不穏
回数をこなせば、大分慣れて来るもの。何事も経験なのだと分かります。何回も教えていれば、効率の良い教え方もその人の癖とかも徐々に把握出来ました。
それは向こうも同じらしくて、私の性格を掴んだらしく結構に親しげにしてくれます。というか以前ルビィとのやり取りで私の素が露見してしまった為、威厳も何もない状態になってました。ちょっと此処は不満なのですが、まあ慣れ親しんでくれたなら良いでしょう。
何処か緊張気味だった皆さんも、私がただの小娘だと分かると普通に接してくれます。というか可愛がられている気がします、子供として。
教えに行けば「リズちゃんお菓子食べる?」とか「お兄さんと仲良くお昼寝、いでっ」とか言われますし。後者は後にロランさんにぶん殴られてましたが、それでも楽しく仲良くしてくれるみたいでした。
微妙に斜に構えてたクラウスさんも、今ではそれなりに態度が軟化して素直に授業受けるし適度に話し掛けてくれます。彼は新手のツンデレだったのではないかと思う今日この頃。
まあ順風とも言える事の運びでほっとしていた私なのですが、それは長くは続きませんでした。私も騎士団の皆様も原因ではない事柄によって、平和は崩れました。
週に一回若しくは二回の授業。最近では一回り歳上の方にお菓子で餌付けされてる感否めないですが、お菓子に罪はないのでありがたく頂く先生タイム。あ、ちゃんと授業はしてますよ。
今日もそんなのんびりした時間になるのだろうな、と予想して騎士団の集まる所に赴くと……入った瞬間、ピリッと肌に刺激が来ます。物理的なものではないですが、針が肌を刺すような錯覚を覚えてしまいました。
静電気にも似たその感覚に肌を擦りつつ皆様が集まる場所に近付くと、此方に気付いた様子はないのか皆様深刻な顔付きで話し込んでいます。あの陽気な副隊長ことクルツさんも、真面目な表情で眉根をひそめておりました。
盗み聞きは悪いとは理解しつつも何事かと耳を澄ませて見ると、「後数十年は来ないのではなかったのか」とか「俺達で対処出来るのか」とか、そんな会話が引っ掛かります。
……何か、厄介事が起こっているのは、少ない情報でも理解出来ます。
「……どうかなさいましたか?」
これ以上は聞かないと分からないだろうと結論付けて声を投げると、一斉に視線が此方に向いて思わず後退り。いつも向けられる暖かな目ではなく、騎士団としての凛々しさと険しさに満ちた瞳で、少しだけ怖く感じてしまいました。
私が怯えてしまったのが分かったらしく、皆様柔らかい眼差しに戻るものの、表情の強張りは隠せていません。何処かどうしようかと悩むような視線が、ほんのりと混じっています。
「えーと、リズ嬢ちゃん。……あー……隊長、任せた」
「……リズベット嬢、暫く魔術の訓練は中止だ」
「え、」
クルツさんの変なパスに応えたロランさんの台詞に、私の目が真ん丸になります。
いきなり過ぎて、何が何やら。そりゃあ頼まれて教えに来ているだけですし、依頼人が今は良いと仰るならそれに従います。
ただ、それは唐突で、理由が知りたい。今彼らが抱えている不穏な雰囲気が関与している事は間違いないでしょうが。
「少し此方の事情が立て込んでいるのでな。用事が終わり次第、教えて貰えると助かる」
「ええ、それは構いませんけど……」
「……リズ嬢ちゃんに参加させる気はないんだな。まあ分からなくもないんだが」
「……手伝って貰った方が確実性は上がると思うんですけどねー」
「え?」
ヒントになりそうなクルツさんとクラウスさんの言葉に聞き返すと、ロランさんが彼らを睨んで縮こまらせている所でした。クラウスさんは兎も角、十歳近く歳上のクルツさんを黙らせる眼力とは一体。
「お前達、いい加減にしろ。……此方の事情だ、気にしないでくれ」
「は、はい」
そんな事言われたら余計に気になる事を知っているでしょうに、それでもロランさんは私を突き放すように壁を作ります。
私に関わって欲しくない事、でも私が入れば助かる事。……何だか、言い知れない不安を感じて、私は眉を下げて拳を握りました。
「リズ、暫く家を空ける。ルビィとセレンの事は頼んだぞ」
そしてその不安は、騎士団内だけでは終わりませんでした。
研究室に戻ろうとした私に、父様が何処か焦ったように駆け寄って来ては肩を掴みます。
いつも鷹揚というか奔放でお茶目な人なのですが、今日この時はそうではありません。真剣な表情で、普段見せる気さくな表情など何処にも見当たりません。
前にも似たような表情だった事が、ありました。
そう、あの時は、反乱の前で。
「……何処に、行くので?」
急に不安が増して、私は肩にかかる手を退けて今度は縋り付きます。
抱き付くにも似たこの体勢ですが、普段の父様なら喜んでハグしてくれるのに、今日ばかりはそのまま。ふざけたりしない、真摯で何故か不安感を煽る程固い眼差しが私に降り注ぎました。
「ちょっと野暮用でな」
「……また反乱とかじゃないですよね、危ない事とか、」
「流石に再び反乱とか起こる訳がないだろう。まあちょっとした用事だ」
反乱には首を振った父様。
……でも、危ない事、には否定の意思は見えません。つまり、何か危険がある事に身を投じるという事。騎士団の事もあります、多分その関係なのでしょう。もしかしたら、父様から騎士団の方に口止めがされているのかもしれません。
私に関わって欲しくない程の何かが、起こってる。
「……絶対に、帰ってきて下さいね」
「当たり前だろ」
この言い知れぬ不安感に、体が勝手に父様を縫い止めようとします。口では送り出すような事を言っているのに、身体は父様にしがみついて引き留めようとしていました。
こんな事しても、父様を困らせるだけだと分かっているのに。離さなきゃいけない、それでも父様の温もりは手離し難くて、逞しい胸に顔を埋めては密着。
少しの間だけ、父様を独り占めさせて下さい。危ない所に赴くかもしれない父様の身を、案じさせて下さい。
父様も私が何かに気付いているのを察したらしく、「大丈夫だから」と優しく囁いては私を抱き締めるのでした。
そして名残惜し気に離れては父様を見送った後、研究室に戻ると……セシル君が、いつもと違う格好をしていました。
普段は研究室だと面倒がって適当な、といっても上品な服装で過ごしているんです。略式のローブですら袖を縛って肩から羽織るくらいしかしません。
そのセシル君が、今ばかりはきっちりと魔導師のコート、それも実戦用の加工が施されているものを着て、何処かに行こうとしていました。
「……セシル君?」
「げ」
此処でも不穏の気配が見えて眉を下げながら窺うと、セシル君はやべ、と言わんばかりの顔で目を逸らします。何かを隠している事なんて、ルビィでも分かりますよ。
「げって何ですかげって」
「気にすんな」
「気にします」
皆何処かに行こうとするし、こんなに嫌な予感がするのに気にすんななんて気にするに決まってるでしょう。
「あー、えっと、悪いがリズ、この魔術書の修繕を頼む。やり方は分かるな? 暫くその修繕を家でやっといてくれ。当分魔導院には来なくて良い」
「……何で?」
「良いから」
子供に言い聞かせるような、柔らかくも反論を許さない口調に眉をひそめてしまったのは、許して下さい。
どうして、皆私に隠そうとするのですか。そんなに私に言えない事なのでしょうか、私に知らせてはならない事なのでしょうか。
理屈では、納得出来ます。私に知られないように箝口令が敷かれているのは、私が知ったら首を突っ込もうとするから。おいてけぼりが嫌な私が、力になろうと余計な事をするから。
それは分かっていても、感情が納得出来ません。皆危険な事をしようとしているのでしょうに、私だけ誤魔化して偽りの平穏で包み隠してしまおうだなんて。
「……セシル君。セシル君は、昔言った事を覚えていますか?」
「は?」
保湿してある唇を噛み締めれば、ぐっと食い込む歯。下手したら血が出てしまう加減の力で唇に歯を突き立て、真っ直ぐにセシル君を見上げます。
「セシル君は、言わない方が不安になるって言いましたよね?」
『黙ってた方が不安になるとか考えないのか?』
確かに、セシル君はそう言ったのです。何も知らされないでどうして良いか分からずに困惑していた私を見かねて、セシル君はそう擁護してくれた。
そのセシル君が、同じ事を繰り返してどうするんですか。あの時のセシル君が見たら、否定されちゃいますよ。
蟠りを顔に露にして胸元に縋り付くと、ぐっと喉を詰まらせたような表情に変わるセシル君。緩やかに葛藤の窺える瞳になり、「あー」とか「くそ」とか、舌打ちに近いものが混じった呟きが耳を打ちます。
「……分かったよ、ああもう……今更あいつらの気持ちが分かるとは」
繊細な銀糸を掻きむしるように指で乱し、額を掌で掴むように押さえたセシル君は少しぐったりしたような声でした。
私が無理を言ったのは、承知してます。でも、何も知らされないままもしもの事があったら、私はその時聞かなかった自分を、何も出来なかった自分を後悔します。
「近隣に、魔物の大群が現れたんだよ」
「……魔物」
あまり聞き慣れない単語は、数回聞いた程度のもの。外壁の外に存在する、魔力を持った生物。
本で読むしかない存在が、今身近に迫って来ている?
「数体なら普通にある事だし、魔物避けした街道付近にも現れる事もある。それは直ぐに討伐される。余程強い個体が出ない限り、危険性は然程ない」
「……でも、騎士団と父様が駆り出されるって」
「そうだな、……お前の想像通りだ。俺達が産まれる前にあった大規模侵攻程らしい」
セシル君の薄い唇から零れた単語に、私の頬も自然と強張ります。
大規模侵攻。
一度ロランさんに聞いた事がありました。私が生まれる前に、一度あったと。魔術師や騎士様がかなりの数送られて犠牲を出しつつも退けたのだと。
私には、そんな事が頻繁に起きてしまえば国が成り立たないし、起きるとしても何十年、下手すれば百年単位で起きるくらいのものという認識でした。
……それが、よりによって、今?
「まだ公にはされていないし、大きな群れと言ってもそれが幾つかの群れに分かれている。合流前に叩くって訳だ」
「……だから、父様が」
「討伐する為に、先んじて戦闘向きの魔導師と騎士団の小隊が動いてる。ヴェルフやロランの所だな、俺も呼ばれてる」
「……だから、皆」
「お前を危険から遠ざけたいんだよ」
案ずるような柔らかい口調で、仲間外れを暗に示すセシル君。
……何で、皆私だけ。私だって戦えるのに、そこら辺の魔導師よりは魔力豊富だから継戦能力だってある、広範囲のものも扱える。攻撃魔術だって、使えるのに。
「セシル君だってまだ子供じゃないですか! どうして私だけ」
「……お前、女の自覚あるか? 一応アデルシャン家の長女だぞ」
「そんなの、フィオナさんだって女ですし、セシル君なんかシュタインベルトの嫡子じゃないですか!」
私が駄目と言うならセシル君だって駄目じゃないですか、公爵家の跡継ぎなのに。私は女だから継げるかも分からないし、ルビィだって居る。
納得がいかなくて胸倉の辺りの布地を掴んで見上げると、とても困ったような顔。それでも、譲る気は見えません。
「どうして私だけ、」
「……リズ、お前はまだ見習い扱いなんだ。俺やヴェルフの庇護下にあるの、知ってたか?」
「っ、」
……そんなの、知ってます。
入ったばかりで、大してお仕事もなくて。危ない仕事なんか回って来ない、予想していた犯罪者の取り締まりとか、お外の簡単な魔物討伐とかも回ってこなくて、セシル君の側でお手伝いの日々。
それが誰に手回しされてたかなんて、分かってます。
でも、でも。
「俺は何年も此処に居るし、魔物の討伐経験がない訳じゃない。お前と違う。……お前は未経験だし、生き物を傷付けるには安定してないだろ」
その言葉に、私は改めて自分の弱さを叩き付けられました。
「……本格的に侵攻があったら、お前も駆り出されるんだ。何もない事を祈って、大人しくしてくれ。頼む」
言葉を失った私に、セシル君は懇願に近いような響きで優しく囁いては、躊躇いながらも私を抱き締めます。
……いつの間にか、大きくなったセシル君。もう直ぐ成人するセシル君は、殆どジルと変わらない背丈にまで伸びていました。そしてきっと、もっと大きくなる。
成長を止めてしまった私は、おいてけぼりにされてしまったような気がして。
この手が離れたら、もうセシル君は行ってしまう。父様もロランさんも、私を案じて旅立ってしまった。セシル君も、行ってしまう。
どうして自分はこんなにも弱いのだろう、と悔しくて仕方なくて、セシル君の胸に額を当てて不甲斐なさに唇を噛み締めました。