父様とジルさん
一度コツさえ掴んでしまえば、魔術はそう難しいものではありませんでした。まあジルさんチョイスの初級魔術しかしていないので偉そうには言えませんが。
あれから気付いたら一日眠っていたらしく、目を覚ましたらこっぴどく叱られました。無理をしてはいけない、とか頑張り過ぎ、とか。褒められる前に怒られたので結構心にグサグサ来てます。
でもその後抱き締められてありがとうと言われたので、ほくほくな気分にもなったのですが。母様はとても良い匂いがして柔らかくて、抱き締められると幸せな気分なんですよね。
「では今日は此方の魔術にしましょうか」
「はい」
ジルさんの家庭教師も順調です。最初は天才肌タイプで教えるのには向かないのかと思っていましたが、私が分からないと聞けば論理的に答えてくれます。
まあ天才肌なのには間違いはないですが、教えるだけの知識と語彙はあったそうです。もし擬音で説明されたらどうしようかとひやひやしていましたが、安心出来そうですよ。
今日実践するのは水の魔術。名前は『ウォーターレイン』。まあ名前から察せる通り雨を降らす感じの魔術です。つまり水やりが楽になるという素晴らしい魔術です。流石ジルさん、ナイス選択。
因みにこの魔術の威力を底上げして攻撃的にしたのが『スプラッシュ』。上から水瓶の中身を勢い良くぶちまける感じだそうです。
「これが終わったら、庭の様子見に行っても良いですか?」
「ノルマさえこなしてしまえぱリズ様の自由ですよ」
あの後、私はリーシアの花畑の他にも母様から種を貰って色々埋めてみました。恐ろしい事に『グリーンサム』を使えばぐんぐん伸びてくれるので、今では色とりどりの花と、おやつ用に苺みたいな果実が生る植木が育っています。確か名前はフレーズの実。……まんまフランス語だとか思わない知らない。
そんな訳で、裏庭は私の畑と化しています。
魔術だけでもやる気は充分ですが、その後の自由時間ともなれば尚更やる気が出ます。丁度今日覚えるのが水やりの魔術なので、それを実践しましょう。
いつもよりやる気満々な私は、お馴染みとなった魔術書を開いて指定されたページを開きます。水の魔術が並んでいるページを捲っていくと、少し気になるものが。
「この『タイダルウェイブ』って魔術は何ですか?」
「この近辺が壊滅したくないなら絶対に使わないで下さい」
「え」
「津波を引き起こす魔術ですね。勿論威力は術者依存ですし、イメージにもよります。が、リズ様の魔力量で行使したなら災害レベルになるかと」
何て恐ろしいものを載せてるんですかこの本。危ない、ちょっとお試しで使って壊滅とか洒落になりません。父様に何て顔向けしたら良いか。
……ああそうだ、父様はあれから姿を見せません。何やら私のしでかした試金石液状化事件でちょっとごたごたがあるそうです。私の尻拭いをさせて申し訳ないですね。そろそろ帰って来るそうですが……。
「緻密なコントロールが可能になったら、リズ様が何もない荒野で試すのはありかもしれません。ですが、それはもっと先のお話です。まずは簡単な魔術から身に付けていきましょうね」
「分かっています。人殺しは嫌ですから」
実に可愛いげはないと思っているのですが、破滅は勘弁なのでこう返答せざるを得ません。だって犯罪者とか御免ですし。
この話は取り敢えず置いておき、私は言われた通りに魔術を使う事に意識を向けました。
「リズ、ただいま」
「父様!」
魔術の練習を……あ、成功しましたよちゃんと、ジルさんの下やってから裏庭に向かった私は、二週間は見ていない姿をリーシアの花畑に見ました。
堪らずに駆け出して父様に近付くと、ちょっぴりこけた頬を緩めて私を抱き上げて下さいました。あ、私のせいですよねごめんなさい。
「久し振りですね父様、私の失敗のせいで……」
「別にそういう訳じゃ……うん、ちょっとはあるかもしれないが、色々研究も進んだから結果オーライだよ」
そう言って下さるのはありがたいのですが……父様には非常に申し訳ないです。
抱き締められてまま頬を撫でると、父様は心配をかけまいとしたのか優しい笑みを浮かべて頭を撫でます。……父様は、本当に私に甘いのですから。
ありがとうの意味を込めて首に手を回して抱き着くと、私を抱き直して背中をぽんぽんと叩きます。多分魔導院にこもりきりだったのでしょうが、いつものお日様の香りは健在でした。この匂いは大好きです。いつか加齢臭に変貌を遂げるのだと思うと恐ろしい限りですが。
「ジルドレイド君……だね、君は」
父様が私の後を着いてきたジルさんに気付いて、私を抱いたまま置いてけぼりなジルさんに歩み寄ります。
ちらっと振り返ると、何処か顔を強張らせたジルさんが私と父様を見ていました。気のせいか、たじろぐ……ううん、怯える、でしょうか。そんな眼差しで、私達を映している気がして。
「まさか君が来るとは思わなかったよ」
「……父の命、ですので」
「……父様?」
何故か父様の声が怖くて、顔を窺いますが、笑顔は変わりません。いつもの柔らかい笑顔。
その筈なのに、何処か……威圧感があって。
「それは君の父の命令か? それとも……」
「……お答え出来ません」
父様が言いたい事は、何となく分かりました。詳しく事情は分かりませんけど、察する事なら出来ます。私が最初に危惧していた事にも繋がるのでしょう。
ジルさんは眉を下げながら、申し訳なさそうに首を振ります。父様がこう言っても言わないのであれば、誰かに厳命されているのでしょうね。
今までの会話からして、父様は直接ジルさんに家庭教師を頼んだ訳では無さそうです。でも受け入れているという事は、……父様が良い人材をと斡旋して貰ったのでしょう。そしてジルさんが来た。
父様にとって、ジルさんは見知った顔ではあるものの、警戒対象に入っているのかもしれません。人柄とは別の、家柄の問題か何かで。
「ジルドレイド君、君は……」
ぴちゃ。
父様が何かを言いかけた瞬間、私は習いたての『ウォーターレイン』をかなり広範囲で使います。それはもう、屋敷を覆う範囲で。
持続的に、且つ広範囲に降らせるのは結構大変なのですが、まあ此処はこの体の無駄に溢れている力を利用して一気に広げてしまいましょう。
驚く父様に、にっこりと笑いかけます。
「雨が降り始めて来ましたし、おうちに帰りましょうよ。ね?」
明らかに作為的な雨。しかし父様は私を見た後に苦笑を溢して、そうだな、と頷いてくれました。ジルさんは私の行動に驚いていらっしゃいます。
そりゃあ私が話の腰を折るようにこんな事をしでかしているのですからね。しかも結構な当事者の私が。
今回は、借りがあったので庇ってあげましょう。本来は自分の首を絞める行為はしたくないのですが……まあ、母様を喜ばすきっかけを作ってくれたささやかな恩返しです。それに、急に事を構える人でもないでしょう。
父様もジルさんも、私が魔術で降らせた事には一切触れず、ただ雨から逃れる為に家に向かいます。
……うーん、何事もなければ良いんですがねえ、本当に。まあ何か起きた時は、自力でどうにかしてみせましょう。その為にも早く魔術の腕を磨かなくては。