無防備 ジル視点
成人の儀を一週間後に控えたリズ様ですが、特に焦りもなく落ち着いておりました。
てっきり多少なりとそわそわするかと思っていたのですが、予想に反しこれといった反応を見せていません。寧ろ、若干どうでも良さそうな……というか、意識から抜け落ちている感じにすら受け取れます。
本人としては成人の儀にあまり関心がなさそうというか、正直な所「ああ、そうでしたっけ」と他人事のように言いそうな気が。
「ああ、そうでしたっけ」
そして案の定、問い掛けてみると返ってきた言葉は予想をなぞったものでした。
やはり意識していなかったらしく、紅玉にも劣らない美しい瞳を瞬かせ「そういえば父様から手順の紙貰いましたね」なんて事をのほほんとのたまっております。
ご自分の事でしょうに、これではあまりにも他人事過ぎます。成人する事は結構に重要な事なのですが、本人としては意識にあまり重点として置いていないのでしょう。
何と呑気な、と感想を抱いてしまった私に、リズ様は僅かな筋肉の動きで何を考えたか分かったらしく、むうと可愛らしさを押し出すように唇を突き出しています。
「儀式の手順は頭に入れているから平気ですもん」
「それでももう少し成人する自覚を持ってはいかがですか」
提言に、リズ様は少し恨みがましげに見上げて来ます。
それも可愛らしいのですが、本人に言ったら「子供扱いしないで下さい」と返されるでしょう。そもそも本人にあまり自覚がないから子供扱い……というよりは、私自身を抑える為に子供扱いしているのですが。
拗ねたように尖る唇、此方を不満げながら上目遣いをして来る瞳、親しい人には感情表現が豊かな整った愛らしい顔立ち。
誕生日を間近に控え、一週間すれば大人の仲間入りをするリズ様は、まだまだあどけなさが目立ちます。
矛盾しているようですが、彼女は大人びているようで、とても幼い。理知的な思考を持つ反面、健やかに無邪気で純粋に育ったリズ様は、親しい人の前では無防備になってしまいます。
特に、私の事は安全地帯か何かと思っているらしく、何の警戒もなく触れてくるから困りもの。お陰で何度私の理性が揺さぶられた事か。
誰にでも触れる訳でなく極々少数の人間にしかしないから良いものの、それでも非常に危なっかしい。リズ様はその辺りが無頓着で、抱き付かれる度に私が理性を総動員しているのか確実に理解していない事でしょう。そもそも気付いてないかと思われます。
本当に彼女は、信頼した人には懐き過ぎて困るのですよ。家族だけではなくセシル様にも抱き付いて……まあ拒まれてはいますが、その拒絶も照れ隠しで嫌がってはいないのなど明白です。リズ様本人もそこは分かっているらしいのでからかっている節がありますが。
セシル様の動揺も、分かります。抱き付かれると、色々不都合が出てくるのが男という存在なので。
華奢な肢体、その癖どこも柔らかい肌。ふわりと香る甘い匂い。
これに加えてとろけきった笑みと信頼が満たす眼差しで、嬉しそうに名前を呼んで密着するものだから、堪ったものではありません。
私が甘やかし過ぎたのが原因なのですが、もう少し男というものに警戒心を抱いて頂きたいのです。本音を言えばくっつかれるのは喜ばしいのですが、体裁と理性の箍的にも、自重して欲しい。
私とて本当に理性を失うとどうなるか分かりません。ますます魅力的になっていくリズ様にくっつかれては、色々と保たないのに。
「子供でないと仰るならば、成人すればリズ様は今までのように軽々と触れてはならないのは分かりますね?」
「え、」
やはりそこには至っていなかったらしいです。
リズ様に触れられるのは非常に嬉しいのですが、そろそろ私にも限界が近付いているのです。
リズ様に無理強いするつもりは一切ないのですが、衝動を完全に制御するには私もまだまだ青い。そしてヴェルフ様にも忠告されているのです。
自戒の意味を意味を込めての忠告なのですが、リズ様はショックを受けたようで目を丸くしています。
「……お部屋でも?」
「リズ様、この間は恥ずかしいからと逃げていたでしょうに」
今でこそ普通に接していますが、あの時のリズ様は本当に可愛らしかった。初めて男として意識して貰ったのではないでしょうか。
『……っ、し、心臓がおかしくなりそうだから、当分触らないで下さい』
新雪のような肌を薔薇色に染めて、仄かに潤んだ瞳が上目遣いで此方を見るのです。本人は少し怒ってしまいましたが、笑いがこみ上げてくるのは仕方ない事だと思いませんか。
……長年の努力は、決して無駄ではなかった、それが分かっただけで心から歓喜しましたよ。
私は生憎と鈍くもないですし、リズ様が思うよりも自分本位な人間です。
リズ様が色恋で思わせ振りな態度を取れる程器用だとは思いません。寧ろ自分の色恋に関しては初心とも言えます。だからこそ分かるのですよ、あれは無意識で言った事なのだと。
その意味は、私の焦がれる少女は多少なりと異性として好意を持っているという事。但し、それはまだ淡いものなのだという事も、理解しています。
「あ、あれは……ジルが、その……想定外に色っぽくて、戸惑っていただけ、ですもん」
少し恥ずかしそうに頬を染めて、もじもじと両人差し指をつつかせ合うリズ様は、それだけでとても愛らしくいじらしい。男心を擽る仕草という事を意識していないのが、私からすれば危ういのですが。
自分が色っぽいかはさておき、リズ様は漸く私が男なのだと感じたのでしょう。とても今更なのですが、本人にそれを言うのも酷なので黙っておきます。
変な所で初心というか、自分の事になると途端に疎くなるリズ様は、従者という立場の私が男としてリズ様を求めているなど思ってもいないらしいです。
本来ならば私は主として見るべきで、欲しいなど烏滸がましいのでしょう。
でも、私は。
「私はリズ様が想像するよりも、ずっと男ですよ」
「そんなの、知ってます」
「リズ様は分かっていません。男に抱き付いて油断しているなんて、もし私が襲いかかったらどうなさるのですか」
きょとんとしている姿も魅力的なのですが、そろそろご自身の無防備さを理解して頂きたいものです。
此方としても手出しはヴェルフ様に殺されるので、真剣にお伝えしてはいるのですが……リズ様、全然危機感がないです。何で「ジルだから大丈夫ですよ?」とにこにこ出来るのですか。
「父様の逆鱗に触れますよ?」
「まあそうですけど……」
「それに、ジルは私が泣き喚いたら止めてくれるでしょう?」
完全に信頼というか油断されていますね。確かに、リズ様が本気で嫌がったら私は何も出来ません。
泣かせたくない、悲しませたくない。
この愛しい少女を守る為なら何だってする私が、泣かせてしまう訳にはいかないのです。そこを無意識に逆手に取っているリズ様は、無意識だから怖いですね。
「それに、襲いかかったら……また断髪させますよ?」
また長くなって来ましたもんね、と私の伸びた襟足部分に触れてはさらさらと指を通すリズ様。傍から見たら抱き付くように見えるので、というか距離が近いです。
……絶対に危険性理解していませんね、リズ様。今の体勢も結構に危ういのに。
「……断髪如きで止まるとは限りませんよ?」
「……じゃあ致し方なく、全剃りの方向で……」
「お止めください」
何故髪を切り落とす方向でしか考えないのですかリズ様。
考え込んで「剃っても似合いそう」とか恐ろしい事を呟いていらっしゃるリズ様に、私は頭を抱えるしかありません。
そもそも、襲われた時点でリズ様のようなか弱い女性が抵抗出来るとでも思っているのでしょうか。
勿論そこら辺に居るリズ様狙いの方ならば返り討ちに出来るでしょうが、私となれば直ぐに直ぐ突き放せる訳ではない。制御力なら私の方が上で、そしてリズ様は全力で抵抗出来ない。魔力が多過ぎるから。
リズ様にも情があり、そして私の事はなるべく傷付けたがらない性格も分かっております。まず口で説得しようとするのでしょう。力での抵抗はそもそも出来ませんし。
なし崩しに事に及ぼうと思えば出来るのですよ。泣かれるのは嫌ですし同意の上で、尚且つちゃんと正式にリズ様を貰うまではするつもりはありませんが。
「……そろそろ、私の危険性も理解して欲しいのですがね」
無邪気にされると困るというのに、リズ様は私の言葉に首を傾げながら愛らしく笑うのでした。