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人はその感情を

 正式な招待が来たのは、ミストが生まれてからの事でした。

 殿下に直接聞いた、祝賀会の事。大体処理も終わって来て余裕が出たというのもおるでしょう。若干私を慮ったような気がしなくもないですが、つい先日正式な日付が書かれた招待状が送られて来ました。

 一応個別に来ていて、ウチからは父様と私、それからジルが呼ばれています。私と父様はまあやらかした気がして納得ですが、ジルも呼び出されるという事は、翼竜退治は相当な事だったようです。その前の功績もあるのでしょうが。


 そんな訳で、ミストから離れたくないと渋る父様を引き摺って祝賀会に参加する私達です。生まれたてで可愛いのは分かりますが、これも仕事ですよ父様。

 仕方なしなのは私も同じです。あまりパーティーとか好きじゃないので最小限の関わりしかしてません。今回も目立つの好きじゃないから渋々ですし。


 そこは割り切って、適度に着飾って会場に突入です。動きにくいのは好きじゃないので、露出の少なく装飾控え目のドレスにしておきました。

 あまり目立たないような格好だった筈なのに、会場入りした途端に先に着いていた人達がざわめきだしたものだから頭を抱えたくなります。因みに父様は色々と社交があるらしくかなり面倒そうに何処かに行ってしまいました。


「あれが噂の……」

「あのような子供が、魔物の大量討伐を」

「嘘ではないのか?」

「あのような少女に出来るとは」

「しかし、目撃者も多数居るようだし……」


 本人に聞こえているの、分かってないのですかね。物凄く聞こえています、声を潜めているつもりなのでしょうが割とくっきり聞こえていますよ。

 まあ、気持ちは分からなくもないですよ。どう考えてもひ弱そうな小娘ですので。


 それに噂をしている人達は、討伐に出ていない貴族の方ですから。祝賀会には活躍した人達だけではなく、貴族の方も訪れています。そこは大人の事情というやつですね、大概位の高い貴族の方が来ています。


 そもそも騎士団の半数は貴族で、魔導院の殆どが貴族な訳です。魔力持ちは平民にはそこまで顕現しないですし、しても魔導院に勤められる程の魔力量でなかったりするので。

 貴族だらけなのは今更、という事ですね。


「……リズ様、お気になさらず」

「気にしてませんよ、一々気にしてたら身が持ちません。但し、必要な情報は取捨選択しなければならない、ですよね?」

「そうですね」


 あれくらいの噂ではへこたれませんよ。化け物とか正面切って罵られると凹みますが、そうなった場合ジルがキレるのでそっちの制御で凹んでる場合じゃなくなりますし。


「そもそも、私はこの場に居ても宜しいのですか?」


 周りが貴族だらけなので、基本的にパーティーに出られないジルは少しだけ戸惑っています。

 正式に招待されたのだから堂々としてれば良いのに。あ、私はこそこそしておきます目立ちたくないので。


 気後れ気味なジルに自信を付けさせる為にも、と隣のジルをゆっくりと見上げては首をこてん。


「竜殺しのジルですよ?」

「止めて下さい恥ずかしいです」

「格好良かったですから安心して下さい!」


 私を危機一髪の所で救ってくれたのはジルですし、その時のジルは本当に勇者様みたいだったのですから。お世辞抜きに格好良かったんですよ、惜しむらくはその倒す場面の時に目を閉じていた事ですが……でも格好良いのは間違いないです!


 これは譲ってやらないとにこにこ笑顔な私に、ジルは少し照れてしまったらしく所在なさげな人差し指が頬を掻いていました。


「それが逆に恥ずかしいのですが……」

「誇らしい事なんですから。それに、ジルだって立場改善になるかもなんですよ?」


 褒美に爵位とか貰えるかもしれませんし。ジルだって貴族の血を引いてますし、活躍を考えれば爵位の一つくらいあっても良いのでは。だって反乱を制圧したのジルの功績でもありますし、魔物討伐頑張ったし翼竜倒したし。

 貴族じゃないからって評価されないのはおかしいと思うのですよ。


「それではリズ様の側に仕える事が難しくなるでしょう」

「む。……ジルが、居なくなるのは嫌ですね、だってジルは私の、」


 ……私の、何なのでしょうか。ジルは私の従者で、私の大切な人で、……私の……?

 もっと相応しい言葉があるような気がするのに、脳がそれを導き出してくれません。というより、フィルターがかかったように無意識の内に強制的にぼかしているような、そんな感覚です。


 自分でも言い知れない感覚に少し胸を押さえると、もわもわしたものが蟠っている気がして。

 ……私の、従者、なのは間違いないのに。


「……ジルは、大切な従者で、私の家族ですもん」


 言葉にしたものは、間違ってないのに違和感があって、またもやもや。答えが出たがって奥をつついているのに、逆に怯えたように縮こまっている。相反する感情が内側でせめぎあっていました。


 ただ、この感情を何故かジルには気取られたくなくて、直ぐにいつも通りの笑みに戻しておきます。


「だから、ジルが居なくなったら嫌ですね」


 この感覚が何なのか、知りたいけれど知りたくない。だから私はジルの立ち位置を「従者」のままにして、微笑むしかありません。

 ジルは暫く無言でしたが、それでも私の笑みに答えるように柔らかく微笑み返しました。少しだけ眉が下がっていたのには、言及しませんでした。





「リズ」


 暫くパーティー会場の端っこでのんびりしていると、またざわつく会場。同時に幼少の頃から聞き慣れた声がして顔を上げると、なんとまあ、明らかにうろつくべきでない人が近付いていました。


「殿下、……それに陛下まで」


 まあ殿下が来るのは予想済みでしたが、何故陛下まで。国のトップが私個人に結構親しげに近付いて来て良いのですか。

 視線で何が言いたいのかは分かったらしく、「他の者にも声をかけている」との返答。私だけが特別扱いとかじゃないという事に安堵しつつも、まずは挨拶、と居住まいを正します。


「この度はお招き頂きありがとうございます」

「うむ。報奨の件はまた後程発表するが……リズベット嬢、よくやってくれた」

「陛下にお褒め頂けるとは光栄です」


 注目が集まっている中褒められるのは、恥ずかしい。それに陛下の言葉で討伐の事が事実なのだと広めているものなので周りのざわつきも酷くなります。

 戸惑いを表に出す訳にもいかず、にこやかに相手をするしかありません。公の場で国王陛下に話し掛けられるとか、内心びびりまくりに決まってるでしょう。


「そのまま王家に入る予定はないか?」

「申し訳ありませんが、私の一存では決めかねます」


 陛下まで然り気無く婚約話を持ち出して来たので、笑顔であまり失礼のないようにお断り。本当は公の場で直々に声をかけられて婚約の話を持ち掛けられて、それを断るなど宜しくないのですが……陛下は気にした様子もなく笑っております。

 元から期待はしていなかったらしく、何処か面白そうに私を眺めるだけ。


「はは、冗談だ。ユーリスは冗談ではないのだがな」

「父上」

「すまんな。……さて、そろそろ私も用意せねばな」


 ちょこっとだけむくれた殿下に陛下も愉快そうに口の端を吊り上げ、私達から離れます。

 当事者でないからか、それとも単純な場数の違いなのか、断られても平然としている陛下は大人の貫禄がありますね。その癖まだまだ若々しく、二十代に見えるのだから美男って恐ろしいです。


 殿下は陛下の笑みに少しだけ子供っぽく唇を尖らせたものの、直ぐにいつもの気品溢れる笑みに戻ります。本当に成長しましたね、とても優雅な男性にお育ちで。


「リズ、また後で」

「はい」


 二人とも忙しい筈なのにわざわざ挨拶しに来てくれて、何だか申し訳ないですね。

 爽やかな好青年そのものの笑みを浮かべた殿下が離れていくのを眺めては、時間の経過って凄いなあと思った今日この頃です。




 それから暫くして、陛下から直々に褒美を賜る時がやってまいりました。結構略式なのでなので、細かいしきたりとかは割と気にしないそうです。人数が多いので、一々厳かな場所で一人一人にやってたら一日あっても足りないそうです。

 なので、今回はざっくりと。爵位を賜る場合はまた後日正式な式があるそうな。今日は労うためのパーティーなので略式、という訳なのです。


「著しく戦果を挙げたものに、褒美を与える。まず、ヴェルフ=アデルシャン侯爵、卿は討伐にて著しい戦果を挙げた。報奨として子爵の位とそれに伴い領地を与える」

「げっ仕事が増える。……ありがたきお言葉」


 父様と仲の良い陛下ですが、今日は公の態度で厳かに告げております。父様、近くに居た私にしか聞こえていないから良いですけど、聞かれたら不味いですからね最初の言葉。

 まあ元から侯爵の爵位は持ってますし、領地の追加という形ですね。この場合爵位は侯爵を名乗り、子爵は子に名乗らせたりも出来ます。……止めて下さいね、私に名乗らせるのは。


 直ぐに取り繕った父様が恭しく一礼するのを眺めては、これだと私の場合どうなるんだろうとぼんやり思ったり。

 一応名声とかにはあまり興味がないですし、爵位は要らないと言っておきましたが……これだけ人が集まって私の仕出かした事が知られているのだから、そうもいかないんですよね。

 こればっかりは大人の事情なのでどうしようもありません。


 まあ、そんな感じで結構見知った人が名前を呼ばれて報奨を授かっていきます。中にはロランさんやセシル君、クルツさんなどが呼ばれていました。セシル君は予想通り研究室の素材を要求したらしいですね、分かりやすい。


 そんな中、私が一番気になる人の名前が呼ばれました。


「……ジルドレイド=サヴァン」


 一瞬だけざわついたのは、サヴァンの名に対して。

 サヴァン家は党首は反乱の首謀者として死に、家は取り潰されたのです。もう貴族でも何でもない家。ジルは、その家系とも関係はない。

 でも、名前としてはサヴァンが残っている。家系図から抹消されたとしても、呼び名だけはサヴァンなのです。普段は名乗らないですし、サヴァンという名前を嫌っていますから。


「貴殿は先の反乱を治める為にも助力したな、その功績も合わせて、貴殿には男爵の位とそれに伴った領地を与える」

「……光栄の至りに存じます」


 他の皆と同じように恭しく一礼するジルは、私から見ても表情が読めません。嬉しそうにもしてないし、悲しそうにもしていない、納得していないようでもない。ただ、何かを考え込むように陛下を見ていました。


 そっか、ジルもこれから貴族なんですね。男爵は一番下位の位といえど、貴族には違いありません。元々子爵家に居たジルですから、振る舞い方とかマナーは大丈夫でしょう。

 ……何か成り上がっていきますね。ジルの努力が認められて嬉しい反面、遠ざかってしまいそうで、複雑です。私の従者なのに、……これからは、従者じゃなくなっちゃうのかな。


 そして自分も呼ばれて褒美を貰って、私としては式が終わります。因みに私はお願いした書庫の出入り自由と、要らないと言ったけどやっぱり爵位を賜りました。父様と同じ子爵の位を頂いた訳ですが、どうしろというのでしょうか。

 まあ領地経営は私が未成年という事もあり、そのまま国が派遣している人にそのまま管理して貰っても良いとの事。但し偶には様子を見に行かないといけませんけど。


「ふふ、ジルも貴族ですね」


 式も終わって後は会話や食事を楽しむだけ、といったパーティーなのですが、ジルをからかうように言っても浮かない顔。


「……あまり実感はないですが。それに、名誉爵位みたいなものですから」

「それを定着させるのがジルのお仕事では?」


 こういう仕事に対する功績で与えられた爵位って、一代二代で潰える事が多いです。そのまま二代目とかが功績を挙げれば別ですけど、大体はまあ三代目くらいでぽしゃん。

 それに、新興貴族は軽んじられる傾向にあるので中々に面倒です。まあ今回爵位を結構ばらまいたのは、反乱で余っていたからもあるのでしょう。国が領地管理するのにも限度ありますからね。


「……それよりも、私はリズ様の側に仕える事を望みます」

「それは嬉しいですけど、でも折角ジルが立場改善したのに」

「爵位なんかよりも、あなたの側に仕える方が大切です」

「周りの人に聞かれたら危ない事を……」


 お金だけで爵位を貰えなかった人に聞かれたら大変ですよそれ。でも、そう言ってくれるのは、嬉しいです。

 ジルも貴族になりましたが、基本は私に仕えてくれるそうです。優先順位は私に傾いているみたいで、領地とかぶっちゃけどうでも良いそうな。

 まあ国の管理者を名代にして任せておく、というのは悪くないと思います。また管理者が変わると領民も混乱するでしょうし。

 でも数ヵ月に一回くらいは視察に行かなければならないみたいですね、私と同じです。


「それに、爵位は手段であって目的ではありませんから」

「手段?」

「欲しいものをこの手に収める道に至る為に必要なもの、ですかね」

「欲しいもの……言ってくれたら良かったのに。私もちゃんと魔導院でお給金貰ってるから、プレゼントしたのにー」


 尽くして貰うだけじゃ悪いですし、この間のコートみたいにジルにプレゼント一杯あげたいです。ジルに一杯のものを貰ったから、私もジルに返してあげたい。

 むー、とあまり欲を言わないジルに少し頬に空気を溜めると、薄く苦笑してはやんわりと首を振られました。そういう遠慮しがちな所があるから、プレゼントしたいのに。


「私の欲しいものは買えるものではございません」

「……じゃあ何ですか?」

「ふふ、当ててみて下さい」


 ジルが欲しがりそうなもの、お金で買えないもの。


「……魔導院トップの座?」

「当たらずとも遠からずですかね。結局それも手段でしかありませんから」

「えー」


 分からないです、それくらいしか思い付かなかったですし。うーん、と唸っても答えが捻り出せる訳でもないので、お手上げです。


「ジル、ヴェルフが探していたぞ」

「あ、セシル君」


 答えの見えないなぞなぞに首を捻る私と、穏やかな微笑みで私を見つめているジル。そんな私達に、セシル君が見付けたと言わんばかりの表情で声をかけてきました。

 もう成人済みなセシル君、ぴしっと正装を着こなしている様はもう何処から見ても美丈夫です。ちょこっとあどけなさが残っているのも、それはまた可愛らしいですし。


「ヴェルフ様が……ですか?」

「ああ。まあ用件は察しがつくだろうが、行ってこい」

「畏まりました」


 私には分からない二人のやり取りですが、ジルは何を示されているのか理解しているらしく軽く会釈をしてセシル君が指し示す方向に姿を消してしまいました。微妙に早足で。

 何なんだろう、父様が今呼び出すなんて。帰ってからじゃ駄目だったのですかね。


 何か最近皆私に内緒事多くないですか。私だけ除け者にされている気分です。


「……ねーセシル君、ジルの欲しいものって何ですか?」

「は?」

「さっきジルに欲しいものって何ですかって聞いたらね、欲しいものはお金で買えないもの、爵位はそれに至る道だってヒントくれて。結局私分からなかったんですけど、セシル君は分かりますか?」


 こうなったらセシル君にも考えて答えを導きだそう、と意気込む私ですが、セシル君は聞いただけで「あー、まあ」と何だか要領を得ないお返事。

 ……何で視線が空を泳いでるのですか。私と目を合わせてくれないんですか。


「まあ、あれだ。お前は当分知らなくて良いぞ」

「え、セシル君分かるんですか?」

「あれだけ分かりやすくて分からない方がびっくりだな」


 知らぬは本人ばかりなり、と明らかに除け者にする気まんまんな締め言葉を呟くセシル君に、ずるいと腕に縋り付きます。ぎょっと目を剥くセシル君に逆にびっくりしてしまいますが、セシル君はこほんと咳払いをして気を取り直しました。


「取り敢えず、気にするな」

「気にしますー! 折角ジルも立場上がったのに、御祝い出来ないじゃないですか!」

「……あいつは、欲しいものは勝ち取るタイプだぞ。与えられて満足する質じゃない」

「結構アグレッシブな評価ですね」

「というか勝ち取らないと手に入らないな、あいつの場合」


 よく分かりませんけど、求めよさらば与えられんって事ですかね。というかそんなに頑張らないと手に入らないものがあるのですか。ジルの事だから何気ない顔していつの間にか持っていたりしそうなんですけど。

 そんなにジルが欲しいもの、って何なのでしょうか。凄く気になるのに、ジルもセシル君も教えてくれません。知られたくないという事なのでしょうか。


 セシル君はセシル君で溜め息をついて「こればっかりはどうしようもない」と零しております。絶対に勝ち取らないと手に入らないもの、って何なのでしょうね。


 答えの出そうにないクイズは一旦置いておくとして、ジルはまだ帰って来ないのでしょうか。話し込んでるのかな、なんて思って翠の消えた方向を見て……びき、と頬が固まりました。


「……ジル?」

「あれはナディア侯爵の一人娘だな。何であいつに声かけてんだ?」


 ちょっと離れた位置に、ジルと侯爵令嬢さんがお話していました。引き留められている、といった感じですかね。父様の元から戻る時に捕まったっぽそうです。

 それなら話は分かるのですけど、こう、侯爵令嬢さんの眼差しが熱を帯びている気がして。


 何を言っているのかは、分かりません。距離があって聞き耳を立てても会話の内容は伝わって来ません。

 ただ、ジルは穏やかな容貌に苦笑を浮かべては首を振っています。それでも引き下がる様子のない侯爵令嬢さんは私より三つ四つくらい歳上で、大人の色香を持っていて、ジルに少しだけ潤んだ眼差しを向けては手を取りました。


 ぎし、と軋んだのは、歯なのか胸の奥なのか。 


「……おーい、リズ?」

「……こう、何て言うのでしょうか……すごーく、むかっとしますね」


 別に、ジルは私の所有物という訳ではありません。ジルにも人権はあるし自由はある。私に仕えているといえど、言動を制限するつもりはありません。

 だから、誰と話そうが誰と触れ合おうが勝手な訳です。


 でも。


「……ジルは、私の従者だもん」


 何だか取られたような気がして、物凄くもやもやする。子供の独占欲なのは分かっていますけど、ジルがああいう風な目を向けられて、触られていて、何かむかっとしてしまったのです。

 ジルを束縛するつもりなど毛頭ないというのに、何処にも行かないで欲しいと願ってしまって。……変なの、ジルがもし望むなら手離すつもりでいたのに。


「……拗ねるな、不細工だぞ」

「知ってます」


 指摘されなくても分かってます。膨れてさぞや不細工な顔になっている事でしょう。

 ぱっと口を開けて空気を吐き出すものの、眉の間に出来た皺だけはどうにもなりそうにありません。別に、怒っている訳じゃないです。ただ、何か、もやもやとした感情が湧き起こっているだけで。


「……少し夜風に当たって来ます」


 こんな顔、ジルに見せられません。八つ当たりしても嫌です。ちょっとだけ頭を冷やさないと。私の周りにしか関わりを持たなかったジルに他の人と繋がりが出来た事を、喜ぶべきなのに、素直に喜べないから。


 穏やかな表情を努めて作り上げ、流石に勝手にふらつく訳にもいかないしセシル君にだけそう断っておきます。


 返事を待たずして装飾の少ないドレスを翻し、誰も居ないテラスに向かい、目立たないようにガラス戸を開けて外に出ては溜め息。


 ひんやりした空気は少し肌寒いけれど、頭を冷やすには充分です。

 姿が見えないように端の方に移動しては、手摺に凭れかかってまた深く嘆息を一つ零しました。


 なんと大人気ない事か。

 まるで玩具を取られた子供の気分です。ジルは玩具じゃないし私の所有物ではないけれど、そんな気分がぴったりでした。

 流石に駄々をこねる程幼くはないですが、笑って見守る事が出来る程大人でもなかったらしいです。変なの、何でこんなにも胸が重くてぐるぐる蟠ってるのでしょうか。


「……リズ様」


 可愛くない、自分でそう呟いた瞬間、背後から聞こえた声。

 昔から気配を消すのが得意だった従者は、音も立てず私の後ろに立っていました。


 恐る恐る振り返れば、穏やかな笑みを浮かべたジル。もう侯爵令嬢と話さなくても良いのですか、なんてとても可愛くない言葉が出てきそうで唇を噛み締めました。

 それを機嫌が悪いと捉えたのか、ジルは苦笑いをしてすぐ側まで歩み寄ります。


「私は何処にも行きませんよ」

「……そんなの、分からないです。証明でもあるのですか」


 子供っぽい事言ってるのでしょうね。素直に返事しておけば良かったのに、変に意地張って幼い言葉を返してしまいました。こんなつもりじゃなかったのに。

 ただ、側からいつの間にか居なくなってしまうのが、怖かっただけなのに。


 何処が不貞腐れたような響きの言葉に、ジルは僅かに眉を下げて困ったように微笑んでいます。ああ、ほら困らせてしまった。私は我が儘言うつもりなんかなかったのに。


 どうしよう、と固まる私にジルは少しだけ此方を見詰めて、それからゆっくりと私の足元に片膝を着きます。

 あまりに突然で、でも自然で優雅な動作で跪かれて、硬直時間が延長させられる私にジルは柔らかく微笑んでは、私の左手を取ります。

 硝子細工でも扱うかのように繊細で柔らかい動きで、恭しく眼前に持って来たジル。普段見下ろす事など滅多にない翠緑の瞳は、私を優しく、且つ真っ直ぐに見上げていました。


「永遠に従者である事は確約出来ません。ですが、私はどんな形であれ、あなたと共に在る事を誓います」


 場合によっては求婚とも受け取れる台詞と共に手の甲に口付けられて、一気に体の熱が唇に触れた場所と頬に集まったような気がしました。

 どうしてそこまで私の側に居てくれるのかとか、何で女たらしっぽいんですか、とか、そんな事が浮かんでは消えて、羞恥に変わっていきます。


 ああでも、胸のもやもやは消えていて、妙な所でご機嫌取りは上手いなあ、なんて。でも、つられてしまう私も私ですね。

 嬉しくて、ふわふわと照れ臭さと心地好さ、安堵が入り混じった笑みが浮かんでしまいます。夜闇のカーテンで、この赤らんだ顔が隠れてくれれば良いのに。


 いつまでも跪かれても困るので立ち上がるように促しつつ、私の前に立って柔らかく微笑んでいるジルに抱き付きました。


「……側に居てくれなきゃ、嫌ですよ」


 幼稚な独占欲、そう言われても否定は出来ません。

 でも、この気持ちは嘘偽りがありません。純粋に、思った事を口にしただけです。


 暖かい誓いを貰って胸の奥までぽかぽかします。心地好さに瞳を眇めてべったりとくっつく私に、ジルは少しだけ息を呑みます。

 暫く宙をさまよっていた手は、やがて何かを決意するようにしっかりと私の背中に回されて密着させました。もう片手は、ゆっくりと頬に、そして顎に指先が移ります。


「……リズ様」


 囁かれた名前は、甘く。


 顎に手を添えられて、上を向かされます。背後のパーティー会場の照明は遠く、月光に照らされた顔が私を静かに見下ろしました。

 ひゅ、と息を呑ませるような、美貌。見慣れている筈の端整な面立ちは、今だけ何故か知らない人のように思えて。

 いつも優しく見守ってくれていた翠玉の瞳は、優しさに……違うものが、混じっています。それが何なのか、正確には判断出来ません。

 でも、それは私が知らないジルの片鱗なのだと、確かに感じさせる程には主張していました。


 妖艶にも思える艶を帯びた瞳が私を見抜く、それだけで胸の奥からじわじわと火が付いたように熱くなる。虫眼鏡で焦がされた、なんて表現が当てはまるかもしれません。

 ゆっくりゆっくりと広がる熱の正体は分からないけれど、見つめられるだけで心臓に負担がかかります。何処か物欲しげな視線に射られて、圧迫感すら覚えてしまいました。

 どっ、どっ、と心臓が妙に鼓動を早めて、呼吸まで乱れていました。目眩にも似た頭のくらつきに耐え切れず目を閉じると、頭上で淡く微笑む気配。


「……そんな可愛らしい顔をしていると、何かしてしまいたくなりますよ」


 いつもの、お世辞な筈なのに。

 それがどうして、こんなにも内側に突き刺さって熱を膨張させるのですか。


 ジルの言う「何か」が何なのか分からないけれど、それは私にとって変革をもたらす何かな気がしてなりません。

 変わるのは、怖い。私が私でなくなりそうなこの鼓動が、もっと強く激しくなるのだと思うと、身が竦んでしまいます。嫌じゃないけど、変わってしまうのが、怖くて。


「……そんなに緊張しなくても、何もしませんよ」


 その何かに対して複雑な心境で構えていた私に、苦笑混じりの声。怖々と瞼を開けば、うっすらと微笑んだジルの顔が側に寄っていました。

 あ、と息を呑んだ私にいつもの微笑みを浮かべて、そっと体を離しては私に手を差し出します。もう、普段の眼差しに戻っていました。


「さあ、会場に戻りましょうか」


 何事もなかったかのように手を差しのべるジルに、言いたい事が沢山あるけど上手く言えない自分が居てもどかしい。

 このもわもわした名状しがたい感情を抑えて、伸ばされた手を取りました。ジルは変わらない笑顔で、それが何だか少しだけ、ほんのちょっぴり、憎らしかった。

 ……いつもジルに私は掻き乱されてるのに、ジルは一人平然としてるなんて。


 ずるいと思うくらい通常運転なジルにちょっと強く握る事でささやかな仕返しをしてから、二人で会場に戻りました。

12/1の活動報告にてクリスマス企画について書いてます。

宜しければご参加下さい。

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