ぷりん
熱が出てから約二週間もすれば、大分熱も引いて微熱程度になっていました。完全に熱は取れて居ないものの、動き回る事は出来ますし、何なら暇潰しにルビィと騎士ごっことかも出来ます。ジルに見付かってベッドに連れ戻されるまでの時間ですけどね。
そんな訳で全快も間近に迫って来たのですが、見舞いに脚を運んでくれる人が途絶えてしまう訳ではありませんでした。
「セシル君だー」
思考もしっかり回る熱くらいなので、寝ているのも飽きてきてベッドで本を読んでいた私に来客の知らせ。美少女メイドに成長したマリアが連れて来たのは、見慣れた男の子でした。
私がけろっとした顔で読書を嗜んでいる事に対して、呆れた顔を携えて此方に向かって来ます。そしてその手には見慣れない箱。
「大分元気になったみたいだな」
はしたないと怒られそうなので大判のストールを肩からかけて、ベッドから抜け出し縁に腰掛けた私。セシル君は近付いてサイドにあるテーブルに謎の箱と、その上に綺麗な布でくるんだ何かを置いては、私の顔色を見て少しだけ安堵したように眼差しを緩めます。
「まあまだ熱っぽさは完全に取れてないですけどね、でも走り回れますよ!」
「止めろあほ」
「いたっ」
試しにお部屋を一周しようとしたら、立ち上がる動作を見せた瞬間にはデコピンで沈められました。
軽い痛みに「病人なのに酷い」と文句を言って視線で訴えたら、セシル君も平然と「病人なら安静にする」と返して来て、口を噤むしかありません。流石にそれは薄々分かってたので言い返せないです。
私が大人しくなったのを確認してから近くの椅子を引き寄せて座ったセシル君、向かい合っては嘆息を零します。
「熱から解放されそうな気持ちは分からんでもないがな。これ結構辛いからな」
「セシル君も経験済みで?」
「昔な。毎日熱があってしかも放置されてた次期だったから死ぬかと思った」
「セシル君……」
……セシル君は平然と笑い事のように言ってますが、それってとっても辛い事ですよね。
放置されていた時期となると、私と出会ってから十歳くらいの間になります。多分発症確率からして割と幼い内に起きた訳で。
年端も行かぬ幼子が、ずっと放っておかれた。体も出来上がってないのに一人でずっと耐え続けていた、なんて。
この歳になっても熱が続いて体調不良で寂しくて仕方なかったというのに、セシル君はもっと小さい内に独りぼっちで耐えていたんです。
そう考えると残酷な仕打ちをしていたシュタインベルト家に反感を覚えてしまって、それに加えてセシル君の扱いが悲しくて。
眉を下げて俯く私に、セシル君はぽんぽんとつむじを軽く叩いて来ました。
「別に平気だぞ、今は充分に満たされているし」
親父も今では何だかんだ価値は認めてくれてるからな、と笑って言ってますが、価値がないから愛されないってのはおかしいと思います。私が平和的な脳味噌をしているからかもしれませんけど。
「兎に角、今は楽しいから良い。分かったな?」
「……うん」
「お前もあともう少しすれば全快するから大人しくしてろ」
「はーい」
セシル君としてはこれ以上しょげたら嫌らしく、私の頬をぷにぷにしながら話題を打ち切られたので素直に頷いておきました。
過ぎた事、セシル君はそう割り切っているから、これ以上私がどうこう言える事でもありません。
漸く表情の戻った私に微かに安心したような吐息を空気に散らしたセシル君は、ふと思い出したように「そうだ」とテーブルに置いた箱をぱかり。
「ついでに土産だ。王室御用達の菓子店のプリン」
「プリンだ!」
この世界にも菓子を売り出す店はありますし、プリンというお菓子は存在します。
陶器とかの入れ物の関係で庶民には中々手出し出来るものじゃないのがカップ系生菓子関連なのですが、セシル君が持ってきたのはその中でもトップクラスに高い店のもの。
フィオナさんから存在を聞いて、場所をリサーチして保護者連れで買いに行こうとしていたのです。それを、わざわざ買って来てくれるなんて……!
「一応魔術で冷やしておいたから直ぐに食えるぞ」
「食べるー!」
あまりの嬉しさに元気良く返事をしてしまって、比喩表現ではなく諸手を挙げてしまった私、セシル君から微妙にあほの子を見るような視線をプレゼントされました。
分かってないですねセシル君、私はプリンが大好きなのですよ。かたーいプリンもとろとろプリンもどちらも愛せます。但し手軽にお皿に出せるプリンは認めませんが。
プリンには一家言ある、と胸を張ると更に呆れた眼差しが返されてしまうのが悲しい所です。
「……子供かお前」
「セシル君と違って子供ですもーん」
一足先にセシル君は成人したんですよね、見たかったけど熱があったし来るなと言われたので行きませんでしたが。そもそも儀式は基本神官様と自分だけで行うみたいですし。
……最近精神年齢幾つだ、って思う事もありますけど、もう大人の意識かなぐり捨ててます。
あまりにこの体に慣れ過ぎて、意識が体の年齢と合致しているように思えました。幼い体にずっと居れば、中身も幼くなってしまいます。だって周りから子供扱いされてしまいますし、それが当然だと思うようになってしまうから。
今の私は、多分昔よりも幼いのかもしれません。でも、これで良いとも思えます。不釣り合いな思考を持つより余程健全で。
……十四歳にしては幼いですけどね、この世界の子って成人が早いだけあって割とませてますから。
「……お前ももう少しで成人するだろ、プリンではしゃぐな」
「セシル君も覚えておくと良いのですよ、女の子は大概甘いものが好きなのだと」
甘いもので餌付け出来るまでは言いませんけど、甘いものあげたら喜ぶのが大半だと思います。
甘いものは幸せな食べ物、私が勝手に思ってるだけですけどね。でも疲れを溶かしてくれるあまーいお菓子、贅沢品だけど大好きです。
「お前を見たらよく分かった。……太るぞ」
「ふっ、太りました? 熱のせいであまりご飯食べられなかったんですけど、動いてなかったから消費が……」
「違う、甘いものばかり食ってたら太るって言ってるんだ。寧ろお前は食った方が良い」
熱でろくなもん食べてないだろ、と手首を掴んでは細さを確かめているセシル君。流石に手に出る程窶れた覚えはないのですが。
変な所で心配性ですよねセシル君。でも暖かくて嬉しいから、そのままにしておきます。
「じゃあ早速食べても良いですか?」
「そうしろ、お前の為に買って来たんだから」
「わーい! わー、四つもある!」
「全部食っても問題ないだろ」
「流石に食べられませんよー」
物理的には入るかもしれませんけど、摂取エネルギー的にそれは許容出来ません。胃がプリンで満たされるの、それはそれで幸せなんですけど……。
四つも食べられない、けど生菓子は衛生的に長持ちするものじゃないしさせるものでもありません。加熱してあるから少々平気だと思いますが、美味しいものは美味しい内に食べるべきです。
「ルビィに分けてあげよ。マリア、急がなくても良いからルビィ呼んできてあげて」
「畏まりました」
だったら幸せのお裾分けをしましょう。ルビィも私に似たのか甘いもの好きですし、きっと喜んでくれるでしょう。
……この世界にミュータンス菌が居なさそうで良かった、虫歯とか洒落にならないです。
マリアは私のお願いに一礼して、お部屋を出て行きます。この時間ならルビィは書斎で本を読んでいるでしょうし、見付けるのも容易い筈。
「あ、スプーン持ってきて貰えば良かった」
「先に言って用意して貰ってる。ほら」
セシル君が布に包まれたものを開けば、銀のスプーンが登場します。流石セシル君、抜かりはないですね。拍手を送りたいです。
「さあセシル君、あーん」
「自分で食え」
「折角だから手ずから食べさせて貰おうと思って。丁度スプーン持ってるし」
「人に恥ずかしい真似強いるな。はあ……ほら」
雛に餌を与えるように、スプーンでどちらかと言えば白っぽい生地を掬って、口許に近付けるセシル君。ふるんと今にもとろけそうな固さのそれを、私は待ちきれずにはむっと口の中に滑り込ませました。
舌に乗るととろりとほどけ、甘い香りとコクがダイレクトに伝わってきて眼差しも自然と柔らかくなります。
固めのプリンなら卵が多くて黄色い、柔らかめのプリンなら生クリームが多くて白い。これは後者の比率です。
決して液体にはならないけど口の中で程好くとろける最高の割合で作られたこれは、舌先で転がさずとも口内に広がりました。
甘さも計算されていてくどくなく、それでいて仄かに余韻の残る濃厚さ。甘過ぎると喉に突き刺さるのですが、これはそんな事なくてもっと欲しくなるような加減です。
この世界にもバニラビーンズはあるらしく、それが丁度良い量で使用されているから香りも鼻に優しく吹き抜けます。エッセンスのような紛い物ではなく、本物の莢と粒を贅沢に使ったからこその上品な味と香り。
しつこくなく、次の一口を食べさせたくなる上品な味ととろけ具合と言ったら……はぁ、至福です。
「おいひい」
飲み込むのが勿体ないと思いつつも、口の中にあるものがなくならないと感想も言えないのでこくんと飲み込んでから、素直な感想。
要らない装飾の言葉など必要ありません。美食家のように大袈裟な批評をするつもりもありません。美味しい、これに限ります。
食べたプリンにも負けない勢いでうっとりと瞳を細めて顔をとろかすと、セシル君は何か困ったように視線をあちこちに移動させてました。
「ありがとう、セシル君。凄く美味しいです」
「どういたしまして」
「もっとー」
「調子に乗るなあほ」
第二弾を所望する、とお口を開けたら微妙に頬を引き攣らせるセシル君。駄目?と首を傾げると、口を真一文字に結んで暫く葛藤した後、お口への配膳を再開してくれました。
「……あーもー、ほら食え」
「んー……」
「……餌付けしてる気分だ」
ぐったり気味に呟かれた言葉に、馬鹿にされているというよりはやっぱりそう見えますか、といった感じが強いです。
ジルにも同じようにされてて、あれは楽しげに餌やりしてますけど確実に小鳥扱いです。ぴよぴよとでも鳴いておけば良いでしょうか、多分今の状況はそんな感じです。
試しにぴよぴよと口で言って肩にかけたストールの両端を両手で掴んでぱたぱた。丁度黄色のストールだったので、ひよこっぽい感じがします。
私の行動に一瞬呆気に取られたらしいセシル君は、直ぐに視線を逸らしながら軽くスプーンを持った方の手で拳骨を落として来ました。痛い。
不興を買ったようで目を逸らされて拳でつむじをぐりぐりされたので、素直に止めておきましょう。攻撃された部分だけ膨れるとか嫌ですし。
「……はあ、これ食ったら寝ろよ」
「はーい。お兄ちゃんみたいですねえ」
「手間のかかる妹だなおい」
おにーちゃーん、と抱き付いたら怒られるので大人しくしておき、ちゃっかり次の一口だけはおねだりしておきます。
何だかんだで突き放す事のないセシル君が私に食べさせてくれる事は、分かっているのですよ!
「全く……」
「あっセシル兄さまだ! 姉さまにあーんしてるの?」
お口に運ばれる至福に頬を緩めていると、そろそろかと予想していた人が突撃して来ました。
ルビィも甘いもの大好きだから急いで来ると思ってましたよ。
「っこ、これはだな……お前の姉さんが駄々こねるから」
「駄々までこねてません、おねだりはしましたけど」
そこまで強くは我が儘を言ってません、精々おねだり程度なのです。食べさせてくれたのはセシル君の厚意なので、それに甘える形ですけども。
ルビィはセシル君大好きで兄さま兄さまと慕うくらい。今の私の状況が羨ましいらしくあどけない顔立ちを紅潮させて、きらきらと輝く眼差しをセシル君に送っています。
たじろぐセシル君、うるうる上目遣いなルビィ。どっちが勝つかなんて、賭けの対象にもならないくらい分かりやすいもの。
「ほらセシル君、あーんしてあげて」
「何でお前ら二人はこうも……」
案外セシル君って私達姉弟に弱いですよね、と呟いたら、無言でルビィに見えない位置で手をつねられました。自覚している私は質が悪いのでしょうが、悪用する気はありません。
そもそもセシル君が私に甘いのは弱ってる時くらいですので。常時甘やかしてるルビィとは格が違うのです、ルビィの方が優先順位上ですから。
「ルビィ、プリン取り出してセシル君に渡してあげて?」
「はーい!」
「おい、誰もするとは」
「だめ?」
うるっ、と湿った紅玉が上目遣いで懇願。まあセシル君が断れないのは自明の理です。
「ぐっ……お前ら、分かってやってるだろ……」
「そうですね、セシル君何だかんだでルビィに激甘ですから」
そんなの今更でしょう。
それに、私は知っているのですよ。ルビィと二人きりの時はちゃんと笑って撫でてやっているという事を。
ルビィから聞いてこっそり確認した後にからかってるので、確かです。素直に好意を示してくれる人にはとても弱いのがセシル君なので。
「……ほらルビィ、こっち」
「やったあ」
「……はあ……」
微妙にぐったりしてますけど、嫌がってないですし大丈夫。
渋々二羽目に餌やりを始めたセシル君に、私もーと口を開けたら私だけ然り気無くはたかれました。その後やけ気味にプリン突っ込まれたので、まあ満足なのです。
ルビィも幸せそうにはむはむしてるので、セシル君もルビィには文句一つ言わず餌を与えてます。私には不満たらたらだったというのに……これがルビィと私の差ですね。
二人して餌付けして貰ってご満悦な私達、対照的にセシル君はお疲れのご様子です。まあ交互にスプーン突っ込んでましたからね、それはおまけで精神的疲労っぽいですけど。
でもプリンは二つ残ってるんですよセシル君。まだお疲れには早いです。
……と思いましたが、流石に食べ過ぎはよくないので一個で我慢しておこうと思います。
「あと二つは、……そうだ、これなら母様も食べられると思うんです」
「ああ、そんな重くないだろうし身重でも大丈夫だろ」
「そうします」
母様も甘いもの好きだし、喜んでくれるでしょう。それに栄養補給も大切ですし。
ちょっと退屈してたので、此処はふざけてやろうと箱の中のプリンを取り出して、真面目な顔でルビィの手にプリンを託します。
朝の続きだと理解したルビィが、きりっと表情を引き締めて陶器の器を大切そうに持っています。まあどうしてもルビィなので可愛らしいお顔にはなってしまうのですが、本人は分かってないでしょう。
「ルビィ、貴殿に重大な任務を与えるのです。これを母様の元に届ける事、良いですね?」
「らじゃー!」
「健闘を祈るのです」
「いざしゅつじーん!」
朝の騎士ごっこ~戦場の伝令編~の続きを意識してプリンを持たせると、ルビィも真面目に、でもにこにこしそうなお顔で立ち上がります。戦況を知らせるものを抱えてお部屋から走って出て行ったルビィの背中に転ばないようにだけ呼び掛けては、弟のあまりの可愛さにくすくすと笑みを浮かべてしまいました。
セシル君は一連のやり取りをみて呆れ返ってますけど、気にしません。
「お前ら……」
「最近ルビィとこういう遊びしてるんです、何かお気に入りみたいで」
「ノリノリだなお前」
「騎士ごっこです。今日のはどっちかと言えば軍隊ごっこですけど。セシル君も参加しますか? 今なら参謀の役割あげますよ」
「しない」
「えー」
おままごとより楽しいと思うのですけど。結構シチュエーション考えるの大変ですし、設定もちゃんと考えてるのですよ。何気に凝ったごっこ遊びなのですが、セシル君は分かってません。
折角仲間に引き込もうと思ったのに、残念です。
まあ参加しない事は薄々分かっていたので、むう、と唇を形だけ尖らせつつ、箱の中に視線を移します。
ぽつん、と一つだけ残された、陶器。
「……あと一個余ってる」
「ヴェルフにやれば良いだろ」
「父様明後日まで帰ってこないらしいです、色々大変ですからね」
「……まあな」
父様この前は帰って来ましたけど、物理的な後処理と書類的な後処理に追われているそうです。
少量ならまだしも、大量にある魔物の死骸とか放置してる事で、腐るのはまあ良いですが血や肉の臭いで本来は関係ない魔物も寄ってくるそうで。素材を剥ぎ取るかはさておき、焼却なり土葬なりしなきゃいけないみたいです。
それだけ今回の魔物の数が尋常じゃなかったという事。森を抜けた平原で討伐していたのが幸を奏したのか、父様が一気に燃やす事で落ち着いたみたいです。父様が面倒がってましたが。
まあそんな後処理が終わっても魔導師の被害状況の把握やら、陛下に押し付けられた仕事やらで大忙し、というのが今の状況らしいです。父様に連行されてジルもお手伝いさせられてるみたいですね。
因みにセシル君は自分の受け持ちはさっさと終わらせて、ある程度手伝いをした上で此処に来たらしいです。どちらかと言えば頭脳派なセシル君らしいですね。
「んー、じゃあセシル君が食べちゃいましょう。食べさせてあげますよ」
「さっき何で自分で食べなかったんだよ」
「甘えてみようかと。セシル君、突き放せないから」
「あのなあ」
てへ、と可愛い子ぶってみるものの、自分で寒気がしたので直ぐに止めておきました。
代わりに最後のプリンとスプーンをとって、セシル君ににやっと笑って餌付け体勢です。
「はいあーん」
「自分で食べられる」
ですがセシル君はあっさりとスプーンとプリンを奪い取って、私の手を介する事なくプリンを食べ始めます。口に入れてから微妙に眉を寄せているのは、多分セシル君があまり甘いものを好まないからでしょう。
「……あま。よくこういうの好んで食べたがるな、糖分補給には良いかもしれんが……」
「最近は甘いものが好きな男子も一定数居るのですよ。ジルは割と好きだし、殿下だって好き、だし、」
……殿下、と自分で通称を口に出して、それからこの前の事を思い出して、言葉が止まってしまいます。
「……リズ?」
「……はー。……何で殿下って、あんなに私の事好きなんでしょうか」
「は?」
セシル君の呆れた眼差しを受けて、眉を下げるしかありません。
思い上がりだ、そう言われてしまうかもしれませんが、でも殿下の好意は多分本物です。小さい頃から側に居て、ずっと真っ直ぐに想いを向けられて来たから、今向けられる感情を痛感しているのです。
子供のピュアで性別を伴わない好意ではない、殿下は女として私を好いて伴侶として欲しているんですよ。ストレートな愛情表現だからこそ、分かりやすく、困ってしまう。
「好かれているのは重々承知しています。でも、何で好きなままなのでしょうか。私、酷い女だと思うのですよ」
何で殿下は私の事を好きなのか、分かりません。
最初はきっと、好奇心と憧れに近いものだった筈。自分の周りに居ないタイプの女の子だった、だから興味を持って惹かれてしまった。
私も時が経てば飽きてくれる、そう思っていたんです。
でも、違って。
今でも尚、殿下は私にひたむきな好意を抱いていました。
「……応えられるかも分からないのに、真っ直ぐに好意を伝えてくるから、拒めないんです。……嫌いじゃない、から。でも、それが殿下を傷付けてる」
「……婚約でも申し込まれそうなのか?」
「そうですね。……もう、出会って十年になるんです。何でそんなに好きでいてくれるのかなって」
そう、もう十年は経ったのです。両手でギリギリ数えられる年月が、過ぎたのです。
それなのに、未だに殿下は私の事を、好きだなんて。
私、殿下に好きだと言われても曖昧にしか返してないし、素っ気なかったし流してたのに。私の事諦めたり好きで居続けるのか、分からないんです。
私じゃなくても殿下を叱ってくれる人は居る、家柄がいい人も沢山居る、可愛い子なんか溢れています。何で、私なのか分からない。
膝の上で手を組み項垂れる私に、セシル君は少しだけ溜め息をついてしまいました。うじうじしてるから、でしょうか。
「……それだけお前が魅力的という事じゃないのか」
「……例えば?」
私の何処に魅力があるんですか、自分じゃそんな事分からないです。
「俺に言わせるのか。ジルにでも言って貰え」
「ジルは贔屓で褒め殺ししてくるから、もう少し客観的な意見が欲しいと言うか」
「……あくまで、客観的に、だぞ」
念押ししたセシル君、咳払いをして微妙に私から視線を逸らしながら食べかけのプリンをテーブルに置きます。
「……まあ、家柄は良いし魔導院の長の娘ってのは外的要因だな。それだけで充分に価値はあるし、ユーリス殿下とも釣り合う」
最初にセシル君の口から出たのは、私自身の魅力ではありません。立場として付加されたものであり、私の肩書きでしかないのです。
確かにそれだけ聞けば、殿下に妃として迎えられるくらいには立場があるのでしょう。一番上の爵位である公爵家ではないものの、新たな血筋を加えるなら充分です。
公爵家は基本的に遠縁ですが王族の子孫に当たる家系ですから、新たな血を取り入れるのであれば侯爵でも良いでしょう。
私がそんな事を聞きたいのではないと分かっているセシル君は、「それから」と続けます。
「お前自身の魅力となると、……それなりに見掛けは整ってるし、小さくてちょこちょこしてて可愛らしくは見える」
「小さいは余計なんですけど」
ちょっとそこに異議申し立てます。小さいのではなく可愛らしいサイズと言って欲しいです、チビとか言ったら怒りますよ。
それにこの世界の平均的な成人女性の身長からちょーっと低いだけで、小さいと言われるのは不服です。たかだか成人男性の拳一つとちょっとくらい。……うん、ちょっとですよ?
もうちょっと真面目に、と頬を膨らませた私に、セシル君は「立ってみろ」と一言だけ。
恐らく私に現実を見せようとしているので、嫌だとは思いつつも立ち上がると浮き彫りになる身長差。セシル君の鎖骨辺りに私の頭の天辺があります。フィオナさんなら顎の辺りにあるので、色々と虚しくなって来るのですが。
……だって、身長とか体格は母様譲りなんですもん。父様の遺伝子は目に使い過ぎて背丈に使われなかったんですもん。
「ほら、実際小さいだろ」
「……胸は大きくなったもん」
「あほか、俺にそういう報告は要らん」
これでも成長したのに、と不満も露にベッドに腰掛けたら、セシル君はばっと目を逸らして同じように椅子に座ります。そこは恥ずかしがるんですね。
暫く無言の後、頑張って気を取り直したらしいセシル君は顔だけを見てこほん、とまた咳払い。
「あと、魔力の豊富さも魅力と言ったら魅力だな。お前みたいなのが血筋に入れば、子孫も魔力が期待出来るってのもある」
「……何か、全部私自身の事じゃないです。家柄も、見掛けも、魔力も、両親のお陰なのに」
セシル君の言った事は、私の中身のお話ではありません。私の入れ物や置かれた環境に対する魅力です。
それは魅力的なのかもしれません、でも、殿下が惹かれたのはそこじゃないと思うんです。私の中身の、何処が良いと思ったのか。
「……でもお前の中身が一番の好かれる要因だ」
「……具体的に、何処が……?」
「大人びてるんだか子供っぽいんだか分からんし無駄に無茶するし、元気ではちゃめちゃな癖に変な所でしょげたり大人ぶってみせたり」
「それ貶してませんか」
気のせいですかね、短所ばかり挙げられている気がするんですけど。
む、と眉を寄せた私にセシル君は苦笑いして、でも柔らかい眼差しで私を覗き込んで、ぽんと頭を叩きます。
「……だけど、家族想いで友達想いな奴で、努力を欠かさない奴だ。自己犠牲が激しかったりするが、それも大切な人を想うが故にってのも分かってる。無茶は止めろと思うが」
「……ごめんなさい」
「もっと反省しろ」
今度はびよんと頬をつままれたので、いひゃいと抗議しつつも、少しずつ胸が温かくなっていくのは感じていました。
「……偶に子供っぽくて無邪気で、無茶ばっかするけど頑張り屋で優しくて、変に気遣ったり鈍かったりするけど一生懸命な奴。……だからこそ、支えてやりたくなるし、手に収めておきたくなるんだろ」
「……セシル君」
優しい声音で「仕方のない奴だからな、お前は」と呟いては穏やかな笑みを湛える口許を眺めて、自然と私の口許にも笑みが浮かびます。
……そう言われると、何だか温かい気持ちになれますね。擽ったい、というかむずむずして、照れ臭いです。真正面からセシル君にこういう事言われるなんて、思ってもいませんでしたから。
こそばゆくて、むず痒さに笑みでそれを誤魔化す私に、セシル君は一瞬呆気に取られたように目を丸くしてから、ぷいっとそっぽ向いてしまいました。
「あくまで客観的な意見だからな」
「ふふ、手に収めておきたくなるんですか?」
「だから俺の主観じゃないと」
全部が全部セシル君が正直に思ってる事じゃないのは分かってますよ。でも、多少なりとそういう温かい気持ちを抱いてくれているのかなあって。
支えたくなる、と言ってくれましたが、実際セシル君も支えてくれてるのですよね。私が迷惑一杯かけても、何だかんだで助けてくれるし。
手に収めたくなる、というのは、ジルはその意識が強い気がします。そもそも物理的にしょっちゅう腕の中に収められていますから。
「……皆抱き締めてくれますけど、そんなに私って危なっかしいですか? ジルにも言われましたし」
「とてつもなく危なっかしい」
「そこまではっきり言わなくても」
真顔できっぱりと言い切られたので、ちょこっと我が身を振り返ってみます。
えーと、誘拐されて逃げ出して死にかけた、伯爵子息に目を付けられて決闘した、セシル君と和解するために魔術の嵐の中を強行突破した、反乱で死にかけた、魔物の侵攻で全力使い果たして翼竜に殺されかけた。
うん、結構危険な橋を何回も渡ってますね。
「危なっかしくて、いつか消えそうで怖い」
「……消えたりしませんよ。ほら、此処に居るよ」
セシル君にしては珍しく、仄かに不安を混じらせた呟きに、私は苦笑を零してそっとセシル君の掌に自分の物を重ねます。
私がまだ微妙に熱気味なのでひんやりした手は、私の手からゆっくりと緩やかに熱を移されています。生きている証、何処にでもなく此処に居るという証明。
「ね?」
「……熱いぞお前」
「熱がありますから。……というか、セシル君の顔の方が熱そうですけど」
手は冷たくても、セシル君のほっぺが気付けば赤くなっていて、少しだけばつの悪そうな顔をしていました。
試しに頬に掌を添わせると、私の掌と然して変わらない温もり。照れてるんだろうなあって簡単に分かってしまいます。一番付き合いが長いのは殿下ですけど、セシル君だって七年は一緒に居ますから。
「……うるさいな、慣れない事言わせる方が悪い」
「それはごめんなさいですけど。……ありがとう、セシル君」
「……どういたしまして」
人付き合いが不器用で素っ気ないセシル君ですけど、心根は真っ直ぐでとても優しい事は知っています。寧ろ私が一番に発見したんですもん。
形だけ刺のある口調にふんわりと微笑んで、やっぱり私は幸せ者だなあと実感した今日この頃です。