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初めて見た外の景色と戦場

この話には残酷描写が含まれています。苦手な方はご注意下さい。

 生まれてこのかた外壁の外に出た事がない箱入り娘、というか一般市民は割と生涯外に出る事がない人が多そうです。農家の方々はそもそも外壁の外にある魔物避けの施された集落で自活していたりするそうな。

 外壁の中には畑を沢山作る程土地がありません。となるとお外に出て作るしかない。

 今は魔物の大群が押し寄せて来ている危機的状況ですが、普段はそんな事はなく人里近くに魔物が出る事は殆どないそうです。出てきたらやってられませんよね。今の状況が異常なのだとよく分かります。


 初めて外の景色というものを見ましたが、思った以上に緑に溢れていました。

 外壁の周囲は平原が広がっていますが、可憐な野花や青々しい草木が所々に生えていました。爽やかな風が吹けば青草が揺れて何とも言えない自然の光景が見えます。

 こんな事態でないなら、ゆっくりと眺めて寝転ぶのも一興、そう思える豊かな自然の光景でした。


「……ピクニックしたいですね」

「無事に帰って来てヴェルフ様に調査を命じられた時に、また考えてあげますので。今は先を急ぎましょう」

「分かってます」


 ちょっとした願望にも現実的な言葉を返されて、もう肩を竦めるしかありません。それくらい理解してますから、今そんな事考えてる場合じゃないって事も。

 でも、これから命を奪いに行くのですから、少しくらい現実逃避をさせて欲しかったです。


 やっぱり戦うのは怖いんだな、と自分の弱さを感じつつも、決めた事だし覆すつもりもありません。

 覚悟を決めていると言わない代わりにジルにしがみつくと、ジルは少しだけ困ったように息を吐きながらも「大丈夫ですよ」と呟きます。……そう、大丈夫、私は守ってみせる。父様母様の笑顔を、ルビィの安全を、私の平穏を。




 暫く馬を走らせると、森に突入しました。前世でもこんなに深い森は初めてで、何だか箱入り娘という事を再確認してしまいました。


 そして、馬でも移動出来ない狭い場所。先んじて交戦している方々も同じ判断をしたらしく、馬は適度に伸ばされた縄にくくりつけられていました。

 此処からは、徒歩。


 それに何ら不満はありませんが、進むにつれてどんどんと不穏な雰囲気が漂い始めるから、不安が煽られてしまいます。

 先導してくれる魔導師さんの後ろをジルと手を繋いで……というか引かれて歩きますが、所々焦げた後があったり、木に切り傷があったり。肉の焦げた嫌な臭いや僅かな腐臭が鼻を掠めて、眉を顰めてしまったのは許して欲しいです。

 気付けば先程の爽やかさはなくなり、徐々に鬱蒼とした森と戦いの気配が深まっていました。




 そして、少し開けた場所。


 視界が広がって、そして見えた物に堪らず口許を覆いました。


「……酷い」


 積み重なる、魔物の屍。全部の個体が痛みに悶えながら死んだのだと思わせる、苦痛に歪んだ顔で息絶えてました。

 本の挿絵でしか見た事がなかった、知らない生き物。動物の骨格を基本としているからか、酷く生々しい。

 幻想生物のような魔物も居ますが、大半は私の知るような動物を変化させたような魔物。狼や熊、鹿などに似た生物が、紅を広げて折り重なっているのです。


 死因は様々でした。剣で切り裂かれて絶命しているのも居れば焼かれて命を失った魔物、魔術で岩を落とされたのか圧死して体を爆ぜさせた魔物、凍り付いて砕けている魔物と吐き気には事欠かないパターンの数々。


 そんな死体が無造作に積み重ねられていて、胃が引き絞られるような嘔吐感を覚えます。腐臭と血臭も濃密になり、気持ち悪さを加速させていました。

 そこらの地面が斑に濃くなっているのは、生命の証が撒き散らされているからだと悟ってしまって、込み上げる吐き気を堪えるのに必死です。かぴかぴに乾いた濃い赤茶の不揃いな水玉が、何処か恨みがましげに辺りに散っていていて……怖くて、体が震えてしまいました。


「相当な数が居ますね、まだ向こうが騒がしい」


 私にとっては目を塞ぎたくなるような光景にも、ジルは動じた様子がありません。平然と辺りを見回しては状況確認をしつつ、私の背中を擦ってくれます。

 それだけ場数が違うのでしょう。私と違って、ジルは血を見る事に慣れてる。不馴れな私を気遣えるくらいには、余裕を持っていました。


「……そこの騎士、今ロラン様は?」


 私を支えながらも辺りの警戒を怠らないジルは、直ぐ側の木に凭れかかっていた騎士様を見付けては声をかけます。

 私も恐る恐る視線を移すと、私の見知った騎士様。教える度に若干挙動不審でおろおろとしていた若い騎士様が、木を背凭れにして腰を下ろしていました。


 あ、と思わず声を漏らして目を瞠ったのは、その騎士様の左腕がおかしな方向に曲がって腫れていたから。見るからに痛々しいそれを動かさないようにじっとしている騎士様は、苦痛に顔を歪めて居たものの私達を見て少しだけ安堵したようでした。  


「ロラン隊長は、前線に。この付近の魔物は全て討伐しております」

「そうですか。では近寄れる所まで近寄りましょう」


 短く頷いたジルが私の手を引きますが、私の脚は縫い止められたまま。せめて、この腕を治してから行きたい。


「治さなくて、」

「時間が惜しいです。この方を手当てする時間と魔力があるなら、一刻も早く前線に行って魔物を倒した方が良い。死ぬような傷ではありませんから」

「でも、 」

「リズ様は何をしに来たか、お分かりですか」


 私が知っているジルよりもずっと冷酷な瞳で、強い眼差しを私に向けるジル。びく、と肩を揺らしても、その瞳は和らぎません。

 そんなの、理屈では分かっています。効率を考えればそうした方が良いって事くらい。見捨てるなんて出来ない、けど行かなければ更に被害が増える。

 ……そういう決断が直ぐに出来なければ、足手まとい。そう言われている気がして、きゅっと胸が締め付けられます。

 息が少し苦しくなったのは、罪悪感のせい。


「……ごめんなさい」

「いえ、僕に構わず先に。どうせ、剣が折れて役に立ちませんし。後から補給部隊と治癒師が来ますから」


 地面に転がっている、腹から真っ二つに折れた剣を無事な方の手で指差しては気丈に笑う騎士様。

 私に心配をかけさせまいとしているのでしょう。顔色が悪いのは分かるから、耐えているのだと直ぐに見抜けますが……この気遣いを無駄にする訳にはいきません。

 申し訳なさで胸がつっかえたような感覚を覚えつつも頭を下げて、ごめんなさいと小さく謝って、ジルの手を握ります。


「行きましょう」


 現実を思い知らせてくれるジルですが、それは私を、ひいては全体を思っての事。俯く私に柔らかい温もりをくれます。一瞬だけど頭を撫でてくれて、私の手を引っ張ってくれて。

 此処で立ち止まる訳にもいかない、それを分かっている。


 震えた手を宥め落ち着かせるように握って私を伴うジルに、改めて覚悟を迫られているような気がして私は前を強く見据えました。




 魔導師さんに案内された、所謂前線と称するであろう戦いが間近な場所は、怒号が飛び交っていました。

 魔物の数が尋常ではない。騎士団や魔導師の人数で対処しきれる数ではありません。魔導師の方が捌いて分離させ、そこを騎士団の方が個別撃破していますが、それでも数が足りていません。

 何とか拮抗状態を保てているものの、ほんの一押しがあれば直ぐに傾いてしまうでしょう。


 先導してくれた魔導師さんはそのまま加勢に行ってしまいました、私達は私達で行動しろという事でしょう。ロランさんに指示を仰げば良いのは分かりますが、肝心のロランさんが見付からない。


 ジルは「全体を把握出来る場所に居る」との予測で、私の手をしっかりと握ってずんずんと進んで行きます。

 直ぐ側では皆が魔物と戦っていて、騎士団の方が剣で鹿のような魔物の胴体を両断しているのを見てしまい、今にも目を逸らしたくなりました。

 でも、これから私も同じような事をするのだと思えば、堪えなければなりません。ジルは通りがかった騎士団や魔導師の方が苦戦していたら、案内の片手間で救援していて、実力が飛び抜けているのだと痛感させられました。


 私も手伝うべきですが、何かをする前にジルが全部してくれる。恐らく、なるべく私に手を汚させないようにしているのでしょう。

 今の内に覚悟を決めておけ、そう言われている気がして、私はジルの手をしっかりと握ります。


「ロラン様、応援に来ました」


 中央の辺りで魔物を根絶やしにせんばかりの勢いで魔物を屠り、魔術で殲滅していくロランさん。

 端整な顔立ちには細かな赤色がついていて、それが何なのかは言わなくても分かるから少しだけ視線がさまよってしまいました。


 話をするにも周囲の魔物を一掃してから、とジルは最小限の魔力で氷の魔術を使い、確実に心臓を貫いては息の根を止めていきます。多分風とかで切り裂かなかったのは私に配慮しての事なのでしょう。

 今度こそ助太刀、と思ったのに、ジルに制されてまた私は役立てずじまい。……怖いけど、覚悟はしてるのに。


「助かった」


 ひゅんと風切り音を立てて飛び掛かって来た狼のような魔物を切り裂いたロランさんは、剣に付いた血を振り払って落としている所でした。

 びちゃり、と地面に叩き付けられた紅の濃密な香りに、船酔いするような感覚。一瞬視界が回りかけて、ジルの掌から伝わる温もりにぎりぎりで踏み留まっています。


 普段は無愛想ながらも根底の優しさは分かったロランさん。でも、返り血を浴びて尚冷徹な瞳で周囲を睥睨しているロランさんは、美しくもあり、ぞっとする程怖くもある。

 仕事だと分かっていても、その無慈悲な瞳と表情に後退りたくなってしまいました。いけない、これでは。ロランさんもしたくてしている訳でもないのに。


「何処に行けば?」

「……右翼が戦力的に危うい。そちらに行って貰えると助かる」

「分かりました。行きましょう」


 ジルに背中を軽く叩かれても、反応を返すのに暫く時間を要しました。訝ったジルが「リズ様?」と心配そうに声をかけてきて、漸く強張った体が少し自由を取り戻します。


「はい、行きます」


 ……こんな事で、止まっていられない。皆の安全は、今この場に居る人間に委ねられているのだから。


 ロランさんの指示に従って人手が足りていなさそうな方向に二人して走ると、奥には突撃槍のような鋭利な突起となった岩に貫かれて死んでいる魔物の数々。それでもまだまだ魔物は居て、次の波が数分後には押し寄せようとしている所でした。

 迎撃せんと幾人もの騎士様や魔導師さんが体勢を整える中、此方に背を向ける銀髪が目に入ります。


「セシル君!」

「リズ!?」


 心配していた人が無事に立っていて、それだけで泣きそうなくらいに嬉しい。

 振り返ったセシル君は顔に疲労の色こそ浮かんでいますが、目立った外傷はありません。近付かれる前に仕留めているのでしょう。


 泣くのを堪えて駆け寄ると、驚愕に目を瞠りつつも抱き付く私の事を受け止めてくれます。直ぐに引き剥がされて無事を確認されましたが。

 それはお互い様なので良いですし、セシル君が無傷だと分かっただけで安堵してしまい、じわっと涙腺が緩み始める。

 見るからに泣きそうな私に、セシル君は慌ててぐしゃぐしゃと頭を撫でて些か乱暴な宥め方。同じく駆けて来たジルに私を預けては困ったような顔を浮かべていました。


「……はー、って事は拮抗状態が崩れかけって事か。情けないな」

「いえ、……多分父様も、こうなる事を見越して私にジルをつけたのだと思います」


 多分、一人じゃ此処まで辿り着けませんでした。きっと一人で怯えて使い物にならなかったでしょう。


 未だに慣れなくて脚が震えそうになっている私に気付いたのか、セシル君は眉を下げてから今度は優しく頭を撫でてくれます。頑張ったなとか慰めではなく「頑張れ」と言ったセシル君はよくこの状況を分かっている。それだけ危機的状況なのでしょう。

 ……頑張らなきゃ、セシル君もこんなに頑張ってるんだから。


「取り敢えず参戦します」


 セシル君に元気付けられて自分を奮い立たせる私に、ジルは私達の前方を見てはすっと冷静な瞳になっています。

 そう、まだ魔物はやって来る。なら疲弊しているセシル君達に変わって私達がやらないと。


「……これより加勢します。指示をお願いします、セシル君」

「難しい事は言わんから、兎に角来るやつを倒せ」

「了解しました」


 最後にぽんぽんと頭を撫でて貰ったから、頑張れます。ジルも背後からぎゅっと一度だけ抱き締めて微笑み、それから直ぐに鋭い眼差しで魔物の群れを見据えました。

 波と表現するのが相応しい、押し寄せる数。


 これが私の初陣なんだと思うと恐ろしくて震えてしまいそうでしたが、唇を噛み締めて顔を上げます。

 

 ……やらなければ、私の大切な人が傷つけられる。


 すぅっと息を吸い込んで体内の魔力循環を落ち着けてから、私は迫り来る魔物達の猛攻を止めるべく、幾つもの魔術を発動手前まで魔力を流し込みました。


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