目指すは絶対なる盾
最近のジルは、とても自分を磨くのに熱心です。あ、見掛けではなく実力というか……魔術の腕とか、肉体を? 魔術だけじゃなくて剣術とかもですが、ロランさんとルビィの訓練の合間に、ロランさんにお願いして手合わせして貰ったりしてます。
傍から見てて凄く頑張ってるなあと思う反面、頑張り過ぎな気がするのですよ。何があそこまでジルを駆り立てるのかさっぱりです。
……私の為、なのでしょうか。自分で言うのもあれですが、ジルが本気で頑張るのって大概私の事なんですよね。ジルの行動原理の深い位置に私が組み込まれていそうで、凄く申し訳ないというか。
今日も今日とて、ジルは一人黙々と鍛練に励んでおります。
流石に移動中とかは側に居ますが、私が研究室でお仕事してる時やおうちで大人しくしている時など、時間を見付けては鍛練に没頭しています。それでいて仕事は完璧にこなしているのだから驚きですよね。
今日のジルは、訓練室で一人魔術の訓練中。私はジルの死角にある出入り口からこっそり覗く形です。
邪魔するのも悪いので気配を押し隠してばれないように気を遣ってみるものの、いつ気付かれるか。
やっぱり伸びた翠緑の髪が一つの束にされて背中を流れている姿を眺め、ほうっと一息。遠目からですが、今のジルが発動している障壁はとても強固なものだと直ぐに分かりました。
ジルはどちらかと言えば攻撃よりも防御、障壁を得手としています。勿論攻撃的な魔術も上手いですし、制御は私なんかよりずっと優れています。威力は私やセシル君の火力型には届かないですが、制御力で補っていますね。
得意な障壁は、本当に強固。とても頑丈で、並大抵の攻撃では壊れもしません。魔術では国一番の父様も中々に割れないと褒めていましたし。
父様は魔術に関してお世辞は言わない人なので、物凄い称賛なのですが……それでもジルは納得していないみたいです。私が父様が褒めていたと言っても苦笑だけ。
高みを目指してるのは分かるのですが、何処まで目指すのでしょうか。
「何か御用ですか?」
本当に頑張り屋さんですよね、と頷いている私に、声が飛んできます。その飛ばした本人は前を向いたまま、なのに私が居る事に気付いていたらしく振り向かず声を発していました。
首から提げた指輪の機能は健在ですね。
ばれてるなら仕方ない、と素直に駆け寄ると、振り返りながら苦笑いなジル。障壁を解いて私を迎えてくれたので、近寄ってジルを見上げます。
魔術の訓練なので汗とかは掻いていませんが、少しだけ疲労が出ているように思えます。それでも私には涼しい顔を見せるので、ちょっと心配になっちゃいます。
「頑張ってますね、でも無理は禁物ですよ?」
「……怒っていらっしゃいますか?」
「何でですか」
ただ心配で声をかけただけなのに、ジルは不思議な事に私が怒っていると思ったらしいです。私の何処を見て怒っていると解釈したのでしょうか。
首を傾げて真意を問うと、少し申し訳なさそうに目を伏せるジル。
「……私が、従者の仕事より、此方を優先しがちで」
「いえ、魔導院内だったら然程危険はないですし、側にセシル君も居ますから」
罪悪感が浮き出ているジルを安心させるべく「だから大丈夫ですよ!」と拳を握る私に、ジルは……あれ、ちょっと微妙な顔した。
「それに、父様にもある程度聞いてます」
「何処までですか!?」
「えっ?」
父様にも許可があると知ったら安心してくれるかと思いきや、何故か瞠目して肩を掴まんばかりの勢いで詰め寄るジル。
何を慌てているのか、私には分からないのですが……。別に、そんな変な事は言われてないですよ。
「ええと『ジルは強くなりたいそうだから、鍛練で少し離れるかもしれない。リズはジルが居なければ外では安全な誰かと一緒に行動するように』って」
その強くなりたい理由は説明されていませんが、偶に離れる事については言われているのですよ。それに、ずっと一緒に居て貰ってもジルの自由がなくなりますし。
従者として一緒に居てくれますが、最近は私が何かやらかす事も少ないですし一人で対処出来る、まあ魔導院の中だけは一人で行動してもだからなのですよ。
だからジルはジルで行動しても大丈夫です、と説明すると、何だか困ったような顔で頷きとも否定とも取れる首の動き。
「……そうですか。離れてしまい申し訳ありません、私情を優先するなど言語道断で……」
「いえ、そこまで縛る気はありませんし、ジルが強くなったら私も安全って事になるから平気ですよ。魔導院内だったら安全ですし、基本セシル君居ますから」
セシル君は確実に安全圏内ですし、何かあっても二人なら対処出来ます。こう見えて私はそれなりに魔術は出来ますし、研究者肌なセシル君も実力はかなり上の位置に居ます。
私達二人なら襲われるとかあってもそう簡単に遅れを取る事はないでしょう。互いをカバーすれば大丈夫です。……最終手段として、被害と殺傷を度外視して私が高火力の術を放てば良いですからね。
ジルの罪悪感と負担を軽くする為のフォローだったのに、ジルは渋い顔を深くします。何だか、すこーし、機嫌が悪くなったような。
「……セシル様は随分と信頼なさっているのですね」
「ずっと仲良くしてくれていますからね。それに、友人ですよ?」
最も信頼している人の一人ですし、大切な友人ですもん。数少ないというか、唯一の友人かもしれません。
……ぼっちじゃないですよ? ただロランさんやフィオナさんは友人というより同僚とか護衛して下さる方とかその辺の意識が強いです。フィオナさんともお友達を名乗れたら良いのですが。
「……そうですか、まあ……リズ様らしいというか」
「何で溜め息つかれたんですか」
何故微妙に呆れたみたいな溜め息をつかれたのか分かりません。
「という事ですし、ジルが鍛練に励むなら応援します!」
「……宜しいので?」
「はい。ジルはどうしても強くなりたいって聞いてるし、なら応援しますよ」
私を小さい頃から面倒見てくれたのはジルです、そのジルが理由はともあれ自らの意思で願いを叶えようと努力するなら応援するに決まってますよ。
笑みを浮かべる私に、ジルは安堵したかのように頬と眼差しを和らげます。
私がそんな事で怒ると思っていたのでしょうか、私のジルの意思を尊重するつもりですし、なるべくお願いは叶えてあげたいと思っています。
だから、私に出来る事があったら何でもしてあげるつもりなんですよ。安全な場所と分かっているなら必ずしも側に居なければならない訳ではありませんし。
ほっと胸を撫で下ろしたような表情のジルに、やっぱり疑問が浮かんで来るのです。
「……どうして、ジルはそんなに頑張れるんですか?」
口に出すと、更に疑問が深まります。
私はあまり深く思ってないですし下には見ていませんが、立場的にはジルは従者という位置付けです。主人の為に努力するのは、間違ってはいないし推奨される事。
でも、ジルの頑張りは従者としての域を越えていると思うのですよ。ぶっちゃけて言えばこんな小娘の為に、どうしてこんなにも頑張れるのでしょうか。
強くあろうとする、その志の高さと忠誠心は凄いですが、何がジルを急き立てるのか分かりません。急がないとならない理由などないと思うのに。
ジルの行動理念は、単純なようで複雑です。自分で言うのは憚られるのですが、私の為に行動するのが事が殆ど。
でも、何故そこまで私の為にしてくれるのかが、未だに分かりません。私自身立派な主だとは思えないのに。
見上げて問うと、柔らかな笑みに少しだけ苦笑いを混じらせるジル。
「……リズ様をお護りする為でもありますし、……自分の為でもあります」
「強くなって……?」
「ヴェルフ様に勝ちたいですね。二年の内に」
……初めてジルの明確な野望らしきものを聞きました。
強くなって、父様に勝ちたい。
それはかなりの難関だと、娘である私は断言します。
個人的にはジルを贔屓してあげたいのですが、主観的にも客観的にも父様は群を抜いて強いですしとてつもなく優秀です。
ジルも優秀ですが、父様に勝てても結構な時間が掛かると思うのですよ。歴戦の魔導師を越えると言うならば、当然ジルもそのくらいは経験を積まないと難しい。
ジルは才能自体はありますが、魔力量と経験では差がやっぱりあります。こればっかりは仕方ないものですし、もっと歳を重ねればジルもトップを取れそうなくらいには優秀です。
……でも、父様に二年で追い付くなど、至難の業だと思うのですよ。
「……難しくないですか? ジルなら不可能とは言いませんけど、攻撃魔術で父様に勝つには中々に厳しいですよ」
「ですね。それを理解した上で、私は挑まなければなならないのです」
時間制限が何故設けられているのかは分かりませんが、ジルも難度を理解した上でやや強張った真面目な表情で頷いています。
目標は高くて良い、けれど叶わないものを目指してはなりません。手の届かない訳ではないという意味では、絶妙な目標ではありますね。
「んー、攻撃は無理でも防御ならジルはいけると思いますよ。ジル、防御得意ですもん」
「……認めて貰いたいのですが、現実は上手くいきませんね」
やはり現実を見れば厳しいとジルも分かっているらしく、眉を下げてほほえむジル。それでも諦めるつもりは更々ないらしく、ぎゅっと拳を握っては小さく「まだ努力が足りませんね」と呟いています。
これ以上無理して倒れても嫌なのですが、ジルはその辺コントロールが上手なので大丈夫……だと信じてます。
……父様に認めて貰いたい、か。
「父様に認めて貰いたいなら、父様の全力を防いでみせるとか……その辺までしないと難しいかなあと。父様、魔術に関しては厳しいですよ?」
多分父様の得意分野で張り合おうと思ったら無理なので、ジルの得意分野で勝負を出来れば良いと思うのですよね。
父様の得意分野とジルの得意分野がぶつかる事は性質上難しくありません。攻撃と防御で競り合うだけなのですから。
ジルはとても防御が得意ですし、魔術障壁はそこら辺の魔導師さんでは絶対に破れません。私もジルの生死を問わないレベルでぶつけないと無理な事は体感してます。本気で魔術放ったらどうなるか分からないので絶対にしませんが。
全部の分野で実力を満遍なく上げていくよりは、一点特化の方が父様に拮抗出来て認めて貰える可能性が上がると思うのですよ。障壁に特化すれば、もしかしたらのワンチャンスがあると思います。
それでも難しいには難しいです、魔力量の問題がありますし。これでもジルも成長限界に達して大分魔力量伸びたんですけどね。父様には追い付かないですが、それでも一歩惜しい所までは増えてます。
「……全力を、防ぐ」
「ジル?」
結構安易な提案だったのですが、ジルは瞬きを繰り返して私の言葉を噛み締めるように反芻していました。窺うように除き込む私には、穏やかで決意が見て取れる瞳で視線を返されます。
「……リズ様、ありがとうございます。指針が見えて来ました」
「え? よく分かりませんけどどういたしまして……?」
何だかよく分かりませんが、ジルの力になれたみたいです。正直思った事を口にしただけなのですけど。相手の得意分野で勝負に持ち込む前に自分の得意分野をぶつければ良いとか。
ジルの決意っぷりに首を捻っている私へ、ジルはしっとりと微笑みます。何処か熱っぽい眼差しに変化した気がして、少しだけ身動ぎ。
「私は、あなたの絶対的な盾でありたいのです。……それを再認識しましたよ」
「護られるだけじゃ嫌ですよ」
「それでも護りたいのですよ、我が主」
「……じ、ジルに我が主とか言われるの変な気分ですね……」
このままだと跪かれそうなくらいの忠誠っぷりに困惑しつつ、そこまで頑張っているならご褒美の一つでもあげたいよなあと思います。馬に人参方式とは違いますけど、人間って褒められたらやる気になりますし。
でも、私が与えられるご褒美って限られてます。お金とかは喜ばないですし、そもそもジルの方が貯蓄はあるでしょう。給金とか手を付けている様子ないですし。
だったら物やお金でなくて喜ぶ事。……私が出来る範囲の事。例えば、私がされて嬉しい事、褒められて嬉しい事は……。
「そうだジル、頑張ってるからご褒美あげます!」
「ご褒美……ですか?」
そうだ、と思い付いて笑みを浮かべる私に、ジルはきょとんと目を丸くしています。
ジルは基本的に物は喜ばないです、ならもっと精神的なものや労いの方が良い。そして人にされて嬉しい事。これしかないです。
「しゃがんで下さい」
「はい」
素直に従ってくれるジルに笑みを深め、中腰になったジルの頭部に手を伸ばします。
「ジルは頑張り屋さんなのでいい子いい子してあげます」
私に出来る範囲の労いです。
さらさらとした髪を掌で撫でると、ぱちりと瞬くジルの翠玉。それから、少し頬を緩めて気持ち良さそうに目を細めました。
「……ふふ、頑張れそうですね」
「……子供っぽいなとか思ってませんか」
「いえ、リズ様らしいです。これでまた頑張れますよ」
私がされたら嬉しい事をしてみたのですが、ちょこっとジルに笑われている気がしてなりません。それでも喜んではくれているみたいなので、まあ良いとしましょう。
「まだ鍛練するのでしょう?」
「申し訳ありませ、」
「謝らないで下さい、ジルが頑張るなら私も頑張りますので。……応援しますよ」
「……ありがとうございます」
怒らないですよ、ジルは頑張ってるのに。寧ろ、へらへらのんびり過ごしてる私が怒られても良さそうなくらいです。
こんなにもジルが頑張っているのですから、一応の主人である私も頑張らなきゃいけないと思わされますね。
ジルの努力家な所は見習わなくてはと常々思っていますし、色々とケルヴィムとか他の貴族の干渉とかその辺を踏まえて私ももっと強くならなくては。
……ジルが最強の盾を目指すなら、私は最強の矛を目指してみましょうか。でもそれ、私も目指せ父様超えとかになりますよね。
うーん……でも、ジルが護ってくれて、私はそのジルを護る為に敵を倒せたなら凄くぴったりなコンビだと思います。まあ問題点として私が人を傷付ける事を許容出来るかという問題になりますが……もしもの事があれば、覚悟はしてます。
取り敢えず、私も改めて頑張らなきゃと思わされました。
「ふふ、私も頑張りますね」
「……無茶な方向でない事を祈ります」
私も決意を口にすると、何故か不安そうなジルの返事が返ってきました。
そこは信頼されてないのですね、私も無茶が効く範囲は分かって来ているので少しは安心して欲しい所です。