「人外」
ヌルヌルと何かが体の表面を蠢く感触。全身を巨大な舌で舐め回されているような感じだ。
音は酷く聞こえにくい。時折耳元でヌチャヌチャと不快な音がする……気がする。
そのあまりの気持ち悪さに目を開くが、光が入ってこない。代わりに、独特な違和感を覚えた。
そう、例えるなら、海中で目を開いてしまった時のような。
そこまで考えたところで、瞬時に覚醒する。俺が意識を失っている時、最高神だという存在と対話した。その最後に、何と言われたか。
『ごめん! 君、下界だと今、海のそ……』
海のそ。
海の、そ……こ?
海の……底!
(最悪じゃねぇか!)
すぐに身体を確認しようとするが、何かに押さえつけられていて動けない。その上、水中にいるから息もできない。
いや、もはや神と同等クラスの肉体だと素潜り一時間とかできちゃうんだけどさ。
だが、今まで気絶していたせいもあって、かなりピンチっぽい。
とりあえず、少し落ち着こう。
ヌルヌル、ヌルヌル、ヌルヌル……
うん、落ち着けない。さっきから感じているこのヌルヌル……どこかでも経験した感触だ。
具体的に言うと、数ヶ月前にスカイウォールからムサの近海にダイブした時に出逢った、海の悪魔。
お分かりだろう。クラーケンだ。
理解すると同時に、軽く身を捩る。たったそれだけの動作だったが、光の届かぬ深海に乱流を生み出した。
筋力値が二億を超えた俺の、規格外の「ちょっと」だ。
全身を這いずるヌメヌメを霧散させ、荒れ狂う海の底に何とか足を着ける。海面がどうなってるかは知りようもないが……できれば大惨事になっていないことを祈る。
周囲のことも考慮して、それでも時間の関係で飛ばし気味に跳躍し、水を掻いた。
体感で十秒も経っていないはずだ。それだけの短時間で、俺は暗黒の深海から上空へと飛び上がっていた。どうやら力加減を間違えたみたいで、結構な高度に達している。
下を見た。クラーケンがいたことから察してはいたが、ここはムサ大陸の近くのようだ。俺の影響だと思われる大きな波がムサへと襲いかかっているが……人が住んでるわけでもなし、問題無い。レインが飲み込まれたとしても、あいつは死なないから良しとしよう。
失礼なことを思いながら落下し、海面に叩けつけられる寸前に、逆に海面を叩きつけた。海を大きく割り裂いた代わりに、俺の体は反動で横に高速移動した。
向かう先は、不毛の大地ノーグラス大陸。
遠くの空から、幻想的な光の粒がゆっくりと舞い落ちるのが見えた。あれはこの世界で御堂だけが使える幻級魔法「堕天」の光か?
もしそうなら……事態は悪い方向に進んでいる。
「間に合ってくれよ……!」
海面を走る。一歩ごとに後ろが大変なことになっているが、気にしてはいられない。
瞬く間に荒野に上陸し、勢いを更に増して駆ける。
大地を踏み砕き、戦いの場に躍り出る。そこには肩と脚から血を流し、今にも倒れそうな御堂がいた。
「本当に、ごめん……」
倒れる御堂を優しく受け止め、誰に向けられたのかも分からない謝罪に返事をする。
「何のことだか知らんが、気にすんな」
そう言うと、御堂の目が驚きに見開かれ、しかしながら気を失ったのか閉じられた。
……こんな状態になった理由は、何となく想像がつく。俺の妄想や自意識過剰かもしれないけど、でも。
「……ありがとよ、御堂」
見たところ、肩と脚の怪我は致命傷にはならなさそうだった。血が出ているから早急な処置が必要だろうな。
なら、さっさと目の前のクソ女神をぶっ飛ばしてやる。
「あ、アンタ、なんで生きてんのよ! 私の力で死なない奴なんて、そうそういな」
「黙れクズ」
「なっ……!?」
端整な顔に表れたのは驚愕か憤怒か。別にどっちでも構わないが。
「クッ、この雑魚が!」
向けられた掌から、一条の閃光が放たれた。直線を描いて俺の心臓を貫こうとした光は、身体に当たって弾けた。
「はあっ!? なんで効かないの!」
「悪いが、俺に傷はつけられないぞ」
接近し、拳を振り抜いた。女神は反応すらできなかったが、俺も奴に触れることができなかった。すり抜けてしまったのだ。
「……ふ、ふふん! どうやら凄い力を持ってるみたいだけど、残念だったわね! 私の身体は魔力でできてるから、魔法以外は効かないわ。魔法の使えないアンタじゃ話に……」
なるほどね。身体が魔力でできている、と。
これは良いことを聞いたな。
『ミドウ様! ご無事ですか!?』
丁度その時、虹色の少女が駆けつけた。なんとも良いタイミングで来てくれた。
『あ、マスター。やっぱり生きてましたか』
あ、居たんだ、的なテンションで言われると少し傷つくな。俺への心配はその程度かと。一応、信頼されていると捉えておこう。
「……ナイスタイミングだ、ハル。今からあのクソ女神を殴るんだ、力を貸してくれ」
『か、顔がマズイことに……イエッサー! マスターの思うままに!」
何やら余計なことを言っていた気がするが、ハルは特に理由も聞かずに右手に纏わりついてきた。手にピッタリとフィットする手袋状だ。
うん、流石はオリハルコン。変幻自在だ。
右手を閉じ、開き、しっかりと握りこむ。まだ何か騒いでる女神に正対し、呼吸を整える。
……こいつのせいで、マリナの両親が死んだ。こいつの道楽によって、ロード族は滅んだ。こいつの暇潰しで、ローラさんは死にかけた。
どれもこれも、直接的に俺が被害を受けたわけじゃない。
それでも、と思う。
俺はこいつを殴ってやりたい。
「……覚悟しろよ、クソ女神!」
大地を穿ち、駆ける。
瞬きする暇すら与えずに女神の面前に立ち、全力の一撃を放つ。
初撃は、デコピンだ。
「ぷげぅっ!!?」
女神の額にオリハルコンを纏った中指が炸裂する。
直後、女神の身体は後方に高速回転しながら吹き飛んでいった。
俺はそれを追い、がら空きになった背中に向けて掌底を打ち込む。
「がはっ……!!」
まだ、終わらせない。
再度地を蹴り、海老反りに飛んでいく女神に追いつく。ハルを脚に移動させ、勢いを殺さず横っ腹に回し蹴りを入れてやる。
「ぐぼぇっ……!」
方向を変えて吹き飛ぶ女神は、荒れた大地に打ちつけられても止まることなく、ゴロゴロとどこまでも転がっていく。
ここまでやって、女神はまだ死んでいない。それどころか立ち上がる余裕くらいはありそうだった。
……腐っても神だね。
それなら、見せてやるか。
「人外」の力を。
やっと停止した女神が、ヨロヨロと立ち上がった。かなり遠くにいるが、俺は視力も人外のようだしな。
……さて、思う存分味わえ。
「人外の拳をよ」
全力で走り出す。
風を、音を置き去りにし、光に追いつく速度で女神に迫る。
「どうして、私が……」
耳に入ったのは、そんな呟き。
ここまで来て、何も分かってないのか。
救いようも無いな。
だからこそ、遠慮はいらない。
「喰らいやがれ!」
構えた虹色の右手を、女神の顔めがけて放つ。
紛うことなき、全身全霊の一撃。
グシャァ……!
女神の美しい顔が、醜く歪んだ。
人外の、神に等しい力で打ち出された拳が振り抜かれ。
声を上げることも叶わず、女神はその場から消え去った。
「……ふぅ。これでお終いかね、っと」
肉体を酷使したことによる痛みを感じながら、俺は呟いた。
身体は辛いが、気分は晴れやかだ。
『マスター。良い雰囲気のところ悪いのですが、顔が……』
空気を読まないというか、ブレないハルの言葉に、俺はこう思った。
達成感に笑うくらい、別にいいじゃないか……




