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夜の邂逅

 この間のお出掛けから、ジルは過保護になる事は少なくなりました。よそよそしくなった、とは言いませんが、少し距離を置かれるようになったのです。

 勿論、露骨なものではありません。普通に話し掛けてくるし、側に居る時には居てくれます。


 では何故私がそんな風に感じるかと言えば、眼差しと態度が一致していないのですよ。

 瞳では何かを乞うように私を見ているのに、触れようとすれば少しだけ距離を取る。私に気付かれないようにと配慮しているのか、やんわりと離れて行くのです。

 ジルが側に居たいって言ったのに、少しだけ離れてしまった。


 でも、これも必要な事なのでしょう。セシル君に諭された事が相当効いているらしくて、なるべく私を縛らないようにしている、らしいです。

 ……見守ると避けるは違うのになあ、なんて本人には言えずじまいなのです。


 ジル離れは私にも必要な事なので何にも言えないのですけど、やっぱり寂しいと言うか。昔のように何も考えずに側に居る事が出来たらどれだけ幸せな事か。

 でも、ジルにちゃんと大人として見て貰いたくもあるから、複雑な心境です。


 溜め息をつきつつ、ベッドから窓の外をぼんやりと眺めます。

 既に深夜近く、屋敷全体が眠りに就いた時間帯。もう屋敷の部屋に灯りはついていません。窓から見た限りでは、父様の書斎にも照明は灯っておらず、静かなものです。

 恐らく私と警備の人が起きているだけ。だけれども、微かに外から伝わってくる魔術の波動は私のよく知る人のものでした。


「まだやってる」


 闇に揺らめく焔と紫電。今日は攻撃魔術の特訓に勤しんでいるのでしょう。警備の人がすっ飛んで来ないのは、ジルが事前に言ってあるから。

 魔導院で鍛練する時間がなければ、こうやって夜遅くにこっそりと魔術の鍛練に励んでいるのです。


もう寝る時間だと言うのに、妥協せずひたすらに修行を積み重ねているジル。

 反応を極力抑えてはいるみたいですが、暗闇と言う事もあり魔術自体は見えます。淀みなく魔力を流し完璧に制御下に置いた事によって生まれた、美しく揺らめく紅と紫がかった光。

 ジルのスケジュールを見て時間がなかった時は此処で練習する事が分かっているから、私も寝ずにぼんやり眺める事が多いです。


 ……何で、あんなに頑張れるんだろう。


 ジルは、父様に二年以内に勝ちたいと言った。父様に認めて貰いたい、と。

 それを聞いて浮かんだ疑問は、二つ。

 何故勝ちたいのか。何故二年以内という時間制限があるのか。


 父様に勝てば、実力としては最高位となり魔導院のトップに立てる。実質国で最強を名乗れる訳です。その名誉が欲しいのかと言えば、ジルはそうでない気がします。

 二年以内という制限。これがあるからジルは今一生懸命に頑張っている。

 そしてジルは何か欲しいものがある、そうです。


 それから導きだされる答えは『父様の持っているもので欲しいものがある、二年以内じゃないと駄目という条件を付けられた』という事でしょうか。


「……欲しいもの」


 でも私を守りたいって言ってるし、欲しいものの私はおまけみたいなものなのでしょうか。うーん……考えれば考える程分からなくなりますね。


 ううむ、と唸る私は、外から魔術の反応が消えた事に気付きます。あ、もう限界近くまで頑張ったのですね。こっそり指輪で確認すると、隠す気力もないのか魔力が大分削れているのを感じます。

 これでジルにとっての一日が終わるのです。もう日付はとうの昔に変わったのに。


 私も眠いには眠りのですがジルが気になって、まだ部屋には帰っていないだろうとショールを掴んで弾かれたようにお部屋を飛び出しました。


「ジル」


 皆が寝ているので足音だけは殺して小走りで移動すると、丁度部屋に帰る所だったらしいジルと会う事が出来ました。

 ネグリジェにショールという格好で角から飛び出して来た私にジルは目を剥いていましたが、何かを振り払うように頭を振って、肩からずり落ちたショールを直してくれます。その間視線は合わせなかったので、気を遣わせてしまったみたいです。


「……リズ様、何故このような時間に起きて、それも出歩いているので?」

「眠れなくて」


 嘘は言ってないです、眠いには眠いですが、考え事をしていたしジルが心配で寝られなかったのですよ。

 目がしぱしぱするのを堪えての言葉だったのですが、ジルにはお見通しだったらしく大きな溜め息を一つ。


「早めにお部屋にお戻り下さいねお送りしますので」


 そう言って私を促して、私が元来た道のりを帰らせようと歩きます。手は、引いてくれません。昔なら手を引いて隣を歩いてくれたのに。


「ジルは何をしていたのですか?」

「私も少々眠れずにいて、外の空気を吸っていたのですよ」


 息を吐くように嘘をつくジル。

 多分、嘘も方便、がジルの頭の中にあるのだと思います。気付かれたら私が心配すると分かっているから平気を装う強情っぱりさんなのは、この十年以上共に過ごしてきた月日で分かりますよ。

 じー、と見上げてもいつもの穏やかな表情のまま。いえちょっとだけ私から視線を逸らしてはいますけど。


「そうですか。くれぐれも魔術を使い過ぎて倒れないようにして下さいね?」


 ぴた、と笑みが固まったので、私は代わりににっこりと微笑んで、自らジルの手を取ります。

 少しだけ震えた掌を握り締めて、もっと近寄りました。隣に立てるように。


「ジルは頑張り屋さんなんですから。無理しちゃ駄目ですよ?」

「……リズ様にも言える事かと」

「むう。でも私よりジルの方が定期的に頑張り過ぎてます」

「そうですか?」

「はい。こんな時間まで頑張ってるのが良い証拠です」


 無理しちゃ駄目なんですからね、と背伸び気味に鼻を人差し指でつつくと、呆気に取られたように瞬きを繰り返すジル。直ぐに困ったような、それでいて少し嬉しそうな輝きを帯び、瞳が細められます。

 それでもやっぱり控え目に微笑んで私から少し距離を取ろうとするジル。……セシル君に言われた事、余程気にしているように思えますね。

 そりゃあ自立したいとは思ってますけど、離れたい訳じゃないのに。


「あっそうだ、ジル、ちょっと寄って行って下さい」

「……はい?」


 少しでも一緒に居たくて、思わずジルの裾を掴んでいました。


「お話ししましょう。少しの間だけで良いので」




 渋るジルをお部屋に招いて、ベッドに腰掛け。

 ジルは断固として隣に座ってくれなかったので目の前に立って居ます。身長差と座高のせいで結構威圧感があるのですが、顔が穏やかなので怖くはありません。


「……ねえ、ジル。今疲れてますか?」


 疲れてるのは分かっていますし申し訳ないなあとは思っているのですが、少しだけ話したかったのです。

 私の問い掛けにジルが肯定する事もないと分かっていて尚、問い掛けられずにはいられませんでした。どうしてこんなにも毎日頑張れるんですか、あなたは。


「然程でもありませんよ」


 ほら、絶対に疲れたって言わない。……私も、頼って欲しいのに。いつも子供扱いして、私から全部隠そうとするのです。偶には甘えてくれたって、良いのに。


「そう言ってジルは何でもない顔するんですから」

「大丈夫ですよ。それに、鍛えるのは私の為ですから」

「ストイックですよね、ジル」

「いえ、これは私欲ありきなので」

「……そうですか?」

「そうなんです」


 やっぱり、私の推測は間違っていないと思います。ジルは、欲しいものの為に頑張っている、のですよね。その欲しいものが分からないから困っているのですが。


「じゃあ、その私欲が何なのか聞いても良いですか? いつも欲しいものの為って言いますけど、具体的に何が欲しいのですか?」


 此方としては真面目に聞いたつもりなのですが、ジルは寂しそうに笑うだけで答えてくれません。こうなったジルはどうやっても聞き出せないと分かっているのですが、それでも私は知りたいのです。


 むー、と頬を膨らませても、ジルは緩く首を振るだけ。昔ならあやすように撫でてくれた手。今は、私に触れないように体の横で真っ直ぐに伸びていました。


「……リズ様、そろそろ寝て下さい。私ももう自室に戻りますから」

「えー、もうちょっと」

「男を深夜に留まらせるのは良くないと分かりませんか」

「それはそうですけど……だめ?」

「駄目です」


 正直帰ってくる答えはこれしかないと思っていたので、ショックというよりやっぱりかーとなってしまいます。


「早く寝ないと体に障りますよ」

「それはジルにそっくりそのままお返ししますよ。……あ、ジルも眠いですよねごめんなさい」

「いえ、平気ですよ」

「駄目です、しっかり休んで下さい!」


 ジルは平常を装っていますが、結構に疲れていると思います。だって仕事に加えて鍛練をずっとしていますし、深夜まで頑張っていたのですから。

 私が引き留めてしまったから休む時間も奪っているのですよね、なら早急に休ませないと。日頃頑張ってるのだから、邪魔しちゃ駄目ですよね。


 我が儘言ってしまった、と眉を下げて瞳を伏せる私に、ジルは少し躊躇いながらゆっくりと掌を頭に乗せてくれます。あ、と顔を上げれば微苦笑と出会いますが、それでもジルが撫でてくれる事が嬉しくて頬が緩みます。

 最近のジルは接触を控えていましたけど、別に嫌いになった訳じゃないんですよね? 大切にしてくれているのは、変わりませんよね?


 えへへ、となでなでされながら掌の感触を堪能する私は、ジルがやっぱり微妙に視線をさまよわせている事と、結局子供扱いになっている事に気付いてしまいます。


「……ねえジル」

「何ですか?」

「……ジルは……私の事、ちゃんと大人扱い、してくれているのですか?」


 きっと私が何だかんだ子供っぽい事も原因なのですが、ジルはいつも私を『守るべき対称』として見ているのです。従者としては当然なのでしょうが、それでも私はいつも大切に籠に仕舞われて愛でられている気がするのです。

 その過保護というセシル君曰く檻は大分消えてきましたが、大切に可愛がられている事は変わりません。どうしても、ジルには子供を宥めるように接している節がありました。


 そりゃあ、私がジルにべたべたしてたから子供としか思えないのも分かりますけども。

 ……ちょっとくらい、大人扱いしてくれても良いんじゃないかなあって。私の言動を直す方が先だとは思いますが。


 窺いながら問い掛けても、ジルは表情を変えずに穏やかなまま。


「そうでなければ、咎めたりしませんよ」

「いつも子供扱いします、し」

「女性だと思うからこそ、このような時間には訪れるべきではないと思っています」

「でもいつも子供扱いな気がします」


 頭撫でたり背中擦ったり、私が望んだ事とは言え、結構子供扱いな気がするのですよ。気持ちいいからついついされるがままですし望んじゃいますけど。


 もう少し大人の扱いしてくれても、と唇に山を築き上げた私に、ジルは押し黙ります。そこで黙られると呆れられたという事になるので、こういう発言が子供っぽかったのかなあ、なんて反省をする私に、ジルは今度こそ真っ直ぐに私を見つめます。


「……分からないのなら、実践しましょうか?」

「え?」


 きゃ、なんて可愛らしい悲鳴を自分が上げるとは思っていませんでした。


 急に引き寄せられたと思ったら、いつの間にかジルの腕の中に私が収まっていました。

 頬に硬い胸板の感触が押し付けられて、ジルの香りで鼻腔が一杯に。いつもの優しい抱擁なんかではありません、もっと激しくて、乞うように、私を求める力強い抱擁。

 身動きがろくに取れないくらい、痛くはないけれどホールドされています。まるで、逃がさないと言わんばかりにしっかりと抱き締めて。


 初めてこんな触れられ方をジルから受けて、想定外過ぎて言葉を失ってジルを見上げるしか出来ません。


「どうしてあなたは此処まで無防備なのですかね。……どうして、突き放してくれないのですか。突き放してくれたら、いっその事諦められたのに」

「……ジル……?」


 落とされた言葉は、私に向けられたものではありません。まるで自分に言い聞かせるように、苦しそうに一つ一つ言葉を吐くジル。

 意味を噛み砕く前に、ジルは腕に簡単に収まった私を見下ろして自嘲気味に口角を吊り上げました。どうして、そんな悲しい笑い方。


「……リズ様、私が男なのは分かりますよね?」

「は、はい」

「私はリズ様が思うよりも結構、男なのですよ。あなたが思うよりも、ずっと……乱暴で、身勝手な人間だ」


 唇が、耳に触れる。

 それだけでぞくっとするのに、低くて甘い声で囁いて鼓膜を震わせるから、私の体まで呼応したかのように震えてしまいます。背筋が羽で撫でられたようにぞわぞわとして、内側の熱を無理矢理引き出しては薄い痺れのようなものを体に残していく。

 

 はぁ、と漏らされた小さな吐息すら、やけに擽ったい。それが首に触れるから、尚更堪りません。

 体格差もそうですが、今のジルを拒むと何か悪い方向に進みそうで、でもこのままでも色々問題に発展しそうで、二重三重の意味で身動きが取れないのです。


 だから、剥き出しになっていた首の肌を啄まれても体を震わせる事しか出来ませんでした。


「……じ、る?」


 首でも下の方、鎖骨と首筋の中間。ブラウスで充分に隠せる位置ですが、今唇が肌を吸うように引っ張って。

 こういう事にあまり縁がない私でも、痕を付けられたのだと分かります。そんなに痛くなかったので、多分うっすらとしたもの。

 それでも、鏡を見ればきっと小さく鬱血した痕が見られるのでしょう。


 何で、と抱き締められたまま戸惑う私に、ジルはそのまま首に顔を埋めます。今度は肌を吸う事はなく、ただ唇を首筋に押し付けるだけ。

 それでも擽ったくてもじもじとする私を、ジルは手放さない。寧ろ、私と密着するように背中をきゅっと抱き寄せます。


「……無防備過ぎて、私がおかしくなりそうだ。お願いですから、拒んで下さい」


 首に顔を埋めたまま、今にも泣きそうな声。

 ……変な、の。どうして、拒んで欲しがるのでしょうか。まるで、自ら嫌われようとしている風にも思えます。


 顔を上げたジルは、また自らを嘲るように笑います。どうしても、それが泣き笑いのようにしか見えなくて、私は抱き締められたまま少しだけ身動ぎ。

 体はホールドされていますが、肘から先くらいなら何とか動かせる。その手を、私はゆっくりとジルの背中に回しました。


 途端にびくりと揺れる、大きな体。私とは違う、男の人の体。私を包み込む立派な体は、今だけは何故か小さく感じました。

 本当は頭を撫でてあげたかったのですが捕まってますし、せめてもの宥めで私から抱き締めます。昂ったというより自暴自棄のような、ジルを。


「リズ様は、ある意味残酷ですね。……私は、愚かなのでしょう。身の程を弁えない私は」


 ぎゅうっと抱擁を返す私は、ジルの引き攣ったようなぎこちなさと悲哀が同居した笑みを至近距離で見つめ返します。


「依存してはならないと分かっているのに。あなたを縛り付けてはならないと分かっているのに。あなたを思うなら、諦めるべきだというのに。……それでも僅かな期待に縋り付く私は、愚かでしょう?」

「……ジル……」

「あなたが止めてくれないなら、私は……」


 そこで言葉を区切り、ジルはゆっくりと顔を近付けて来ます。端整な顔がすぐ側にあって固まった私は、ジルの唇が肌に触れるのを止める事すら考えられませんでした。

 触れたのは、唇……の横。微かに触れただけなのに、そこからじわりじわりと熱が全身に広がってしまうのは、何故でしょうか。


 あまりに唐突な展開に口をぱくぱくとさせるしか出来ないのに、ジルは眉を下げただけの笑みに戻っていました。先程の揺れる感情を押し隠した、少し困ったような笑み。


「……これからは、本当に気を付けて下さい。それではお休みなさい、良い夢を」


 体を離しわざとかというくらいに優雅な一礼をして去っていくジル。背中が扉の向こうに消えてからたっぷり三十秒程硬直した私、とうとう考える事が限界になってベッドに倒れ込みます。

 唇の横をなぞれば、先程の感触を思い出して更に羞恥が込み上げて来ます。


 キスした事がない訳ではないのです、全部ジルですけども。勢いで唇にされた事もある。

 それなのに、恥ずかしさは今の方が上です。心臓が痛い。抱き締められた時の感触やジルの眼差しを思い出して、余計に羞恥にかられてベッドの上をごろんごろんとのたうち回ってしまうくらい。


 シーツをかなりぐちゃぐちゃにしてしまった事やぬいぐるみを床に落としてしまった事は申し訳ないですけど、それどころじゃないです。……あんな事されたら、意識せざるを得ないじゃないですか。


 ……寝られる訳ないでしょう、ジルのばか。

2/11の活動報告にて新たな書籍の情報開示があります。今回はイラストレーター様についての情報です。まだ見ていない方で気になる方はご覧いただけたらと思います。


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