ユリアのおつかい・前編
随分長い間放置してすみません。お久しぶりな洋風射手座です。
さて、謎の前後編ですが、暇があればお読みください。
「にゃーにゃーにゃー」
鼻歌混じりにトテトテと歩くのは、一人の少女。見た目からすると、歳の頃は九かそこらだろうか。短めな緑色の髪からは可愛らしい猫耳がピョコンと飛び出している。
「あ、さかにゃー!」
小川の上に架かる橋を歩いていた少女は、その小さな身を乗り出して橋の下を覗いている。今にも落ちそうなくらいの姿勢は、傍に人がいればハラハラさせられること間違い無しだろう。
「そうだ、おつかいおつかいー」
ふと、何かを思い出したのか猫耳の少女は立ち上がり、脇に置いていたカゴを掴んで歩き出した。
「にゃんにゃんにゃ〜……ん?」
少女の猫耳がピクンとはねた。少女は振り返るが、
「……だれもいにゃい? へんにゃのー」
そこに何かがあるというわけではなく、少女は気のせいだと思うことにして再び歩き出すのだった。
そして、そんな少女を物陰から見つめる人影が。
「……危なかった。というか、何で気づいたんだ……?」
ふう、と一息吐いた人影は、しかし少女から目を離すことはない。
油断無くターゲットを追う視線は……獲物を狙うそれではなく、寧ろ子を守る親のそれで。
「何事も無いといいんだが……ユリアだからな……」
心配そうな呟きは、少女ユリアを見守る婚約者、すなわち渡良瀬晋一によって発されたものだったりして。
「さて、無事に帰ってこれるかね」
買い物用のカゴを持たされて一人でおつかいに行くユリアと、それをこっそりと尾行する晋一。
一体、どういうことなのか。
事の発端は一時間前……。
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「あ……」
「ん、どうしたエレン?」
「いえ、夕飯の材料が足りなかっただけです」
エプロン姿のエレンが少し困った顔で言う。
二十人は余裕で暮らしていけるだろう大きな家の、まだ新品同様に綺麗なキッチンでのこと。
昼食の後片づけを手伝っていると、エレンが不意に声を上げたのだ。
「何が足りないんだ?」
「何がと言うと……えっと、野菜が幾つかと、後は調味料です」
「了解、買ってくるよ」
あれとこれと。足りない物を聞いた俺は、出かける準備を整えるために一度自室に戻った。
猫人族の町に建っている、族長の家よりは小さいがグレードは見劣りしないだろう、庭付き一戸建て。
それが俺の……俺たち家族のマイホームだった。ちょっとデカすぎる気がしないでもないのだが、その内子どもができた時のことを考えろと周囲の人々に言われた結果だ。
今はまだ、七人だけだがな。
『私を忘れてますよマスター』
「……モノローグに反応すんなって」
右腕のブレスレットが無機質ながら不満そうな声で指摘してくる。この家にいるのは、正確には七人と……ハルは何て数えるべきなんだ?
まあ、そんな感じの家に、今は住んでいるわけだ。前々から考えていた居を構えるという夢は、つい一月前に叶えられた。俺の家族たち、中でも亜人娘たちは実家がリュケイア大陸にあるため、この家もリュケイアに建てられている。リオス大陸だと勇者である俺たちには過ごし辛いということも理由だった。
異世界アークに来て、もう三年は経つ。女神を殴って、人間と魔族が共存政策に乗り出して二年と少し。アークは様々な点で変化を見せていた。
俺が今持っている財布も、その一つだと言えよう。以前は物々交換が主流だったこのリュケイアにも、貨幣が流通するようになった。亜人族は最初こそ手間取っていたものの、すぐに順応できたようである。貨幣経済のおかげで猫人族の町だけでなく犬人族の集落も発展を見せたのだが、細かいことは置いておこうか。
「それじゃ、行ってくる」
「はい。気をつけてくださいね」
エレンに見送られて家を出ようとした時だった。
「シンイチー、どこか行くのかー?」
トコトコとリビングの方から歩いてきたのは、婚約者の中では最年少のユリアだった。もう十歳になったので出会った時よりも背は伸びているのだが、歳の割に小柄に見える。
「ああ、ちょっと買い物にな」
行ってきます、と言う代わりに頭を撫でてやろうとする。
だが、何故か俺の腕をユリアはがっちりと掴んできた。猫のような爪でガリガリされてくすぐったいのだが、なんだ?
「どうしたんだ?」
「ユリアが行くっ!」
「ユリアが? 一緒にじゃなくてか?」
「ユリアが一人で行くー!」
行かせまいとしてかぐいぐいと俺の腕を引っ張るユリアに、困惑を隠せない。エレンも同様にどうしたらよいかと迷っているところに、駆けつけたのは俺と同郷の……勇者の御堂栞だった。
「ご、ごめん晋一くん! 実は……」
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「……なるほどね」
「ごめんね。ユリアちゃんも楽しそうだったから、つい……」
「いや、栞のせいじゃないから気にすんな」
というか、別に悪いことではないしな。
申し訳なさそうな顔をした栞の話によれば、ユリアが一人で買い物に行きたがった理由はとあるテレビ番組だという。
もちろんだが、この世界にはまだテレビという物は存在しない。概念だけはレインなんかに伝えてあるのだが、流石に仕組みは知らないため未だに構想段階に留まっている。それも時間の問題だとは思うがな。
ともあれ、だ。ここで言うテレビ番組というのは俺たちの故郷である地球、正確には日本にあったもので、内容は小さな子どもが一人でおつかいに行くというものだった。
有名な「はじめての」ってやつである。
ついさっきまで、栞はその内容をユリアに教えていたそうだ。「ユリアより小さな子たちが、頑張っておつかいを成功させるんだよ」という風に。
どうにもユリアはそれに感化されたらしい。
「ユリアもがんばる! がんばってシンイチにほめてもらうー!」
えいえいおー、と気合の入りようを見せつけてくる。
「ユリア、一人でなんて危ないよ?」
エレンが諭すように言うが、ユリアはその言葉にムスッとした顔を作るのみだ。明らかに不満があると訴える表情に、さしものエレンもお手上げという感じか。
「まあ、いいんじゃないか?」
「シンイチさん……」
「こういうのも経験になるだろ。何より、手伝おうとしてくれてるんだから、それを無碍にすることもないんじゃないか?」
俺から助け舟が出るとは思わなかったのだろう、エレンが驚いたように目を見開くも「……それも、そうですね」と言って納得はしてくれた。
何だかんだ、エレンは心配はしつつもわかっているのだ。
ユリアが危険な目に遭うことはそうそう無い。
理由は色々とある。ユリアは族長の愛娘だから町の猫人族にしっかり認識されている。そも、この町を治めるのはユリウスさんだ。あの人が治安の悪い町の長だなどと……到底信じられるものではないだろう?
「いいか、ユリア。知らない人にはついていかない。危なくなったら助けを呼ぶ。それと、間違わないように買うんだぞ」
「わかったー、行ってきまーす!」
「ああ、行ってらっしゃい」
メモが入った買い物かごをぶら下げたユリアが元気良く返事をして、ルンルンと家を出発した。
「大丈夫でしょうか……?」
心配性なエレンが呟く。見れば、栞も似たような表情だった。
そんな二人に俺は話しかける。
「なあ二人とも。あの番組がどんな内容かは、もちろん知ってるよな」
「それは、はい。さっき聞きましたから」
「じゃあさ、あの番組で頑張ってる子どもたちの姿って、どうしてテレビに映るんだろうな」
「? それはもちろん、カメラマンがいるから……! 晋一くん、もしかして……」
流石に裏を知っている栞は気づいたようだ。俺はいつの間にか強く握りこんでいた拳を解いて、鉄面皮故にほぼ動くことのない顔で告げる。
ユリアの後ろ姿が見えなくなった玄関外に向かって。
「ちょっと様子を見てくる」
エレンと栞の返事を聞くこともなく駆け出した俺は、ご機嫌なユリアの死角に立って尾行者となる。
背中にじんわりと滲んでいた汗を感じて、どこか他人事のように思う。
ユリアのことを一番心配していたのは、他ならぬ自分だったのかもな、と。




