成人とお酒と甘えたがり
案外あっという間に終わってしまうものだと後から思ったのが、成人の儀。
成人の儀と言っても、ただ儀式を執り行う司祭様の偉いお言葉を跪いて黙って聞いておくだけというものです。
実際に体験するまではどんなものかと緊張していたのですが、専用の水で体を禊いだ後、荘厳な教会の中で専用の服を着てお話を聞くだけでした。あと誓いの言葉を立てるくらいで。
先にセシル君からどんなものか聞いていたので、楽っちゃ楽でしたけど、まさか本当に話を聞くだけとは。
儀式を終えて、外に居た親しい人達に挨拶回りというお仕事があって、寧ろ此方に時間がかかったくらいです。途中会ったセシル君が「言っただろ、退屈なだけだ」って言葉をかけて来て、まさにその通りだとこっそり頷いたのも仕方ない事かと。
そんなこんなで家族やセシル君、あとロランさんフィオナさん、カルディナさん達から祝いの言葉を賜って帰宅。直ぐに自室のソファに身を投げ出したのは悪くないのです。
「疲れたー」
何が疲れたって、物凄く雰囲気だけは重々しくて荘厳だったからです。やってる事はぶっちゃけ、立志式みたいにお偉いさんの話を聞いて、軽い宣誓するだけなんですけどね。
実は仲良い人達だけじゃなくて、侯爵家に群がる人達からも結構声をかけられたので、何処で私の成人の儀を執り行う事知ったんだ……とか思いつつも笑顔で対応してました。愛想笑いは出来ますけど、あんまり得意ではないです。
くどくど長い賛辞や口説き文句を右から左に受け流す作業も、中々に面倒なものですね。貴族さん達には申し訳ないですけど、半ばスルーして聞いてました。
「堅苦しいのは好きではないので肩凝っちゃいます」
「お疲れ様です。肩をお揉みしましょうか?」
「そこまで年寄りでもないのですが……」
贈り物として頂いた花束を抱えたジルが、花瓶に生けながら微笑んでいます。ソファの背凭れに凭れかかって脚をぷらぷらさせると「はしたないですよ」と注意されてしまいました。
はぁいと気の抜けた返事を返しつつ、近寄ってくるジルにぼんやりと視線を送ります。
「これでリズ様も大人ですね」
「あまり実感はないですけどね。大人かー」
前世の子供の頃は大人になる事に憧れていましたが、流石に二度目の人生ともなると大人には責任が付きまとうし束縛される事も多くなると知っているから複雑です。
自由も増えるけど責任も増える。つまり権利を与えられる代わりに義務を背負わなくてはならなくなるのです。それが大人だと理解はしていますが、ぬるま湯に浸かっている私にはそれがやや億劫でした。
「大人って面倒ですよね」
「いきなり夢も何もない発言ですね」
思わず口をついて出た本音に、ジルは苦笑いで反応してくれます。
だって、貴族の令嬢が大人になるという事は、嫁がされる時間が刻々と近付いているという事なのです。それが貴族に生まれた令嬢の義務ですし。
そういえば最近は父様も私を自由にさせていますが、もうちょっと婚約者の選定急いだ方が良いのじゃないでしょうか。まあ二者択一になりますが。
「先に大人になったジルならよく分かるでしょう」
「……そうですね。子供のように振る舞えませんから」
噛み締めるような一言に、私も考えさせられますね。
もう、子供じゃないんだ。たった一日違うだけでも、もう、私は大人なのです。子供だからと許されていた事が、許されなくなる。
私自身が変わった訳ではないのに、周りがそれを許さない。変わる事を余儀なくされてしまうのです。
それが窮屈だと思う私は、だから子供なのでしょう。時が経てば、その考えは頭から消えてしまうのでしょうか。
「……リズ様は、大人になって何かしたい事とかは?」
「うーん、成人しても特に私が一気に変わる訳ではありませんからね。……あ、お酒飲みたいです! 大人になったから良いでしょう?」
したい事、でお酒が真っ先に思い付いたのもどうかと思うのですが、ずっと興味があったんです。
前は体質的にお酒なんて飲めませんでしたし、美味しいのかって凄く気になります。父様が美味しそうに晩酌しているの見て、そんなに美味しいものなのかと気になってたんですよ。
それにこの世界の果物は地球の果物の違ったものもありますし、そういう果物から作られた果実酒の味がどんなものなのか気になるのです。
いっその事自分でお酒作るのも良いですよね、品種改良して流通しているものとは違う果物とかもうちの庭にありますし!
酒造法はこの世界にないので、個人でお酒を作っても良い筈。やる事ちょこっと見付けましたよ!
よし、と拳を握りながらも上目遣いでおねだりをしてみる私に、ジルは深々と溜め息を溢します。
「あまり飲み過ぎない事、体調が悪くなったと思ったら直ぐに止める事。約束出来ますね?」
「はいっ」
やった、とにこにこ笑う私にジルは微妙に疲れたお顔でした。
嫌ですねジル、そんな無茶はしないですから。二日酔いとか勘弁です。
「今お持ちしますので」
「ジルも一緒に飲みましょうよ」
「制止役の私が飲むのは駄目でしょう」
「一杯くらい良いでしょう?」
「……畏まりました」
一人で飲んでもつまらないと思うのです、ジルと一緒に飲みたいのです。……ジルが父様と一緒にお酒飲んでる所は偶に見掛けますし、ジルって下戸とかじゃないですよね? 流石にそれなりに飲めるんじゃないかなあというのが私の想像です。
若干仕方なさそうに頷いてお酒を取りに行ったジル。案外帰って来るのは早くて、ボトル二つ、恐らくお酒を割る為ですね、それとグラス二つをトレイに乗せて持ってきてくれました。
明らかに用量的に考えて然程入らないグラスなのは、ジルが飲み過ぎを防ぐ為でしょう。別に浴びるように飲むつもりはないのに。
「わー、お酒だー」
「焦らないで下さい、今注ぎますので」
透明なボトルには何もラベルは貼ってないので種類は分かりませんが、淡く白濁したような黄色のお酒。私の掌にもあっさり収まる程の小さなグラスに注ぐと、こぷっと空気を含んでややとろみのある液体が溜まっていきます。
あまりお酒の方は量を入れず、代わりに多目にジュースらしき何かを入れていました。マドラーでくるくると混ぜられるのが、何だか面白い。
警戒してか、全体でグラスの六分目くらいでストップされてしまいましたが、お酒デビューには充分でしょう。
ちゃぷん、と水同士がぶつかる音。
控え目に注がれたグラスを、ジルはそっと手渡して来ます。律儀に「一気に飲み干さないように」との注意と同時に。
分かってますよー、とちょっぴり唇を尖らせるものの、視線はグラスの中で揺れる液体に釘付けです。
「ほらジル、かんぱーい」
「ありがたく頂きます」
ジルも自分の分を控え目に注いでいたので、此処はやっておかなくては、とグラスをジルに向けます。意図を理解したらしいジルは苦笑もそのままに、グラスを重ねます。
キン、と澄んだ音、揺れる液体。
何か大人って感じですねえ、と染々しながらもグラスに口付けました。
最初の一口は、控え目に。
口の中に広がる甘酸っぱさと、後に少しほろ苦さがすっと抜けていきます。爽やかな果物の香りはふわりと鼻に抜けて、心地好い感覚。
思ったよりも苦くなくて、寧ろ果物の甘さが上品に広がって、美味しい。
「甘くておいしー」
「そりゃあ果実酒ですからね、割りましたし。言っておきますが、なるべく飲みやすくて甘い、口当たりの良いものを選びましたが、酒としてはそこまで弱くないですよ」
「ジルの見立てですか? 凄く美味しいです!」
ワインやビールとかで何かあまり美味しくなさそう、苦そうとか渋そうとか、お酒全体にそんなイメージを抱いていたのですが……これなら、あっという間に飲み干せそうです。
流石に怒られるので一気に煽りはしないですけど、こくこく飲み進めてしまいます。果実酒ってこんなに美味しいんですね……割ったせいかもしれませんけど、でも、甘くてほろ苦くて美味しいです。
おいしー、とにこにこしながら液体を喉に通していく私に、ジルは微妙に笑みを引き攣らせます。
「それは良いのですが、……ペースが早くないですか。せめて胃に物を入れてから……」
「だってないもん」
「……シェフに何か軽い物を頼みますので、くれぐれも飲み進めないように」
どうやら私が酔っ払うのを心配しているらしく、念押ししてお部屋を出て行くジル。
一人取り残されてしまって、つまんないなあと思いつつごくごく。甘くて美味しいのに、あんまり飲まないようにしろっていうのも難しいです。
早くジル帰って来ないかなあと思いながらグラスを傾けていると、体がぽかぽかして来てふわふわ。もう、飲んじゃった。
アルコールで血流が良くなったのでしょうね、なんて他人事のように思いながら、ボトルをちらり。
……もうちょっとくらい、良いですよね? というか全部飲み干したら怒られそうだから、カモフラージュの為に注いだらばれない筈。
自分の中で言い訳をしつつ、新たにボトルからお酒をこぽこぽ。ふわっと甘い香り、このお酒自体がきっと甘いんだと思います。
試しに割らずにそのまま口にしてみると、少し苦味は増したものの甘さはあるし、香りは此方の方が高い。芳醇な香りに、脳髄が一瞬くらっとしてしまって、でも凄く良い匂いで唇が綻びます。
直飲みでも美味しいなあと舌鼓する私に、トレイを片手にジルが舞い戻って来ました。私の手にしているグラスと、酒の入ったボトルを見比べて開いた片手で額を押さえています。
「リズ様、……何で二杯目に突入しているんですか」
「美味しくて、つい」
ばれてしまった。ちゃんとボトルの方の残量チェックしているとは、なんて目敏い。
「もっとゆっくり飲んで下さい、酔いますよ」
「これくらいじゃ酔いませんって、父様も酔わないですしー」
「……心配なのですが」
「んふふー、大丈夫ですよ?」
父様はお酒に滅法強いので、きっとその血を継いだ私もお酒には耐性がある筈なのです。母様はお酒飲んでるの見た事ないから分からないですけど。
平気ですよー、と笑いながら言ってお酒をこくり。体が、暖かくて、凄くふわふわしてます。
ちょこっと酔ってるのかもしれませんが、前後不覚になる程じゃないから大丈夫な筈です。寧ろ心地好い、ふわふわ。
「全然大丈夫じゃないですよね」
「もー、心配性ですねえ」
二日酔いする程じゃないですよ。それに、ちゃんと会話は成立してるから大丈夫だもん。
それなのに、ジルの顔はどんどん渋くなっていきます。ジルももっとお酒飲んだら、ふにゃふにゃしてくれるのかなあ。笑った方が、格好良いのに。
「……顔が赤いのですが?」
「ぽかぽかしちゃって。そもそもこの服が暑苦しいんですよー」
礼服のままぐでんとしてますが、この礼服がまた堅苦しいのです。何がって裏にあるボタンの多さと構造の複雑さ。見掛けはそんなでもないですけど、アデルシャン家特有のデザインらしく結構凝っていて色々と面倒な服だったりします。
布地を重ねているから、当然熱もこもるので熱いです。先に脱いでおけば良かった。
ぽかぽかもわもわして、熱い。
少し空気を入れたくて、無駄にある留め具をぷちぷち外していくと、ジルが慌てて服から指を引き剥がします。
反応が早すぎて瞳をぱちくりとさせてしまいますが、ジルの顔は強張ったままでした。
「お止め下さい」
「下にもう一枚着てるから大丈夫ですよ?」
「大丈夫じゃないです!」
別に全裸になる訳じゃないのに、変なの。かなり焦っていたジルは、私が諦めたのを見てぐったりと溜め息を溢していました。
「本当に危なっかしい……他人と飲まないで下さいね、色々危険ですから」
「えー、どうせなら成人したセシル君と一緒に飲みたいです」
「……彼なら全力で止めるからまだ良いですけど、パーティなどでは絶対に飲まないで下さい」
「はぁい」
ジルは心配性ですねえ。外では基本的に飲まないようにしますし、こういうのは仲の良い人と飲むから楽しいのに。
家族やジル、セシル君と飲む事に意義があるんですよ、それに彼らなら酔っても介抱してくれますし。……私、まだ大丈夫だからそんなに心配しなくても良いんですよ、ジル。
文句の代わりにグラスの中身をちびちびと飲んでいると、今度はグラスをジルに強奪されてしまいます。まだ残っていたのにー。
ジルはこれ以上飲ませる気はないらしくて、グラスとボトルを私から遠ざけて眉を寄せていました。
「……リズ様、そろそろ飲むのはお止め下さい」
「えー」
「なりません」
「ぶー、けちー」
「また今度にして下さい、というかお酒はなるべく飲まないようにして下さい」
……ジルから家族にお酒禁止令が出されそうです。折角美味しい飲み物を飲めるようになったのに、それは酷くないですか。
懇願の意味を込めてソファに座ったまま、ジルにぎゅーっと抱き付き、そのままジルの顔を見上げます。何だか、くっつくと更にぽかぽかしてきますけど、気持ちいい。
「だめ?」
「……駄目です」
「むうう」
頑張っておねだりをしてみるものの、ジルは微妙に目を逸らしては首を振るだけ。
いつもは甘いのに、何でこういう時だけ許してくれないんですか。ジルは偶に父様と飲んだりしてるのに。私もそこに仲間入りしたいもん。
むー、と唇が尖ってしまう私に、ジルは何処かぐったりしたように嘆息。それから、ゆっくりとした動作で私の唇を人差し指でなぞります。
ぱち、と瞬きをすれば、ジルは真っ直ぐな眼差しに何か違うものを含ませて、ただ私を見つめてきました。……視線が搗ち合うと、胸の奥が疼くように、熱くなる。瞳の奥を覗けば覗く程、吸い込まれていきそうです。
「部屋にお持ち帰りされて、美味しく頂かれたくはないでしょう?」
……美味しく頂く。つまり、ご飯ですか?
「……お腹空いてるのですか? はい、あーん」
お腹空いているらしかったので、ジルがシェフに用意してもらったクラッカーにチーズとか乗せた軽食を摘まみ、ジルのお口に運びます。
こればっかりはジルも予想していなかったらしく、クラッカーを突っ込まれて喋る事が出来ていません。
お食事中に喋るのはお行儀が悪いと、無言でもぐもぐ。どんどん眉間が狭くなっているのに、私には何だか呆れたような眼差しを送るものだから、面白くて頬が緩みます。
「……リズ様」
「ふふ、へんなかおー」
ちぐはぐな表情に喉を鳴らして笑っただけなのに、ジルはとても疲れ果てたように額を押さえていました。
「……完全に酔っていらっしゃいますね。もうお休み下さい」
「やだー、ジルとお酒飲むの」
「我が儘を言わないで下さい」
今度こそ諌めるようにはっきりと言われて、私はつい眉が下がってしまいます。……怒った、のかな。
「……我が儘言ったら、ジル、嫌いになりますか?」
「……嫌いにはなりませんが、あまり無茶はして欲しくありません」
私のしょげた空気を感じたのか、先程よりもうんと柔らかい声音で「お体を気遣っての事ですよ」と囁き、頬を擽るように撫でてくるジル。
……ジルは、いつも私の事を考えて行動してますよね。甘やかしてくれるけど、危険な事をしでかそうなら叱ってくれるし。でも甘やかしが大半ではあります。
「うー、……じゃあ、もー飲まないから、お願い聞いてくれる?」
「……何ですか?」
こてん、と首を傾げて縋り付くと、少しだけ戸惑ったような息を飲む音。それから、穏やかな笑みを浮かべて抱き締めるように頭を撫でてくれます。
……ジルに頭撫でられると、凄く気持ちいいの。抱き締められると、ふわふわしてぽかぽかする。もっと、一緒に居たい、な。
「添い寝してー」
「駄目です」
自分的には真面目なお願いだったのですが、ジルには即却下されてしまいました。……ジルにぎゅーってされて寝たら、気持ち良いのに。もう、してくれなくなったから……偶には良いかなあってお願いだったのに。
「……今日だけ……明日から、大人になる、から」
「……なりません」
「うー」
大人は軽々しく触れてはならない、そう前に言われたけれど、……今日だけ、駄目なのかな。ジルに触れるの、我慢しないといけない、し。
ジルに触れるのは、気持ちいい事。恥ずかしいけど、胸の奥がぽかぽかする。どきどきするけど、嫌じゃないもどかしさ。
……もう、駄目なのかな。
項垂れる私に、溜め息が落とされます。呆れというより、苦笑に近い響き。
「……寝るまで側に居ます、これで納得して下さい」
「……はい」
ぽんぽん、とあやすように背中を叩かれて、急に安心して視界が緩んでしまいました。
流石に礼服で寝るのは駄目なので、一度ジルに出ていって貰って寝間着にお着替え。足元がふらついてすっ転びそうになったりしましたが、あんまり言う事の聞かない指で着替えを何とか終わらせます。
頭が大分ぽーっとして足もふらふらする。睡魔も徐々に迫っているのか、大分瞼が重くなって微妙に視界が狭まっていました。
よろよろと歩きながらお外待機のジルの元まで向かうと、私の姿に少し困ったような笑みを浮かべるジル。首を傾げても、その笑みの意味は解説してくれる訳ではないようです。
眠気に瞼を擦りながらふらーっとジルを伴ってベッドにまで行こうとするものの、また足が縺れて転びそうになったり。ジルの腕に支えられて顔面着地は防がれましたが、もう、上手く足が動きません。
それを見越してか、何も言わずともジルは私の膝裏と背中に手を回して軽々と持ち上げてくれました。というか、危ないと思ったのかもしれません。
「ジルー」
「はいはい。……甘えん坊ですね、いつまで経っても」
「ん……」
横抱きにされていると、自分はジルの特別になった気分。私だけ、ジルに抱っこされるの。あの時の公爵令嬢にさせちゃ、いやですよ……。
この体勢はジルの心臓が近くて、とくとくと少し早い鼓動と、温もりを感じます。見た目よりもしっかりとした腕と胸は、抱き締められるととても落ち着くのに、心臓は元気になってしまう。それも気持ちよくて、更にうとうと。
危うくこのまま寝てしまいそうでしたが、ジルがベッドに下ろして毛布を掛けてくれた事で少し意識が現実に戻って来ます。
「……それでは、寝るまでですがご一緒します」
ぼんやりと見上げる私に、ジルはベッドの側で淡く微笑みました。大きな掌は、子供を寝かしつけるように優しく頬を撫でます。
無骨な指、いつも私に触れるのは綺麗だけじゃない指。剣の修行もしているから、固くて所々たこのある凸凹した指。
私は、この指がとても好きです。だってジルが頑張ってる証拠としてある指ですもん。
「……ジルにさわられるの、すき。ふわふわするの」
昔から、ジルは私を撫でるのが得意でした。優しく丁寧に、私を溶かすように肌をなぞるのです。擽ったさと心地好さが同居した感覚は、いつまで経っても恋しい。大人になっても、きっと心でこの感覚を求めるのでしょう。
「あたたかくて、やさしくて、きもちい……」
「……私は優しくないですよ」
「んーん、やさしいですよ。わがまま、きいてくれるもん」
「それが私の利益に繋がるからと言っても?」
あやすようになぞる指は、少しだけ場所を変えて唇をなぞります。
つぅっと紅を引くように表面を指が滑る。なんだか変に恥ずかしくて、でもうっとりしてしまいました。
「……そんなものですよ。私も、じぶんのためにジルにわがままいってるもん」
自分の利益を考えるのは、悪い事じゃないです。それに、ジルにとっての利益が現段階での私にとって利益になるのだから、お互い様なのではないでしょうか。
「……もっと、さわって。……きょうだけ……あしたから、がまんするから」
「……あなたという人は」
少しだけ、眉を下げて切なげな眼差しを私に送るジル。体の内側からじわりと広がる熱に、私は瞳を細めてゆっくりと瞼を閉じます。
ジルがさらさらと髪を梳いてくれて、それが、更に眠気を誘うのです。ずっとこうされたいくらいに、心地好い。もう、私に瞼を動かせる程の余力はありませんでした。
「……ん……」
喉を鳴らしてもっとと乞うと、髪を撫でる片手に加えて、シーツに投げ出した私の掌にそっと大きな掌が重ねられます。きゅ、と向き合うようにくっついた掌は、私の指と絡んで離さない。
少しだけ差した影は、ジルのものなのでしょう。瞳を閉じているから分かりませんけど……。
「……じる……」
「……お休みなさい、良い夢を」
最後に柔らかい何かが唇の横に触れて、私の意識は微睡みの海に深く落ちていきました。
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