翻訳は難しい
母様に相談したり自分なりに悩んで、取り敢えず私のプチパニックは収束しました。意識し過ぎても困りますし、セシル君やジル達が男の子なのは今更なのです。あまり意識する事はないのです。
そ、そもそも、平常時に二人が私に何かしたいとか思う事はないでしょうし。普通の友人や家族感覚で居れば良いのです。
「もう戻ったか?」
ルビィの家庭教師に来たセシル君。ルビィは今ロランさんとの剣術稽古に勤しんでいるので、今はお庭のテーブルで二人談話という名の日向ぼっこに精を出しております。
小さなテーブルに対面するセシル君は、私の様子を見ては少し距離を窺っているようです。
「何とか。あっ、で、でも、ちゃんと性別は気にしますからね!」
「気にしなかった今までがおかしいからな。……でも、そうか」
「え?」
「いや、昨日の殊勝なお前が見れないのは残念だな、と」
……き、昨日のは、慌ててしまっただけで! 普段はあんな、女の子っぽい反応なんてしません。あんな生娘のような……いや生娘ですけど、初心っぽ過ぎます。
「う、うるさいですね……自分だって顔真っ赤だった癖に」
「あれはお前が変にしおらしくて女々しかったのが悪い」
「女々しいって悪口に聞こえるのですが」
そもそも女なのですから、女らしくて当然です。そりゃあ私はセシル君からすれば幼さの方が強いかもしれませんけど、これでも女ですし、ちょっとどきどきする事くらいあるのです。
むう、と頬を膨らませてセシル君に抗議しますが、セシル君は意見を翻すつもりはないようです。
「せめて可愛らしいとか女の子らしいとか言えませんか」
「自分で言うか」
「別に自分が凄い可愛いなんて思ってませんし。そこそこに見映えがするのは自覚してますけど」
誰も自分が超絶美少女とかそんな事思ってませんよ。勿論整っている方でしょうし可愛いと言えば可愛いに入ると思いますが、誰もが見とれる絶世の美少女とかだとは全く思いません。
というか自分で凄く可愛いとか思ってたらナルシストっぽいので、まずないです。
「……全然自覚してないよな、お前」
「え?」
「セレンさんはすげえ美人だと思うよ」
「分かりますか! 母様美人ですよね、絶世の美女だと思うのです!」
セシル君が女性を褒めるなんて滅多にないので、これは本心と思うのです。私も母様を褒められて嬉しい、だって大好きな母様ですもの。
母様は女神って言っても良いくらいに整っていて、穏やかな笑顔が素敵な人です。父様と結婚するまで引く手あまただったそうで、父様も射止める為に頑張ったみたいですし。
私も母様に似ていますけど、母様程綺麗さがある訳ではありません。よく童顔とか言われますし、顔のラインとかも母様みたいにほっそりとしている訳ではないのです。
よく言えばあどけないとか可愛らしい、悪く言えば幼さの抜けない顔立ち。昔よりは大人っぽくなりましたが、それでもセシル君の成長に比べると私は子供らしさを残したままです。
なので、母様のような綺麗な顔立ちには憧れがあるし、母様を褒められる事は私にとっても誇らしい事なのです。なんたって私の母様ですからね。
セシル君も母様の美しさを分かってくれるなら嬉しいです。
「……あーうんそうだな、もう良い」
対するセシル君は、私の笑顔にややぐったり気味に額を押さえていました。
「何で呆れてるんですか、母様美女でしょう。……セシル君熟女趣味だったのですか?」
「何でだよ! ……お前偶にわざとかってくらい鈍いよな」
「鈍いのは知ってますけど、わざとじゃないもん。そんな事言ったらセシル君素直じゃないですよね、迂遠に言うかわざと素っ気なく言うし。度々傷付いてるのですよ」
少しくらい反撃しても良いだろうと、わざとらしく眉を下げて少し不満げに言ってみたり。
セシル君はツンデレさんなので、よく天の邪鬼というか言ってる事と思ってる事が反対だったりちぐはぐになる事が多いです。恐らく反射的に「ばか」とか「あほ」とかも口から飛び出たりしているのでしょう。
まあ照れ隠しだったり素直に言えないだけだったりするので、私も深刻に捉えたりする事は滅多にありません。私のメンタルが弱ってる時くらいです。
それに素直じゃなく意地張ってるセシル君も可愛らしいですし、元気な証拠なのであんまり気にしません。
「……ごめん」
ちょっとした冗談のようなものだったのですが、セシル君思い当たる節が多かったらしく何故かクリーンヒットしてます。私の表情も効いたのかもしれません、セシル君も眉を下げて申し訳なさそうに謝って来るという想定外な事態が起こってしまいました。
凹ませるつもりは一切なかったので、首を手を連動させ、ぶんぶんと振っては慌てて大丈夫だと伝えておきます。
「えっ、そこまで深刻に捉えないで下さい! その、ツンデレなセシル君可愛いですよ?」
「やかましいわ!」
「理不尽!」
何で励ましたのに怒鳴られているんでしょう、私。
「……素直に言ったら、恥ずかしいんだよ」
「知ってますよ。大丈夫です、長年の付き合いでセシル君語は訳せます」
八年一緒に居るセシル君の言葉はばっちりなのです。若干私の都合の良いように解釈はしてますが、概ね間違ってはいないと思うのですよ。セシル君の性格を考えて真意を探るの楽しいです。
胸を張ってえっへんとどや顔をしてみせる私に、セシル君ちょっと胸から視線を逸らして私の顔を見て、これみよがしに溜め息。
「偶にというか結構な確率で誤訳になってるけどな」
「意訳です」
「意図汲めてないだろ。じゃあ俺がさっき何言いたかったか分かるか?」
「母様は美女です」
「そこからもう少し発展しろよ」
何故か今日は突っ込みの鋭いセシル君、微妙に不貞腐れ気味な気がします。
テーブルの向こうから腕を伸ばし私の頬をぐにりと引っ張るので、いひゃいいひゃいと間抜けな声を漏らす私。でもこのやり取りも微妙に慣れてきた感否めませんね、セシル君私の頬よく引っ張るので。
微妙に女の子扱いか疑問ですが、あまり意識し過ぎると頭がゆだりそうなのでこれくらいが丁度良いのかもしれません。
でも頬をつねられるのは痛いので、はしたないですがやり返しの為にテーブルの下で軽く脚を蹴っておきました。ちゃんと汚れていない靴の上辺りでやりましたけども。
互いに地味な攻撃を終えて一段落ついた頃、庭の芝生が広がっている方から駆け寄ってくる姿。真っ赤な髪を揺らし同色の瞳を爛々と輝かせている姿は、見間違える事などありません。
愛しの弟は稽古が終わった直後らしくて、少し息を切らせながら私達の地味な攻防戦の戦場である此処に辿り着きます。
昔と比べて大きな進歩ですよね、小さい頃は直ぐに体調を崩して寝込んでいたというのに。鍛練の成果もあってか、もう易々と体調を崩す事はありません。……それどころか、なんか地味に筋肉がついてきているのですよこの子。
顔は愛くるしいですしぷにぷになのですが、体の方はうっすら引き締まってて抱き締めるとちょっと硬いのです。お着替えとか偶にうっかり出くわしますけど、結構男の子っぽい体つきになっててびっくりしますよ。
「お帰りルビィ。稽古はどうだ?」
額に父様譲りの燃えるような紅の髪をひっつけているルビィは、贔屓目抜きで努力を欠かしていません。紅潮した頬も鍛練に勤しんでいたから。
持っていたハンカチで汗を拭ってあげると、可愛らしく笑って「ありがとう姉様」の一言です。体が逞しくなっても、愛くるしい事には変わりありません。
「えへへー、これなら大きくなれば騎士団にも入れるって」
息を整えながらもはにかむルビィの口から、結構凄い事が発覚です。ロランさんはお世辞を言うようなタイプではありません。率直な物言いをしますし、あまり嘘はつきたがりません。
だから、ルビィを褒めたのは本心でしょう。それをセシル君も分かっているからこそ、少し目を見開いた後柔らかな笑みが浮かんでいます。
「そうか、よく頑張ったな。ルビィならロランみたいな両方使える優秀な奴になれそうだな」
「わーい! あ、でもね、この前から僕目標出来たんだ!」
「あ、聞きたいです。ルビィの目標って何?」
そう言えばルビィから明確な目標って聞いた事ないんですよね。いつも「姉様を守る為!」とか愛しいにも程がある言葉しか聞きませんし。
ルビィ自身が思う目標が出来たのなら、それは姉として是非とも聞きたいです。姉としてはルビィはルビィの幸せを掴んで欲しいです、勿論ルビィの気持ちは嬉しいのですけども。
「将来ね、兄様や姉様を楽させてあげたいな!」
でもルビィから返って来た言葉は、何か別の意味で悪化している気がします。
「……老後の話ですか?」
「ううん、大人になったら。あのね、ロラン先生が『今、大臣の一部が腐敗しているからヴェルフ様や陛下の心労が重なっている、嘆かわしい事だ』って言ってたの」
「子供に聞かせる世間話じゃねえぞそれ」
「ロランさん子供に何言ってるんですか」
明らかにそれは子供に対して言う事じゃないです。
「それでね、『リズベット嬢やセシル殿も利用されないか心配だ』って言ってたから、それだったらお掃除しちゃえば良いのかなあって」
「……えーと、つまり?」
「だから、汚いの綺麗にしちゃおう大作戦を大人になったら決行したいの!」
えっへん、と先程私が胸を張ったように目映い笑みで言い切る我が弟です。
衝動的に頭を抱えたくなりましたが、此処は堪えてと気を取り直しセシル君をちらり。まあ予想通りセシル君も呆気に取られた後額を押さえていました。何だか姉弟揃ってセシル君にこういう表情させている気がします。
「……どうしましょうセシル君、うちの弟野望がでかすぎます」
「俺も想定外だったわ」
私の立派な魔導師になって父様の右腕に、とかジルの父様を倒すとかいう目標が可愛く思えて来ました。まさか国を揺るがす世紀の大掃除大作戦決行して国の正常化をはかりたいとか、どれだけ壮大な目標なのでしょうか。
「そしたら、姉様兄様父様国王様、皆喜ぶかなあって」
「え、ええと、ルビィ。それには重要な役職に就いて、人の心を掴んで味方につける力、且つ実力がないと駄目なんですよ? 暗殺とかも怖いし」
「僕頑張る! 父様母様に相談したら笑われちゃったけど」
「そりゃあな……」
セシル君の言う通りです。父様母様の事だから笑って流すでしょう。幾ら何でも野望が大き過ぎます。
「でもね、母様がね、『ルビィは人心掌握得意だし最近は強くなって来たし、侯爵家嫡子なら立場的にも問題ないわね。ふふ、楽しみね』って」
「母様ぁ……止めて下さい……」
「諦めろ、もう遅いぞこれ」
「頑張るね!」
生まれたての頃は病弱だったというのに、何処をどうしたらこんな無邪気に野望を持つ男の子に成長してしまったのでしょうか。本人には悪気も利己心もないから、逆に困ります。
恐らく純粋に私達や陛下が困ってるから、何とかしたいって思っただけなのでしょう。
それが平民とか下級貴族の子息なら無理だときっぱり言えるのですが、ルビィは侯爵家の嫡子、後の侯爵になるのです。立場的には宰相辺りなんか手が届く位置に居るので、実現不可能と言い切れないのが怖いですね。
それと、これはあくまで予感ですが……ルビィ、多分人の心掴むの上手いから少なくとも貴婦人方の人望は集められます。父様の血を濃く継いでるので多分かなりの美形になるでしょうし、今でもその片鱗は窺えます。将来恐ろしいたらしにならないか、姉としては不安で一杯なのですが。
「……えっと、話を変えましょう。あ、ルビィ、ルビィはセシル君語翻訳出来る?」
これ以上ルビィの無邪気な覇道を予想すると頭が痛くなって来そうなので、話題変更。
ルビィが来るまで話していたお話をちょっとだけ蒸し返します。
「兄様語?」
「おいこら待て」
「セシル君、母様誉めたんですよ、凄い美女だって。私も同意したら呆れられちゃって。何でだと思います?」
セシル君大好きなルビィなら、セシル君語を正確に理解出来るのではないでしょうか。なんたってセシル君大好きですからね。
だからルビィに聞いてみようと思ったのですが、セシル君なんだか焦ってます。止めろと私を睨み付けて、ルビィには優しくけど焦り気味に視線を送っておりました。
言われたくはないみたいです、でも私には理解しろと言う癖に。
ルビィ、ぱちくりとした後セシル君を見て、それから私と見比べます。
「兄様は姉様に言ったんだよね?」
「ええ」
「んー、その前の会話が分からないから想像だけど、兄様は姉様の事褒めたかったんだと思うよ?」
「頼むルビィ、それ以上言うな」
褒め……?と首を傾げる私に、セシル君は頬を引き攣らせそうな程に顔を歪めてルビィに手を伸ばしていました。
「兄様の事だから真正面から外見なんて滅多に褒めないよね。だから、綺麗な母様の血を強く引いた姉様もきれ、むぎゅう」
「ルビィ、ちょっとあっちで話そうな。ああもうこんな時間だから魔術の練習しなくてはな」
「むー」
私が反応する前に、セシル君は素早くルビィの口を塞いで引き摺っては私から離れようとします。意味を噛み砕いてちょっと頬が熱くなる私に、セシル君は瞳を眇めて此方を不機嫌そうに見遣りました。
「今のはこいつの想像だからな」
「は、はい」
……セシル君語翻訳、今のだけは出来ました。た、多分なんですけど……図星だったから恥ずかしくて、追及しないで欲しい……ですかね。いや、それだと私も恥ずかしいので翻訳ミスかもしれません。
頬を押さえる私に、ルビィはずりずりと引き摺られながらウインク。……ませた子に育ちましたね……お姉ちゃん心配です、色々。