譲歩と和解
実際に会ってみると、やっぱりというかルビィは私の後ろに隠れるという事態が起きました。お祖父様を部屋に招き入れた父様の顔にも「ほれみたことか」と分かりやすく呆れが浮かんでおります。
約四年振りに顔を合わせたお祖父様は、以前よりもお歳を召した顔をしていらっしゃいました。記憶の限りもう少し若かったような気がするのですが、大して関わってないので何とも言えませんね。
ただ、記憶よりも剛健さというか、頑なさ……とでも言うのでしょうか。梃子でも動かない頑固さっぽいのが薄らいだような気がします。そもそも目付きが少し軟化した、ような?
何歳かは分かりませんが少なくとも還暦を数年は越したであろうお祖父様、私の背に隠れたルビィの姿に眉を下げました。私の顔を見ても気不味そうにしているだけなので、大分大人しくはなったのだと思います。
「ルビィ、挨拶は?」
このままというのもお互い不都合なので、此処は私が起爆剤になるべくしがみつくルビィを促します。ルビィにとって悪い思い出は殆どないから、そこまで逃げなくとも大丈夫でしょうに。
ぽん、とルビィの背中を軽く叩くと迷いの窺える瞳が此方を見上げて来て、今度は言葉で「大丈夫」と囁くと意を決したように私の横に立ちます。
「ルビィです。お久しぶりです、おじいさま」
「お、おお……」
心配せずとも、ルビィはこう見えてしっかりした子なので挨拶くらいは出来ます。
折り目正しく挨拶をしている姿に、お祖父様も感動気味。というかもう何か違う意味で泣きそうですね、やっと会話が成り立ったから。ルビィ逃げて嫌がってましたからね……話す前から嫌われてた事もあり、喜びもひとしおでしょう。
「お久し振りですお祖父様。本日は遠路遥々お越し頂きありがとうございます」
「……ああ」
私も一応定型文の挨拶をしておくと、ぎこちなく頷くお祖父様。拒まないでくれたのはありがたいですね、面倒起きないですし、拒んだらまたルビィが敵愾心露にしますから。
以前よりは厳しさの薄れた声音に、微妙にひやひやしていたらしい父様も一息。
親御喧嘩勃発しなくて助かったのは此方も一緒だったりします。だってルビィの前で喧嘩したらルビィ怯えちゃいますし。
「親父、リズに暴言吐いたら即刻追い出すからな」
「……分かっている」
流石にこの状況で敵対する気もないらしく、重々しく頷いては此方をちらり。
父様と同じ紅の瞳、些か視線が固いものの敵意は窺えません。ただ、困惑するような色合いだけは奥で揺らいでいて、お祖父様も確執とも呼べるか危うい微妙な関係を憂いているのかな、なんて。
まあ私の気のせいかもしれないので、取り敢えず視線には穏やかに笑みを返しておきます。
「お祖父様も元気そうで良かった」
「……心配されずとも、元気だ」
「親父」
「別に平気ですから。これくらいで目くじら立てないで下さい」
今の素っ気ない感じ、微妙な時のセシル君にも似てます。どうして良いか分からずに戸惑い気味だったあの頃に、何となく雰囲気が近いというか。
だったら対応は簡単で、近付き過ぎず拒まず受け入れる事。セシル君の時は押せ押せで行っちゃいましたが、お祖父様の頑なさは押しすぎるとたじろいで拒みそうですから。
「しかしだな」
「別に何とも思っていませんし。どうせ私はお役御免で二人にしてあげるつもりですので」
一応挨拶に来ただけでお祖父様の目当てはルビィでしょうし、私が居る必要もないでしょう。というかお祖父様的には目障りなのではないでしょうか、幾分か態度が和らいだとはいえ母様そっくりの私は。
だから気を遣ってルビィと二人きりにさせて、私は陰ながら応援しようかと思っていたのに、ルビィは私の狙いに気付いたらしくひしっと抱き付きます。逃がさないと言わんばかりのしがみつきに、ああこれは私も同席か、と直ぐに諦めもつきましたが。
「えー! 姉さま居ないのやだー!」
「……私が居ても別に意味ないのでは?」
「……姉さま」
「分かりました。お祖父様が宜しければ」
「……私は構わん」
まあそういう返答は予想してましたから、もう良いやと思えます。私拒んだらルビィも嫌がるの目に見えてましたし。
「では父様だけ引っ込んで貰いますね」
「扱い雑だな」
「喧嘩されるとややこしい事になるので。私は大丈夫です」
私だけなら別に我慢出来ますけど、父様は子供と妻を溺愛する理想的な父親なので、何かあればお祖父様に噛み付くでしょう。
少し父様も態度は丸くなったとはいえまだまだ仲が悪いまま。そりが合わないのだから、一緒の空間に居させても後々面倒が起こるなんて分かりきった事です。何か悪態つかれても私が我慢すれば良い事ですし、お祖父様もルビィが居る手前そこまで酷い事は言わないでしょう。
そういう考えをルビィの前で言う訳にもいかないので、婉曲的に言ってみると父様も分かっているのか微妙に顔を歪めながらも首肯を返されます。
「……分かったよ。……リズも、歩み寄ってやれ」
「必要とあらば」
そこはお祖父様次第です。嫌がりそうなら空気になっておきますし、受け入れてくれるなら和解はしておきます。私としては拒むつもりはないですよ、適度な距離を保てるならそれで構いません。
真面目に頷いたのに、父様は私の表情を見ては「分かってないだろ……」と溜め息をつきそうでした。大丈夫、問題は起こさないですから。
何だか心配そうな父様は渋々お部屋から離脱して、この空間には私達三人だけ。
急に静かになってしまった部屋にルビィもどうして良いか分からないらしく、私にべったりです。お祖父様が微妙に羨ましそうな眼差しを向けて来るので、こればっかりはお祖父様の努力次第だと内心で呟くしかないです。
孫に対する態度が分からずフリーズ気味なお祖父様、前回訪問で良い印象を抱いてなくて警戒中なルビィ、そして間に挟まれてどうすれば良いのか分からない私。全員が全員発言に困って部屋は静かなものです。
「……うー」
空気に耐えきれなくなったのか、はたまたお祖父様との対話に抵抗があるのか、私の腰に手を回してぎゅーっとしているルビィ。微妙な唸り声は、きっと色々葛藤があるのでしょう。
「ルビィ」
「だってー」
「ルビィのお祖父様なのですから、仲良くしなきゃ駄目ですよ?」
「それは姉さまもでしょ」
「む、それもそうですね」
ルビィの指摘は正しいものの、特に私は求められて居ないので居なくても変わらないと思いますよ。
「でもお祖父様の目当ては私ではなくルビィなので、私は付随物ですよ?」
「……別に、興味がない訳では」
「あら?」
と、思っていたら、お祖父様から予想外のお言葉を頂きました。
考えていたよりも随分と軟化している対応にぱちくりと瞬きを繰り返し、真意を問うべくお祖父様を見返すと……やっぱり気不味そうなお顔。でも、敵意は何処にも感じられません。
「おじいさまは、姉さま嫌いじゃないの?」
「……嫌いではない」
「じゃあ好き?」
「いやそれは流石にないでしょう、私父様奪った女性そっくりな娘ですし」
「姉さまはだまってるの!」
「は、はい」
し、叱られた。ルビィに叱られた。
いつからこんなしっかりした子に……。確かに昔から人の感情の機微には敏感でしたし、空気は読む子でした。わざと読まない事も含めて。
そのルビィが、多分勇気を出して自分だけじゃなくて私の分も仲を取り持とうとしてくれているのです。私が本来橋渡ししなければならないのに。
「どうなの、おじいさま」
「そ、の……悪かった、とは思ってる」
「へ、」
「……意固地になっていたのは、認める」
多分、今凄く間抜けな顔になっていると思います。
だって、此処まで向こうがあっさり今までの事を謝ってくるとか思ってなかったんですもん。あんなに頑なだったお祖父様が、少し申し訳なさそうにしているとか、信じられません。
確かに態度は落ち着いたとは思っていましたが、実際に謝罪を口にされるとびっくりで唖然としてしまいます。……年月が経つと、より頑固になると思っていた私の考えが浅はかだったのでしょうか。
「……そうですか。まあ私としても仲を拗らせたままは好みじゃありませんし」
「姉さま、そういうところはすなおじゃないよね。姉さまも言うべきことあるよね」
「……ルビィに諭される日が来るとは」
何か今ばかりは立場が逆転しているのではないでしょうか。というか、もしかして無意識に拒んでいたのは私の方かもしれませんね。母様を侮辱されたあの日から、ずっと。
嫌いではないし、別に受け入れ難い訳でもなかった。けれど進んで受け入れようとしなかったのは、それに無意識に影響されていたからなのでしょう。父様が言っていたのは、この事だったのですか。
ルビィに気付かされるなんて私もまだまだだなあと思いつつも、ルビィの成長が嬉しい私。私も、大人気なかったですね。
自分の未熟さに苦笑しか浮かびませんがそれは押し留めて、私は柔らかい眼差しと笑みを心掛けてお祖父様に向き直ります。お祖父様が歩み寄ってくれたのだから、それに応えなくては失礼でしょう。私にも反省点があるのだから。
「お祖父様、此方こそ意固地になっていて申し訳ありません。お互い昔の事は水に流して、仲良くして頂けますか?」
「此方こそ、……すまなかった」
「じゃあ仲直り!」
ルビィが音頭を執るように可愛らしく「あくしゅ!」と声を上げ、私の手とお祖父様の手を掴んで近くまで寄せます。お祖父様はびっくりしていたもののおずおずと手を触れさせて来たので、私もおっかなびっくり手を絡めました。
ひんやりとした、かさついた細い指。痩せて肉のない掌にそっと熱を移しつつちらりと見上げると、お祖父様は顰めっ面に近いながら少しだけ怖々と私を見つめていました。
……もしかしたら不安だったのかもしれません。私やルビィに拒まれる事もそうですが、孫達と仲違いしたまま一人で過ごすのは。領地ではお祖父様一人でしょうし、温もりを感じる事がなくて、触れ合いに飢えているの、かも。
そう考えると頑固よりも強がりな面が先に見えてしまって、ちょっと可愛らしいな、なんて思ったり。昔はさておき、今は素直じゃないだけなのでしょう。そこは似た者同士です。
「改めて、お祖父様、お越し頂きありがとうございます」
なら私達が自ら歩み寄らないと、と思って、物理的に歩み寄ってみます。
お歳を召しているのに私よりも背が高くて腰も殆ど曲がっていないお祖父様。それでも大分年齢に影響されているのか、抱き付くと骨と皮の感触がダイレクトに伝わって来ます。
……あの時はとても厳めしい方だと思ってましたが、……こんなにも細くて、弱々しかったのですね。
私に倣うようにルビィも愛くるしい笑顔でぎゅうっとくっついて、歓迎を体で表します。元々ルビィは私とお祖父様の関係に亀裂があったから嫌がってただけで、お祖父様自体と問題はないです。
私達が和解したら、ルビィも嫌がる必要がなくなったのでしょう。
「滞在する時間は短いかもしれませんが、此方に居る間は一緒に過ごさせて下さい」
「……ああ」
姉弟二人で抱き付いて見上げたお祖父様のお顔は、糸がほどけるように綻んでいました。
「リズ、親父を懐柔したのか」
そんなこんなで仲直りして、今はお祖父様とルビィがお話ししている最中です。
私は心配していた父様に問題ないと報告しに行くと、顔色で察したらしい父様は開口一番でそんな事を言いました。
「それ私もお祖父様にも失礼ですよね。和解したと言って欲しいです」
誰が懐柔ですか、とぷんぷんとわざとらしく怒ってみせる私に父様は苦笑して「悪い悪い」と軽い謝罪。
頬を膨らませて更に抗議すると、頭をなでなでされました。これは謝罪というか宥めて、ついでに和解を褒めている感じっぽいですね。
悪い気はしないので「全く」と嘆息はしますが、そのまま父様に抱き付いて頭はなでなで続行です。最近はミストにかまける事が多い父様なので、こうやって甘やかしてくれると幸せ。
因みにミストにかまけてるのは良いのですが、泣かれて母様に追い出されるという流れが出来上がってます。流石父様、こういう時に残念な所が素敵です。
暫く父様を堪能しつつ、お祖父様の事をちょっと考えてみます。
お祖父様、大分態度が軟化してたのは父様が何か言ったのと、領地での隠居生活が堪えたのでしょう。私が生まれる前に伴侶であったお祖母様と死別しているらしいので、一人きりは寂しかったのではないでしょうか。
「お祖父様も領地で孫にも会えず寂しかったのでしょう。ちゃんとお話しすれば、結構孫にでれでれしそうなタイプですよ」
お祖父様の感想は、それ。
相当一人で居る時間が長かったらしく、結構寂しがってたみたいです。ルビィと話してる時も嬉しそうにしてましたし、やっぱり話し相手って大事なんだなあと改めて思いますよ。
私にはまだまだ躊躇いがありますが、既にルビィにはでれでれなので確実に跡取りの孫にでれでれタイプですね。
「親としてはその言葉を娘から聞きたくなかったぞ」
「でも父様も私が子供産んだらでれでれするでしょう」
「そりゃあな! ……待て、誰の子を産む気だ」
「そんなの結婚した人でしょうに」
決まってる訳ないのだから焦らなくても、と肩を竦めた私に父様は何故だかぐったりとしていました。