがそういうもので興奮するのが想像出来ないのと、想像していたらしていたで何かもやっとするからです。別に駄目とは思わないしジルの勝手なのですけど……。
どうしたものか、と唇を結んだ私に父様も思案顔。
「ジルの欲しいもの、なあ。……そうだな、俺からは少し休みをやろうかと思ってる」
「最近働きづめでしたもんね。特訓も頑張ってるし」
「まあ最大限譲歩はしてやるぞ、俺も鬼じゃないからな。……リズ、ジルを労ってやればどうだ?」
「だから欲しいものを聞いてるのですけど……」
「ジルはリズの労いだけでも充分だと思うぞ」
「……そうですかね?」
「ああ」
わざわざ物をあげなくても喜ぶ、という意見は分からなくもないです。ジルは大抵私があげるものは喜びますし、お礼だけでも喜びます。おめでとうの一言で端整な顔が綻ぶのも、想像に難くないです。
でも、折角の誕生日なのですから、形に残るものをあげたいとも思うのですよね。幼い頃に祝われなかった分、これからも沢山祝ってあげたいじゃないですか。
「うーん……もう少し悩んでみます。折角の誕生日ですし」
結局父様に聞いてもピンと来るプレゼントは思い付かず、お礼を言ってから父様の書斎を後にしました。
近しいルビィや父様が駄目となると、男性の気持ちを分かって近しい存在は残り一人です。一般的な常識を持ち何だかんだでジルの理解者である、私の大切な友人が。
「セシル君、ジルの欲しいものって分かりますか?」
魔導院に出勤した私が開口一番に問い掛けると、僅かに面食らったようにたじろぐセシル君。いきなり何だ、という眼差しを頂きましたが、私が真剣な視線を返すと少し考え込むように口許に折り曲げた指を当てて俯きます。
何と言って良いものか、という呟きが耳を掠めたからには、恐らくセシル君もジルの欲しいものを知っているのでしょう。但し言いあぐねているらしくで、眉を寄せながら思考を巡らせている模様。
たっぷり一分程の時間を取って顔を上げたセシル君は、微妙に顔が強張っていました。
「そうだな、花……かもな。それもとびきり高い位置にある」
「お花、ですか? お庭に植えてるのじゃ駄目ですよね」
「まあある意味ではあいつの手で育てられたって言っても良いかな。……手折る事の許されない、とても尊い花だよ」
とても遠い目をしている、というか、何処か羨望を含んだ眼差しが部屋の天井付近に向いています。多分本当に花じゃなくて、何らかの比喩表現をしているのだとは思いますが……それが何なのかまでは教えてくれそうにありません。
「じゃあどうしましょうか」
「知らん。そもそもあいつはお前がくれた物やしてくれた事なら大概喜ぶぞ」
「想像出来ますけど、それじゃあ意味ないと思うのですよ。折角の誕生日なのに」
「……誕生日ねえ。まああいつならお前が笑っておめでとう、で喜ぶぞ」
「そうなんですけどね……」
皆そう言いますよね。言葉だけで嬉しいって。
でも、それじゃあジルの事を祝ってる気になりません。これは私の我が儘なのかもしれませんけど、出来れば形に残したいです。それが出来なければ消費するものでも良いけどジルの欲しいものをあげたい。私の自己満足だとしても、私は沢山ジルにお世話になってるしお返しがしたいのです。
「俺に聞くのは間違いだと思うぞ。本人に聞け」
「サプライズ感がないです」
「こそこそ嗅ぎ回ってるのはばれてそうだがな」
「うう」
鋭いジルの事だから、私が皆にジルの欲しいものを聞き回っているのはばれているでしょう。指輪から伝わらないようには制御していますが、それでもジルと目が合った時にちょっと逸らしてしまって訝られましたし。何かしら気付いているとは思います。
本人に聞くのもなあ、と人差し指同士をつつかせながら悩むしかない私に、セシル君の大きな溜め息が降り注ぎます。
「笑ってやれ、それだけで充分だ」
「でもそれだと」
「じゃあお前が誕生日当日にジルのお願いを叶えれば良いだろ。その辺が建設的な案だ」
お願いを叶える、という言葉に、目を丸くして。
「それです!」
セシル君流石、と瞳を輝かせれば、余計な事を言ったと言わんばかりに額を押さえてぐったりするセシル君です。
そうです、形に残してあげたかったのは山々ですが欲しくないものをあげる可能性もあるので、やっぱり本人に聞くべきです。サプライズ感は薄まっちゃうかもしれませんが、ジルの事だから私が物をあげようとしていると予想している事でしょう。その予想を裏切れるのではないでしょうか。
お願いを叶えてあげる形なら、ジルの欲しいものもあげられますし、私もお願いを叶えてあげられて大満足です。偶にはこういうサプライズも良いのかもしれません。
「ありがとうございますセシル君、糸口掴めました!」
「リズ、頼むから自衛はしろよ。何があっても自分は大切にしろ」
「……何故戦いに赴くような言葉を贈られているのでしょうか?」
ジルのお願いを聞くだけだと言うのにセシル君は物凄く不安そうと言うか引き攣った表情で肩を掴まれたので、訳が分からないながらも頷くのみでした。